第21話 フラグがへし折られたと思いきや、二本同時に立っていました 

「ちょっと、待ったーーーー! いったい何をなさっているんですか、お二人とも!!!!」

 私にはどうにもできないこの修羅場の状況に、大学寮から帰宅して来たばかりらしい惟規のぶのりさんが二人の間に割って入った。

 唯一の良心、唯一の常識人である惟規さんなら、この状況をうまくまとめてくれることだろう。

 しかし、とてもおとなしいと思っていた惟規さんが、あのように声を荒げて、体を張って二人を引き離してくれたことは意外でもあった。やるときはやるんだなあ、と頼もしく惟規さんを見つめた。

「なぜこのような状況になっているんですか? というか、兄上、今日も男性の装束なのですね。安倍天文生あべのてんもんしょう殿、兄が何か失礼をいたしましたでしょうか。もし、そうなら私が代わってお詫びいたします」

と、惟規さんは礼儀正しく、まず座してから国時さんに対して頭を下げる。

「いや、まさか文章生もんじょうのしょう殿に、兄君がいたとは露知らず。姉君がいらっしゃるとばかり思っていたので。咄嗟のことに、私も我を忘れてしまったようだ、こちらこそ申し訳ない」

と、国時さんも次第に落ち着きを取り戻したようで、惟規さんの前に座ると、折り目正しくお辞儀を返した。

「兄上も、ほら、きちんとお詫びをしてください。申し訳ございませぬ、我が兄はずっと邸の中に籠もって漢籍と向き合うばかりで、少しばかり世間の常識に疎いのです」

 弁解をする惟規さんに対して、式部さんは素直に詫びようとはせず、

「私も確かに誤解をして悪かったと思う。しかし、安倍天文生殿が何か香子殿に危害を加えたのかと思ったのだ。危害については誤解だったようだが、香子殿に言い寄っていたのは確かなことだ。私の目の前で先ほども、香子殿をどこかへ出かけようと誘っていたぞ」

と、子どものように口を尖らせながら不満を口にする。

 理知的で、頭の切れるイメージしかなかった式部さんが、そのように拗ねたような真似をするなんて、これもまた思ってもみなかった一面だ。

「安倍天文生殿、それは確かなことですか? そして、香子殿、あなたは安倍天文生殿からこれまでに文や和歌をもらったことがありますか?」

 突然、惟規さんから質問を振られ、驚いた私は、

「えっ、えっ、どういうことですか?」

と混乱する。

「求婚する文をこれまでにもらっていたかどうかと尋ねているのです」

「えっ、求婚? まさか、そんなのもらっていないです! 口ではいろいろと……褒めてはくださいましたけれど、まさか本気ではないと、ご冗談だと思っていましたし……」

と、正直に答えると、

「安倍天文生殿、だとしたらあなたらしくない不粋な真似はやめていただきたい。あなたは節度を持った品の良い貴公子だと思っておりました。もし、本当に香子殿を誘いたいのであれば、真っ当な手順を踏んでいただきたいと存じます。もし、香子殿がこの時代のしきたりを知らないからといって侮り、一夜の慰み者にしたいというのであれば、私は全力でそれを阻止します!」

と、惟規さんは座ったまま私の前に身体をずらし、庇うように両手を広げた。

「確かにおっしゃる通りだ。失礼した。侮ったり、慰み者にするとか、そのようなつもりは毛頭ない。手順を踏む前に思わず心の内を暴露してしまったのは、そちの兄君の挑発に乗ったこととはいえ、浅はかであった」

「私がいつ挑発したと言うのですか」

 式部さんは、また不満そうに国時さんを睨む。

 この二人、相性が徹底的に悪いんじゃなかろうか。

「だって、そなたは既に香子殿と一緒に牛車で都をうろついているのであろう。それなら、そなたはきちんと香子殿に文を送ったのか? 歌を詠んだのか?」

「いや、私たちが二人で出かけたのは、私の創作のために香子殿の知恵を拝借したかったからであって、けしてやましいことはしていないのだ。だから、文を送るとかそういうことではないのだよ」

“やましいことではない”と言われるのが、こんなにショックだなんて思わなかった。

 先ほど、なんとなく自分の気持ちに気付いてしまった私だが、“やましいことではない”とは、やはり私を女性として見る気などさらさらないということではないだろうか。

 しかし、先ほどから“文”というものが論点のひとつのようだが、どういうことだろう。いまいちその辺りがピンと来ていない私は、

「文を送るというのは、それほど重要なことなのですか?」

と、常識人である惟規さんに今更ながら尋ねた。すると、

「香子さんの暮らしていた世界では、男性が女性に言い寄るときに、文……つまり手紙を送って思いを伝えるという習慣はないのでしょうか?」

と、逆に質問で返される。

「ラブレターのことかな……?」

「らぶ……れたあ……?」

と、惟規さんはますますわからないといった顔で振り返る。

「あ。ラブレターというのは、告白するために送る手紙のことです。いまでもやっている人がいるかどうかはわからないですけど。少女マンガで読んだことはあります。下駄箱にラブレターとか、机の中にラブレターとか。あるいは、手紙には『放課後、体育館裏に来てね』とだけ書いて告白は直接する、とか。でも、最近のマンガでラブレターってあったかなあ。直接、告白とか……なんとなく自分たちの思いに気付いて付き合い始めるとか……そういうパターンが多い気がします。あ、ちなみに私は告白されたことがないので、わからないんですけど」

