第61話 明暗40 (203~204 竹下と黒須 岩手から東京へ)

 このまま黙って聞いていてもいいが、余り脱線されても困るので、竹下は少し話の展開を早めてもらうように、質問した。

「叔母さん達と同様に、桑野一家は、この桑野欣也を除いて、夫妻、弟と津波で亡くなったようですが、欣也は何故助かったんでしょうか?」

それを聞いた鈴木は、記憶を必死に呼び起こそうとしたのか、目をきつく閉じ俯いた。そして、

「その件については、私もはっきりはわからんですよ。直接桑野家と知り合いというわけでもないですから。ただ、昭和津波の後、妹を探しに父が田老を訪れた時に聞いた話がありましてね。訪れた桑野家の跡地で、たまたま山に入っていて難を逃れた人に色々聞いたところでは、『桑野家の息子だけは、地元を離れて下宿していたから助かったようだ』と言われたとか……。ただ、こればっかりははるか昔のことで、私の記憶自体が定かではない」

「下宿?」

「ええ。この長男はかなり学業に優れた子供だったとか、叔母が生前、実家うちに盆や正月に帰ってきた時に父に話していたような記憶が、私も子供だったが微かにありますから、そういう理由で田老を離れていたかもしれんです……」


 鈴木の話は、それまで西田や竹下が得ていた「桑野に関する情報」とピッタリ一致する内容だった。竹下は矢継ぎ早に聞く。

「どこに進学していたかわかりますか?」

「いやあ、さすがにそこまではねえ……。進学についても具体的に私は知らんのですから」

鈴木は頭を掻いて苦笑した。

「いや、今の話でも十分と言えば十分です。気にしないでください」

期待は裏切られたが、ここまで聞けただけでも想定以上だ。十分満足出来るものだった。


「そう言ってもらえるとこっちも助かりますよ。で、この戸籍を見せてもらった限りじゃ、桑野欣也という桑野家の長男が生まれたのは、大正4年の5月。西暦で言うと1915年ですな……。昭和津波が昭和8年、つまり西暦だと……1933年の3月3日のひな祭りだから、津波があった時は、満17歳。そうなると、進学していたと言う話を前提にするならば、当時の学制で言えば、色々複雑だから単純化は難しいんですが……」

2名の若手刑事が話を理解しているか窺いながら、翁は話を続ける。

「例えば旧制高校、師範学校、高等師範学校、大学予科、専門学校等が当時の進学先として考えられるかな……。まあ色々ありますよ、昔は。ただ、優秀だったとなると、旧制高校、高等師範学校、大学予科辺りに居たことなるのかな……」

「結構面倒だったんですね」

竹下と言えども、旧制高校や師範学校程度の知識しかなかったため、思わずそういう言葉が口をついて出た。

「当時はそうだったんですよ。まあ多くの人が尋常小学校卒業したら働いている時代ですから。父親も高等小学校しか出てませんが、代用教員(作者注・代用教員については、説明するとかなり長くなるので、詳細は検索でお調べください)になれました。そういう時代ですよ……」

それを聞きながら、黒須はチンプンカンプンという表情だった。


「そうなると、桑野欣也の進学先を調べるのは、そう容易いことではないですね」

竹下の問いに、鈴木は、

「ある程度地元に近い場所という前提なら、何とかなるかもしれんですよ。卒業名簿や在籍名簿が残っていればですが……。それに、少なくとも旧制中学辺りを卒業しているとなると、旧制高校なんかと比較すると、より田老に近い学校だったという可能性はあるんじゃないですかな」

とアドバイスした。

「なるほど。ただ、今はそれをゆっくり調べている時間がないので、残念ながらすぐ調査に入るのはちょっと無理です。悔しいですが業務上仕方がない……」

竹下はそのアドバイスに従えないことについて弁解した。

「そうですか……それは残念。しかし自分で言っておいてなんだけれど、仮に田老の近辺の旧制中学となると、幾つか津波で被害受けているところもあるようですから、どちらにせよ記録が流されてしまっているかもしれませんな」

そういう話をしたのは、時間的制約を受けているという竹下に、「気にしなくても良い」という意図があったかも知れない。


※※※※※※※


 一通り、鈴木が知っていた情報を聞き終えると、玄関先で夫妻に見送られながら、

「せっかくおでてくなはったのに、ぶじょほしあんしたなっす。おしずがに(せっかくおいでになったのにお構いもできず失礼しました。お気をつけて)」

と、相変わらず強い訛りでよくわからないことを妻に言われたので、何かお別れの挨拶をしているのだろうと思いながらも愛想笑いで誤魔化した。


 鈴木宅を後にした竹下と黒須は、四宮の配慮で、パトカーで宮古駅まで送ってもらった。本来であれば、田老を離れるということは業務を留守にすることになるので断るべきだったろうが、四宮の「ここじゃあ事件や事故なんて、ちょっと留守したぐらいじゃ起きないですよ」の言葉に甘えてしまった。宮古駅に着いて、別れ際に四宮から

