帰札聴取編

第46話 明暗25 (140~142 帰札後 佐田明子宅再訪)

 相変わらず報道陣がたむろする門を縫うように留置場を出発し、道警本部で遠山を下ろして一旦別れを告げ、運転手に佐田家の住所を示した。


 佐田邸に着いたのが午後5時半。昨日考えていたよりはかなり早く到着出来た。雨は既に止んでいた。室内は改装工事中でもあり、やはり多少雑然とはしていたが、1階の応接間は、前に訪れた時に吉村が倒した、廊下に積んであった本が移動していた点を除き、以前と同様きちんと綺麗に整頓された状態だった。竹下は初めて訪れた家の中を終始キョロキョロと見ていた。何かを探るような視線の動かし方に、他人の家での出来事とは言え、西田は少々不快感を覚えた。


 構わないでいいと言っておいたにもかかわらず、吉村の期待通り応接間で相変わらず上品なケーキと紅茶でもてなそうとした明子に、西田達は大阪で買ってきた、明らかに釣り合わない菓子を渡した。


 因みに竹下と明子は初対面だったので、まず西田が軽く紹介し、双方が挨拶を交わした。だが、竹下の突き刺さるような視線が明子に注がれたのを、西田もなんとなく感じていたし、明子も感じていただろう。取り敢えず、新たに発見されたという、探偵事務所の封筒に入った調査結果を見せてもらうことになった。


 「片岡探偵事務所」とやらの薄い黄緑色の封筒には、札幌は中央区の住所が記載されていた。興信所(含・探偵事務所)の類は警備会社同様、警察のOBの再就職先でもあり、おそらくこの事務所も警察とのコネはあるだろうと西田は踏んでいた(作者注・この当時、いわゆる「探偵業法」は制定・施行されておらず、公安委員会などの認可も必要ない、ある意味野放しでした)。ただ、問題は当然のことながら中身である。電話では、北条正人の弟である北条正治の行方の調査ということだった。西田は封筒から数枚の紙を取り出して、竹下と吉村にも見えるように置いた。


※※※※※※※


◯調査結果

 ご依頼を受けました、「北条 正治」氏についての所在調査におきましては、秋田県能代市の熊澤水産は平成3年に倒産しており…………現地に調査員を派遣したものの…………。また滝川で勤務していたという経歴についても調査いたしました…………。結論としましては、残念ながら8月10日現在の所在については判明しなかったということです。費用といたしまして、別途請求書に記載いたしました金額を請求させていただきます。


◯請求書

 7月27日から8月10日までの15日間、1日当たりの基本料金が○○○ですので、計………… また別途調査員派遣の交通費・滞在費といたしまして□□□ですので計…………。今回は所在について確認出来ませんでしたので、成功報酬は無く、合計△△△とさせていただきます。


※※※※※※※


 内容は、明子が電話で伝えてきたものでほぼ足りたが、中央区にあるという「片岡探偵事務所」にこの調査がどういう形で依頼されたか、実際に聞き込みに行く必要はあると感じた。そして、実が実際に見ていた、偽造の参考にした「現物」の本を見せて欲しいと伝えることにした。

「よろしければ、先日教えていただいた、実さんが持っていたという本、見せてもらえませんか?」

 西田は明子から教えてもらった題名を元に、既に代品を手に入れていたので、内容を見る必要はないとは思っていたが、やはり実本人が本当に持っていたかどうか、直接確認しておくべきと考え直したからだ。


「え、ええ……」

明子はぎこちなく頷くと、居間にある本の束の中からすぐに取り出し、西田に渡した。間違いなく、あの本だった。西田は記憶していた83ページを開くと、そこにはレシートが挟んであった。以前この家で見たアイヌ語辞典同様、このレシートが栞代わりだったのだろう。これで後は元版を作成し証文を完全に再現出来れば、みのるはこの本を見て、プリントゴッコを使い、本の通りに古ぼかした紙に印刷して偽造したと断定出来るはずだ。大阪で試作してみた限りでは、間違いなく出来るだろう。


