第6話 アイツって誰です?

 遅れて訓練場へとやってきた飛鳥は、地獄を見た。


 遅刻の理由が寝坊と言う事もあり、スポーツウェアを着込んでいた榊原薫は明らかに冷めた表情でトレーニング表を渡してくる。

 だがその表情の裏には、明らかに怒りが潜んでいると飛鳥はわかっていた。

 なぜほぼ初対面に等しい女性のことがわかるのか?

 それはトレーニング表に書かれているからである。

 無論、私怒ってますなどと馬鹿正直に書いてあるわけではない。

 そのトレーニング表の内容と言うのが、地獄だったからである。

 飛鳥が最初に行う訓練と言うのは、重りを高さ百メートルの所から連続で落とされ、それを全てキャッチすると言う物であった。

 その重りを見た所、飛鳥には鉄球にしか見えなかった。


「あ、あの? これ本当にするんです? 危なくありません? 死んじゃうんじゃありません?」


 飛鳥は高い台の下に立ち、上を見上げながら薫に問いかける。


「私や他のハンターもやっていることですので」


 薫は百メートル上の高台に立ち、鉄球を軽々と持ち上げていた。その顔はとても楽しそうに笑っていて、飛鳥はそれがなんだか恐ろしかった。飛鳥にはそれがまるでいじめっ子の様な笑みに見えたのだ。


