第45話 明暗24 (136~139 本橋を札幌まで護送)

 竹下が会議室へと入ると、既にそこには西田と吉村始め、護送に参加する道警本部の赤松、津崎、府警の一課長・平松、道警・府警の田丸、須貝の両共助課長が既に居た。拘置所副所長・段田、法務省矯正局の参事官、法務省刑事局担当検察官はまだ到着していないようだった。時間には遅れていなかったが、警察側の中で1番最後だったこともあり、

「すいません、遅れました」

と謝罪の言葉が思わず、口をついて出てしまった。

「いや、まだ開始までかなり時間はあるから、気にするな」

と、皆と談笑していた平松がそう言って、恐縮する竹下の気分を楽にした。


 赤松は遅れてきた竹下に、札幌地裁発行の本橋への逮捕状を見せた。本来、記者会見する時点で、逮捕状は取っておくべき(公的に嫌疑が掛けられているという意味で)だが、本橋が既に確定死刑囚で、拘置所に収監されているということもあり、逮捕状は護送の際に取れば良いという異例の判断がされていた。


 また、管轄を考えれば、遠軽署のある釧路地裁北見支部が出すべき令状だが、今回は道警本部お膝元の札幌・琴似留置場に留置する異例の処分をするため、札幌地裁に令状の請求をしていたのも特徴だった。いずれにせよ、現時点で拘置所に収監されているとは言え、これがないと北海道まで護送出来ない。これを見ると、いよいよ道警の主導で捜査が始まるという意識が、否が応でも高まってくる。ただ、既に遠軽署という単位での捜査からは、実質遠くへ行ってしまったという現実も強くなってきた。


 役人連中は、副所長の段田以外、約束の時間より数分遅れてきたが、市内で渋滞に巻き込まれたらしい。矯正局の参事官は松村、刑事局担当検察官は徳丸と名乗った。


 会議がいざ始まると、真剣に話しているのが警察と拘置所副所長だけで、これだけのポストの人間が来た割に、中央官僚は悪く言えば物見遊山的な態度で会議に参加しており、実際に護送に直接関与する側の人間との温度差が目立った。


 基本的にマスコミには、明日の北海道までの護送については事前に知らせるということで、多少の混乱が予想されると言われたことは、西田達にとってはやっかいだった。「テレビに映る」のはある意味「晴れ舞台」として歓迎出来る(デメリットもあるが)としても、護送に支障をきたすような混乱はただの業務の邪魔でしかない。その点について、赤松と津崎はかなり気にしているようだった。


 一方田丸は、伊丹空港及び空港までの道路は交通課、警備課の協力態勢を敷く予定であることを報告した。田丸も新千歳から琴似留置場までの警備態勢について説明した。実況見分のために遠軽に護送する必要はあったが、その点についての協議は、まだ先行き不透明ということで俎上に上らなかった。


「こりゃマスコミが、機内まで付いて来るパターンだよ」

徳丸が他人事のように笑って言った。発言主の態度はともかく、まず間違いなく護送を機内まで撮影するつもりだろうと西田も思った。その時平松が、

「法務省のお二人は、今日は我々をチェックするためだけにいらしたんですか?」

と毒づいた。

「ええ、事実オブザーバーみたいなもんですよ、今日に関しては」

松村は涼しい顔でそう答えた。平松の嫌味は彼らには何も応えていなかったようだ。事実として、実務に当たる警察と拘置所側以外は、ここまで来ると状況把握と監視以外の仕事はなかったと言えた。そもそも、平松自身、おそらく警察庁キャリア官僚の府警出向組ではあるはずだった。だが、その平松ですら、官僚組の態度には一言言いたくなった、そういうことだろう。


 そのまま護送の流れなどを確認する全体会議が終了した後、道警組だけで打ち合わせが行われた。伊丹を昼過ぎに離陸する便で新千歳に2時過ぎに到着した後、道央自動車道、札樽自動車道を使い、新川インターチェンジまで乗った後、琴似留置場まで乗り付けるという算段だ。