「さて、じゃあ後はプリントゴッコの本体の方を確認させて頂いて……」

西田に請われて、明子はプリントゴッコを持ってきた。西田達はそれを手に取り、上から下からチェックして、型番もチェックすると明子に返した。

これも確認出来たので、佐田邸でやるべきことは終わったと西田は判断した。


「じゃあ、これで確認すべきことは全て済んだので、この書類だけちょっと借ります。明日休みもらってたんですが、半休にしてこの探偵事務所に確認したいんで……。明日中には何とか返せるかもしれません。もし返せるなら事前に電話させてもらいますんで……」

そう西田が切りだすと、吉村は浮かない顔をしていた、全休が半休になったとわかったからだろう。そして西田の発言に対して、

「はい」

とだけ明子は聞き取りづらい声で返した。

「わかりました。返却前に一度電話しますんで。じゃあ、我々も用事がありますから、ここらで……」

そう言って西田が立ち上がろうとした瞬間、隣の竹下が、やにわに明子に思いもつかないことを言い出した。


「奥さん……。我々は明日、この片岡探偵事務所というところを訪問して、色々聞くことになると思います。当然、ご主人がこの探偵事務所に調べさせていたことを他にも根堀り葉堀りチェックするわけです」

「急に何を言い出すんだこいつは!?」

西田は竹下の言動に口をポカンと開けたまま、そう思いつつ呆気にとられたが、

「あ! もしかして、夫による、奥さんに対しての浮気調査とかそういうことが出てくるかもしれないと言ってるのか? でもそんなもんは俺らが奥さんに黙ってりゃどうでもいいじゃないか。大体この奥さんが浮気なんてのはないだろうに……」

と、走馬灯のように竹下の言動の意味に対する思索が頭をよぎった。明子も明らかに困惑している。

「大変失礼ですが、奥さん。本当は一昨日ではなく、工事はもっと前から始まっていたんじゃないですか?」

尚も竹下は意味不明な質問――いや口調は明らかに詰問だが――を畳み掛けた。


「お前は突然何言ってるんだ!? いや奥さん気にしないでください。ちょっとこいつはおかしいところがあるもんですから!」

さすがに西田も部下の非礼をなじった上で深く謝罪した。しかし、明子が顔を俯きがちにして、突然か細い声で、

「すいません……」

と言い出したので、

「いやあ、気分を害された点はお詫びします。こちらこそ本当にスイマセン」

と重ねて詫びた。しかし、

「違うんです。竹下さんの言う通りなんです、ホントに……」

と、発言も消え入りそうなトーンなら、身体も小さく丸めたような姿で、明子は突然告白し始めた。立ち上がっていた西田も、

「明子さん、それは一体どういうことですか!?」

と力が抜けたようにソファに腰を下ろした。


「本当は、この探偵事務所の書類が出て来たのは、10月6日だったんです。改装工事が始まったのは10月4日でした……」

明子がボソボソと喋り始めたのを聞くと、竹下が冷静に尋ねた。

「他にも一緒に何か出て来たと、僕は考えているんですが、如何でしょう……。おそらくですが、その本もこの探偵事務所の調査書類と一緒に出て来たのではないですか?」

竹下の言うその本とは、今目の前の机に乗っている、「美術品裏の世界 これが禁断の偽物製作マニュアル」のことだ。言葉尻こそ丁寧だったが、竹下の顔は能面のようにこわばったまま明子を見つめていた。明子はしばらく押し黙っていたが、意を決したかのように口を再び開き始めた。


「やっぱり刑事さんに嘘は付けないのですね……。天網恢恢疎にして漏らさず、すっかりお見通しでしたか……。ごめんなさい西田さん、吉村さん、そして竹下さん……。工事の業者さんに『こんなものがありましたよ』と手渡されて、中を見てみたら、どうも主人が殺される原因になったことに関係しているモノだったようで、西田さん達にお話するかどうか迷ってしまって……。ただ、それからすぐに西田さんから、出て来た本を言い当てるかのようなお電話を頂いて……。その上プリントゴッコの話も……。何か監視されているような気がして……。ですから、主人の名誉に問題なさそうな、北条さんの調査結果についてだけ出て来たと電話さしあげたんです。本当にごめんなさい……」

