フリージャーナリスト・高垣真一コンタクト編

第70話 明暗49 (221~222 高垣コンタクト編)


 午後7時、シャルマンで準備万端飲み始めた2人は、「対象」が到着するのを待った。しかし、午後8時を過ぎても現れず、「すっぽかされた」かと、約束すらしていないにもかかわらず、内心イライラし始めた午後8時半。最新刊の著書の写真で確認していた男が、やっと大きな紙袋とボストンバッグを下げて店内に入ってきた。


「マスター遅くなっちゃって悪かった! 飛行機のトラブルで出発時間が遅れちゃってさあ……」

写真で見ていた印象より、やや小柄ではあったが、風体は写真と完全に一致していた。髭を蓄え、メガネに軽いパーマをかけた髪型。プロフィールでは今年で46歳のはずだ。


「これ、例の土産! マンゴーとマンゴージュース。知り合いの反基地運動家の農家さんが作ってるんだが、かなり甘くて美味いやつだから!」

「高垣さんに言われて、ラムベースのマンゴージュース割りを考えてたところですよ」

マスターはにこやかにおみやげを受け取りながら、考えていたカクテルのレシピを告げた。


「ほう! そいつはイケそうだな。早速頼むよ! こっちのまるごと実のマンゴーは、デザートにして出してよ。他のお客さんにもサービスだ! たくさんもらってきたから!」

中年のフリージャーナリストは、狭い店内に居た竹下と黒須を含む4人の客を見渡しながらそう言うと、カウンターに向かって右の壁際の席に着いた。


 事前にマスターから、基本的に壁際の席が空いている時には、そこに座る「習性」があると聞いていた。店内に7席あるところで、左側が既に別の客で埋まっていたので、右側のその部分を竹下の席から更に1席分置いて開けておいたのだ。すぐ横にしなかったのは、その方が確実に壁際に座るだろうと思っていたからだ。やはり「圧迫感」は取り除いておく必要があった。


 また、事前にマスターには、自分が「高垣の本の読者」であることは伏せるように言っておいた。理由としては、「話しかけるペースは自分で握っておきたい」ようなことを言っておいたが、もし警察と明かす場面が後に訪れた場合、マスターからの「紹介」で話し掛けた場合には、マスターへの「微妙」な感情が高垣に湧くと、その後の関係に影響が出るかもしれないと、竹下なりに配慮した故の「通告」だったわけだ。マスターはカクテルを作って高垣に出した後、竹下達にもマンゴーを切って出した。4人は高垣に軽く会釈して礼を言ったが、高垣は、

「俺はもらってきただけだからさ」

と手を振って、「大したことじゃない」というジェスチャーで応じた。


 しばらく、高垣とマスターの会話を、黒須と喋りながらも窺っていると、どうもこの年の9月にあった、複数の米兵による沖縄の小学生の少女を誘拐暴行した事件の取材に行っていたらしい(作者注・1995年9月に実際に発生した事件。日米地位協定への関心や沖縄の反基地運動が急激に盛り上がった原因の1つ)。事件を追っていた遠軽署はそれどころではなかったものの、実際、全国ニュースレベルで大きな関心ごとになっていた。10月には、日米地位協定の運用改善(改訂ではない)が行われる要因にもなっていたわけだ。話の内容もあってか、喋りかけるタイミングは予定より少し遅らせることにした。


 30分ほど待つと、マスターとの会話も一通り済み、高垣は1人でボストンバッグから取り出した文庫本を読みながら、軽くウイスキーを煽り始めたので、竹下は切り出すチャンスと見て、1つ席を挟んだまま話し掛けた。

「すみません、お姿でも『そうじゃないか』とは思ってましたが、マスターとの会話で、高垣真一さんとお見受けしました。著作を結構拝見してるんで、お目にかかれて光栄です」

その言葉を聞くと、高垣は口元を緩め、

「ああ、そうですか! そいつは嬉しいね。万人に読まれるようなタイプの本を書いてるわけじゃないから、こんな風に声を掛けてもらえることって、あんまりないからね……。そっちの奥のお客さんも一応顔なじみではあるんだが、俺のやってることには興味がないみたいだしな」

と笑った。


「いやあ、最近のテレビなんかのご活躍もそうだけど、全部とは言わないが、高垣さんの本はかなり読ませて頂いてます。例えば『実録・談合血風録』なんてのは、なかなか生々しい内容でした。特に大手ゼネコンの須藤建設の会長が、当時の建設省の事務次官に、日本道路公団の高速新設工事の予定価格を聞き出すため、連夜の接待攻撃で攻略していく様は、えげつなかったですね。一方の事務次官側もそれを上手く利用しようとしてた」

