第24話 源氏の君にはたくさんのフラグが立ちましたが私のフラグは……?
その後も私と式部さんは、時間が経つのも忘れるほど夢中になって『源氏の君の物語』の推敲を続けていった。
私が名付け親になってしまった、この「桐壺」の巻の山場のひとつと言えば、やはり源氏の君の母である桐壺更衣の死、そしてその遺児である主人公の臣籍降下である。他の妃たちからいじめられるほど愛された女性の産んだ子であっても、後ろ盾がないために皇太子にすることはおろか、「源氏」として臣下にせざるを得ない、という帝の苦しみ。そして、その主人公がこの時代の常識を覆すように、そのハンデあり状態から出世して栄華を極めていくことを描けば、一部の権力を握っている貴族以外、つまり式部さんたちのような大多数の貴族たちの共感を得られるはずなのだ。
「香子殿、こんなに愛していた桐壺更衣が早くに亡くなってしまって、その後この帝はかわいそうではないか? 私が男だからそう思うのだろうか?」
この先の展開を、う~むと考えていた私に、式部さんが問いかける。
「そうですね、早く亡くなるからこそ、読者の涙を誘うのであって、ここはかわいそうでなくてはならないところなんですよね。現実ではすぐ他のお妃様たちのところに通って、跡継ぎを作らなくてはいけないとか事情があるのかもしれませんけれど。でも、ここはやはり『君の肉体はなくなってしまったけれど、僕の心はいつまでも君の魂に寄り添っている。亡くなった君のことを、僕も死ぬまでずっと愛し続けるよ。なぜなら君は、僕にとっての赤い糸の相手、ソウルメイトなんだから』的な展開にするのが乙女の心をグッと掴む王道パターンなんですよね」
まあ、携帯小説などでは、“いじめ”“出産”“若くして不治の病で亡くなる”は、定番である。
「赤い糸……? そうるめいと……?」
「あ、えと、前世からの約束のある相手ということです。これは、もう女子の永遠の憧れですよ。運命の相手を探し求めている女子は多いです」
たぶん、私のような妄想力の激しいオタクは一度ならず、何度でも「前世の恋人が迎えに来てくれる」という夢を思い描たことがあるはずである。
「なるほど、香子殿のいた未来でも、いまの我々の世と同じく、仏教の輪廻転生の概念は常識だということなのだな。よし、この“前生の契り”については、今後もたびたび使うことにしよう」
いやあ、現代では仏教っていうよりも、もっと軽い憧れ的な感じなんだけれども、と説明しようと思う暇もなく、式部さんは早速メモを取っている。
「では、亡くなった桐壺更衣の側から考えると、この後、帝がどのようなことをしてくれると嬉しいのだろうか?」
「そうですね、女子視点から行くと……。“永遠に思い続ける”の他には、黄泉の国まで追いかけて来てくれるとか? 『古事記』のイザナギみたいに。あ、醜い姿に驚いて帰っちゃうっていうのはナシで、ちゃんと
脳内で、黄泉の国の悪霊たちをバッタバッタと切り倒しながら助けに来てくれるヒーローを妄想する。が、これは平安時代の天皇というイメージではない。ここが、戦国時代で主人公が信長だったりしたらそういう展開もよかったのかもしれない。「我は第六天魔王、信長ぞ。帰蝶を返すがよい、閻魔王よ」とか言って……、うん、これ、『源氏物語』とは全然別の話になっている。
「でも、そこまでいくと帝のキャラとはちょっとずれるのかも……?」
「そうだな。では、
「うっわ~、いいです! その展開はあり! 中華風ファンタジーは乙女のツボのど真ん中! えと、女子の心を鷲掴みです!」
……っていうか、それでまたひとつ物語ができちゃうじゃない!