 高速を下りた後は留置場まではかなり距離が近いので、新千歳から1時間は掛からないだろうという話になった。ただ、マスコミの車が周囲を取り囲むと、警備のパトカーを前後に付けるとしても、多少想定より掛かるかもしれないと田丸は言った。そして赤松と津崎は打ち合わせの後、本橋と対面しておく為、須貝と田丸に連れられて拘置所へと向かった。西田達は夜に田丸主催の懇親会を兼ねた夕食会があるので、それまでホテルに待機することにした。


※※※※※※※


 その後、ホテルの部屋に戻った西田に、佐田実の未亡人・明子から電話が掛かってきた。何事かと思った。


「西田さん、お晩です(東北・北海道で年寄り世代が使う『今晩は』の意味)」

「こちらこそ先日は本の件でお世話になりました」

西田は、礼を言った。

「それは構いませんが、ちょっとご相談があって。実は……、家を改築する話はご存知かと思うんですけど……」

「ええ。確かご主人の部屋のですね……。最後にお邪魔した時に聞いた記憶があります。それで何かありましたか?」

明子の言いたいことは、皆目見当が付かなかった。

「それなんですが、昨日から工事が始まりまして、今日は、部屋の天井の工事を業者さんがされたんですよ……」

明子は最初よりゆっくりと喋った。

「はい……」

西田は話が読めなかったので、取り敢えず相槌を打っておいた。

「で、天井板を剥がしていたら、天井裏というか屋根裏から変なモノが出て来たようで、業者さんが渡してくださって……。それでお電話差し上げたんです」

妙に溜めるような言い方に、西田は軽い胸騒ぎを覚えた。

「何があったんですか?」

そう問うと、

「(札幌)市内の興信所? というか探偵事務所の調査結果らしいものが出て来たんです! 片岡探偵社という所のものです。主人が行方不明になる直前の日付、昭和62年の8月のモノで、義理の兄の譲から以前ちょっと聞いたことがある、例の北条正人の弟さんだったか、正治と言う人の行方を調べた結果みたいです」

と答えた。


 西田は想定すらしていなかった回答に、しばらく何も言えなかったが、

「奥さん、申し訳ないが、その調査結果は何と書いてあるかわかりますか?」

と、急場しのぎにありきたりの質問をした。ただ、ありきたりと言っても、話の流れから見れば定石通りのモノではあったので、どちらにせよ正しい手順だ。

「見る限りは行方は掴めなかったようですね」


 西田達は警察の情報網をフル活用して、北条兄弟の親戚を探し当てた。だが、一般の探偵事務所となると、かなり古い「痕跡」しかない場合、厳しい結果になるのは仕方ないだろう。

「調査依頼は何時したか書いてあります?」

「依頼したのが昭和62(1987)年の7月の24日で、調査したのが7月の27日から8月の10日までの15日間のようですね。調査結果にはそう書いてあります」

「なるほど。7月にご主人が調査を依頼したんですか……。それにしても、屋根裏から見つかったんですか?」

西田は状況が電話だけではよく把握し切れなかったので、その点について明子に詳しい説明を求めた。

「……はい。屋根裏って言っても、別にちゃんとした広い空間があるようなところじゃないですから、私達も今まで見もしなかったところで……。主人が失踪した後色々調べたつもりでしたが、灯台下暗しみたいだったようですね……。でも、あんまり意味はないんですよね、これと主人の事件との間には?」

明子は言葉を選びながら西田に確認してきた。

「うーん、この電話で聞いた限りで判断はしようがないですね……。他には何か出て来ませんでした?」

西田もよく状況を把握出来ていないので、断定は避けざるを得なかった。

「……それだけでしたね……。」

明子は何やら言いあぐねているような気もしたが、

「わかりました」

と、西田はそれ以上の追及はせず、

「奥さん、本の件で電話した時に言いませんでしたが、今、吉村と自分は大阪に出張中なんですよ」

と白状した。

「え? そうだったんですか……。それはお忙しいところを、つい頼ってしまって……」

明子は意表を突かれたように、声がやや裏返った。

「いやいや、頼っていただけることは、自分達の捜査のためにもなりますからいいんですが……。それでですね。丁度明日、北海道に戻ることになってまして。しかも札幌に一度寄ってから遠軽に戻る予定なんです。もし奥さんがよろしければ、明日の夜にでも、ご自宅に寄せてもらって、その現物見せて頂いてもよろしいでしょうか?」