明子は辛そうにそう言うと、立ち上がって今のタンスの戸棚を何やらいじり始めた。


 竹下はそれを黙って見ていたが、既に何が出てくるのか、ある程度わかっているかのようだった。西田も明子の発言内容から見て、これから出てくるものを予期していた。そして大した時間も掛からず、明子はそこから何やら取り出して来て、3人の刑事の前に置いた。

「これは……」

吉村が声を上げた。そこには北条正治の調査結果が収められたものと同じ、片岡探偵事務所の封筒がまずあった。そして見てすぐわかる、数枚の「あの」証文、加えてプリントゴッコの複数のマスターらしきモノがあった。吉村が何に対して声を上げたのかはわからなかったが、西田もプリントゴッコのマスター以外は、想定外のシロモノだったため驚きを禁じ得なかった。竹下でさえも、それほど驚いた様子こそなかったが、この全ての「出現」を完璧に予想はしていなかったろう。


「これで本当に全部ですね?」

竹下はそれを全てチェックしながら、明子に確認した。

「はい、これで全部です……」

この時の明子は先程までとは違い、その発言の時はしっかりと竹下を見据えていた。

「係長、さっそく中身確認しましょう」

この間、捜査指揮を本来執るべき立場の西田は、竹下の言動に振り回されて、主導出来ずに居たが、部下のその発言でハッと我に返った。

「そうだな……。じゃあ失礼して中見せてもらおうかな……」

西田はそう言って、まず封筒から中身を取り出すと、それは北条のものと同じ、調査結果の報告書のようだった。が、読むとすぐにそれが「伊坂大吉」と「伊坂太助」の同一性の調査結果だったことに気付いた。勿論調査結果は「イエス」だった。


 既に西田達はわかっていることだが、伊坂「大吉」は伊坂「太助」に改名していたと記載されていた。その証拠として、戸籍抄本と共に(平成20年まで本人以外でもかなり緩い形で閲覧可能だった)、竹下が見つけていた「伊坂組・創業40周年社史」が挙げられていた。やはりおおっぴらに公言された形になっていただけに、普通に調査員の目に付いたようだ。


 兄・徹が記した伊坂太助の特徴と「財界北海道」に載っていた伊坂大吉の類似性に気付いた実が、何らかの方法で同一人物だと確信したという推理はしていたが、これにより、探偵事務所を使って実が伊坂を調べていたことが証明されたことになった。西田から手渡されて、竹下と吉村もそれを見ると、「やっぱり……」と、顔を見合わせながら互いに唇を動かしたのを西田は視認した。


 その次に西田は4枚ほどあった証文を手にとった。その様子を横目で見ながら、

「作成された奴ですか……」

と竹下が一言言った。偽造されたものと言わず、「作成」という言葉を使ったのは、ストレートの物言いの部下にしては、目の前の未亡人に気を使ったということなのだろう。


「そうだな……。3枚は新しい紙、もう1枚は古い感じの紙だが、おそらくどれも……」

西田はそう竹下に答えた。おそらくだが、新しい紙の3枚は印刷具合の確認、古い紙の分は本格的に試作してみたもの、或いは別途使うために作成しておいたものということなのだろう。伊坂大吉に渡ったと推察される偽物は、この古い紙で作成されたものと一緒かそれ以上の品質であることは言うまでもないはずだ。そうなると、血判の血液検査でもしない限りは、初見でいきなり見破るのはまず無理だと思った。伊坂のように本物を見たことのある人間でさえも、おそらくそうだったろう。


「係長が持ってる、佐田さんの証文と比較してみましょうか?」

竹下にそう言われて、手持ちの証文と比較すると、新たに出て来た証文は微妙に違った。それぞれ手書きでの作成なのだから、同一人物、つまり、おそらく佐田徹が同じ文字を書いているとは言っても、当然微妙な違いが出てくるわけだ。