私は興奮のあまり、思わず拳を握りしめながら力説してしまった。
「『たづねゆくまぽろしもがなつてにても
「いいと思います!」
私の妄想より、だいぶあっさりだが、ここも話を展開させすぎたら違う方向に向かってしまう。式部さんが即興で和歌を作る間に、私の脳内では美形の幻術士が弟子と共に仙界に分け入って、妖魔とバトルを始めていた。さっきの信長編とは違って、当然、杖を持って、そこから光の玉がビュンビュン飛ぶ、幻術を使った攻撃である。
「しかし、そうは言っても魂が還ってくるわけでもなし。帝がかわいそうであるな」
やはり、男性の心理というのは女性とは違うのだろうか。亡くなっても愛し続けてほしいというのは、乙女のワガママなのか。
私は、式部さんの意見と乙女のトキメキとの折衷案を考えてみる。
「帝と新たな登場人物との恋愛が始まってしまうのは、やはり女性読者が引いてしまうと思うんですよ。だから、帝の恋の相手としてではなく、主人公の源氏の君が憧れる継母……という展開はどうでしょう? 血の繋がらない家族、といったら、これもう恋愛が始まるフラグですから。継母、帝の妃への禁断の愛! まあ、どっちかというと、男性が喜びそうなシチュエーションではありますが。でも、源氏の君と恋愛をする女性たちの側から見てみると、『私を通して誰か別の女性を見ているような気がするの。彼は本当に私のこと愛しているのかしら? ああ、なんて切ない……』的な展開に持っていけますしね」
そう提案すると、式部さんはこれをいたく気に入ってくれたようだ。
「確かに、そういった人物ならば、今後も幅広く様々な展開に使えそうだ」
「あ、それと……。さっきの悪役イジメキャラの弘徽殿女御。右大臣の娘で藤原氏ですし、現実だったら、こういう後ろ盾のある人物が皇后になりますよね? 業平や源融のような人たち……皇室に連なる人たちの恨みを晴らすには、この新たな登場人物は皇室の出でありながら皇后になる、という展開にしてみたらどうでしょう?」
「それは妙案!」
式部さんは、ポンと手を叩く。
「ここ最近では、
「はい、その辺りを重要な点として描けば、帝が桐壺更衣から心変わりしたという印象も薄まると思うんです。それでも納得しない人のために、その新しい皇室出の后は桐壺更衣にそっくりだった、桐壺更衣が亡くなって以来、すっかりふさぎ込んでしまった帝のためにわざわざ探し出して来たそっくりさんだった、ぐらいの設定をつけておけば、いいんじゃないでしょうか?」
「なるほど、それはいい、うんうん、そうしよう」
頷きつつ、またメモを取ろうとしていた式部さんの筆がふいに止まった。
「どうしたのですか?」
式部さんは、御簾越しに空を見ている。
太陽はいつの間にかすっかり陰って、半月に近い月が空高く昇っていた。式部さんは、手元が暗くなったため、筆を止めたのだろうか。
「香子殿。楽しくてすっかり時間が経つのを忘れてしまった。もう夕刻に近い。失礼した」
式部さんが何を言っているのかわからず、
「夕飯の時間ですか?」
と問うと、式部さんは違うというようにクスリと笑った。
「いや、男女が夜まで一緒にいたら共寝をしたと思われてしまう。誤解をされぬうちに、そなたは、そろそろ部屋に戻った方がよいであろう。後は、私一人で書いてみるから、また今度添削をしてほしい」
ここまで、フィクションの話とはいえ、恋愛についての講釈をさんざんしてきたというのに、相変わらず式部さんはお堅いというか、鈍感なままだ。
牛車で一緒に出かけたときには、あんなに密着したり、お姫様抱っこをしたりして、私のことをドキドキさせたというのに。今日は、私のことを常識的な時間に部屋に帰そうとしている。
こちらは、別に誤解されたっていいぐらい思っているというのに。そんな、私の気持ちにはまったく気付いていないようだ。
そんな鈍さで、この先、乙女がキュンとする恋愛ストーリーを書き進められるのか甚だ不安ではある。そして、何よりも私のトキメキが不完全燃焼だった。牛車でデートのときは、一日にスチルイベントが詰まりすぎだし、今日は何も進展がないなんて。これが、乙女ゲーだったら、この辺りのシナリオでだれ、投げてしまいそうである。
しかし、これは現実。しかも、相手は攻略の難易度が高そうな式部さんだ。
今日のところはこれ以上のイベントが起きる期待は捨てて、部屋に戻ることにした。
私自身、よくわかっている。現実には、フラグの立たないことの方が多いものなのだ。
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