と、笑うと

「千年も経つと、随分と文化が変わるものですね」

「確かに」

「和歌の優劣で決まるわけではないのか」

などと、三人三様に驚いている。

 そして、惟規さんが代表して、私にその文化の違いを説明してくれた。

「香子さん、この時代では正式に付き合いたい相手に対しては、まず文を送るのです。そして、そこに求婚するための和歌は必須なのです。女性の方は、それに対してすぐに返事は出しません。たとえ好きな相手でもです。何回か文をもらってから、これも和歌で、つれない返事を出します。相手のことをたとえ好いていたとしてもです。このように何度も文を送り合ってから、結婚に至るのです。そのような段階を経ずに、契りを結ぼうとする男性がいたら、それは一夜限りの相手として遊ばれてしまうという可能性を考えてください」

「なるほど……面倒なんですね。でも、私は和歌をいただいても読めませんし、返事も書けませんけど……」

「摂関家の姫であっても、和歌を得意とする女房が代筆をすることはよくあることですから、その辺は誰かに頼めば大丈夫だと思いますよ」

「いや、でもまあ、私なんかに文を送ってくる物好きもいないと思いますし……」

 手のひらを目の前で「ないない」と振りながら答えると

「わかった、私は今度から香子殿に文で思いを伝えることにしよう。これまで、失礼をしてすまなかった。許してほしい」

と、国時さんが私に向かって頭を下げた。

 へ? 冗談じゃなかったんですか?

 っていうか、これもいったいいつフラグが立ったんですか?

 動揺して事態を把握できていない本人を差し置いて、

「そうですね、そうしてください」

と、惟規さんが小舅のごとく仕切っている。

「それと、兄上。世間の誤解を招くような振る舞いは自重していただきたい。男女が牛車で出かけると聞けば、誰もが二人はそのような仲なんだと思います。誤解されても仕方がない。もし、香子さんに対して、そのような興味を抱いていないのであれば、どうか二人で外出することはお控えください」

 さらに惟規さんは仕切っているけれど、ちょっと、ちょっと待って!

 これで、式部さんが「わかった」とか答えてしまったら、そこで私の失恋が確定してしまうではないか!

 そうしたら、もう国時さんルートに入って、そのまま国時さんとのエンディングを迎えるしかない。そんな重要なことを、私の気持ちを差し置いて決めるのは……。

「あいわかった」

 ……ああ、やはり。

 ……式部さんとの恋愛エンドのフラグが折れてしまったか……。

 がっくりとうなだれる私の前に、式部さんが近付いてくる。

 私の両の瞳をしっかりと見据えてから、

「昨日はすまなかった。大変失礼なことをしてしまった」

と、頭を下げた。

 そんな、傷口に塩を塗り込むようなことをやめて! と脳内で悲鳴を上げていると、

「だから次からは、共に出かける前にきちんと和歌を送ることにする。意味がわからなかったら、周防すおうに読んでもらうといい」

「え? 周防?」

 私はまだよく意味がわからず、ピントのずれた問いを口にする。

「周防とは、いつもそなたの近くに仕えている女房だ。確か、和歌は得意だったと思う。返事の代筆も頼むといい」

 私は、毎朝着付けを手伝ってくれる侍女さんの顔を思い出した。

「ということは……?」

「惟規が言うように何の興味も抱いていないなら、和歌を贈るとは言わない。先ほど、“やましいことはない”と言ったのは、“やましい行為は何もしていない”というだけの意味だ。私のそなたへの気持ちを表現したわけではない。ただ、……それ以上、和歌ではなくいま言葉で語るのは不粋だからやめておこう」

と、言って式部さんは立ち上がった。

「私も負けぬぞ」

 式部さんに対して、国時さんは宣戦布告する。

「ああ、私も負けぬ。話の邪魔してすまなかった」

と言いながら式部さんは、御簾を片手でひらりとめくった。

 簀子縁すのこえんに出てから、

「そういえば、『源氏の君の物語』の冒頭を書き始めたから、今日か明日にでも見に来るとよい」

とだけ言って、そのまま去って行く。

 まだ、状況を把握できず、ぼんやりとしている私に、国時さんは

「彼もあのように言うのだから、今日は私もこれで失礼するとしよう。綻びの場所についての話がまだ途中であったが、次からはきちんと文を送ってから訪れることにする」

と言って立ち上がる。

「文章生殿、未来から来た女性だからといって、手順をきちんと踏まなかったのは大変失礼をした。気付かせてくれてどうもありがとう。君とはよい友になれそうだ。では、美しい我が君、この思いのたけを和歌としてしたためますから、どうか待っていてください。また逢いましょう、香子殿」

 すっかりいつもの調子を取り戻して優雅に立ち去る国時さん。そして、後を追うように惟規さんも「見送ります」と部屋から出て行ってしまった。

 部屋に残されたのは、呆然とした私一人。

 これは、どういうこと?

 どこでこうなったのかわからないけど、いつの間にか、国時さんと……、そして式部さんにもフラグが立っていたっていうこと?

 なぜこのような事態になっているのか、私にはさっぱりわからなかった。

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