第72話 明暗51 (225~227 浜名理由)
「おい! あんた警官なのか? ……ということは、おそらく会ったのは偶然じゃないな? 一体何の目的で近づいた!? さっきのあんたの部下とやらも警官か?」
やはり高垣は酔いも覚めたように、かなり不機嫌になり、先程までとは違う高圧的態度で応じた。しかし、これは予想の範囲内であり、常人なら誰でもこうなって不思議ない。
「身元隠して申し訳ないです。実際探りを入れていたのは確かです。実はさっきの話、週間FREEの記事の件で、高垣さんに捜査協力してもらいたいんです。先程までは、高垣さんがどういう意図で記事を書いたかわからなかったので、試すようなことをしてすみませんでした。しかし間違いなく、利用されただけだとわかり、是非協力してもらいたいんです!」
竹下は熱弁を振るったつもりではあったが、さすがにこれだけで相手に状況を説明しきるのは無理がある。しかし、高垣は、先程までの怒りは既に収まっていたようだった。同時に狐につままれたような表情を浮かべてもいた。竹下はそれを確認すると、
「そうですねえ……、更にお時間とらせて申し訳ないですけど、ちょっとあの喫茶店で事情を詳しく説明させてください。お願いします!」
と必死に頼み込んだ。そうすると、更に相手の態度は急激に軟化した。
「正直、かなり不快な思いで一杯なのは事実だよ。でもこういう仕事してるとね、敢えてそういう気味が悪いもんに、正体探りに突っ込んで行ってみようという心境になることがそこそこあったりするんだな。まあそれが報道に関わってる人間の性ってやつだ。そして今まさにそんな心持ちになった。わかった! 話だけは聞いてみてもいい!」
「それは大変ありがたいです!」
竹下はそう言うと、目についた喫茶店に高垣を先導して入った。
※※※※※※※
入った喫茶店で、竹下は教えても許される範囲で、高垣にこれまでの経緯を簡単に喋った。本橋の佐田実殺害発覚の話と3人が病院で銃殺された話は、さすがに全国で大々的に報道されただけあって高垣も知っていた。報道されていないようなことは、竹下は避けられる分には避けて話した。
「正直、一週刊誌の記事にどこまで影響力があるかは、人によって色々考えがあると思います。しかし、確かに記事が出た後は、デマだったはずの記事の内容に沿ったようにヤクザの抗争が起き、そして一見その流れの結果として、3名の銃殺事件が起きました。捜査本部としては、当初から抗争に巻き込まれた可能性を考えたようです。これが事実上、事件の捜査の1番目の筋書きになっています。もう一つは、これも先程軽く触れましたが、例の本橋に殺された男性の事件に、銃殺事件の被害者の3名の内の1人が絡んでいたことがありました。その人物が本橋の事件について新しい証言をする予定が、殺害当日にあったんです。それで、これを阻止するために事件が発生したという可能性を考慮した上で捜査もしてます。そういうわけで、この2つを軸に、今も捜査中という形です」
竹下はそう言うと、喉の乾きを紅茶で潤し、再び喋り始めた。
「自分は現状、所属先の所轄が捜査本部に正式に加わっていない、言うなれば実は外部の人間です。本橋の事件の方で所轄担当だった関係もあって、今回捜査本部に応援で参加している先輩刑事からの、ある意味『私的な委託』で行動しています。だから細かい点については把握しきれてないところもあります。そういうわけで、あくまでそれを前提で言わせてもらいます」
聞いていた高垣は、当初より話に入り込んできていたのを竹下は確認しつつ続ける。
「この捜査方針に、高垣さんの書いた記事が、銃殺事件の前に実際に起きた一連の発砲事件の動機の裏付けとして、印象づけられることに多少は影響したかもしれません。少なくとも、多少は筋書きの『誘導』としての意味はあったんじゃないですかね?」
しかし、高垣は、自分の「書かされた」記事が事件に関係あるかもしれないと聞くと、
「そりゃ幾ら何でも、あんた方の考え過ぎじゃないかな?」
と一笑に付した感じで信じられない様子だった。
「考え過ぎと言われれば、それを明確に否定出来ることは出来ません。しかし、明らかにタイミングがおかしいと思いませんか? ガセ情報だったはずのものが現実化してる。これは説明が付きません」
それを受けた高垣は、
「そうだとしてもだ。道警のマル暴からの情報は、捜査本部も聞いてるんじゃないか? だとすれば週刊誌の記事についての信憑性は、そっから否定されるんじゃないの?」
と更に疑問を呈した。
「普通に考えればそうなるはずです。でも残念ながら、捜査一課系を中心に一般的に言うとマル暴を下に見ている傾向がある。これは良いことではないんですが……」
