第3話 攻略対象二人目と出会ったようですが、私は世界を救わなくていいのでしょうか?

 私はおそらくものすごくいい人に拾ってもらったのだろう。

 車に同乗させてくれた男の人は、

「私は大学寮に通う文章生もんじょうのしょうですが、私よりも兄上の方が才がありますので、もしよろしければ拙宅までいらっしゃいませんか。姫君にはあばら屋に見えるかもしれませんが、二条辺り、鴨川の近くにございます」

と言って、そのまま自宅まで連れて行ってくれた。

 ところどころわからない単語は含まれていたけれど、おそらく大学生で鴨川の近くの家に来ませんか、と言っているのだろう。

 もちろん、現代でこのような誘い文句を言われたら、何をされるかわからないと思って「結構です」と断っていた。私にもそれぐらの分別はある。

 だが、ここでは、この時代では、本当に頼るものがない身なのである。

 そう、たとえ、この人が貴族のふりをした盗賊だったとしても。

 付いて行かずにこのまま夜の道にぼーっとしゃがみこんでいたなら、きっとまた別の夜盗にかどわかされるだけだろう。いや、いきなり後ろからザバーッと刀で斬られ、殺されてしまうかもしれない。

とにかく、この人に付いていかなければ、このゲームが詰んでしまうであろうことは明らかだ。

 そして結果、招待してくれた家は、どこがあばら屋だと突っ込みたくなるような豪華な邸宅だった。昨日のグループ行動で観光に行った京都御所のような造りで、いくつかの建物が廊下で繋がっているようだ。

 外側からは、車の周りに付き従っていた男たちの持つ松明の灯りによって照らされているため、なんとか邸の形ぐらいはぼんやりと見えていたけれど、家の中に入ると当たり前だが照明器具ひとつない。先導してくれる女性の持つ灯りひとつが頼りなので、闇に慣れていない現代人の目にはほぼ真っ暗闇に等しい。その女性が手にしているのは、油の入った小皿のようなもので、そこに浸された芯に火が点されている。なにしろ、キャンドルひとつの灯りで先導してくれているようなもので、スマホの懐中電灯アプリの明るさに慣れてしまっている現代人には、転んでしまいそうで先に進むのが怖いような暗さなのである。さらには、この着慣れない長袴とかいうボトム。これがまた、ズルズルと後ろに長く布が引き連れて、余った布を踏んでしまいつんのめりそうなのだ。

 まるでダンジョン探索かというような長く暗い廊下を歩き続け、「才がある」という兄上の部屋にたどり着いたときには、私はもうヘロヘロな状態になっていた。

「大丈夫ですか、姫君。兄上、実はこちらの姫君が、夜盗に襲われてしまったのか物の怪に拐かされたものか、四条辺りの道に倒れていたところに出くわしたものですから、我が家にいらしていただいたのです。お送りして差し上げたかったのですが、どうやら記憶を失ってしまったようで、どこの姫君なのかわからなかったもので」

「わかりました。それは大変ですね。姫君にそんな簀子縁すのこえんに座っていただくのは失礼でしょう。中に入っていただきなさい。本来なら御簾越しに対面すべきですが、几帳きちょうを用意させますので、ご無礼ながら今日のところは几帳越しでもよろしいでしょうか」

 ああ、声は理知的で、指示もテキパキとしていて、なんだか素敵な方かもしれない、攻略対象二人目との出会い? などと、ヘロヘロながらも妄想だけはしっかりとしながら、部屋の中に入れてもらう。

「姫君、ではこちらの几帳の向こうに」

言われるがまま、几帳とかいう布でできた衝立のようなものの向こうに座ろうとしながら、好奇心に耐えきれず扇の端から、チラリとその声の主を盗み見た。

「え……!?」

 確かに声は男性なのだけれど、着ているものは私が十二単体験で着せてもらった装束と同じようなもので……つまりは、いまの私と、女性と同じような……というか、女性の格好をしている!?

「あの……兄上……とおっしゃっていましたよね?」

先ほどの親切な男性に視線を向けると、彼は決まり悪そうに私とは目を合わせないよう逆側を向く。

「はい、兄上……です」

「男のなの!?」

 思わず声に出てしまった。

「兄は、間違いなく男です」

意味は通じていなかったようだが。

「兄上、またそんな格好を……」

と、ボソボソと呟いた後、言い訳のように

「でも、私より才があると言ったのは本当のことなのです。こんな格好をしているので、説得力に欠けるのはわかっていますが、漢籍だって私よりもはるかに詳しく、兄上なら文章生どころかもう文章博士になっていてもおかしくないぐらいなのです!」

 優しい弟の弁明にため息をつきながら、女装の兄上は口を開いた。

「まずは、お座りください、姫君。ご身分のある女性がずっと立っているなど、はしたないことですよ」

 身分があるであろう男性が女装をしているのは問題ではないのだろうか、と思いながらも私は言われるがままに几帳を挟んで、兄弟と対面するような形で腰を下ろした。

「私のこの格好には理由があるのです」

 きっと、何か深刻な理由でもあるのだろう。たとえば、女装していないと物の怪に取り殺されてしまうとか、女性として育てろと神仏のお告げがあったとか、昔の人だから現代の私からは想像もつかないような理由があるに違いない。

「貴族の男性に生まれたなら、誰でも元服してすぐに出仕しなければなりません」

 これから深刻で凄惨な打ち明け話が始まるのだろうと、私は真顔を作り、姿勢を正し、真剣に聞いていることを態度で表した。

「私はそれが嫌だったのです」

 え……それって、働いたら負けっていうこと?