やはり現物を見ないことには話にならない。大阪にまだ留まるなら、ファックスでも送ってもらうという手もあったが、明日見られるならわざわざ明子の手を煩わせることもなかろう。

「……それは全然構いませんけど、リフォーム中ですから、色々落ち着かない状況でして……」

遠慮がちなトーンではあったが、拒絶という程ではないし、拒絶する理由もないと思った。

「全然構いませんし、お構いなく。見せてもらうだけですから……。ただ、多分いつものように預からせていただくことにはなると思います」

「それなら構いませんが……。夜ということですが、何時頃来られますか?」

「どちらにせよおそらく夕飯時になるかと思います。何があるかわかりませんので、断言は出来ませんが、札幌に到着しましたら、一度電話させていただきますので。時間帯によっては、余り遅いと失礼になりますから、更に翌日ということもあるかと思います。それでよろしいですか?」

西田は、護送がスムーズに行くかどうか確信がなかったこともあり、明確に「何時」とは言えなかった。護送が済んだら即開放というわけにも行かないだろうし、当然の考えだ。それに対し、

「こちらとしては、工事が終わった時間の方が都合が良いですから、遅い分には11時ぐらいまでは来てくださって構いませんよ」

と明子は寛大な言葉を掛けてくれた。

「ありがとうございます。出来るだけ早く行けるようにしたいとは思いますが……、よろしくお願いします」

「わかりました。それではお待ちしております」

そう言うと、明子は電話を切った。


 西田は早速それぞれの部屋に居た竹下と吉村に内容を話すと、吉村は、

「あ、また明子さんとこに行くんですか。また上手いケーキ食べられるかな」

と食い気に終始した態度を見せた。

「改築工事中でそれどころじゃないそうだ。用事が済んだらさっさと戻ることになるぞ!」

西田は一応苦言を呈しておいたが、どうも吉村は、明子にある意味「なついている」ような素振りが見えた。まあ、明子のことだから、何だかんだ言って構ってくれそうな予感が、西田自身もしていたのだが……。


 一方、竹下は西田の話を聞いた直後は、

「へえ……。それは面白いですね」

と普通に興味を示したが、それが屋根裏から出て来たと聞くと、

「うん? 屋根裏ですか?」

と確認した上で、やけに怪訝な表情になった。

「なんだ? 気になることでもあるのか?」

西田がそれを見て問い詰めると、

「ま、いや、あくまで気になって程度ですが……」

と前置きした上で、

「屋根裏から出て来たんですよね? そして佐田徹の証文と手紙は、元は会社にあった金庫から出て来たって話で間違いなかったですよね?」

としつこく確認してきた。

「ああ、その通りだ」

「それが今回は自宅の屋根裏ですか……」

竹下は何度も首を傾げた。そして、

「会社の金庫ということは、証文や手紙はおそらく佐田実にとって、しっかりと保管しておきたいという気持ちから、そこに入れる気になった結果なんでしょう。実にとっては、資金捻出の『虎の子』になりうるモノですから当然と言えばそうです。勿論、家族に見られたくないという気持ちもあったかもしれませんが……。それに対して、自宅の屋根裏となると、しっかり保管しておきたいという気持ちより、圧倒的に『家族には見られたくない』と言う意識が強かったと思うんですよねえ……。しっかりと保管しておきたいものだったら、証文なんかと一緒の金庫あたりに入れておくでしょ?」

と言い出した。西田としても、

「うむ、そういう可能性は普通にあるよな」

と同調した。しかし竹下は、

「でも、実際はそうではなかった。だから重要度はそれほどでもないが、自分だけが目にするところに置いた、そんな理屈が成り立つんじゃないでしょうか。でも、だとするとちょっと気になります。北条正人の行方の調査って見られてまずいもんですか? そうでもないですか?」

と妙に食いついてきた。何かが気になっているのは西田にもはっきりとわかった。


「うーん……。それだけ考えると微妙なところだが、佐田徹としては、強請るという悪事の計画があったんだから、後ろめたい意識は背後にやっぱりあったんじゃないか? 何となく隠したい気持ちもわからんでもないぞ」