「つまり、四課の情報の信用度はそれほどないと考えられてもおかしくないってことでいいのか? 確かに一課系の捜査員以上に、その上層部には、そういう傾向があると言われてみれば……。あくまで自分の取材範囲の話ではあるが……」
高垣はそれを聞いて慎重な物言いになった。
「ええ。実際にその後抗争事件が発生してるんで、何らかの小さい『小競り合い』は起きていたのを見逃していたと決めつけたかもしれない」
「確かに取材で、警察は課ごとに派閥争いの類があるということはよく知ってはいるが、こういう情報の扱いまで露骨に影響してくるか……、フッフッ」
高垣は呆れたように、いや明らかに呆れて鼻で笑っていた。
「そう思われても仕方ないですね。おそらく、マル暴の情報は正しかったと思います。高垣さんの方も、我々が得ていたのも、両方とも同じ結論ですから」
竹下は、高垣が道警のマル暴から情報を得ていたという自分の推測をそのまま口にして、そう言ってから口をつぐんだ。しばらく店の有線のBGMだけが流れたが、
「ところで、高垣さんが会った関係者とやらは、それぞれ自己紹介したってさっき言ってましたよね?」
そう切り出した竹下に、
「うん。ただ、実名は一切明かさないと言う前提の取材だった。正直、少なくともそいつらの『帰属』については、取材当時から信用度は低いとは思ってた。ただ、問題は実際に当事者であるかどうかであって、帰属先の真偽はそれほど重要じゃないという思いで誤魔化しちまった。これも大きな間違いの元だな……」
と高垣は心底悔いている様子だ。
「帰属先の具体名の方は?」
「ヤクザが日照会、土建が村山組の帰属だと名乗った」
一応は土建とそれのケツ持ちのヤクザで、双方に関連がある同士の組み合わせだった。ここは整合性のある名前を出していたわけだ。
「それはともかく、記事を出してからの経緯はわかったが、竹下さん! あんたは俺に具体的に何を聞きたい、或いは、具体的に何をして欲しいんだ? そんな話をただ聞かせるために、わざわざ北海道から来たわけじゃあるまい?」
と、竹下に本題に入るように促した。
「正直言って、高垣さんがどういう意図であの記事を書いたかまでは、今日実際に会うまではわからなかったわけで、それを確認することが何より優先でしたから……」
「そうか……。言われてみればそうだな。でも、それがわかった今、何かあるんだろ?」
「そう言ってもらえると助かります。では……」
竹下は目の前にあったティーカップをテーブルの端に避けると、話し始めた。
「編集側が用意した取材先と、北見で会って取材したと聞きました。記事が意図をもって誘導されたと考えるならば、その会った相手は、射殺事件のバックに居る連中とも関係があると見るのが筋じゃないですか?」
「……そうなるかな、否、あんたの推理が合ってるならその通りかな……」
高垣は酔いのせいもあってか、少し考えてから頷いた。
「ヤクザと土建関係の人間と紹介の上で会ったそうですが、高垣さんから見て、どうでした? 本当にそう見えました?」
「土建関連については、そりゃ色んなタイプがいるから、断定は難しいよ。ただ、自称暴力団については、本職のヤクザであることは俺の目から見た限り、間違いないと思った。それに土建関係の方も、ただのカタギには見えなかったな。『同業』臭かった。まあ一般的に土建とヤクザの絡み考えたら、詐称していなくても不思議でもなんでもないよな……。そういうわけで、土建関係については、断定するまでは無理かもしれないが、可能性は十分あったと考えた。だからこそ記事にしたわけだよ」
「それもそうですね。そこにリアリティがなかったら、その時点で高垣さんは記事にはしなかったかもしれない」
「しれないじゃない、しない! 確かに甘い取材だったが、取材相手そのものにリアリティがなければ、さすがに記事にはしない!」
先程のような激昂ではなかったが、プライドを刺激されたか、かなり否定の言葉には力がこもっていた。
「失礼しました。……そうなると、少なくともヤクザは本物と見て良いでしょう。そうであれば、こちらが持っている、北海道……、いやおそらく、北見周辺のヤクザの構成員の情報、具体的には名前、年齢、住所、勤務先、本人写真がありますが、その中に高垣さんが会った人間が居るかもしれない。そこを特定出来れば、突破口になり得る」
「ははあ、面通しって奴か? それをして欲しいと」
合点が行ったか、高垣の頬は少し緩んだ。
「そうです。それで北見まで同行していただきたい」
「ドウコウ!? ドウコウってのは、一緒に行くという意味の同行? 東京で写真か何かで確認するとかじゃなくて?」
「そうです」