「ということは、これらは北見で貸し金庫に保管されていた、北条兄弟が本来持っていた証文を元に作成された可能性が高いわけだな」

と西田は判断した。北条のものらしき証文については、西田は小村にコピーさせて送らせていなかったので、この時点ではそれが原本になったかどうかまでは断定は不能だったが……。


 明子は西田達の「作業」を見守っていたが、終始伏し目がちで泣きそうな顔ではあった。悪いことをしたという意識に苛まれていたのかもしれない。しかし今はそれを慰めるよりもまず目の前の資料を調べることだ。


西田は4枚あった「マスター」をチェックすると、机の隅の方に押しやられていたプリントゴッコの本体を、机の上を滑らせるように手元に寄せると、それに装着した。

「何か、使っても良い紙ありませんか?」

西田がそう言う前に、明子は裏が白いチラシを手にとって西田に持ってこようとしていたので、言い終えたと同時に西田の前にそれが差し出された。西田はちょっと会釈すると、すぐに印字、印刷してみた。

「あ、やっぱりダメだな……」

やはり8年という月日によって、インクは乾いてしまっていたようで、おそらくそれぞれが、証文の4人の署名の部分ごとのマスターなのだろうが、印字は出来なかった。ただ、それぞれにインクが乗っていて、ほとんどが黒だったが、それぞれに一部赤い点の部分があり、そこが「血判」に当たる部分だろうと推測出来た。


「まあ間違いないでしょうが、念のためにはこりゃ鑑識に頼むしかないですね」

吉村が言ったとおり、鑑識、場合によっては科捜研に頼むしかなさそうだ。


 西田は吉村の発言には無視ではなく、敢えて反応せず、目を閉じたまま明子に向かってこう切り出した。

「正直言わせていただきます。やはり何か隠し事をされては捜査に支障が出ますから、我々としては例え被害者のご遺族であったとしても、証拠資料の隠蔽は、到底許せる類の行為ではないです。これまで色々捜査協力していただき、同時に進展があったことも承知で言っています……」

喉の奥から絞り出すような声だった。明子の気持ちを痛感していたからこそ言いたくない、いやそうであったとしても言わざるをえない言葉だった。


「ただ今回出て来た内容は、ある程度既に予測出来ていたことでもあり、捜査に特に障害にはならなかったと思います。そして、これが出て来たのは、最近のことなのは本当でしょう。すぐに本当のことを伝えてくださった以上、何か咎めるつもりはないです。何より、今回出て来たモノで、推測が事実だったということが証明出来るようになりましたから……」

西田がここまで言うと、明子はほとんど声にならない、「すいません」という言葉を口にしながら深々と頭を下げた。

「じゃあ、これは我々がお借りしますんで……。こうなった以上は、おそらく明日中には全部は返却出来なくなってしまいましたし、我々遠軽の署員からではなく、道警本部の人間から返却されるモノもあるかと思います。その点はご承知おきください」


 言い終わった後、西田は証拠物件を持ちながら重い腰をあげ、竹下と、さっきまでは持ち帰るつもりもなかったプリントゴッコ本体を持った吉村もそれに続いた。そして恐縮する明子へ向かって一礼し、黙ったまま玄関へと向かった。


 3名は見送る明子を尻目に、そそくさと遠山の運転手付きの専用車に乗り込んだ。動き出した車のリアウインドウから、明子の様子をちらっと西田は見ると、前へ向き直り、横の竹下を一瞥もせず、