「それじゃあ行きますわよ」

「……了解です」


 だが、そういった私情などは関係ない。

 DHアーマーを装着するハンターは過酷な訓練をすると飛鳥は泰造から話を聞いていた。

 なら、自分もTDGの職員立に一ハンターと、認められるためにはここでの訓練をこなすしかないのだ。

 飛鳥は意気込んで、鉄球を受け取る姿勢に入った。


  ○


 結果は惨敗だった。

 トレーニングで惨敗とはどういう事なんだと言う人もいるかもしれないが、飛鳥にとっては惨敗だったのだ。

 最初の内は鉄球を取れていたのだが、段々と取りこぼしていき、最後には、顔面に鉄球が当たるという珍事を引き起こした。

 オペレーターである沖野さんに軽い手当はしてもらったが、すぐにトレーニングは再開された。

 今度は薫の番で、飛鳥が投げつけるという役に回った。

 だが飛鳥には、化け物である自分が鉄球を投げつけて、人間が無事で済むのか? という疑問が浮かび上がった。

 なので、最初は少し遠い所にできるだけ軽く落としたのだが、いとも簡単捕まれてしまう。


「もっとまじめにやってくださらないと、お遊びにもならないのですけども?」


 更には淡々とした表情で煽られてしまう始末。

 なので段々と力を込めて投球していったのだが、どれもこれも難なく受け止められてしまった。

 全速力で投げた鉄球でさえも、薫は余裕の表情を浮かべて掴んだ。

 アンタの方が化け物じゃないのか? と飛鳥は疑いたくなるレベルである。

 その後も様々なトレーニングを行ったのだが、全てにおいて薫が飛鳥を上回っていた。

 飛鳥が人間体とはいえ、あまりにもお粗末な結果である。


  それが、ここ数日の訓練の光景だった。


 その訓練の事を思い出しながら、飛鳥は自分の個室で昼食をとっていた。

 食堂で好きなモノを食べられるらしいが、飛鳥はとりあえず何か味のするものを探すという事で、用意された物を食していた。

 用意されたものも味はせず、こういった楽しみも感じられずにただただ口に運ぶだけである。簡単とはいえ、この後のアンケートをするのも気だるく思っていた。

 肉体的な意味ではなく、心がすり減るように疲れてしまい溜息を吐く。

 初日で弱音を吐こうとは思わないが、溜息ばかりは仕方がないと飛鳥は自分で自分を納得させる。


「え、えっと、大丈夫ですよ飛鳥さん! きっと飛鳥さんがすぐに追い抜きますよ!」


 落ち込んでいる飛鳥の傍には、懸命に励まそうとする沖野の姿があった。

 彼女は手作りらしきサンドイッチを食べており、飛鳥にはそれが美味しそうに見えたが、自分に味はわからないので欲しいなどとはい思わないし言わない。


「……うん、ありがとう沖野さん」


 どこか疲れた笑みで飛鳥は返事を返す。

 それが沖野には自分の励ましが足りていないと感じたのか、他に自分が何か言えることはないかと思考を巡らせる。


「榊原さんは人間ですけど、飛鳥さんはディザスカイですから!」


 それでとっさに出てきた言葉がそれだった。

 言った瞬間、しまったと口を押える沖野。

 だがそうしたところで、出てきた言葉は口の中に戻っては来やしない。

 その言葉はしっかりと飛鳥の耳の中に入っていった。

 端から見れば飛鳥がディザスカイだという事は繊細な問題であり、彼自身もうあまり気にしてないと感じていても、心の優しい人間は傷ついたのではないかと気を使ってしまうのだ。

