第11話 世界を救う代わりに私は物語を作るのです!

 国時さんを見送り戻って来た惟規のぶのりさんが、

「帰る手がかりが見つかって本当によかったですね」

と、日だまりのような笑顔を見せた。

 さらに、

「私には兄上のような漢籍の才もないですし、安倍天文生あべのてんもんしょう殿のような陰陽道の知識もなくて。香子さんのために何もしてあげられなくて、ごめんなさい」

とまで言うので、

「何を言うんですか? 私、惟規さんに拾っていただかなければ、きっとあのまま行き倒れていました! それを誤解からとはいえ、こんな好待遇で居候させていただいて。それに、国時さんを見つけて連れて来てくださったのだって、惟規さんじゃないですか!」

と、反論する。

 それは、お世辞でも何でもなくて、私が心から思っていることだ。

 なのに、どこまでこの人は謙虚なのだろう。

「こんな取り柄のない私にそこまで言ってくださるのは、香子さんぐらいですよ。ありがとうございます」

と、人の良さそうな笑顔を浮かべる。

「惟規さんは漢籍が得意じゃないって、自分では何度もおっしゃっていますけど、本当に苦手だったら、その……文章生になる試験には受からなかったんじゃないですか? それって、とても難しい試験なのでしょう?」

「いや、でも本当に小さい頃から兄の方が出来が良くて。覚えの悪い私は、兄と比べられていつも父に叱られてばかりでしたよ」

と、うつむく。

「生まれたときから、将来の職が決められているというのは、やはり辛いこともあるのでしょうね。私の時代では自分で職を選べますから。もちろん相応の努力は必要ですけれど。家を継がなくてはいけない人は、ごく少数でしょうね」

 たとえば、惟規さんの笑顔は人をほっとさせてくれるから、現代だったら、看護師さんとか介護士さん、保育士さんなんかが向いているのではないか。国時さんの天職はやはりホストだろうか。いや、きっと占星術の知識はたくさん持っていそうだから、タレント的な霊能者、もしくはイケメン占い師としてバラエティ番組に出まくるのもいいんじゃないかと思う。脳内で二人のコスプレ映像を想像して、クスリと笑ってしまった。

「どうしたんですか?」

と、惟規さんに不思議がられてしまったので、私は急いで話題を変える。

「そういえば、兄君の式部さんも、決められた道に進みたくなくて仕事をしていないんですよね?」

「あ、いえ、兄の場合は……実は、違うんです」

 無難な話題に切り替えようとしたところ、どうも誤った選択肢を選んでしまったらしい。惟規さんは、先ほど俯いたときよりも、さらに暗い表情で扇を閉じたり開いたりしている。

「ごめんなさい、何かいけないことを聞いてしまいましたか?」

「いえ……。香子さんは、寛和かんなの変をご存じですか?」

「カンナ……?」

 “藤原道長”“摂関政治”“荘園”の知識だけで平安時代生活三日目を乗り切ろうとしている私には、当然聞いたことのないものだった。

「ごめんなさい、わかりません」

「そうですか。先の世には、たいした政変とは伝わっていないのですね。実は、我が家は曾祖父の頃には中納言まで務め上げた家で、藤原北家の中でもそこそこの血筋。けしてこのような中の品に甘んじるような家ではなかったのです。寛和二年、いまから16年前まで、父は花山院かざんいん様の側近として、式部大丞しきぶのだいじょうという位についていました。このまま、花山院様の治世のもと、順調に出世していくと父自身も思っていたことと思います。ところが……」

 私はゴクリと生唾を飲む。

「花山院様はある日、突然、出家されてしまいました。騙されたのです」

「騙された?」

「ええ、いまの左大臣のお父上にあたる東三条大臣ひがしさんじょうのおとどに謀られたのです。東三条大臣は父の従兄弟でもあるのですが。その頃、花山院様は最愛の女御にょうご様が亡くなられたことで、とても心が弱っていらっしゃいました。そこに、東三条大臣はつけ込んだのです。息子である粟田殿あわたどのが、『退位し出家して、共に女御様の菩提を弔いましょう』と言葉巧みに誘ったのです。この粟田殿というのは、いまの左大臣の兄上です」

「それで、どうなったのですか?」

「花山院様は、粟田殿の奸計に乗って、内裏を出奔してしまわれました。そして、山科やましな元慶寺がんけいじで出家されたのです。共に出家すると言って元慶寺まで付き従っていた粟田殿は、『出家前に一度、父に挨拶をして参ります』と嘘をついて、そのまま逃げてしまったのです」

「それは……なんて、ひどい。花山院様だけ出家させて、自分は出家しなかったということですか?」

「はい。そして、そのまま東宮が即位され、いまのお主上かみの御代となったのです。東三条大臣はいまのお主上の外祖父に当たられますので、摂政関白として位人臣を極められました。一方で、それまで権勢を振るっていた花山院の外叔父であられた中納言殿は花山院と共に出家され、そのまま政界を引退することとなったのです。花山院の側近であった父も、式部大丞の官職から退くこととなりました。花山院の側近たちは朝廷から追いやられたため、父はその後十年もの間、任官することができませんでした」

