第4話 礼儀正しく自己紹介したらブチ切れられたんだけど何が間違っているのか教えてほしい
修学旅行先のホテルのベッドってこんなに硬かったっけ?
なんだか、背中が痛い。そして、すごく寒い。
そう思いながら、ぼんやりと目を開く。私の周囲にはリゾートホテルにあるような、でも和風テイストの豪華な天蓋が設えてあって、これならベッドもフカフカで当たり前なのに、なぜこんなに身体がミシミシ悲鳴を上げているのだろう。
その疑問に答えるかのように、天蓋の外から女性の声が聞こえてくる。
「姫様、お目覚めになられましたか?
私はまだはっきりしない頭で、昨日からの一連の出来事を思い出した。
夢オチということはかったようだ。そして、残念ながら目覚めたら現代に戻っている、ということもなかったらしい。
いまも私は、おそらく平安時代の貴族の邸の中にいる。
半身を起こし、自分がどんなところに寝ていたのかを朝の光の中であらためて見て、これは身体が痛くなっても仕方がないなと納得した。
貴族と言ったら、ふかふかの布団にくるまっているのではないかと思っていたけれど、私が寝ていたのは畳の上にシーツらしき布が一枚敷かれているだけ。枕も小さくて硬い畳のようなものしかない。どうりで首も寝違えたように痛いはずだ。でも天蓋の外は、全面フローリング、板張りの床だから、きっとこの畳は高価なもので、これがベッド代わりなんだろう。まあ、現代でも畳ベッドなんてものが商品化されているぐらいだから、これも実は健康にいいのかもしれない。
しかし、掛け布団らしきものがないのには驚いた。私が布団代わりにしていたのは、どう見ても十二単の一部、着物にしか見えない。友達の家にみんなでお泊まりして、おしゃべりしているうちにうたた寝してしまい雑魚寝になったとしても、もう少しいいものを掛けてもらえるのではないだろうか。これでは寒いはずだと納得する。
現代の感覚からすると、布団すら与えてくれず畳に雑魚寝状態を強いられたように見えるけれど、絹の布が四方に垂れ下がっているやけに豪華な天蓋を見るに、これが貴族の標準的な寝具なのではないかと思う。
天蓋の布をめくって、寝台の外に出ると、水の張られた洗面器ぐらいの大きさの容器が置かれていた。「手や口をすすいでください」と先ほどの女性が言っていたけれど、その容器は我が家だったら正月に雑煮を食べるときにしか使わないような高価そうな黒い漆器で、雅やかな金の模様まで外側に施してある。博物館に飾ってありそうなこの器を、洗面器として使ってよいものだろうかと正直迷う。だが、昨夜は転んでしまったような気もするし、正直汚れは落としたいので、好意に甘えて手や顔を洗うのに使わせてもらった。
洗顔が終わった頃を見計らったかのように、先ほどの侍女らしき人が再び部屋に入って来て、テキパキと盥を下げると、当然のように昨日の装束を着付けくれる。どこかの姫君と間違われていて本当によかった、と思う。これをもう一度自分で着なさいと言われても絶対に無理だ。振り袖だって一人では着られないんだから。
そして、十二単着付け体験で担当してくれた着装師さんはさすがプロだなとその手際に感動したものだけれど、本物の平安時代の人とはさすがに比べものにならないことがよくわかった。あっという間に身支度が終わる。
「あの、昨日私を助けてくださったご兄弟にあらためてお礼を申し上げたいのですけれど」
「文章生様はもう内裏にお出かけになられました。一の君様でしたら、後でご案内いたしますが、その前に……姫様、化粧はどうなさいますか?」
と、言って微笑む侍女の歯は真っ黒だった。
これが、お歯黒というものか。なぜ、昔の人たちはこれを美しいと思ったのだろう。寝台以上に感覚がずれまくっていると思う。
「大人の女性でしたら、化粧してからご挨拶に行くべきかと思いますよ」
と、真っ白いおしろいのついた筆を手にして、やる気満々のように見える。このままだと眉毛まで抜かれそうな勢いなので、
「私はまだ子どもなのでこのままでいいです」
と言って、丁重にお断りした。
朝食を済ませてから、女装兄君の部屋を訪ねる。
今日も昨日と同じように、御簾の中に入れてもらい、几帳を挟んでの対面となった。