西田はそうとしか言えなかった。

「やっぱりそうですかね……。まあその通りかもしれません。いや、聞いといてなんですが、自分の考えが間違っているんじゃないかと思って、ちょっと心配になっちゃって……。それで係長に確認してみました……。くだらないことでスイマセン……。やっぱり見られたくなかった、そうだと思います。そして屋根裏に隠したってことなんでしょう……」

竹下は西田にそう言うと、部屋の奥へと戻っていったが、そう言い終えた後の顔の残像は、まだ何か釈然としないものを抱えたままだったように西田には思えた。


※※※※※※※


 その後、夕食会に参加したが、懇親というよりは、やはり翌日の護送に関しての真面目な打ち合わせの時間となり、気分が休まることもなくその日の仕事を終えることとなった。


 沢井課長にも夕食会後に報告のために連絡した。その際、札幌に護送した後、しばらく休み無しだったということもあり、また、札幌に本橋が留置・勾留されるため、捜査が一段落するということもあって、翌日は特別に休みをくれ、翌々日の10月19日の早朝のオホーツク1号で遠軽に戻って来れば良いと言う返事をもらった。これで自宅でゆっくりと1日過ごせることになった。吉村も実家があるので自宅泊で良いが、竹下だけはホテルが必要なため、道警本部に予約を取るように、沢井が連絡しておいてくれるということになった。そして、札幌にいる妻の由香にその旨を電話で告げると、倉敷土産を送ったにも関わらず、大阪土産を新たに要求される羽目になった。


 その夜は緊張感こそ終始続いてたが、翌日に備えて早めに床につくと、精神的な疲労からか、西田は早朝までぐっすりと寝入ることが出来た。


※※※※※※※


 午前8時、西田達は身支度を完全に済ませて、荷物と共に大阪拘置所に居た。ビジネスホテルということもあったが、朝食は摂らずに拘置所まで来て、ここでコンビニで買ってきた弁当で済ませていた。吉村は控室の鏡でネクタイの締め具合をチェックしていたが、どうせワンボックスカーの中で、テレビカメラや報道カメラマンのフォーカスは本橋中心にするのだろうから、そこまで気にする必要はないはずだ。晴れ舞台とは言え、あくまで「添え物」程度の映りだろうことは否めない。


 西田や竹下、吉村も当然護送の経験はあったが、テレビに映るような大型事件の犯罪者の護送は初めてで、しかも都道府県を越える護送は初めてだった。基本的に署と検察間での護送経験だったからだ。


 道警本部から来た赤松と津崎も、長距離護送の経験はあったが、テレビに映るようなの経験は道内での署から検察への移送程度で、こういう形の経験はないと前日語っていた。


 そういうこともあってか、控室は全体的に落ち着かない空気が漂っていたが、その中でも吉村の浮足立ちは、西田の目から見ても目に付いた。

「吉村、ちったあ落ち着け。座ったらどうだ?」

西田にそう言われると、

「いやあ、それにしても緊張しますわ」

と首を振った。それを見て赤松主任は、

「その年令でこんな事件に関わってる自体が、なかなか出来ない経験だから。恵まれてるよ君! 本部の一線でやってる人間でもそうそう得られるもんじゃない」

と笑った。津崎は津崎で、

「人の振りみて我が振りなんたらじゃないが、自分も緊張してますよ」

と率直な心情を吐露した。


 そして午前10時半、いよいよ本橋を護送するため、刑務官に連れられてきた本橋と対面した。凶悪犯には見えないが、その一方で相変わらず内面からふてぶてしさを醸し出している面構えの本橋は、西田と竹下、吉村の顔を見るなり、

「護送もあんたらが参加するのか。昨日会った、こちらさんの堅物2人とだけかと思ったが、それじゃあ楽しい時間になりそうだな」

と、赤松と津崎に視線を一度移した後嘯うそぶいた。


※※※※※※※


 午前11時半、本橋と運転手としての府警の警官に、護送の道警刑事5人が乗ったワンボックスカーは、パトカーを前後2台ずつで先導されながら、拘置所の「上役」連中と平松、須貝に見送られて拘置所の中から出発した。制限区域とは言え、既に拘置所の敷地内には大量のマスコミ関係者とカメラが立ち並んでいるのがフロントガラスから見えた。