 まるで小説かドラマのような当時の政変を初めて聞いた私は、驚きを隠せなかった。

 戦がないせいか、藤原道長という人はいとも簡単に天下を掴んだ人なのだと思い込んでいたのだ。たとえば、信長のように「天下布武!」を掲げて下克上目指し合戦に明け暮れていたわけでもないだろうし、家康のようにずるがしこく織田、豊臣がこしらえた天下餅を横から攫って食べたわけでもないだろうと。

 しかし、関ヶ原のような合戦がなかったというだけで、道長の父である東三条大臣という人は騙し討ちの政権奪取を行ったということなのだろう。

 現代で、大河ドラマや映画、小説の題材に好んで使われる時代は、やはり戦国時代や幕末だと思う。平安時代を舞台にしたドラマや映画は、それらに比べればずっと少ないだろう。“平安”というその時代の名前からしても、平和な時代だから、ドラマや小説にする題材があまりないのだと私は思い込んでいた。

 乙女ゲームや少女マンガ、女子向けラノベには、“平安時代っぽい”異世界を舞台にしたものはたくさんあるけれど、そこでは平安時代の本当の歴史は語られることはほとんどない。だから、私は知らなかったのだ。

「その当時、兄上は14歳でした。ちょうど貴族の子弟が元服し、出仕し始める頃です。しかし、父が実質、政界から干された状態だったため、そのままずっと邸の内でひとり学問を続けられました。私は父が越前守の官職をようやく得ることができた頃、まだなんとか十代でしたので大学寮に通い始めましたが、兄はもう24歳になっていたためか邸に籠もり続けました。本当は兄のように優れた者こそ、政治の場でその才を発揮するべきだと思うのですが」

「それで、いくら学問ができても出世できない、それなら物語を作って世の中をあっと言わせてやるという思いを強められたんですね」

「おそらく、そうだと思います」

 ただの引き籠もりのニートだ! なんて、誤解してごめんなさい、と、心の中で式部さんに謝る。

 これが政治というものなんだと言われたら、私は何も言えない。それに、現代でも真に優れた人が政治を動かしているかどうかと言えば、すぐに首肯するのは難しい。

 ただ、式部さんも、惟規さんも、国時さんも、本当に自分のやりたいことをやれているようには思えないし、それぞれに何らかの不満だったり野望だったりを抱いているのではないか。

 式部さんが、父君の直前の官職である“越前”ではなく、10年以上前の官職の“式部”と呼んでほしいと言ったのも、もしかしたら式部さんなりに、前途洋々たる時代の名前を使いたいというこだわりなのかもしれない。父君が失脚しなければ、呼び名などではなく本当に“式部大丞”などの官職について、働いていたかもしれないのだから。

 ああ、これがゲームの中だったなら、と私は歯がみする。

 たとえば、私がゲームの主人公で時空をもっと自由に跳躍する能力を持っていたなら、過去に戻って、式部さんの父君の失脚を回避するIFルートに入れるよう画策することもできたかもしれないのに。

 それとも、国時さんの教えてくれた月蝕が起きる日、一条戻橋で「現代に帰ること」ではなく「寛和の変の起きる前に戻ること」を選択すれば、父君の失脚を防ぐこともできるのだろうか。

 いや、でも……。

 万が一、そこで歴史を変えることができたなら、いまの式部さんや惟規さんに出会うことはもう叶わないのではないか。これは、私のエゴイスティックな思いだけれど、それは避けたいと思ってしまうのだ。

 とりあえず、いまの私にできることは何だろうか。少ない知恵、でも妄想なら誰にも負けないと自負する頭で一生懸命考える。

 そう、やはり妄想だ。

 私に歴史を変えることができなくても、式部さんと約束していた物語作りの中だったら、みんなの願いや思いを盛り込むことができるのではないだろうか。

「この物語は実在の人物や団体とは関係のないフィクションです」と言ってしまえば、なんでもできるはず!

 イデオロギーを振りかざすような物語を作るつもりはないけれど、どうせ偉い人に提出する物語なら、みんなの望んでいた未来やいま抱えている不満をこっそりフィクションとして盛り込めばいいのだ。そもそも、現代で私たちが小説を書いたり、マンガを描いたりする原動力だって、「現実の私には到底できないけれどやってみたいこと」をフィクションの中で実現させることではないだろうか。

 そして、式部さんたちの思いが、この時代の人たちに少しでも伝えられたらいい。そんな物語を作るお手伝いなら私にもできるはずだ。

「惟規さん、私、十五日までやることは特にないから、お兄さんの物語作りを徹底的に手伝います!」

と 握り拳に力を込める私を、惟規さんは不思議そうに見つめていた。

 なぜ、急にやる気が出たのかわからないせいだろうが、それでもいい。

「ものすごくいいアイデアが浮かんだんで、ちょっとお兄さんの部屋まで行ってきますね!」

「あ、あいで…あ? え?」

 戸惑いがちに私を見つめる惟規さんに挨拶をして、私は御簾の外へと飛び出した。

 帰る手がかりがうっすらとでも見えてきたいま。現代に帰るまでの間、居候させてくれている家の人たちに少しでも恩返しがしたいんだ! と私は決意を新たにしたのだった。

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