昨夜は遠くにある小さな炎ひとつでほのかにしか見えなかった顔が、朝日のもとはっきりと見える。昨日は暗いから格好良く見えただけかもしれないと思ったけれど、明るいところで見ても、やはり、無駄にイケメンだった。無駄にというのは、もちろん女装しているからだ。
とはいえ、引き籠もりオタクという点に関しては、リア充よりもよほど自分と近い空気を感じるので、その美貌が隠されてもったいないと思いこそすれ、気持ち悪いとは感じない。これなら、きっとうまくやっていけるだろう。
そして、これから一緒に創作活動をしていくのだから、昨日のお礼も含めきちんと挨拶しておくのが礼儀というものではないだろうか。
私は几帳から出て、女装兄君の前まで移動すると、扇を置いて姿勢を正し三つ指をついた。
「昨日はご親切にどうもありがとうございました。これからお世話になります、私は
深々と礼をして、そろそろいいかなと思い顔を上げる。
すると、兄上の顔は、サウナに小一時間ぐらい入っていたのではないかというぐらい真っ赤になっていた。
「……何を……、私に、私に……妻問いをせよと言うのですか!?」
「ツマドイ?」
言っている意味がわからない。
「どういうことですか?」
「そのように名前を名乗って、顔を私に見せるなど、あなたを私の妻にせよ……と言うこと……です……か?」
言いながら恥ずかしくなったのだろうか、扇で顔を隠しながら下を向いて、語尾は消え入るようにどんどん小さくなっていく。
しかし、いきなり妻とは。何と突拍子もないことを言い出すのだろうか。
「あの、自己紹介しただけなんですけど。兄上のことは、何とお呼びしたらよいですか?」
「それを答えたら……。あの、
扇の向こうに、ちらりと見えた耳まで真っ赤になっている。
どうやら私は決定的な間違いを犯してしまったらしい。この時代で、本名を教え合うというのは、結婚するということに繋がるらしい。
「『万葉集』にあるでしょう。有名な妻問いの歌が。
“
兄君は突如、『万葉集』の歌を暗唱しだしたようだけれど、なんだか呪文を唱えられているようで、意味なんてまったく頭に入ってはこない。
「いや、『万葉集』も『古今集』も知っていますが、そんな全部の歌を暗記なんてしていなくて、ましてや意味までとか無理で」
「『万葉集』の一番最初に載っている歌ですよ!
言いながら私のあまりのバカっぷりにとうとう怒りを覚えたのだろうか、先ほどは消え入るようだった口調がだんだんと激しくなってくる。
真っ赤になっていたときは、ちょっとかわいいなんて思ってしまったけれど、やはり怒ると男だけあって迫力がある。
そんなこと言われても、平成の世では、そんなの暗記しているの常識じゃないもの!
と、言い返したいけれど、ここを追い出されたら路頭に迷うのは確実だし、そもそも男性とこんなに顔を近づけて話す機会がほとんどないので、既にここまでで燃料切れなのである。
急に男らしく怒鳴られると、やはり男性なんだと意識して恥ずかしくなってしまう。
私は思わず顔を背けた。
すると今度は、兄君の方から顔を近づけてきて、あろうことかなんと私の襟元に鼻を突っ込んだのだ。
「ちょっ、何を!」
そのまま、鼻をヒクヒクとさせて犬のように私の臭いを嗅いでいる。
こんなに男性と近づいたのは初めてのことで、心臓がドキドキというか、バクバクいっているのが自分でもわかる。
「やめて、何するの? 変態!」
さすがに耐え切れなくなって、精一杯の力を出し兄君を押しのけた。
「何か変だと思ったんですよ。あなた、そんなに上等な絹織物の装束を着ているのに、どうして香を
この兄君は、引き籠もって勉強ばかりしているだけあって、頭がとても切れる方だったらしい。名探偵もかくや、という推理ぶり。
荒波が飛沫をあげる海を見下ろしながら、崖っぷちに立って「そうです、私がやったんです。この連続殺人事件の犯人は私です」と言ってしまいそうな勢いだ。
ああ、私はいきなり大失敗を犯してしまったのかもしれない。
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