 ただ、その中でも本橋本人だけは、フロントガラスからしっかりマスコミに見えるように座らされていた。一斉にフラッシュが炊かれ、リポーターらしき記者達がテレビカメラに向かって、マイクで何やら喋っている姿がフロントガラス越しに確認出来た。


 赤松が助手席、津崎と西田が前の両脇、竹下と吉村が本橋の直接の両端に座るのが予定の「布陣」だったが、竹下はともかく吉村はバッチリ映りたいというので、赤松の許可を得て、西田が本橋の脇に座っていた。勿論赤松が頑固な刑事と見れば、こんな頼みは絶対にしなかったのだが……。しかし、フラッシュの嵐を浴びた後は、

「眩しすぎるなこれは。こんなに炊く意味あんのかな……」

と一般道に出てから、吉村はもしばらく愚痴っていた。


 伊丹空港にはパトカーの先導のおかげもあり、1時間程で着いたが、道中追跡のためのマスコミのバイクが常につきまとっており、運転手の警官が、

「あっぶねえなあ」

と呟く場面に何度も遭遇していた。道中、西田が本橋に何か事件について聞こうとしたが、本橋により、

「移動中取り調べは受けんぞ。ちゃんと手続き踏め」

と反論されたため、護送間での聴取は諦めざるを得なかった。


 空港では特別な時に使用するゲートに直接乗り入れ、特別室で待機していたため、一度マスコミから逃れることが出来たが、搭乗する際には、他の客の居る待合エリアを通って乗り込むしかない。そこには、その時間帯の航空券を手に入れ、しっかりと待合エリアで取材を出来るように入り込んでいたマスコミ関係者が居た。


 本来なら、締め出すことも可能なのだろうが、そこは警察とマスコミの暗黙の了解というか、癒着関係で、稀代の殺人鬼を晒し者にする準備は万端だった。ただただ迷惑なのは他の乗客と空港、航空会社の職員ということだろう。


 乗り込んだ、伊丹を13時過ぎに出る航空機の中にも、当然マスコミの人間が至る所に乗っていた。本橋や西田達の周りにも居て、終始こちらにカメラやハンディビデオカメラを向けていたが、遠くの席を取ってしまったらしいマスコミの連中も、トイレに行くような振りをしつつ、本橋の近くまで来て様子を窺っていた。


 フライトはほぼ定刻通り2時間ほどで終わり、全ての乗客が降りてから、西田達はボーディングブリッジを通って、新千歳のターミナルビルに降り立った。大阪は曇りだったが、新千歳は天気予報通りに雨がしとしとと降っていた。


 相変わらずこちらにも待機していた、マスコミ関係者の居る待合エリアを横目に通り抜ける通路から、滑走路を超えて遠目に見える空港周囲の林の木々の葉は、かなり赤みがかっているように見えた。新千歳空港は札幌まで50キロ程と距離は近いが、遠軽同様、朝晩の寒暖の差が激しい場所だけに、道央にしては少々早めに紅葉が進行していたようだ。


「凄い久しぶりの北海道のような気がしますよ。遠軽出てから1ヶ月以上離れていたような気が……」

吉村が本橋を連行しながら、そう西田に喋りかけた。遠軽を出て東京に向かったのが10月5日。本日が10月17日。2週間も経っていなかったが、確かに1ヶ月近く本州に居たように西田も感じていた。この間にめくるめく展開に直面して来たが、それが今、走馬灯のように脳裏に去来していた。


 途中から従業員通路を通って、人目につかない出入口を出ると、目の前に道警のパトカーとワンボックスカーが待機していた。待っていた捜査員と軽く業務上の挨拶を交わし、全員が乗り込むとすぐに出発したが、本橋を乗せて出発した先導パトカーと護送車をすぐに見つけたか、数台のバイクがすぐに追跡を始めた。


「お、もう見つかったみたいですね」

と道警の運転手役の警官がボソっと言うも、

「なーに、マスコミには『こっち側』からある程度ばらしてるに決まってるじゃねえか……」

と赤松が皮肉を吐き捨てた。


 新千歳からしばらく一般道を通り、自衛隊の駐屯地を左手に見ながら、護送車一団は千歳ICより道央自動車道に乗った。機上でも、車の中でも、これまでと違って、マスコミ相手に堂々としつつも一言も喋らなかった本橋が、

