第77話 明暗56 (238~240)

「しかしだ、俺がいよいよ東西新聞を辞めることを決意させた出来事は、続けざまに翌年起きたんだよ。これは、うーん……、簡単には信じてもらえないかもしれんな……。まあ信じないなら信じないでもいいが、1978年に関東電力の双葉発電所で、実は臨界事故が起きていたんだ!」

「臨界事故?」

当然、原子力関連の知識がなければよくわからない言葉だ。竹下も聞いたことはあったが、中身についてしっかり知っているというわけではなかった。


「臨界事故っていうのはだな、簡単に言えば、原子炉やきちんとした施設の外で、核分裂の連鎖反応が発生することだ。放射線の中でも最も危険な『中性子』が発生するので、大変危険な事態だ。それが当時秘密裏に発生していたんだな」

「そんな事故の存在は、今まで全く聞いたことがないんですが?」

竹下が当然の反応を見せた。

「ただでさえ、核アレルギーのある日本において、原子力発電所は、根拠のない『安全神話』に基いて建設され続けているからな。言うまでもなく、そんな危険なことが起きていたら社会的に許されない。公表は当然されなかった」


※※※※※※※


 2007年3月22日、驚くべき事実が公表された。その30年近く前の1978年、東京電力福島第一原発3号機において、日本初と思われる臨界事故が発生していたというのだ。原子炉内部の制御棒が抜けたことで、7時間近くもコントロール出来ない中で臨界が起きていた。当時国への報告義務がなかったため報告されなかったが、原発内部の人間にすら情報が共有されなかったという。2011年3月11日の、東日本大震災によるメルトダウンよりはるか昔、既に福一並びに東京電力は『そういう』体質にあった証左と言える事故だった。参照http://www.asyura2.com/07/genpatu4/msg/133.html


※※※※※※※


「そうだったんですか……。それで高垣さんとどう関わっていたんですか、その事故には?」

竹下が更に情報を求めた。

「先日、シャルマンでもあんたに言ったが、俺は、福島の片田舎、具体的には、太平洋側の原町市(現・南相馬市原町地区)と言うところの出なんだ。オヤジもお袋も、福島の太平洋沿岸沿い、現地で言うところの「浜通り」って言う地方の生まれだから、親戚もその周辺に住んでいるものが大半でね……。その中に、これまた浜通りにある、関東電力の双葉原発に勤務している従兄弟が居た。俺より10程上の兄貴分みたいな人だ。1978年の4月に、その従兄弟から、『とんでもない事故が起きたが、情報が全くマスコミにも出てない』と、新聞記者だった俺に『タレコミ』があった。親戚で内実に詳しい人から情報だから、言うまでもなく確証度は高い。当然、俺はスクープとして、社会部のデスクに記事にするように掛け合った。ところが、デスクが記事にしようとしたところで、上層部から圧力が掛かったんだ。最終的に記事にはならなかった」

そう言った高垣の表情は、また修羅の如き様相を呈していた。いわゆる「はらわたが煮えくり返る」という心境だったのだろう。


「どうしてスクープは捻り潰されたんですか?」

吉村の問いに、高垣は今度は無念の表情を浮かべ、

「知らないかもしれないが、東西新聞の創始者は、正田梅太郎と言う、戦前は高級官僚をしていた男だ。そいつが戦前に不祥事で官僚を辞めてから東西新聞社を設立した。設立の時点で実はかなり怪しい新聞社だったと、辞めた後で色々と知ったが、まあそれはどうでもいい。それでだ。この正田が、民友党と共に日本の戦後の原子力発電の普及・推進にかなり関わった人物でもあったわけなんだ。東西新聞は、与党民友党寄りであるのは知っていると思うが、それに輪をかけて、「楯突いたら」いけない事案だったんだな、原発関係のネガティブな情報は……。結局社会部長により、『残念だがこれは出せない』と言われ、世に出ることなく抹消されちまった。従兄弟も、難癖付けられて、関東電力を退社することになったが、おそらく俺に情報を渡したということが、東西新聞から民友党、そして関東電力にまで流れたんだろう……。従兄弟にも悪いことをした。幸い再就職先で充実した生活を送ってくれていたようだが、当時は申し訳が立たなくてな……」

