第1話 タイムスリップしたみたいなんだけどどこの時代なのかさっぱりわからない件
そもそも、なんで現代人の私が平安時代で貴族の生活をすることになったかというところから説明しようと思う。
事件が起きたのは、高校の修学旅行の四日目。奈良・京都を四泊五日で巡るという旅程の最後のお楽しみともいえる、京都での自由行動の日だった。
「京都ってレイヤーの心をくすぐる街だよね~」
私は友達の奈々美と一緒に、朝から花魁になったり、舞妓になったり、心ゆくまでコスプレを楽しみ、スタジオで写真をたくさん撮ってもらった。京都には、着物をレンタルするだけではなく、舞妓や芸妓、花魁の衣装を着付けて、いかにもな背景をしつらえたスタジオで写真を撮ってくれるお店がたくさんある。撮影だけではなく、舞妓さんになったまま、近くを観光できるプランもあるぐらいだ。
そして、最後のしめは一番のお楽しみ、十二単の着付け。これは、まだ着付け体験できるところが少なく、高価なところも多いせいか、まだあまりメジャーではない。
しかし、京都といえば、やはり平安で雅なロマンを楽しみたいもの。はずせないだろうということで、奈々美と相談して予約しておいたのだ。
「十二単というのは通称で、女房装束、裳唐衣などが正式な名称なんですよ」
と、着付けをしながら説明をしてくれる着装師さんも、舞妓や花魁体験のお店とは違って、ベテランのオーラが漂っている。
白の小袖に濃い小豆色の長袴。これだけでも、現代人の私たちにとって「着物を着てる!」って感覚で外に出て行けそうなのだけれど、実はこれ、まだ下着の段階なのだそうだ。
「この上に、
ただ重ねるだけではなく、一枚羽織っては胸のところを紐で固く結び、次の一枚を羽織ったら下の紐はほどいてしまう。それの繰り返しだ。
五衣の時点で、もう七枚の重ね着になっていて、かなりの重量にクラクラしてくる。
「本格的だね~」
「こんなに重ねるんだね」
「五衣が五枚と決められたのは12世紀頃のことで、その前はもっと重ねて着てはったそうですよ。十数枚重ねた方もいはったとか」
という、着装師さんの説明に、
「そんなに着たら歩けないよね」
「無理、無理」
と、私たちは笑った。
そして、五衣の上には、さらに
「さあ、できあがりですよ。お二人とも、綺麗にならはって。写真撮りますからね。足下にお気を付けて、ゆっくりとこちらに歩いて来てくださいね」
ああ、これはすり足にならざるを得ないなと思いながら、一歩一歩ゆっくりと前に進む。
「そこ、スタジオ入るのに段差がありますから、お足下気をつけて」
「はい!」
と声だけは元気よく答えたものの、帰宅部の私の体力は既に限界点を超えていた。
つま先だけはほんの少し上げることができていたはずだが、私はものの見事に段を踏み外してしまった。さらに、腰に付けられた裳や鬘がどうにも重くて、脳貧血を起こしたときのように、身体が後ろに後ろにと引っ張られて行く。
「
奈々美の悲鳴がなんだかすごく遠くに聞こえた。
そして。
私はそのまま、どんどんと落ちて行く。
あれ、どうして床に身体がつかないの? 私が踏み外したのは昇り階段の一段目だったはず。なのに、どうして私の背中は、いつまで経っても床に届かないのか?