 飛鳥もきちんとそれは分かってはいるが、それでも初対面の人間が思う自分の取り柄が、人外であるという発想に至ってしまうのが何だか悲しかった。

 化け物になったことで、自分の個性まで削り取られてしまうのではないかと言う不安が飛鳥を襲う。


「…………うん、そうだね」


 けれど、飛鳥は優しく頷いた。

 彼女が心優しく空回りがしやすい人間だというのは、接してきてわかってきた。

 ならここで無理に怒ったりしても、沖野を傷つけてしまうだけだ。


「ええ、ああ、その……!」


 沖野も自分の失敗と飛鳥の優しさに気がついたのか、どうにかフォローしようと口をたどたどしく動かしている。

 しかしここで撤回しようとしても、それはそれでおかしなことになってしまう。

 飛鳥がディザスカイであり、人間ではないことは紛れもない事実だからだ

 そうして沖野がどうにか飛鳥を励まそうと考えている間に、飛鳥は食事を終えてアンケートも書き終っていた。


「先に訓練場戻ってます」


 そう言って部屋を出る飛鳥。

 沖野は間抜けな声を出して、残りのサンドイッチを口に放り込んで一緒に行こうとしたが、飛鳥は気にせず先に行ってしまう。

 飛鳥としては少しでもいいから一人になりたかったので、ゆっくりと食べていて欲しいと思った。


  ○


 訓練場への道を飛鳥が歩いていると、廊下の角の先で榊原薫と一人の男が設置されているベンチに座って話しているのが聞こえた。

 飛鳥の記憶が正しければ、その男の名を斎条将人といい、榊原薫のオペレーターを務めている男である。訓練時に手伝いに来ていたのを飛鳥は覚えている。

 結構な距離離れているはずなのだが、ディザスカイになった影響か嫌でも話の内容が入ってきた。

 嫌だ、聞きたくない、と耳を塞ぐが、それでも話は耳の中に入ってくる。


「まったく、張り合いがありませんわね。なんだか拍子抜けですわ」


 疲れたように溜息を吐き、愚痴を漏らす薫。


「それは薫が凄過ぎるからじゃないかな?」


 そうやって煽てているのは、斎条将人だ。

 あまり彼の事を知らない飛鳥だが、薫と話すときの斎条はなんだか他の人とは違う声色で話しているように感じた。


「別に褒めたって何も出ませんわよ?」

「欲しいからそう言ったんじゃない。そう思ったからそう言っただけだ」


 斎条は心底尊敬しているといった様子で、薫の事をほめたたえる。

 また調子の良い事をと薫は呟き、薫は話題を変えようと息を漏らした。


「……にしても、なんでわたくしがあんな化け物の相手をしなければならないんでしょう?」


 変えてきた話題は、飛鳥の胸に突き刺さる言葉だった。

 確かに飛鳥は化け物だ。それは変えられない事実だし、彼自身認めている。

 けれど、それを非難されるのには慣れていないのだ。


「それこそ仕方がない。天願さんの他にディザスカイを体で止められそうな人間なんて、薫ぐらいしかいないからね」

「そうは言われても相手は化け物……できるなら駆除してやりたいものです」


 戸惑っている間にも、飛鳥の心に次々と棘が刺さる。

 今まではどこか物言いに優しさがあった。まだ心づかいがあった。

 けれど、この言葉たちにはそれが無い。遠慮と言う鞘を捨て去り、本音と言う刃で飛鳥の気持ちを傷つける。

 だがそれは仕方がないことだ。まさか飛鳥が聞いているだなんて、思っていないんだから。

 誰だって口の一つや二つ、共有したくなる生き物なのだ。


「それはダメだよ薫。あのバカを利用できれば、TDGの技術やディザスカイの駆除効率は格段に上がる。徹底的に搾り取ってやらなきゃ」

「分かってはいるですが、その……生理的に受け付けないと言いますか、嫌悪感がどうしようもないと言いますか……」


 彼らは徹底的に飛鳥と言う化け物を、使おうとしている。

 仕方がない。仕方がないことだ。

 飛鳥は自分にそう言い聞かせるが、心の傷は癒えやしない。


「……本当にすまない薫。君にこんな危険なことをさせてしまって」

「あー……いえ、それは将人が謝ることではありませんわ。最終的に父からの仕事を受け入れたのはわたくしです。あれが死ぬまで仕事はします。貴方は全く悪くはありませんわ」