竹下は勢いで口にした言葉に、自分でも驚いていた。しかし、一見何の考えもなしにした発言であるかのように見えて、実は瞬時に脳内で出た結論でもあった。事実として、資料を警察の施設から外に出すとなると、かなり面倒なのだ。おそらく東京で面通しするのであれば、警察庁(通称「察庁」)警視庁(通称「本庁」)の何処かの施設での閲覧以外は、部外者には面通しさせられないはずだ。
仮にそういう手段を採るとしても、警察相手に批判的な著書も書いている高垣を、どこであれ、間借りすることになる警察庁・警視庁の施設に入館させるとなると、そちら側からも良くない顔をされるのは間違いないだろう。
結局、情報資料を外に出すのも大事なら、出してからも相手が高垣であるなら、やはり大事になるのは自明だ。それならば、まだ北見方面か北見署内で資料での面通しをする方が二度手間は避けられる。それでも、高垣という男を警察の秘匿情報に結果的にアクセスさせることは、警視庁同様、道警でも当たり前のようにタブーに近いだろうという認識は、さすがに竹下にもあり、その点はどうあれ頭が痛かった。
既に向坂と西田が倉野などの上役には、大島の関与の可能性など色々知らせており、時間的な竹下達の制限は無くなってはいたが、西田に高垣を北見まで連れて行くことをどう思うか聞くため、高垣に断った上で携帯を手にした。
「もしもし係長。竹下ですが」
「おお、何だ?」
「今、高垣さんと会ってる最中です」
「おお!? こんなに早くにコンタクト取れたか! で結果はどうだった?」
「結論から言うと、ほぼ無関係と言って良いと思います」
目の前の高垣に気を使ったため、曖昧な表現になったこともあり、
「無関係?」
と聞き返された。そこで意を決し、
「白です」
と言い切った。
「例の記事については、週刊誌側が設定した相手に取材した結果の末だったようで」
「週刊誌側の指示?」
「指示というか、上手くそういう記事を書くように誘導されたというのが妥当かと」
竹下の発言を聞きながら、高垣は自らの失敗を恥じたか苦笑いしていた。
「誘導か……。まあいい。ということは、高垣は問題ないということなんだな。週刊誌そのものが目的があって、ああいう記事を書かせたということでいいのか?」
「現状で断定はしかねますが、そういう可能性が出て来ました。それでですね……、高垣さんを思い切って北見に連れて行ってもいいですかね?」
「え なんだって? 北見まで連れてくる? 高垣を?」
西田はあからさまに不満を含んだ言い方で聞き返してきた。
「それは一体どういうことだ?」
「高垣さんは北見で、週刊誌側がセッティングした取材相手、具体的には北見地方のヤクザとゼネコン関係者を自称した相手に取材したらしいんですが、どうもその相手は、本物のヤクザだったんじゃないかという話を、高垣さんがしてまして」
「それで?」
「だったら、こっちが持ってる構成員関係の資料でチェックしてもらってという……」
竹下の返答に、
「東京まで持ってくのは手間ってことか?」
と言いかけて、
「いやいや、それ以前に、聞く相手が相手だけに、聴取する場所が警察関係先だと厳しいか……」
と、竹下の危惧に気付いた。
「そうです。東京ですと、警察庁や警視庁に許可得るのも一苦労でしょうから」
竹下は西田に思いが伝わったようで、気分が楽になって少し早口になった。
「うん、それはいいんだが……、それはこっちでも状況は変わらないからな」
対照的に西田は歯切れが悪くなった。
「それもわかってます。だから、係長に相談しようって話なんです」
そう竹下が言うも、西田は無言のままだった。熟考しているのだろう。しばらくすると、
「ここで俺が悩んでいても仕方ない。当たって砕けるしかないか」
と意を決したような発言をし、
「4課(暴対)も関わってくるから倉野課長じゃなくて、大友(北見方面本部)刑事部長まで巻き込まないとならん。今からだと連絡が付かないから、明日朝一で相談する。取り敢えず明日にならないと結論は出ないぞ」
と告げた。
「わかりました。現状では即決は無理ということですね……。じゃあそう伝えます」
電話を切ると竹下は高垣に状況を説明した。高垣も、
「具体的に事件に関わっているならともかく、俺みたいなのを警察は巻き込みたくないのは当たり前だろう」
と豪快に笑い飛ばしたが、
「まあそれでも、騙されて記事まで書かされて、それが事件の『導入部』となっていたとなると、寝覚めもすっきりしない。その辺は自分でもカタを付けるべきところだ。警察に協力したいとも思わないが、真実の究明のためには、そこは曲げても仕方ない」
とも言った。
「そう言ってもらえると助かります」
「別に君を助けようってつもりはない。自分の書いた記事に対する責任の問題だ。そしてあいつらがわざわざ俺を使ったのは、俺にデマ記事書かせることで、東西新聞に割と反旗を翻していた俺への意趣返し的な側面もあったんだろう。なかなかいやらしいやり方だ、東西系メディアにありがちな……。ついでにこっちも何とかしてやり返したいという思いもある。ただ、君はやけに自分の本の内容について詳しかったね? 読んだの?」
