第71話 明暗50 (223~224)

「そんなことはよくあることなんですか?」

竹下の問いに、

「まあ記事の内容を細かく指定されることは無くもないんだが、大抵は、ある程度知っている間柄の編集からの依頼だよね。だから『それも』引っかかってはいたんだ。でも仕事があること自体は悪いことじゃない。特に内容が自分に興味があるもんだったし、じゃあ『色々ある』けど引き受けましょうと」

と答えた。

「じゃあそれまでは週間FREEとは仕事したことはなかった?」

「そうそう。さっきも言ったけど、あんまり良い雑誌じゃないとすら思ってたわけで……。それに、週間FREEを出してる東風こち出版は、東西新聞出版ってところと関係があるんですよ。あ、こんなこと言っても仕方ないか……」


 高垣としては、一般人に出版社の資本関係を説明することの意味を見出だせなかったのだろうが、竹下にとっては、その部分を高垣がどう言うかはかなり重要な情報になる。当然、高垣が話を止めないように仕向ける必要があった。

「全然、仕方なくないですよ。プロがどういう考えで仕事してるかってのは興味深いもんですし」

「でもねえ、これは個人の問題にもなってくるし、どうなんだろうなあ、説明してもわかってもらえるかな」

「いやいや、乗りかかった船ですから、気にせずにどうぞ」

「そうかい? それじゃ……。僕はね、元々東西新聞の記者だったんですよ」

「ええ、知ってます」

「え? そこまで知ってるんだ? いやいや、本当に僕についてよーく調べてる。怖い怖い!」

高垣はそう言うと大げさに両手を胸の前で交差させ、乙女が震えるようにしてみせた。少し酔いも回っているようだった。

「まあ普通に有名ですよ」

「そうなの? それならいいんだけど……。でね、その東西新聞を辞めた理由ってのが、与党や政権や産業界とべったりの記事しか書かない、『御用新聞』の体質に呆れたってのがあるわけなんだ」

「そんなに御用な記事しか書いてないですか? 結構批判的なことも書いてるように思いますが?」

竹下は露骨に疑問を口にした。

「そいつはあくまで表向きだよ、表向き! 本当にヤバイ話は書いてないんだから……。自分自身、せっかく福島の片田舎から東京の大学まで行って新聞記者になったのに、大きなスクープを2、3度は握りつぶされてるわけよ、上に。『ご苦労さんだったけど、これは表に出せない』とね。その調子でやってるわけだから、何のためにブンヤ、いや記者になったのかって葛藤の日々だったわけ」

高垣はタバコの煙をゆっくりと長く吐き出しながら言った。

「なるほど。それで退社したということですか……」

「そう。それで1979年の夏に退社。そんなわけだから、東西新聞には思う所があったんだ。そして東西新聞の子会社の東西新聞出版と関係がある東風出版にも、そういう方向からも良い印象はなかった。しかし、さっきの理由で引き受けてみた」

「そうしたら?」

「そうしたら、取材先として、北海道は北見のヤクザと、北見の土建会社の幹部と名乗る人物を紹介してもらった。そして北見の小料理屋でそれぞれに別の日にインタビューしたものと、こっちの情報源である北海道開発庁の情報提供者との話をすり合わせて記事にしたわけ」

「それは事前に編集と打ち合わせてたんですか?」

「うん、その通り。北海道開発庁だけはこっちの情報源でいいが、その他は編集が用意するからそっちでお願いしますよと言われたわけなんだ。開発庁にソース提供者が居るのは、あっちも把握してたみたいだな。それで北見には、若手の編集員が付いてきたけど、まあ彼も上から言われた通りにやるだけって感じだった。彼が事前にセッティングをしたというわけではなさそうだった」

「ヤクザとか土建会社の幹部ってのは、しっかり名乗ったんですか?」

「ああ名乗ったよ」

「具体的には?」

竹下がグイグイ突っ込んでくるせいか、高垣は訝しげな面持ちになった。

「偉そうに素人が首突っ込んでスイマセン」

その雰囲気を察知すると、竹下は素早く誤魔化しに入った。

「……いや、まあ俺の本を読むような人たちは、知りたがりが多いだろうからな……。それにしても食い付き方が尋常じゃないよ、あなた」

そう言って高垣は取り繕うためか、やや微笑んだ。そしてタバコを灰皿に置き、ウイスキーをあおった。


 この時点であの記事は、高垣が執筆したとは言え、中身の「方向性」は週間FREEの編集側によって導かれていただろうと竹下は考えていた。少なくとも実際に「公共事業のパイが小さくなるという予測」は高垣の信頼できるソース元から得させつつ、ヤクザの抗争が同時に起きているという「虚構」はFREE側から書かせるように仕向けた。そういうことだと理解したのだ。