「お前らしいと言えばらしいが、あれで良かったのかな?」

とやんわりと苦言、いや疑問を口にした。

「ええ、確かにその通りかもしれません」

竹下も前を見据えたままそう言った。ただその横顔は、何事にも動じていない人間のモノとしか西田には見えなかった。


「ただ、そうだとしてもだ……。人間の行動としては疑問符が付いたとしても、刑事としてはお前が確実に正しい」

西田はそう断言すると、

「俺が昨日大阪で、佐田家にあった北条正治についての調査結果報告書の話をした時に、お前の様子がおかしかったのは、これに気付いたからか?」

と改めて尋ねた。それに対し竹下は聞こえるような音で、ゴクっと唾を飲み込んだ後、

「気付いたというか、違和感があったんですよ……。係長が夫人に電話で偽物作成に関係する本があるか確認した時に、それほど時間が掛からず、相手が存在を認めていたと聞きました。と言うことは、電話を受けた時点で、あの本の存在に気付いていたということになります。しかし北条正治の調査結果報告書は、昨日屋根裏から出て来たばかりだと言う……。北条の調査、それだけを切り取ればそれほど知られたくないようなモノではないにせよ、佐田実の行為の最終的な目的を考えれば、みのる本人が隠したかったことは不思議ではない。しかし、そういう前提で、本と調査結果報告書を比較すると、「偽物の作成マニュアル」のような本の方は、どうして家族の目に付く所にあったのか、どうも一貫性に欠けるわけです。そうなると、報告書を隠すぐらいならあの本も隠していた、いやもっと言えば、報告書も本も同じ目的のためにあったのだから、一緒に隠していたのではないか? そういう疑惑が湧き上がりました。そして今日佐田家に入った時に、玄関から渡り廊下あたりにある資材や様子などから、進捗状況をチェックしてみたんです。少なくとも一昨日始まったという割に、かなり落ち着いた感じがしたんですよ。ある程度工事が進んで、むしろ工事がそろそろ終わりそうな印象がしました。そうなると、実際には本も一緒に屋根裏に隠されていて、係長が電話した時には、本と北条正人の調査報告書が一緒に既に発見済みだった可能性が思い浮かびました。しかし、係長から本の存在について、夫人が確認された時に、北条正人の報告書については、一言も夫人は言及してはいなかった。そして、その後、あたかもさっき見つかったかのように係長に電話してきた。それが何故か考えました」

と、長々且つ冷静に筋道立てて話した。 

「その結果がこれか?」

と西田は言うしかなかった。竹下はそれについては反応せず、

「係長や吉村から聞いていた印象。そして今日実際に会ってみて、目の前で話を聞いて、表情を見た印象からして、余り嘘は上手くない人だと、少なくとも自分は思いました。だからこそ、係長に本の話を電話で突如された時、上手く否定出来なかったんだと思います。本来なら本の存在についても否定しておいて不思議じゃないのに、否定出来なかった。つまり、相手に聞かれたことが図星だった場合には、それを誤魔化せる程、嘘を付けるタイプではない。それでいながら、その人が一連の『発見』の過程については、明らかに嘘を付いている可能性が高い。同時に自分から北条正人の報告書があると積極的に『白状』してきた。そうなると、何か……、本や北条の捜査結果報告書よりもっと大きなことを隠したいのではないか? そういう結論に達したんです。そして、それについて真正面から突けば、嘘を突き通すだけの度量はない、そうも確信したんです」

と最後まで言い終えた。


 西田は竹下の説明を聞いて、心底「まいったな」と思った。明子を完全に信用してしまっていたからだ。

「ただ、今となっては当たっていたからそう偉そうに言えますが、タイミングやその時の状況によって、人間の行動は変化しますからね。あくまでたまたま当たっただけですよ、今回のは……」

淡々と話す竹下だったが、明子に実際に会って、その様子も観察した上でのあの追及を短時間で決断したのだから、やはりかなり自信がなければ出来ない言動だったろう。「こいつが居てくれて良かった」と西田は心強く思った。


「いずれにせよ、事実はどうであれ、佐田実が単純な被害者ではないと思われる以上、捜査のためにはあらゆる情報をしっかり出してもらわないと……。それが足りないせいでお宮入りなんてこともあり得る世界ですから」

と竹下は続けてきっぱり言い切った。正論であるが故に、西田も吉村も反論する術を持たなかったが、西田はどこかで割り切れなさや敗北感も感じていた。


 これまで、竹下という部下については、純粋な捜査能力は一刑事として優秀だが、一方で組織人でもある刑事としては、融通が利かない、難がある男だと思っていた。しかし、今日の竹下の態度を見る限り、頭脳の出来は別として、また柔軟性の無さを含めたとしても、情に流された自分よりはるかに冷徹で、刑事に向いている側面もあったのだなと強く思わせられたのだった。