きちんと読み込んだ上で、相手に「ちゃんとした読者」だということを印象付ける作戦を遂行する。


「ほう! あれ読んでくれたんだ。あれはね、僕が新聞社を辞めて最初に出した本なんだよ。あんまり売れなかったけどね」

高垣はそう苦笑したが、ウイスキーを飲み干すと、

「でもね、やっぱり処女作だから思い入れも深いんですよ。気合入れて書いたからねえ」

と満更でもなさそうだった。竹下の作戦は上手く相手にハマったようだ。


 しばらく著書について語り合った2人だが、竹下はボロを出すこともなく、高垣との会話をこなし続けた。そして、そろそろというタイミングで、「週間 FREE」の件について切り出した。

「先月辺り、週間FREEという雑誌に、高垣さんが記事書いてましたよね? 道東の建設業者のイザコザについて。僕らは北海道なんで特に印象に残ってますよ」

その言葉に高垣は、露骨に嫌な顔をしてみせた。

「ああ、あれね……」

「てっきり、公共事業削減関係での連載モノかと思ったら、あれ以降記事書いてないですね」

古書店で調べた情報を口にすると、高垣は思いもかけないことを言い出した。


「実は、……竹下さんだったっけ? おっしゃる通り、本当は連載モノの予定だったんだ。ところが事情が変わって、こっちから連載の停止を申し出たって話なんですよ……」

そう喋っている間にも、忌々しいという表情を隠さなかった。勿論その様子を竹下は逐一観察し、踏み込んだ。

「それにしても、連載を止めるなんて、よくあることなんですか?」

「いやいや、勿論滅多にないね……。特に依頼を受けた側から申し出るなんてのは、ライター業界じゃ、基本的に将来的な仕事も失いかねない。自分はそこそこのポジションまで来たから、そこまでやれたようなもんですよ」

竹下の方に一度視線をやった後、グラスを軽く指で撫でた。


「もし良ければ、その理由みたいのを……」

「あなたもやけにこだわるね」

高垣の鋭い指摘に、竹下としては少々露骨に踏み込み過ぎたかとは思ったが、

「そりゃ高垣さんみたいな、ジャーナリストとして徹底してるタイプの人が、記事を書くのを止めようとしたとなると、気になりますよ」

と誤魔化した。

「そう言ってもらえるのはありがたいが……。だけど、このまま続けることの方が、余程自分のポリシーに反すると思ったから仕方ない」

「ポリシー?」

「そう。週刊誌が発売された後、札幌の知人から電話が来てね。『道東でヤクザ同士の争いが活発化してるなんて聞いたことがない』と。知人って言っても、そっち方面のプロで、昔からよく情報提供してもらってる間柄でさ。その人に記事の信憑性がないって言われちゃあねえ……」

そっち方面のプロと言うことは、おそらく警察関係の人間だろうと、竹下は推測した。しかもマル暴の可能性が高い。札幌と言うことから見て、道警本部のマル暴かもしれないとまで考えた。


「そうだったんですか……。それは残念ですね、高垣さんの記事が見れないとなると」

「それなら近いうちに、今回の沖縄の件を絡めて、沖縄と米軍基地の本を出す予定だから、それでも見て下さいよ」

高垣は、如何にも反権力タイプのジャーナリストらしい発言をすると、タバコに火を付けた。しかし、竹下としてはもう少しこの件について情報を得ておく必要があるわけで、話を戻そうとした。

「でも、高垣さんのきっちり突っ込んでいく取材スタイルから考えて、そんなガセ情報を掴まされるってこと自体あり得るんですか?」

「そこまで買ってもらうと、嬉しいを通り越してちょっと恥ずかしいね」

フゥーっと煙を吐き出すと、灰を灰皿に軽くトントンと落とした。


「いやあそんなことないですよ。どの著作も大胆でありながら、緻密な取材に基いて書かれてると思いますけど」

「確かに、記事を書く時には徹底して取材し、裏を取る。これが基本中の基本。でもね、週刊誌の取材とかだと、時間に追われることもあって、少しそういう所がお座なりになってしまうのは、たまにある話でね……。良くないことだとは思ってはいたんだが……」

タバコを灰皿に強くねじこむ仕草から、そういう「やっつけ」仕事に忸怩じくじたる思いがあることは竹下にも伝わった。


「つまり、あの記事の取材はあまりちゃんとした裏付けがなかったと?」

「恥ずかしながらそういうことだね。まあ竹下さんに言っても仕方ないけど、週間FREEってのは、あんまり感心するような内容を載せてる週刊誌じゃない。いや、まあ週刊誌自体がそんなもんなのは百も承知だけどさ」

苦笑する高垣だったが、すぐに真顔に戻り、

「ところが、そこから今回依頼が来た。しかも記事の内容まで具体的にね。バブル崩壊の余波で、ここ数年は景気刺激目的で問題ないものの、公共事業が将来的には削減されるのは確実で、民友党の大物議員の地元でも色々問題が起きていると。それを取材してくれってね」

と発言した。竹下は重要な情報が出始めたのを確認し、ここからどう広げるか思案を瞬時に始めた。

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