「さすがに大阪より北海道は寒いな」

とだけポツリと言った。

「俺もしばらくぶりに戻ったから、寒く感じるよ」

西田がそう反応すると、

「しばらくぶりって程じゃないやろ! あんたらは。俺はあの事件以来だから」

とニヤリと笑った。


 車は道央道を抜け、白石区の外れにある札幌JC《ジャンクション》から札樽さっそん道に合流する。札樽道は一般道である札幌新道の上をしばらく通るが、伏古の付近を通った際、吉村が、

「そういえば、佐田さんのところに後で行かないと……」

と言った。丁度この付近に佐田の家があるので、不意に思い出したのだろう。

「護送はスムーズに行きそうだから、思ったより早く行けるかな」

西田がそう伝えると、

「佐田ってのは、俺が殺った相手か?」

と本橋が窺うように確認してきた。


「そうだ。佐田実さんのご家族の家だ」

西田が冷たく棒読みで言い放つと、

「そうか……。よろしく伝えといてや」

と、本橋は他人事のような台詞を吐いた。

「何がよろしくだよ……ったく」

西田は怒りより呆れが先に来たが、本橋は目を瞑ったまま、一言もそれには反応しなかった。


 ただその姿は、いつものふてぶてしさと言うよりは、無我の境地というような雰囲気に西田は思えた。今更自省しているはずもないが、かと言って大阪拘置所で見てきたような本橋とも違って見えたのは確かだった。


 札樽道に入ってからはあっという間に新川ICで下り、再び一般道へと入った。空港から付いてきたバイク軍団はまだ追跡していたが、彼らともそろそろお別れとなる。大きな公園と団地の間の狭くうねるような道路を抜け、JR函館本線高架の突き当りを左折すると、北海道にしては狭い道路の向こうに、大阪拘置所で見たような大量のマスコミの集団が見えた。いよいよ琴似留置場に到着したのだ。


 入り口付近でまたもフラッシュの雨に打たれたが、入り口に横付けすると、さっと本橋を連れ建物へと入った。午後4時半過ぎ、無事に護送は完了した。そこから、遠山刑事部長などの道警幹部も交えた申し送りもあったので、西田達が開放されるまで更に1時間掛かった。


「いやご苦労さん。今日はこの後一杯どうだ? 取り調べは今日はないし、事件への貢献に軽くお返しさせてもらいたいんだが」

遠山が申し送り終了直後、遠軽署の3名に労いの言葉を掛けてきた。

「それはお心遣いいただいてありがたいんですが、この後まだ一仕事ありまして……」

申し訳無さそうに西田が言った。

「仕事? 今から? 何あんの?」

遠山はかなり詮索してきたが、もしかすると西田達が遠慮してそう断ろうとしたと邪推したのかもしれない。


「実は昨日のことなんですが、被害者の佐田の遺族から、新たに見つかったものがあるんで、見て欲しいと言う話があって、これから向かうところなんです」

「そうか……。そいつは仕事熱心だな。ただ、そんなに時間掛からないんだろ?」

「ええ、今からなら8時までには戻れると思いますが」

「そう? だったらススキノで良い寿司屋予約してるから、後からここに来てくれ。他の幹部連中にも君らは紹介しておきたいんで。俺の電話番号知ってるよな?」

遠山はそう言うと、メモに店の電話番号と住所を書いて破り西田に渡した。


「ありがとうございます。後、ついでと言っては何ですが、本部の車貸してもらえませんかね? いちいちタクシーで往復するのも面倒ですし、多分鑑識に持ち込みたいものもありますから、本部に一度戻らないといけないんで都合がいいんです」

「それなら簡単だ。今から俺の車で本部まで戻って、俺を下ろした後、佐田の家に行けばいい。君らも疲れてるだろうから、運転士付きだし、是非使ってくれ!」

刑事部長の専用車を使わせてくれるという、予想外の許しを得て3人は恐縮した。しかし、長々と遠慮の言葉を述べて、そのまま無駄な時間を掛けている暇もない。早速その提案を受け入れ、西田は佐田明子に改めてアポを取った。

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