第62話 明暗41 (205~206 竹下・黒須 東京聴取編1)

 11月16日木曜日、午前9時半。文京区春日にある文京区役所は戸籍住民票課に、竹下と黒須の姿があった。


「お待たせしました。この住所だと住所表示変更前のものですので、今とはちょっと変わっておりますが」

そう前置きすると、ベテランらしき女性職員が説明を始めた。

「当時の田老村から、昭和23(1948)年1月(新・戸籍法の施行が昭和23年1月だった為、18年2月23日改稿)に当時の千代田区神田猿楽町1丁目△に分籍にて新戸籍が作られていますが、この神田猿楽町と言う地名は、今はシンプルに猿楽町になっています。昭和40年代に名称が変更されたみたいです。そして昭和25年2月に、東京家裁で改名が許可され、『桑野 靖』になっています。それから同年の3月に本籍を当千代田区内の間で移動しております。西神田1丁目◯◯ですね。そして昭和26年11月に『多田 桜』という方の養子になってます。本籍地はそのままです。つまり昭和25年3月の転籍で、既に養母の多田桜さんの本籍と同じだったということですね」

ここまでは、既に竹下達も大体知っていた範囲だ。問題はそこではない。


「それで、お知りになりたいという、その養母になった方の戸籍の件ですが、明治16(1883)年の8月5日に生まれ、昭和35(1960)年の9月にお亡くなりになっていました。お子さんは居なかったようで、ご主人の咲太郎という方は昭和20年3月10日に死亡ということになっていますね。おそらくですが『東京大空襲』で亡くなったのではないでしょうか(作者注・東京大空襲と一言で言われますが、太平洋戦争の最中、東京は幾度ものアメリカ軍の空襲に見舞われており、一般的な意味で東京大空襲と言う場合、一晩で10万人超の死者を出した、昭和20(1945)年3月10日の空襲を指すことが多いです)? 実際に住んでいた場所と本籍が一致していたかは不明ですが、他の場所に居住していたという情報が、多田さんの戸籍の附票に載ってないです。そういうわけで、少なくとも戸籍の附票が住民登録法(今の住民基本台帳法の前身)の施行と共に運用開始された昭和26年以降は、東京の本籍地にずっと居住されていた可能性が高いかと思いますので、それ以前も本籍地に居住されていたことも十分考えられるのではないでしょうか? ご主人も東京大空襲で亡くなられたと考えれば、それが最も妥当なところかと」

聞きなれない言葉に竹下が反応した。


「なんとなくはわかりましたが、戸籍のフヒョウっていうのは?」

「戸籍の附票と言うのはですね、戸籍そのものとは別に、戸籍に付随している、本籍がある方の実際の住所履歴に関する記録のことです。多田家で言うなら、本籍はずっと東京にあったのですが、その間に、どこか別の場所に一定期間に渡って居住していた場合に、その附票に居住所履歴の情報が記載されるわけです。住民票みたいのが戸籍にくっついているものと思ってください。これ以前は、昭和26年まで『寄留きりゅう法』という制度がありまして、それによれば……あ、寄留について説明しておきますと、90日間以上本籍地を離れて、別の場所に居住する場合にそれを寄留と言いまして、その寄留をした場合には、寄留簿と言われるモノに情報が記載される制度だったわけです。既にこれは法律の廃止に伴い廃棄されておりますので、住民登録法施行以前の住所遍歴につきましては、残念ながら今は把握出来ません。附票には昭和26年以降の住所の遍歴も記載されてないですから、事実関係は残念ながら不明ですが、昔からあった本籍と多田さんの実際の住所は、色々な要素から考える限り、おそらくずっと一致していた可能性は高いのではないでしょうか? 私の言っていることはそういうことです」

女性職員は一気に説明を並べたこともあり、竹下と黒須は頭の中で整理するのも一苦労だった。


「素人にはなかなかわかりづらいところがありますね……。ところでキリュウとはどういう字で?」

竹下が再度質問すると、女性職員はメモ紙に漢字を書いてくれた。

法学部(といっても専攻は政治学だったが)出でそれなりに頭も切れるタイプの竹下だったが、これまでの説明を聞いて一発で完全に理解することはやはり不可能だったのは仕方がない。しかし、住所の履歴が戸籍関係からもわかると知ったのはラッキーだった(作者注・正確に言えば、戸籍の写しを請求しても、戸籍の附票の写しは付いてきません。別に請求する必要があります。あくまで捜査の一環として、役所側の便宜により、両方の情報を得たというだけの小説上の設定です)。

「すいません。ということは、桑野、ま、多田でもありますが、その戸籍に、住所の履歴が載っているということですか? もしわかるなら助かるんですが」

竹下の問いに、

「それはそうなんですが……、既に調べてみた限り、この元・桑野さんの猿楽町に本籍があった時代、西神田に本籍があった時代のいずれの除籍(本籍が移動した後の、残った戸籍の記録のこと)でもわかりませんね。猿楽町時代のものは、住民登録法以前ですので寄留法による寄留簿は先程申し上げたように廃棄されていますし、西神田時代のものにも、昭和27年以降は一切の附票にも本籍以外の住所の記載がありませんので、ご結婚で本籍地自体を網走に移動するまで、住所の変動はなかったということなんでしょう」