 腫物を扱うような物言いが、被害者の様な悲痛な声が飛鳥を苦しめる。

 榊原薫と言う女は飛鳥と言う化け物に怯え、斎条将人という男はそれを励ましている。

 彼らからすれば、飛鳥と言う生き物はそういった畏怖の対象でしかないのだ。

 飛鳥はそれを悟りながら、訓練を行うために歩を進めた。


  ○


 泰造が入院している病室に、奈津子はいた。

 緊急の要件があると連絡があり、飛んできたのだ。


「どうしたのよ泰造? 今日はなんだか真面目な顔つきね」

「ばっか。俺はいつだって大真面目だ。言動が時折ふざけてるだけですぅー」


 ベッドの背を起こしパソコンを操作しながら、泰造はかわいらしいと思っているのか頬を膨らませる。

 無論、端から見ればかわいくない。

 それは恋人の奈津子からしても同じである。


「はいはい、それで四六時中パソコンに向かって何してたの?」


 泰造のいつもの調子に合わせる気はないので、早速要件を聞くことにする。


「んー? ちょろっとデータをまとめててな」

「それって飛鳥君の?」


 最近の事柄でデータと言うと、飛鳥のことぐらいかと奈津子は思った。

 TDGがようやく手に入れたディザスカイの素体だ。

 いとも簡単に脱走することができる力を持っているとわかったし、精神的な意味でここを繋ぎとめるべきだという事で女性陣二人を前面に出すことになった。


 もっとも、この研究所が内側からの脱出への対策が甘いだけで、現在改築を検討中である。

 飛鳥をここから動かせないのは、泰造と言う心を掴んでいる泰造がここにいるからであり、彼自身この研究所から離れたくないからだ。

 二つの人間台風(一つはディザスカイだが)に頭を悩ませているかと思うと、流石に奈津子も気の毒に思えてくる。


「……そんなまだまとめる程ではなかったと思うけども?」


 しかし、飛鳥を保護してから数日が経っているが、まだまともなデータは採れていなかったはずだ。

 そう思い首を傾げながら奈津子は聞いたのだが、泰造は首を横に振る。


「いんや、違う違う。アイツの方だよ」


 泰造はそう言って、パソコンの画面を奈津子に見せた。


「……アレの情報じゃなくて、ディザスカイの出現率のデータまとめ?」


 画面に表示されたデータを奈津子なりに分析していきながら、感想を漏らす。


「そ、んで過去の記録と照らし合わせてみたんだがな?」


 そう言って、二つの時期のデータを奈津子に見せる。

 奈津子はそのデータの年月を見て、アイツの出現時期だとわかった。


「この時のディザスカイの出現率は少ない。だが、他の地域と比べると人への被害は他と比べれば五割も増加してるんだ。半分だぞ半分」


 いつものようにふざけた様に喋っている泰造だが、奈津子には彼が何を思っているか手に取るように分かった。

 憎しみと、喜び。相容れない二つの歪な感情が、今の彼の心の奥底から湧きださせているのだ。

 すべては、アイツを殺す為に。


「……それでその後にアイツが来る、って?」


 泰造を刺激しないように、恐る恐る尋ねる奈津子。


「ああ、その通りだ」


 泰造は軽く頷くが、確信を持っているように奈津子には見えた。


「……これだけで上層部を動かすのは難しくない?」

「オマエを説得できればそれでいい。俺の装備をキチンと整えておいてくれ」


 これは止めることは難しいそうだなと思いながら、深く溜息をつく。


「最新機でたんだけど、どうする?」


 なら、安全を期す為に行動しておくしかない。

 バカな恋人を止められなかったときに、バカをやって死なないように。


 もう出たのか、と驚いた表情をして考え込む泰造だったが、すぐに首を横に振った。


「……いや、最新機を馴らしてる時間はない。俺が今まで使っていたタイプで頼む」


 ちなみになぜ今までの装備をそのまま使わないのは理由がある。

 今まで使っていた装備は、現在飛鳥が使用しクリスタルが緑色に変色したDHアーマーだからだ。

 あれ自身の通信機能は修理は既にし終ったが、緑色のマイナスクリスタルは人が扱うには出力が高すぎであり、制御する前に体が自壊するということが分かった。

 こればっかりは人体実験でだした確定情報ではなく、飛鳥が扱ったときの出力を人体が扱うとしたらどうなるのか? という計算上のものである。

 なので飛鳥の使ってしまったDHアーマーを人が使うには、あまりにも高すぎるリスクがあるのだ。


「わかったわ」


 そう奈津子が頷くと、病室の戸を叩く音が聞こえた。


「……泰造さん泰造さん、泰造さんはいらっしゃいますか?」


 戸を叩いたのは、藤堂飛鳥だ。

 ふざけているのか、落ち込んでいるのか、どうにもわからない調子で問いかけてくる。

 時間を見れば、もう夜遅くだ。恐らく訓練を終えてやってきたのだろうと奈津子と泰造は推測した。


「はいはいはい、泰造さんはいらっしゃいますのでどうぞどうぞー!」


 泰造は元気よくふざけた調子で返事をして、飛鳥は病室に入ってきた。


「……前から思ってたんだけど、あなた達ってなんか、こう……波長でもあってるの? なんか、完成とかセンスがなんか、こう、なんか……」