「おしずがに。さっきも鈴木さんの奥さんが言ってましたが、これは『お気をつけて』という意味ですよ。そういうわけで、おしずがに」

と告げられると、2人は納得して、

「そちらこそおしずがに」

と、パトカーに乗り込む四宮に声を掛けて見送った。


 宮古駅と盛岡駅の間は、JRのアクセスが非常に悪いこともあり、両駅間をつなぐ高速バス(とは言っても高速道路はないので、表記通りの「急行バス」が的確な表現だろう)に、行き同様乗ることにした。駅前のバス停で盛岡行きの急行バスを待つ間、黒須が竹下に話し掛けてきた。


「主任、桑野ですが、ちょっと気になる点が」

「うん? 何が?」

「桑野は、戦後戸籍をロンダリングしてるんですが、どうも津波の後にわざわざ戸籍を作り直したりと、その時点ではそういう動きや意図が見えてこない。その時点でロンダリングするような意図や背景があれば、そのまま戸籍不明の方が良さそうな気がするんですが」

黒須の的確な指摘に、竹下は同意せざるを得なかった。

「ああ、言われてみれば実際整合性が付かないな。良い所に気が付いたな」

「主任にそう言われると嬉しいですね」

「いや、本当によく気が付いたよ。今はわからないが、何か意味があるのかもしれない」

竹下がそう言った時、盛岡行きのバスが颯爽と竹下達の前に現れ停車した。


「さて、今日中に東京か……。昨夜遠軽を出てから忙し過ぎるわ」

バスに乗車して座席に着き深々と座り直すと、さすがに愚痴が竹下の口からこぼれた。

「主任も年ですかね」

黒須のジョークにも、

「ああ、年だね」

と、疲れからか一捻りもせずストレートに返すだけだった。


 盛岡駅から東北新幹線に乗り換え、東京駅へは午後9時過ぎに到着した。近くのビジネスホテル「プレステージステーションホテル」で落ち着く間もなく、沢井にまず当日の報告を済ませ、すぐに西田にも連絡を入れた。一通り田老での捜査状況を説明した後、

「沢井課長にも言ったんですが、北見に居る係長の方に頼んだ方がいいということで、ちょっと頼みたいことが」

と竹下は切り出した。

「俺に出来ることならなんでも言ってくれ」

「じゃあ遠慮なく。大島海路の選挙公報手に入れられませんか? 出来れば、直近の選挙時だけでなく、過去のモノも含めてです。学歴の情報が欲しいんです」

「学歴? なるほど、桑野欣也の進学先を調べたいのか?」

西田は意図がわかり感心した。

「特に選挙公報関係は、公職選挙法と絡んで嘘はマズイことになってますから」

「うむ、わかった。明日すぐに着手する」

「お願いします」

「そうそう、後、今日向坂さんと協議して、倉野さんと大友さんに全部打ち明けたよ。怒られたけど、納得してもらえた」

「そりゃ良かったですよ。これでいちいち心配しないでも動けますね、係長も吉村も」

竹下は心の底から上司の報告を喜んでいるようだった。

「まあな。ただ、上の許可を得たからって派手に動くってわけにも行かないだろ? 大島が本当にバレたらマズイ相手だってことは、そのまま変わってないんだから」

西田は竹下相手には珍しく諭すような口ぶりだった。

「それもそうでしたね。失礼しました。ただ、目の前のハードルは1つ越えたってことで、それ自体は喜ぶべきことですよね?」

「そりゃそうだ」

「それでどうなんです、実行犯については? やっぱりまだ目星は?」

「まずは道東のヤクザは洗ってるところだが、今のところ、実行犯として怪しいのは出てないな。別件で数人引っ張ってるようだが、成果なしらしい。アベ絡みでも苗字が一致しているのはいるが、事件と関係がありそうなアベは上がってきてない」

「そうですか。アベでもわかりませんか……。そりゃ厳しいですね」

「うん、事件の根源は佐田絡みという見立てで行くにしろ、実行犯はそっちの連中の可能性が高いからな……。ヤクザ関係のアベは、もうちょっと対象を広げて捜査しようかという話になってきてるが、なにせまだ俺達だけの間の情報に留めてるから、倉野さんと大友さんの、たった二人だけで資料洗ってるらしい。これから対象を広げるとなると、ちょっと時間掛かるかな……。そもそも、これだけの事件を『近場の連中』で起こそうという発想が、これまでの佐田の時の本橋の件といい、間違ってる可能性は十分ある。わかりづらい、離れた場所から実行犯を連れてきたことも普通にあり得るとは思う」

西田は竹下に捜査方針を説明しながらも、それが現状では機能しなさそうなことを理解していた。


「それはそうと、竹下が気にしないと行けないのはこっちの捜査状況じゃなく、大島と高垣の件だろ? そっちに集中してくれよ!」

「言われてみれば……。人のことを心配してる場合じゃなかったですね」

竹下は自分の置かれている状況について、再認識させられたような口ぶりだったが、そんなことも忘れる程馬鹿ではないことは、上司として西田もわかりきってはいた。

「頼むぞ! 特に高垣については、何か打開に繋がるかもしれないんだから!」

「はい! 今日はかなり疲れたんで、明日に備えて英気を養いますよ」

「そうしてくれ。で、明日はどうするんだ?」

「千代田区役所で戸籍洗って、養子先の情報の聞き込み、夜はシャルマンという流れで」

「頼んでおいて何だが、ハードだな……。スマン」

「ホント頼んでおいて何ですよ!」

竹下はそう言って笑うと、2人は会話を終えた。

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