と職員は答えた。

「そうですか……」

女性職員の説明に竹下は取り敢えずは無理にでも納得するしかなかった。


「それはともかく、千代田区辺りは東京の中心部だから、空襲での死者も多かったってことでしたが……?」

竹下は話を空襲関連に戻すと、写真などで知っていた当時の惨状に思いを致した。

「当時は、『神田区』と呼ばれていた地域になります。戦後(昭和22年)に麹町区と神田区が合併して今の千代田区になったんです。勿論死者は多かったと思います。皇居は空襲を免れましたが」

「それで、多田桜さんが亡くなった後は、その前に桑野、いや『多田靖』は籍を婿入りで出たはずですが、多田家はどうなったんですか?」

黒須がしびれを切らしたように、「本題」へ入るように話を振った。女性職員は苦笑いしながら、

「多田家は、残念ながら途絶えたということですね。それから、この当時の本籍の住所ですが、さっきちょっと調べてみたところ、どうも今現在は千代田区の公民館の住所になってるようなんです(作者注・当然のことながら、作中の勝手な設定ですので、実際には無関係です)。どういう経緯でそうなったかわからないんですが、もし本籍に居住していただけでなく、実際に土地等を所有していたとなると、相続や土地の権利移転の関係は登記簿でご確認したらいかがでしょう? こちらでは把握しかねますので」

と、これについてはさすがに冷たく2人に告げた。


「それもそうですよね……。いやこれで十分です。どうもお世話になりました……」

竹下は礼を言いながらも、

「そうそう、ところで、ここら辺りのことについて詳しく、戦前からお住まいの方、どなたかいらっしゃいませんかね? お話を伺いたいんですよ」

と、女性職員が無関係とは知りつつ、念のため敢えて更に尋ねてみた。

「どうでしょうか、私どもでは何ともお答えようがないですが……」

予想したようにそう言いつつ首を捻りながらも、

「ひょっとすると、まちづくり課というところが、当役所ここにはありますので、そこで地域の歴史事情に詳しい方を紹介してもらえるかもしれませんよ」

と発言した。

「そうですか! それは助かります。じゃあ早速お世話になろうかな」

竹下は部下に目で合図し、その場を去ろうとしたが、

「あ、ちょっと待って下さい! 後、施設経営課というところもあるんですが、公民館の関係はそちらが扱ってるので、そちらでも何かわかるかも知れませんよ!」

と急に気が付いたように、補足情報を入れてくれた。

「更なるお気遣いどうも!」

2人は振り返って挨拶した。


 そしてその後、

「どっちから行きますか?」

と黒須が指示を仰いだので、

「取り敢えずは施設経営課に行ってみるか!」

と、竹下は「色々と面倒だな」という気持ちを吹っ切るためか、自分達自身を鼓舞するように、公共施設の中としてはやや大きめの声を出した。

「じゃあそうしますか!」

黒須も空元気気味ではあったが、明るい声でそう言うと、こちらはむしろ「先に進める」ことがわかり足取りも軽くなったか、役所内の各課の場所を案内する表示板まで駆け寄った。


※※※※※※※


 さっそく訪れた施設経営課で照会すると、30分程待たされた。ただ、その後に登記所に行く必要もなく、多田桜の住所が今の公民館になった事情が明らかにされた。どうやら、西神田公民館(作中の設定)と呼ばれる公民館は、元の土地・建物の所有者であった多田桜の死亡後、相続した、当時既に結婚して「田所靖」になっていた大島海路により千代田区に寄贈され、元あった建物を取り壊した上で、その土地に公民館が建てられたという経緯だった。今の公民館の建物はその後、建て直されていたようだ。


 そして、もう1つの課である、まちづくり課へと足を運び、職員に事情を説明すると、そこで西神田町内会の名誉町内会長であり、「小柴こしば 善之助ぜんのすけ」と言う、元都議会議員を紹介された。


 御年おんとし93歳という老人だそうだが、未だに矍鑠かくしゃくとしており、記憶もはっきりしているので、何か公民館が建てられた当時の件について知っていれば教えてくれるだろうということだった。東京帝大出が自慢の、少々エリート意識が鼻につくタイプではあるが、記憶力抜群で、膨大な昔の話を聞くにはうってつけだろうと、小柴を知る職員が太鼓判を押してくれた。


 そして電話で事前に連絡も入れてくれ、本人より多田桜邸跡の公民館建設の経緯、また多田桜自体についてもよく憶えているとの言質も得た。更に午後1時半過ぎならいつでも歓迎との返答も貰った。竹下と黒須は、これまでの千代田区役所の複数の職員の対応に、心から感謝したことは言うまでもなかった。