「なんか使い過ぎでバカみたいに聞こえるぞ」

「どうせ私はアンタよりバカですよー、っだ!」


 的確な言葉を見つけ出せなかった奈津子は、案の定泰造にからかわれてしまい、悔しさを紛らわすように拗ねてしまう。

 やりすぎちゃったかなー? と思う泰造であったが、今は飛鳥の話を聞くことにした。

 シカトされた奈津子は、黙って部屋の隅へと移動して二人のやり取りを見ることにする。


「そんで、今日はどうしたよ飛鳥。随分と元気が無さそうじゃねえか」

「わかります?」


 意外そうな顔で尋ねてくる飛鳥に、泰造は意地悪な笑みを浮かべて答える。


「そらわかるさ。尻尾と耳が垂れ下がってるもん」


 飛鳥は慌てて耳と尻尾を確認するが、泰造はそれを見て笑った。


「冗談だ冗談。それで、今日はどうしたんだ?」


 飛鳥からすれば冗談ではない話だ。

 しかし泰造の冗談にもだいぶ慣れてきたもので、あーだこうだと文句を言うより、話を進める方が肝心だ。

 奈津子がいるのはさほど気にはならない。何かしらの形で飛鳥は監視されているのだから、どこで何をやったって一緒だろう。そう思っているのだ。


「生理的に嫌われている人に、自分が好かれるためにはどうすればいいでしょうか?」


 飛鳥は化け物であり、人が嫌うのはしょうがない。

 だが、ディザスカイを退治するうえでは榊原薫と共に戦場を駆け抜けることとなる。

 なら、嫌われるより好かれる方がいい。

 嫌いな化け物の背中に命を預けるよりも、比較的まともだと思える化け物の背中に命を預けたいだろう。

 飛鳥はそう考え、どうにかして彼女に好かれようと思ったのだ。


「……んー、難しい話だなあ」


 泰造は何も聞かずに、茶化すことなく、真剣な顔つきでそう言葉を絞り出した。


「大体人ってのは、第一印象でそういう好き嫌いは決めちゃうんだ。こういうのは心理学で初頭効果とか言ったりするんだが、そういった考えでは、嫌いになったらもう後はそのままってのが多い。それを好きに変えるのは、とっても難しいんだ」

「そういうものなんですか?」


 そういうもんなのさ、と頷き泰造は話を続ける。


「オマエも嫌いなやつの一人や二人いるだろ? そいつに優しくされても、そいつが良いことしても、なーんか好きになれなかったりするだろ?」


 そう言われて、飛鳥は顔をしかめて考える。

 自分が生理的に受け付けないような、それこそディザスカイが自分に優しくしてきたとする。

 そんな事をされても、飛鳥は決して仲良くはなりたくないなと思った。

 それを嫌な人間に置き換えてみたが、確かに仲良く


「……印象はよくなりますけど、マイナスがゼロになってマシになった、って感じですかね」

「そう。だから難しいんだ」


 難しい、と泰造は言う。

 難しいの意味を飛鳥は知っている。無理だとか不可能だとか、そういった事柄の事を指すのではないのだ。


「じゃあどうすればいいんでしょうか?」


 泰造は起こしているベッドに寄りかかりながら、天井を見る。


「そうだなあ……まあ、方法はあるにはある。簡単なやつが。でもそいつはとっても難しい」


 簡単なのに難しい? 飛鳥は意味が理解できず、少し考え込む。

 飛鳥の答えが出ないまま、泰造は確信に近い答えを口に出す。


「親近効果、という用語があるんだが、これは初頭効果とは逆で物事の最後に起こったものを印象付き安いわけだな。オマエにわかりやすく説明するのであれば、料理漫画で後に出した方が大体勝つ。あんな感じ。まあちょっと長く言ったが、要するに最後に出された情報に最も影響を受けやすい、というわけだ」

「最後に出された情報に影響を受けやすい……」


 泰造に言われた最後の言葉を復唱し、どうすればいいか自分で考えてみる飛鳥。

 その姿を見た泰造は、最後の一押しにこう言った。


「まあ人間は途中の話なんざ特には影響を受けないってこった!」


 その言葉に、飛鳥が神妙な顔つきになり、目を見開いた。


「真理、ここに極まり……!?」

「そう、これぞ人の心理の真理也……!」


 なぜこの二人は変な所で噛みあうのだろうか? という疑問を思い浮かべながら、奈津子は二人が仲良く笑うのを見ていたのであった。


  ○


 泰造と笑い終わった飛鳥は、ありがとうございましたと言って部屋を出て行った。

 奈津子も泰造がもういいよーと言うので、飛鳥と一緒に移住区画まで移動している。

 その最中、奈津子は飛鳥に怪訝な顔で問いかけた。


「で、いいの? 結局あれ飛鳥君の悩みの解決の答えにはなってないでしょ?」


 そう、泰造は難しい事を並び立てていたものの、肝心の飛鳥の悩みを解決するようなことを具体的には言っていないのだ。


「泰造さんは答えをそのまま出すんじゃなくて、答えまでの道を提示してくれる人ですし、あれでいいんです」


 飛鳥は迷うことなくそう言ってのける。

 恩人とはいえ泰造の言葉一つで、飛鳥はさっきの落ち込みようが嘘のようにさっぱりとしている。


 もしかしたら、藤堂飛鳥は泰造に依存しているのかもしれないと、奈津子は不安になる。

 自分の恋人が男、ましてや化け物に好かれて嬉しい彼女がいないように、彼女も同じくあまり嬉しく感じない。

 