と語った。


「それが直接の引き金になって退職したんですか……」

「全くその通りだよ竹下さん! いよいよ宮仕みやづかえに嫌気が差した。報道が利権でねじ曲げられる世界にね……。退職後はまず第一に、その話を何とかして社会の表舞台に出したい一心だったんだが、関東電力という大企業の力の凄さをその後思い知る羽目になった。何せどこの出版社も、関東電力に背くことを恐れるんだな。出版関係やメディア関係に、大量の「資金」を流してる関東電力がお得意様だから、それを失いたくないわけだ。それなりに有名で、聞いたことがあるかもしれないが、『危ない真実』と言う月刊のアングラ誌に記事を載せてもいいと言われたが、基本的にゴシップ誌に近い内容が多いから、そういうのに紛れて信ぴょう性が落ちるのを俺は良しとしなかった。結局今に至るまで、この話は一切世の中には流れていないということだ」

高垣はここに来て、割と淡々とした語り口になっていたが、怒りに満ちた顔つきはそのままだった。


「高垣さんがフリージャーナリストになったことには、そういう背景があったんですね……。こう言っちゃ失礼かもしれないが、そういう怨念が高垣さんを突き動かし、ああいう著書の数々を生み出してきたということですかね?」

竹下の感想に、

「うむ……。認めたくはないが、そういう側面は否定出来ないかもな……」

と、今度は少し悲しそうな表情を浮かべた。


「高垣さんの話は大変重い。ただ、それらの出来事と、今回の事件との直接的関連性はないですよね? あくまで東西新聞が色々外部の圧力に左右されやすいというだけで」

西田は話が一段落した時点で、そう高垣に言ったが、相手には軽薄な感想に聞こえたらしい。

「まだわからないのか、あんたには! あんなことが20年近く前に起きたにもかかわらず、未だに沖縄は、基地問題や地位協定に苛まれてるんだ! 暴行事件が発生してここ2ヶ月程、全く俺はこの長い年月、一体何のためにこの仕事に携わって来たかわからなくなってしまった……。そしてあんた達が、今俺の目の前で繰り広げた茶番は何だ!? 社会に影響を与える大事件のはずが、傍から聞いた限りじゃ、どうも警察権力と政治権力によって握りつぶされようとしているんだろ? しかも、それに相変わらず東西新聞のヤロウが関わってると言うじゃないか! 俺はね、警察のメンツの為なんかに、協力したいと思ったことは今までない! 今回北見くんだりまでやって来たのも、単に警察に協力するというお題目じゃなく、真相の解明に役立ち、自分の好奇心も満たせ、自分の『失敗』を取り返せると思ったからこそ来たんだ! そしたらどうだこのザマは! 目の前であんたらに『ヘタレ』た態度見せられて! ここに至って、俺が今までやってきた、1人のジャーナリストの端くれとしての人生に意義を見出すためには、つまらん『反権力』のポリシーの維持に汲々とするより、警察に与しようが何しようが、この局面を打開することが最重要だと考えてんだ! わかるか? あんた方に俺の今の思いが!」


 余りの剣幕に、刑事4人は思わず圧倒され、たじろいだ。凶悪犯とも対峙する刑事であれ、高垣のこの時の「凄み」は、ある意味経験したことがないものだった。本橋にも表現しにくい威圧感や大物感を感じたが、この高垣の「熱情」は動的にそれをはるかに凌駕していた。逆に言えば、これぐらいの気性の激しさがなくては、一匹狼として、あの業界で生きていくことは出来ないのだろう。警察官としての自分達と政治的スタンスが合うか合わないかはともかくとして、ここまで真実を追求するという「姿勢」を自分達は取れるのかと、自問自答したくなる程の迫力だった。


「高垣さんの心意気は確かに伝わりました。しかし、東西新聞の動きを探るためとは言え、捜査情報の提供と言うのは、我々にとってハードルが高過ぎることは間違いない」

西田は言い訳をした。

「こっちはブンヤ時代含め、この業界で長くやってきた以上、東西新聞だけじゃなく、あらゆる方向に人脈が出来てる。政治や官庁絡み、その周辺の裏事情の情報が入ってくる確率は、申し訳ないが地方の警察官のあんたらとは段違いだ。今回の政治と警察庁、東西新聞の絡みでの情報収集なら、俺の方が遥かに適任だろう。しかし、事件の背景を知らないことには、東西以外のどこを調べればよいかの見当がつきづらい。東西の知り合いも全てを知っているわけでもないだろうし、言いづらいこともあるだろうから」