「大学寮に籍はあったようなのですが、家に籠もって一人で漢籍を読んでいた方がよほど勉学になります。そのように、日がな一日、家から一歩も出ずに、好きな漢籍を読みふけり、漢詩を作り……そんな日々を続けているうちに、世間は私のことを実は女性なのではないか、と噂するようになりました」

 え……家に籠もってって……それって、やはりニー……。

 何かいま、働いたら負け的な言い訳が聞こえてきたような気が……。

「さらには、前越前守さきのえちぜんのかみのご長男は亡くなられたという噂までが都に流れ出しましてね。前越前守とは父のこと、その長男とは私です。実際、亡くなったのは姉だったんですけれど。生き残っているのは、女子の私と男子の弟ということに世間的にはなってしまったようで。ただ、どこから漏れるのか、前越前守の娘御は漢籍が得意な才女らしいという噂が一人歩きし、最近では中宮様の家庭教師として出仕してほしいという話まで持ち上がりましてね。今更、生き残っているのは男子の方ですとは言えず、女子のふりをして家に籠もり、出仕の件は断り続けているというわけです。困ったことになりました」

 それって、やはりニー○の言い訳にしか聞こえないような……。

 現代ならアキバとかにいそう? いや、私も人のことを言えない、池袋に入り浸っているような人間ですが……。

 いったい、どんな容姿なの? やはりデブで脂ぎってたりするの?

 なんて、失礼ながらその容姿に興味が湧いて、几帳越しにチラッと兄君の顔を品定めする。

 あれ……? 太っているどころかむしろスリムなのではないだろうか。家から出ないせいか色白で……、そして無駄にイケメン。イケメンと言っても、貴族だからだろう、濃い顔系のイケメンではなく、現代なら歌舞伎役者にいそうな、涼しげな切れ長の瞳が印象的な細面のイケメンである。

 私がアホみたいに見とれていることに気付いたのか、兄君は私の方を向いて、

「何か?」

と問う。

 リアルでイケメンと口を聞く機会に恵まれていない私は、咄嗟に言い訳もできず扇で顔を隠して下を向いた。それが、偶然にも当時の身分ある女性の仕草のように映ったのだろう。

「やはり、記憶はなくとも身分ある姫のようですね。私のことを変わり者だとお思いですか。しかし、いくら漢籍が得意だったところで、学問で身を立て出世できる世はもう終わってしまったのです。菅公かんこう……菅原道真公の時代とは違いますから、いまはもう大臣になれる家柄は最初から決まってしまっています。漢語が話せたところで、遣唐使が廃止されたいまの世では、大陸に行くことも叶わず鴻臚館こうろかんで通詞をするぐらいしか使い道がありません。ならば、このまま女性のふりをして物語でも書いて世の中をあっと言わせた方がよいかと思ったのですよ。貫之つらゆきのように」

 ……あ!

 年号を尋ねたら“チョウホウ”と言われて、いったいいつの時代かと思っていたけれど、いま歴史の授業で聞いたことのある名前がいくつか出てきた!

 菅原道真、遣唐使……。確か、平安時代の歴史として習ったはず。そして、貫之っていうのは、女性のふりをして土佐日記を書いたと古文の授業で習った気がする!

 ということは、いまはそれよりも後の時代ということか。

 そんな私にとっての大発見には気付きもしないようで、兄君の言い訳はまだ続いているようだ。

「そして、日がな一日机に向かい、世間を驚かすような物語を書こうとしているのですが、なかなかその……筋立てを考えるのが難しく……。ただ、そうこうしているうちに、前越前守の娘が『落窪』や『竹取』よりも面白い物語を書いているという噂ばかりが都に広がって……。大臣おとどからは、中宮のもとに出仕するときには、是非その物語を持ってくるようにと言われているのですが……」

 これは、もしや「明日からは本気出す」系のよく聞く言い訳ではなかろうか。

「やはり、女性向けの物語が思い浮かばないのは、私が男だからだと思うのですよね。ですから、もしよろしければ姫君が何かご自分のことを思い出されるまでの間、拙宅に滞在して、いろいろと物語のことなど語り合えたならと思うのですが、いかがでしょうか?」

「……えっ!?」

「ちょっと、兄上、いきなり何を……姫君は記憶をなくされて大変なのですよ! ここは、加持祈祷を頼むべきところではありませんか? それを兄上の面倒を押しつけるような……」

 いきなりこっちに矛先が向いて驚いたけれど、よくよく考えると悪い話ではない。

 私は、この時代に何の拠り所も持たないわけで、この一家に見放されたら、路頭に迷ってしまうわけだ。そして、弟君は心配してくれているが、物語を作るのは、私にとってはお手の物、ときている。二次創作で、趣味の範疇ではあるが、好きなゲームやアニメの小説をふだんから書いているからだ。

 タイムスリップをしたら、

「この世界を救いなさい」

とか、

「乱世を収めてください」

とか言われて、いきなり物の怪を退治したり、戦の場に駆り出されるものかと思っていた。

 それが、家の中に籠もって、物語のアイデアを女装はしているが一応イケメンにレクチャーするだけでいいだなんて、なんて私にとって都合のいい話なんだろう!

「やります」

「えっ……!?」

 弟君の方は予想外の展開に驚いているようだが、兄上の方は嬉しそうに頷いている。

「そんなことでいいのなら、いくらでもお手伝いさせてください」

 妄想は得意中の得意ですから。

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