高垣は竹下に探りを入れてきた。
「そりゃ、読んでないと、ファンだと言って近づいてもすぐバレちゃうんで」
子供のように笑った刑事に、
「君はなかなか優秀だな。皮肉じゃないぞ。ただ、どうせならこれを機に、読者になってもらえるとありがたいかな」
高垣はそう言っておどけた。
「それにしても、君は警官とか刑事って感じがしないな、不思議と……。押しの強さはあるが、警察関係者のそれじゃない……。どっちかというと、こっち側の臭いがするな」
高垣の指摘に、竹下は一瞬ドキッとしたが、
「そうですかね……」
とお茶を濁すに止めた。自分が元々マスコミを目指していたなどと言ってみたところで、目の前の捜査には何の意味もなさないからだ。
その後、竹下は高垣と連絡先を交換し、協力してもらう時には連絡すると言って、その夜はその場で別れた。急いでシャルマンに戻るや否や、黒須が首尾を聞いてきた。店内で具体的に話すわけにも行かなかったので、
「まあまあだ……。詳しくはホテルで」
と言うと、
「マスター、クロンダイクって作れる?」
と突発的に尋ねた。緊張からか喉がやけに乾いていたので、すぐにでも潤したかったのだ。ただ、何故クロンダイクを飲みたくなったかは、自分でもよくわからなかった。ゴールドラッシュ時代のカナダで生まれたカクテルだという話を、学生時代の行きつけだったススキノのショットバーで仕入れて、一時期よく飲んでいたことがあったが、今直面している捜査が、まるで一か八かで金脈を探し続けている砂金掘りと重なったからかもしれない。あくまで、飲みたくなった理由に、何らかの理屈付けしようという、単なるこじつけではあったが……。
「クロンダイク・ハイボール?」
「正式名称はそれか……。とにかくそれでお願い」
「まず頼む人はほとんど居ないけど、よく知ってるね?」
マスターはチラリと竹下を横目で見ながらドライ、スイートのそれぞれのヴェルモットをシェイカーに注いだ。
「何となく、飲みたい気分になってね。10年以上前によく飲んでた時があったんだ」
そう言うと、せわしなくタバコに火を付けた。そしてマスターは出来たカクテルを竹下の前に置くと、
「高垣さん追っていったけど何かあった?」
と聞いてきた。
「大したことじゃない。ちょっと著作の内容で聞きたいことがあったから」
そう誤魔化すと、タバコを灰皿にねじ込み、まず一口飲んで、乾いた口と喉を潤した。
マスターはそれを腕組みして見ながら、
「クロンダイク・ハイボールか……。ゴールドラッシュのカナダで生まれたカクテルだったな……。そう、ゴールドラッシュと来れば、俺も鴻之舞時代を思い出すよ。二人共、金鉱で賑わった鴻之舞って知ってるよね?」
と、マスターは話を振ってきた。
「勿論」
2人はマスターの情報を西田から仕入れていたので、その点も知ってはいたが、黙ってマスターの思い出話に耳を傾け、夜は更けていった。
※※※※※※※
翌11月19日、日曜、午前8時。西田は、先に向坂に昨日の竹下との会話の内容を伝えた後、いよいよ大友と倉野に昨日の案件を相談していた。さすがに反権力のフリージャーナリストに捜査協力を依頼するとなると、かなりの事件への関与、或いは情報を持っていることが要求されるが、西田の「妄想」に近い推理を前提にした話だけに、大友も簡単に首を縦に振ることはなかった。
しかし、高垣の話と突き合わせると、実際何らかの意図が隠されているような部分は認め、しばらく「預かり」案件とすることを告げられた。西田はそれをすぐに竹下達にも連絡した。昨夜の酒が残っていたせいか、竹下にしてはボケたような口調だったが、そんなことを気にしている時間もなかった。浜名の件の内偵が進んでいたからだ。そして、昼前に道警本部捜査二課の、倉野の元部下から倉野に大きな情報が飛び込んできた。
1993年から94年に掛けて、北見共立病院において、看護婦の夜間看護加算の保険点数が不正に多く請求されていたことが判明し、北海道厚生局で保険医療機関の認定取消間際まで行ったというのだ。
捜査二課も詐欺容疑で捜査に乗り出すかどうかという時に、浜名が民友党の大物政治家に泣きついて、刑事事件上も、厚生局の行政判断上も、「悪意なき過失」ということで事なきを得たという話だった。はっきりしたことは言えないが、おそらく大物政治家とは「大島海路」だろうという話も伝わってきていた。浜名が事件に関与したとすれば、明らかにそれに影響した可能性のある事案だった。
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