 そういえば、と飛鳥は言葉を続ける。


「アイツって誰です?」


 それを聞かれた奈津子の表情が固まった。


「……どいつの事かわからないわ」

「あ、分からないのならいいです」


 てっきりもう少し粘って追及してくると思った奈津子は、飛鳥のあっけらかんとした態度に拍子抜けしてしまう。


「最近、良く聞こえちゃうんです」


 そんな奈津子の気持ちを知ってかは知らないが、飛鳥は話を続ける。


「怨みとか、嫌悪感とか、そういった感情を纏った言葉が、色々と」

「……それは、心が読めるって事?」


 恐る恐るといった様子で尋ねてくる奈津子に、飛鳥は笑って答えた。


「化け物もそんなに万能じゃないですよ。研究所内の愚痴とか悪口とか、そういうのが最近勝手に聞こえちゃうだけなんです」


 淡々と飛鳥は言っているが、それはとても恐ろしいことだ。

 四六時中、人の悪口が勝手に聞こえて、いい気分な人間はいない。


 それに奈津子が知る限り、この研究所内の悪口や愚痴の大半は飛鳥なことになっている。

 飛鳥と言うディザスカイは、一度研究所内を脱走したこともあるというのに、特別扱いしすぎじゃないのか、というのは奈津子もよく聞く。

 他にもそんな奴が監視の目が常に付きまとっているとはいえ、研究所内をうろうろされては気味が悪い、やめてほしいという訴えなども研究所内では持ちきりだ。

 もちろん彼らも飛鳥をとどめる為の手段だとわかっているが、愚痴は止まらない。それが一つのストレス解消法になるからだ。


 けれどそんなのが全部飛鳥が聞いているとしたら、心労が溜まるなどと言うものではなく、もっと尋常のない痛みだろう。

 当の本人は平気な顔をしているが、それは人が耐えられるものだとは思えない。

 いや、耐えられるからこそ、藤堂飛鳥という青年はディザスカイになったのかもしれない。


「ただまだ制御ができなくて、さっきのも聞こえてしまったんです。ごめんなさい」


 深く考える奈津子に飛鳥は頭を下げて謝罪をしてくる。

 確かにあの話を聞かれていたのはいい気はしないし、正直困るのだが、心がかなり傷ついているであろう飛鳥に怒ることはできない。

 制御できないのは子供がおねしょをしてしまったものだと置き換えて、許すことにした。


「別にいいわ。ディザスカイがそう言ったことができるって言うのもいいデータになるしね。ただ、制御はできるように努力はしてね?」

「はい。わかりました」


 飛鳥は素直に頷いた。

 ただ、一つ奈津子は気になったことがあったので、試しに聞いてみた。


「……それ、泰造には相談しないの?」

「別に、これぐらいは泰造さんに相談するようなことではありませんし、奈津子さんが話すでしょう?」


 不思議そうな顔で首を傾げる飛鳥に、奈津子は何も言えなかった。

 藤堂飛鳥という青年の相談基準が、全く持って分からないからなのかもしれない。

 

 その後、二人ともアイツの件に関してどちらとも口を開かず、静かにそれぞれの部屋へと戻っていく。

 別れるまで奈津子は傷ついた飛鳥を励ます方法はないかと考えていたのだが、何をどう言いつくろっても自分では飛鳥を傷つけてしまうと思い、結局何も言えなかった。

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