※※※※※※※


 一方、北見の捜査本部付けの西田と吉村は、選挙公報を入手することに取り掛かっていた。北見市役所の選挙管理委員会を訪ね、そこで衆議院議員選挙の選挙公報が残っていないか聞いてみた。


「うーん、一応取ってあったような気がしますが……。ちょっと待って下さい」

最初は?という顔をしていた中年の男性職員は、警察手帳を見せられると、急に慌ててそう言って、奥のキャビネットをガサゴソと探し始めた。数分すると、

「あ、ありました、これかな。直近の3回分ですね、見た感じ」

と言って、西田に手渡した。その中の「大島海路」の部分をむさぼるように、2人は手分けしてチェックした。


「あれ? 卒業した大学しか載ってないな!」

先に吉村が声を上げた。西田も自分の調べていた最新の1993年第40回衆議院議員総選挙公報をチェックしたが同様だった。

「吉村のは第何回だ?」

「チェックしたのが第39回、今見てるのが第38回……」

問われた吉村がそう言った直後、

「ああ、ダメです。こっちも大学しか載ってないですね……。鳴鳳めいほう大学法学部を昭和29年に卒業したことになってますが、それだけです」

と溜息混じりに報告した。

「ああ、こっちも同じだ」

西田も残念そうに舌打ちした。

「すいません、公職選挙法でしたっけ? そんな法律で、こういう学歴の扱いはどうなってるんですか?」

西田は目の前の職員に気になることを尋ねてみた。

「えっとですね……。確か、虚偽の情報を載せると違反なんですが、情報を載せないこと自体は法的には問題ないんですよ」

「あら……、そうだったんだ……」

西田と吉村は想定外の返答に苦虫を噛み潰したような顔になっていた。吉村がプロフィール欄をチェックしてみると、出身は岩手とあり、卒業大学の他には、最初に議員になった、第30回衆議院議員総選挙があった昭和38年からの概略年表だった。そもそも選挙公報に何を載せるかは、写真と氏名以外は自由とのことで、完全にアテが外れたわけだ。


「まあ、鳴鳳大学卒業ということはわかったから、良しとするか……。東京の大学だから、丁度良いタイミングだ。竹下達に調べてもらおう」

西田としては、そう考えておくことが、過度の落胆を避ける唯一の手段だったと言って良かった。


 そして公報に、「出身 岩手県」とあったことから、少なくともそれを大島が徹底してまで隠そうとしていた形跡はなかったことも、西田達は確認することとなった。ただ、さすがに出身を偽ることは、法律違反になるので、別の場所を出すことも出来ずそうなったのかもしれない。また戸籍を調べられれば、そこは隠しようがないのも事実だ。


※※※※※※※


 仕方ないのでそのまま捜査本部に戻ると、倉野が話しかけてきた。

「範囲を旭川方面から釧路方面本部管轄レベルまで広げたが、アベという苗字の暴力団構成員の中で、どうも対人の銃撃に加わるようなレベルの『本格的』な奴は、1人居るか居ないか程度だな。以前、釧路であったヤクザの抗争で、事務所に拳銃ぶっ放した前(歴)がある奴で、今は旭川にある、末永会系列の藤堂組の構成員やってるのが居たんだ。そいつは乱橋建設の下請けでもある豊田土建ってとこの作業員なんだが、最近は千葉の現場に会社命令で出稼ぎで行っているらしい。千葉県警にも協力してもらったが、どうも当日は千葉に居たのが確実。結局アリバイ的にはまず無理だって話。とにかく、そういうわけで、北見周辺には、アベ姓で事件に関与している者は居ないという結果だ。仕方ないから、今度は道内全域に広げなくちゃならんな。まあ、もともと地場のヤクザに任せるような案件だとも思えなかったが」

アベという名前でかなり絞られたように思えたが、やはりそう簡単ではないのが現実だ。ただ、この範囲で出ないことは、ある程度想定されていたのも事実だった。


※※※※※※※


 昼過ぎの小柴善之助への聞き込みを控え、竹下達は九段下の千代田区役所を出て、神保町の方面へと向かっていた。やや時間があったので、西田達が寄った神保町の話を思い出し、時間つぶしに書店巡りでもしようかと思っていたのだ。ただ、混む前に昼食を摂っておくつもりでもあり、そうぶらぶらしている暇もまた無かった。


 そういうわけで、西田が証文偽造を証明するための本を入手した、例の「カイザー書院」を訪れることにした。竹下は当然直接来たことはなかったが、本を西田が大阪から注文した際の住所が、得意の記憶力もあり、頭の片隅にあったわけだ。しかし、その場所に実際に行くことはまた別の問題であって、行き交う人に聞きながらと、そこそこ苦労した。訪れた店は想像していたよりかなり広く、本は割と好きな竹下は、入るなり自然と笑みがこぼれた。


「主任は何か探しものでも?」

黒須にそう問われ、

「ちょっとな。それにしても、北海道じゃこのレベルの古本屋なんてないからな。見てるだけで楽しいね」

と口にした。

「そんなもんすかねえ」

黒須は理解し難いという風な口ぶりだった。


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