「今思えば、その方が時間的にも楽だから、編集の言うことを丸々聞いちまったわけだけど、ジャーナリストの端くれとしては、絶対自分でソース元を見つけ出す努力をしておかないとならない。少なくとも、そこを相手に完全に丸投げしてしまった上に、その記事には信憑性が無かった。これは初歩的なミスでやっちゃいけないこと。だからその後の連載も取り止めてもらったわけですよ。色々文句言われて、裁判沙汰にするぞとまで言われたが、だったら受けて立つと言った。こっちも引けないから……」

そこまで言うと、高垣は黙った。しばらく様子見していた竹下だったが、

「高垣さんとしては悔いの残る仕事だったんでしょうが、仕方なかったんじゃないですか? どんな仕事でも常に完璧はあり得ないですよ」

と、この時ばかりは仕事抜きに慰めてみた。

「それは違う!」

いきなり高垣は高ぶると、シャルマンの中は一瞬静まりかえった。竹下と黒須も思わぬ展開に高垣を唖然としつつ見つめたまま動かなかった。しかし空気を読んだマスターはすぐに常連らしき客と会話を再開し、何事もなかったかのように振る舞った。高垣もまずかったという顔をしたが、すぐに平静を装って話の続きを始めた。


「どんな仕事であれ、社会に影響を与える記事を書いている以上は、そんな甘い気持ちでやってたらいかんでしょ! それをやってしまったら、東西新聞を辞めた意味がなくなる。自分のこれまでやってきたことの否定になってしまう!」

噛みしめるように口にした言葉の一つ一つが、昔、ジャーナリストを志したこともある竹下の胸に響いた。この時はまだ、高垣は自分の書いた記事がどういう意味を持っていたかは知らず、ただの「デマ記事」という状況しか把握していなかっただろうが、図らずもその意味を予測したかのような話だった。


 ただ、これにより、高垣は大島の側ではなく、あくまで「利用された」だけということは間違いないと、竹下は更に確信を深めた。よって、竹下はこれ以上記事についてこの場で聞き出すことよりも、高垣を今度はどうやって自分達の側に引き入れ、協力をしてもらうかに関心が移り始めていた。しかしそのためには、いよいよ自分達の身分を明かす必要がある。こういう気質の人間が「騙された」と知った時にどういう態度を示すか、竹下から見てもかなり不安を覚え始めていた。イメージ通りの「真っ向勝負」の人物である故に、結果として副作用を考えておく必要が出てきていたわけだ。


 竹下は、取り敢えずシャルマンで打ち明けることは避けることにした。敢えて適当に話を流しつつ、高垣が店を出るまで待つことを選択した。それに具体的にどういう意味があったかは、竹下自身も何となくしか考えていなかったが、「冷却期間」を置きたかったのと、場合によっては、先程同様激昂されるおそれもあり、店の雰囲気を壊したくなかったことが、潜在意識にあったのだろう。


 黒須も上司がどう収拾させるのか、心配そうに頻繁に目配せするようになっていた。マスターはそんな事情は知らないに決まっているが、2人の会話に入り始めた。何となくギクシャクした空気を読み取ったのかもしれない。


 マスターの介入が功を奏したか、高垣は気分が良くなってきたようで、酒が再び進み始めた。しかし深酔いされて、話が出来なくなってしまっては元も子もない。ある程度で切り上げて帰宅してもらう必要がある。ここまで来ると、もはや状況をコントロールしようということ自体がおこがましいというか、後は天に任せるような心境になっていた。


 それに気を取られて、気もそぞろな会話を続けていると、高垣が、

「じゃあ、疲れてるし、そろそろ帰るかな……」

とマスターに告げた。天は竹下を見放していなかったようだ。酔いはギリギリのラインで留まったように見えた。マスターと二言三言会話しながら会計を済ませた高垣は店を出た。すると竹下はマスターに、

「金はこいつも持ってるから心配しないで」

と言い残すと、すぐ後を追った。ゴールデン街を出口へ向けてゆっくりと歩く高垣を捕まえると、

「すみません」

と声を掛けた。


「何? 何か忘れ物したっけ?」

手荷物を確認しながら、何故追ってきたかわからないだけに、不可解に思うのは当然だった。

「高垣さん、ホントすいません。実は自分はこういう者でして」

竹下は申し訳無さそうに警察手帳をゆっくりと提示した。



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