「なるほど……。しかしですね、やはり高垣さんは、我々から見れば、敵対する立場だと言っても過言ではないです。こちらの手札を見せていくことは、かなり危険ですよ」

西田は慎重な姿勢を崩さなかった。


「孫子の呉越同舟という言葉を知ってるよな?」

「当然知ってますよ」

西田は馬鹿にされたようで気分が悪かったが、我慢してそう答えた。

「1つの大事のためには、敵同士であっても協力するということだろ? 言い換えれば、『小異を捨てて大同につく』と同じだ。今回の件にとって、何が大同であって、何が小異か、その価値観が問われていることに、まともな人間なら気付くはずじゃないか?」

感情溢れる言動から一転して、落ち着いた口調ではあったが、むしろ挑発的な度合いは増したように刑事達は感じていた。


「言ってることは理解出来るが、あなたとは立場が違う! こっちは組織、あなたは個人! 組織の中の人間が勝手に動き始めたら、収拾がつかなくなる。個人の思惑で動けるような立場にないんですよ、残念ながら自分達は!」

西田はそうムキになって反論してみたが、高垣は更に挑発してきた。

「じゃあ聞こう! 警察組織の目的は何だ? 単なる権力構造の維持か? いやいや、無粋なことを聞いたな。確かに警察は権力構造を維持出来ればどうでもいいんだったわ。組織の犬だということを忘れてたよ。悪かったな!」

そう言って嘲笑あざわらった。

「治安の維持と国民市民の安全の確保が我々の目的だ!」

西田はそれに対して気色ばんだ。

「そうは思えんな! あんたはさっき組織の論理が重要だと言った。組織の論理は時に、正義に反することも多々あるのが実情だ。どっちがあんたの本音だ? そして今回の正義はどこにある?」

西田は答えに窮した。正直、こうなることは薄々わかってはいたが、高垣のしつこい「正論」に、場当たり的な感情論を出さずにはいられなかった。高垣はその様子を見ながら、表情1つ変えなかったが、それ以上の追及もしなかった。論理的には自分の側の「勝利」を単純に確信していたからだろう。一匹狼の論理と組織の論理が小会議室という小さなスペースでぶつかり合い、重苦しい空気が支配していた。


 しかし、その雰囲気を最初に切り裂いたのは、やはりというか竹下だった。

「係長、こう言ってはなんですが、正直どっちかと言えば、自分が高垣さんの側のタイプだということはわかってるかと思います……」

「ああ、わかってる!」

西田は不愉快そうに応じた。

「どうでしょう? あくまで自分が個人的に高垣さんの側についたということにしては?」

表情1つ変えなかったが、かなりの危険な発言であることを理解していないはずはなかった。

「竹下、お前正気か?」

「勿論。自分で責任をとりますよ。……いや、と言っても上司の係長にも責任が及ぶのは避けられないでしょうね……、申し訳ないですけど」

本当に申し訳なさそうな顔をしたので、口だけではなかっただろうが、要は自分以外の人間を巻き込んでもやり遂げるという意思表示をしたということでもあった。冷静沈着ながら、大胆さは相変わらずだ。いや、西田にとってみれば、傍若無人と言い換えても良かった。


「申し訳ないで済むなら警察いらねえだろ! お前が責任とるだけで済むなら勝手にすればいいが、俺はともかく、沢井課長、槇田署長、果ては北見(方面本部)や本社(道警本部)まで、何だかんだ言って巻き込むことになりかねないんだから! 自分勝手にも程があるぞ……」

お手上げという感じで自虐ギャグ含めて言い捨てたが、同時に竹下がここまで言ったのだから、おそらく翻意は無理だろうという確信も持っていた。

「すいません。ですが仕方ありません!」

そう謝ったが、この時の竹下は、先程の謝罪時とは違い、覚悟を決めたという顔つきだった。眼光からして違っていた。テクニカルノックアウト寸前のボクサーが、精気を取り戻し、フィティングポーズを取った姿を竹下に重ねた。


 同時に西田はここで逡巡し始めた。どっちにしても竹下の行動が自分にも火の粉として降り掛かってくることは、いざ何かあれば避けられないということに変わりはなかった。そうだとすれば、組織の論理に甘んじて処罰されるか、それを打ち破って処罰されるかは、処罰の程度の差こそあれ、さして変わりはないような気がしたからだ。


 実際問題、そうなったら、知らない振りをしたところで、その後も警察に留まることは無理である確率が高い。50近くであれば、結果「自発的退職」なら仕方ないと諦められるが、40未満という今の自分の年齢的には、まだ警察でキャリアを積んでおきたいところだ。そして、一連の捜査では、これまでも危ない橋を渡る覚悟は何度かしていた。程度の差こそあれ、その時の思いは嘘ではなかった。だとすれば、その思いに最後まで「殉ずる」こともまた、1つの結論だろう。そういう思考の「道」に乗った西田の考えが、それまでと180度変わるのに、自分でも驚くほど、そう時間は掛からなかった。