 車は、4名の同乗者全てが沈黙を保ったままで、さっき上の札樽道を通った時と同じルートの札幌新道を、北大通(北大の前を通る)に向かって西進していた。すると突然竹下が、

「言い忘れてましたが、さっきの栞代わりのレシートの値段、本の定価と一緒でしたね。商品名がないパターンのレシートでしたが、おそらくあの本のものでしょう。日付は9月3日でした。北見に行ったのが9月23日だったはずですから、結構前から、偽証文の準備をしていたのかもしれません」

と、捜査メモに書き込み中の西田に告げた。

「そうか……」

西田はそう言うと、丁度書いていたメモにそれを一筆付け加えた。


 だが、竹下が大島海路への足がかりとしてこだわっている、椎野から獄中の本橋への手紙において、未だに「裏」の意味をこの「有能な部下」が読み取れていないのは、そもそも「裏」など実際には存在しないからではないかと思い始めていた自分に気が付いた。竹下の才覚をわかっているからこその疑念であった。しかしそんなことを竹下に言い聞かせて諦めさせるにはまだ早い。その思いも存在していた。


※※※※※※※


 そのまま道警本部に戻り、版と偽と思われた証文、プリントゴッコの本体を鑑識に提出し、鑑定・再現を依頼した。そして本部から札幌中央署を介し、片岡探偵事務所に明日の朝に聞き込みに行くと連絡した。


 やはり道警のOBが居るらしい。連絡することで、何か隠されてしまう可能性もなくはないが、突然行った場合でも、令状がなければ同じだ。そして、むしろ事前に協力を要請する方が、相手も協力的な態度を以って準備してくれるだろうという、少々都合の良い「思惑」もあったことは言うまでもない。思惑と言っても、道警のOBが居るなら、あながち間違いでもなかろう。


 本来であれば完全に休みという流れだったが、札幌に居る短い時間を無駄には出来ない。残念ながら最終的には半休ですら無理そうな流れになっていた。少なくとも、竹下が佐田明子を追及する前までは、午後は学校帰りの娘と一緒に外出し、夕食は家族で外食でもと考えていた。しかし今となっては、何とか外食の時間ぐらいはキープしたいと希望的観測に、この時点で完全にすり替わっていた。


※※※※※※※


 その後は遠山の行きつけの高級寿司屋でごちそうになった。先日西田が部下2人に奢った寿司とは次元が違った。店では、舌鼓を打ちつつも、翌日からの本橋への聴取の件で意見が戦わされた。現実として、この時点では遠軽組は参加することが確約されていなかったが、遠山は、

「事件についてもっとも詳しい君たちの助けは必ず必要となるし、実況見分や聴取の為に遠軽に送るのは確実だから、おそらくそう遅くならない頃にはね……。うちの捜査員だけじゃ、報告書で全て把握仕切るのは無茶だ、この事件は……。そういうわけでよろしく頼むよ」

と3人に言い含めるように言って聞かせた。


「その点は任せて下さい」

西田は代表して遠山に謝意を述べたが、実際のところ、「俺達抜きにやれるわけがない」ぐらいのプライドは持っていた。


 さすがに上級幹部の通う店だけにネタも値段もピカイチだったが、同時に緊張感は決してほぐれることもなく、酔いも中途半端なまま西田と吉村は午後9時前に自宅へとタクシーで帰還した。自宅も実家もない竹下は遠山が取ってくれていたススキノ近くのホテルへと向かった。


 帰宅後西田は、遠山にお土産としてもらった寿司と大阪の土産を妻子に渡すと、2人ともかなり喜んだのを見て、やっと束の間の休息を得ることが出来たような気がした。ただ、明日の休みの予定は、結局返上することになりそうだったので、西田はそのことについて言い出し辛かったか、何も言うことが出来ないまま床についた。

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