目の前が暗くなったのは、私が気を失ったからなのか。
いつの間にか、右も左も上も下もわからない、真っ暗闇の中に私はいた。
暗闇の中を、下に下に落ちていくのだ。
いや、上も下もわからないのだから、落ちて行くというのも間違った感覚かもしれない。
もしかして、私は階段を踏み外して死んでしまったんじゃないだろうか。これは、あの世へのトンネルなのかもしれないとも思う。
そして、どれぐらい時間が経ったのだろう。五分かもしれないし、一時間かもしれない。
突然、私の背中に地面の感触が確かに感じられた。
地面……そう、建物の中ではない、しかしアスファルトでもない、砂か砂利のようなところに私は横たわっている。
そして、天空には夜空が広がっていた。
夜空、ということは、やはり相当の時間が経過してしまったのだと私は悟った。きっと、途中で気でも失っていたのだろう。階段を踏み外したのは、確かにまだ夕方だった。
しかし、何かがおかしい。
昨日の夜も京都に止まったけれど、こんなにたくさん星が見えていただろうか。まるで天の川が全天に広がったかのような星空。相当な田舎にでも行かないと見られないであろう星空が上空に広がっている。
首をひねって、辺りを見回してみるが、大きなお寺の塀のようなものが左右に広がっているし、そんな田舎にいるとは思えないのだけれど。だいたい、階段を落ちただけで、京都から田舎に移動するなんてありえない。だから、星空のことはきっと私の勘違いなのだろう。確かにものすごく落下したような覚えはあるけれど、どんなに落ちても地球の裏側に行くことはないのだから。だいたい、地球の裏側だとしたらここはブラジルだ。
とにかく、起き上がってここがどこなのかを確かめて、道を聞いてホテルに帰らないと。
携帯は十二単に着替えるときに、バッグの中にしまったままだから、GPS機能は使えない。メールで連絡もできない。
私の腹筋力では、十二単を着たまま仰向けの姿勢から起き上がるのは難しかったので、寝返りをうつようにして横向きになり、腕の力を使って少しずつ身体を起こすことにした。
しかし、暗い。
東京に比べて、なんて暗い街なのだろう。
ユネスコの世界遺産に指定されると、こうも古い街並みを守らなければいけないのか。街灯のひとつも見当たらないし、車のヘッドライトも何も見えない。
本当にド田舎にテレポートしてしまったんではなかろうかと不安になってきた頃、遠くから牛の鳴き声が聞こえた。目をこらすと牛と、その横には松明らしきものを持った男性たちが何人か歩いているのが見える。
ああ、ド田舎決定か。
とはいえ、落ち込む前にまずここがどこなのかを確かめなければならない。
私は半身を起こした状態で、数十メートル先からやって来る人たちに向けて声をかけた。
「あの~、すみません」
牛と人の隊列が止まる。数人で何か相談をした後、松明を持った一人が後ろに走っていくのが見えた。
やばい、こんな道に横たわっているなんて不審者扱いされて、通報でもされるのだろうか。
しかし、その一人は牛からそんなに離れることはなく、せいぜい一メートルか二メートルほど、後ろへ移動しただけだったようだ。
ようやく暗闇に慣れてきた目で、その男の周囲を見ると、牛の後ろには御神輿のように豪華な箱のようなものが繋がれている。荷車にしては豪華過ぎる。まさか、これは『陰陽師』とか平安時代もののマンガでよく見る“牛車”ではないだろうか……。
そういえば、松明を持った男の着ている服も、まるで昔の人の服装だ。神社で働いている人なのかと思っていたけれど、さすがに松明というのはおかしい。
映画村にでも紛れ込んでしまったのではないだろうか、などとあれこれ考えているうちに、先ほどの後ろに移動した男が、今度は私の方に走って来る。
そして、私の近くまで来ると急に跪いて、その姿勢のまま
「姫君」
と、言った。
姫君? 誰?
周りを見回す。私の他には、その男しかいない。
「大変失礼ですが、我が主が姫様をお宅までお送りしましょうかと申しております」
相変わらず平伏した状態なので、目線の先はわからないけれど、まさか私のことを姫君と呼んだのだろうか。
「どういう事情かは存じませんが、その見事な唐衣から察するに、やんごとないご身分の姫かと存じ上げます。ご無礼ではございますが、お力になれればと主は申しておりますが」
私はいまだ重くて立ち上がれないまま、あらためて自分の着ているものを見下ろした。
確かにレンタルではあるけれど、絹のとても素材のいい織物を使っていると説明はされた。しかし、それだけで“姫君”なんて呼ばれるのだろうか?
否、現代ではそんなことはありえない。
なら、ここは? まさか。
「あの、今は何年ですか?」
男は、私の突拍子もない質問にあまりに驚いたせいだろうか、平伏していた頭を上げて、目を丸くしながら答えた。
「え……、
チョウホウ四年? 聞いたことがない。
現代でないことだけはとりあえずわかった。
「それは、西暦で言うと何年?」
「セイレキ……? とは、星の暦か何かでございましょうか。私どもにはわかりかねますが、後で主に陰陽師を呼ばせますか?」
ありえない、ありえない。
いや、確かに乙女ゲーやマンガでは定番の展開ですよ。
タイムスリップ。
しかし、そんなことが私の身に起こるなんて。
そして、タイムスリップしたようだけれど、そこがいったい何時かがわからないなんて!
タイムスリップした主人公たちは、どうしてみんなタイムスリップした先がどこで何時代だってすぐに把握できていたのだろう。
私の脳内ボキャブラリーには、「チョウホウ」なんて存在しないのだ。
どうしよう、どうしよう。
「……わからない……」
「姫様?」
「送ってもらいたいけれど、帰り方がわからない……!!!!」
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