「到底納得出来ないが、お前の覚悟もわかった……。バレれば、俺が乗ろうが乗らまいが、どっちにしても巻き込まれるんじゃやってられん! 進むも地獄、退くも地獄ってことだな……。ここまで来てしまったら、結果に大した差なんざないとも言える、頭に来るぐらいにな……。よし! こうなったら、俺もお前と船に一緒に乗り込んで暴れてやるしかないか!」

その台詞を聞いた高垣は、

「一体全体何がどうしたっていうんだ? 急に態度変えて? でも理由なんてどうでもいいわ! そうこなくっちゃ! しかし、何で急に態度を変えたのかやっぱりわからん」

と、笑みを浮かべ、一度は西田の翻意の訳を聞くことを否定しながら、やはり興味深そうに尋ねてきた。

「警察に居られなくなることは、どっちにでも同じだからって話ですよ! 直接追い出し喰らうか、表向き自分の意志で出て行くような形を取るか……。退職金はともかく、職を全うするかどうかで言えばその程度の違いです。意志に反して巻き込まれるぐらいなら、敢えて自分から巻き込まれるのも選択肢じゃないか……。たった今、そういう考えに至っただけの話ですよ」

そうサバサバと答えた西田に、

「ご家族の居る方に、迷惑かけることになって……」

と、竹下はこの時は再び本気で申し訳なさそうな表情へと戻っていた。


「盛り上がってるところ申し訳ないですが、2人はそれで良くても、俺達はどうすりゃいいんですか? 放置されても困るんですが」

黙ってずっと聞いていた吉村が、あからさまに不満気な言い方で割り込んだ。

「お前らは問題ない! 役職に就いているわけでもない。大きなことにはならないはずだ。こっちのことは知らなかった、それでいい」

西田はそう言ったが、やはりというか、当たり前に不安そうではあった。

「正直言って、面倒に巻き込まれたくはないのが本音ですけど、このまま事件を有耶無耶にされるのも癪に障りますね。何かわからんですが、どっちに行ってもろくな事にならないのは間違いないですよ。クソッタレですね!」

黒須は、不条理な展開に苛立っていた。部下であれ、どちらも茨の道であることは間違いなかった。


「ただ、そこまで気持ちが切り替わったのならあれだな」

高垣は空気を読まずに口を開いた。

「一体なんですか?」

竹下が確認する。

「2人は俺に協力してくれるわけだろ? そこまで言ってくれるなら、概要ではなくこの事件の全容をしっかり教えてもらえないかな? 話を聞く分には、それをしようがしまいが、警察官にとっての不利益という意味では結果は同じなんだろ?」

「……確かにそうですけど」

西田もダイレクトに否定する術がなかった。一部の情報を漏らした上で楯突くか、全部漏らして楯突くかでの結果は同じだろう。だとすれば全部打ち明けて対策を考える方が利口かもしれない。ただ、さっきまでは「概要」と言っていたのに、今度は「全容」となると、明らかに相手の要求はエスカレートしている。何だかんだ言ってこの手の人間の「欲望」は尽きることはない。一々応じていると危険度が増すのは自明だ。


「しかし、全部を教えるとなると、口先だけで済ませても、高垣さんには伝わらんでしょ? そうなるとこれまでの捜査資料を見せる必要がでてくると思います。だけど、そうなると、今度は遠軽署にある資料を見せないといけないわけで、どう考えても沢井課長の許可がいると思います。さすがに沢井課長が許可するとは思えないんですが?」

竹下の真意がどこにあるのかはともかく、言われてみれば危険云々より前に、そういう懸念は的を射ていた。


「さすがにそれは色々と無理ですよ」

西田が言う前に吉村が結論を告げた。

「残念ながらそれが現実です」

吉村の言葉を援用したが、西田も全く同じ考えだった。危険性のアップ以前の問題で、それ以上でも以下でもない。

「そうか、わかった……。現在はその点については諦めることにしよう……」

さすがにそれ以上の無理を強いることはしなかったが、強いた所で実現性がなければ意味が無いことは高垣にもわかっているはずだ。


「じゃあ、色々やらないといけないことがあるけれども、先に記事関係の方を完全に片付けておきますか……。細かいことは後からにしよう」

西田はそう言うと、高垣が北見で取材した際の、栗山と田辺の様子について、聴取をさせてもらうことにした。


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