幕間→道化達の小休憩 後半 食事風景


* * *


「偶然会っただけとか、出来過ぎてんなと思ったけど。でも、面白くてさ。学生演劇にも出ることになって、セリフのある役とか貰って、その役の男は、俺をイメージしたとか、言ってんの」


 押越が、高宮の猪口に酒を注ぎ足しながら、話を促す。


「ふうん、それで?」


 穏やかな表情は変わらない。高宮だけが落ち着かない様子で、言葉を続ける。



「演技の上の "演技" ってさ、面白いよな。まるで何もかもが逆転してるんだ。一個の独白、暴露。そんなものを、誰かの筋書き通りになんて、どんな経験だろうって、思ったよ。

 

 舞台の上ではまるで別人で、何でも言えるのに、ひとたび降りれば、全体が飛び込んでくる。自分の言ったこと、演じた内容が何であったのか、分かってしまう。ゾッとしたね。何なんだろう、何が違うんだろうって考え始めたら止まらなくてさ。腹もすいて…」


 押越は、取り皿の上でイワシの身を崩しながら、高宮に尋ねる。


「それで和君は、何を僕にして欲しい? それとも啓一さんに頼み事? 本格的に劇団員を目指したいとか、そういう…」


 高宮は、汁気たっぷりの白菜を頬張って、押越の問いに首を振って答えた。椅子に深く背をあずけて、咀嚼に集中する素振りで、ちらっと押越の表情を読む。そう、いつも綱渡りのような緊張感が、にある。唇を指で軽くぬぐうと、高宮は口を開いた。


「まさか、あんな分かりやすい境界線、作り物だから我慢しろって言われても、無理だね。俺たちみたいな部類の人間からしたら、一種の集団セラピーだろ。壇上に上がれば、他のことなんて考えなくてもいい。観客は全てを演技だと、『嘘』だと思うから、そこに不都合な真実が存在しても、堂々、見逃してくれるっていう寸法さ。でもそんな、この世の現実の、いったいどこに存在する?

 

 人間はどんだけ矯正されようと疑り深い生き物で、欲しいものがそこにあれば、ほんのひと欠片でも、"匂い"を嗅ぎつける。『こういうことになってます、これがルールです』と言おうと、そんなもの、本当に欲しいものが無い奴だけが、折り目正しく守ってるんだ」


 押越はふふっと笑うと、ポケットから出した真四角のハンカチを、鼻にあてた。


「今日はいやに熱弁をふるうじゃないか。どうやら今日出会った人に影響されたかな。それが市橋くんの妹さんだというなら、仕方が無いか。どう?美人だった?」


 高宮は、過去に付き合った女性たちの顔かたちやその優美な肢体、雰囲気を思い出しながら、比較する。


「まぁ、そこそこ。気の強さで言ったら、瑞穂より上かも。でさ、話に上ったからついでに、親父に言伝ことづてなんだけど」


「ん?」



 押越は、手酌で酒をつぎながら、話を聞いている。高宮はそんな押越に、すこし意地の悪いような笑みを浮かべて、こう言った。


、大学生なんてやってるのか、親父に文句、付けといて欲しいんだけど。この短期間でありえないでしょ」


 

 語気を強めた高宮に、押越は瞬きを多く返して、逆に問い返した。


「あれ、和君が今日行ったのって、その大学? やだなぁ、見つかっちゃったか。先に分かってれば言ったかもしれないけど、完全に自由行動だったでしょ、今日は」


 押越はそう言って、キャラメルの包みを剥がし、口に放り込んだ。そして、まるで面白いものを見るような目で、高宮を見る。


 高宮はもろ手を挙げて、ため息をつく。


「それは、すみませんでした。でも、俺の店から一番近いとこなんですけど。なんで瑞穂にやらせて、俺に声を掛けないわけ? あいつの方がリスキーでしょ」


 その言葉に対して、押越は自分の白い顎をこすりながら、わざと難しい顔をして言った。


「いやぁ、だってさ。和君があのとき、彼女を組み伏せ…いや、引き留めなかったらさ、別に捕まることも無かったのにって言われたら、僕としても、多少は譲歩しようかなって、思ったんだよ。


 それに、この件の専任という訳ではないけど、国内だけのことじゃないから、ある程度人間と証拠品が揃ったら、彼女には上海に飛んでもらうし。果たして次、いつ戻って来られるか。戻って来てもそのときは、同じIDを渡してあげられないしね。和君にはそこまでのこと、頼めないしさ」


 高宮は、押越の話を聞きながら、今日大学で見つけた、瑞穂の顔を思い出す。思いのほか元気そうで、場に溶け込めるよう若作りをした服を着て、まるで赤の他人のように、歩き去って行った。


 でもすれ違いざま、ほんの少しだが、肩を小突かれた気がして、思わず振り返った。別れ言葉も何ひとつ、言う暇を与えてはくれなかったが、それで十分だと、言わんばかりの "挨拶" だった。



「いや、でもなおさらだろ」


 押越が押し付けるキャラメルを突っ返しながら、高宮は自分の額を爪で引っかいた。そう、瑞穂が沙希を刺したのは、全てが上の指示でのことだった。そのことを当日、高宮は手違いで知らされてはいなかったが、事が起きたとき、容易に察しは付いたはずだ。


 けれどそれにもまして、高宮には情があった。考える前に身体が動き、瑞穂の逃走を阻んでしまった。



 押越は追い打ちをかける。


「もとはと言えばさ、和君がすぐに、仕事仲間を自分の彼女にしちゃうから、人選が混乱するんだ。沙希ちゃんだって、はじめはとても従順で優秀な子だったのに、和君と付き合うようになって、すぐだもんね。


 何を思ったのか、敵さんにも隠れて愛想を振りまくようになっちゃって、ほんと、将来を棒に振ったようなもんだよ。なんだろ、和君てさ。女の子たちに、何か悪い考えでも吹き込んでるのかなって、僕は心配するよ」


 いつかは面と向かって言われるだろうと思っていたことを、ようやく言われた。高宮は苦笑して、どうにか落ち着こうと、首の裏に手をやった。



「いや、俺から言わせればさ。俺と組むような女ってみんな、どっかがあるっていうか。そういうのと敢えて、俺が組まされてるんじゃないかと思ってるんだけど。


 まぁ、俺は嫌いじゃないから、あいつらの話とか聞いてさ、妙に同調したりなんかして。それがなんか、抑えてたものを外に出すきっかけになって、早々に手に負えなくなるっていう流れ、みたいな。後から言うんじゃ、言い訳にしかならねぇけど」


 殊勝にも反省の色を見せる高宮に、押越も、それ以上の追及に飽きた。どうせみな終わったことだ。


「まぁ、僕も君には大概甘いからね。瑞穂君の件は、もう決まったことだけど、知りたいなら教えてあげなくもない。でもその前に部屋を変えようか。リビングで、冷えたワインでも飲み直そう」



* *



「人間が知識を求めた代償の話って、したことあったっけ?」


 押越がそう言って、甘めのロゼワインを取り出してきたのを見て、高宮は渋面を作った。


「あれだろ。自分がその知識に喰われる前に、無知な人間を食い物にしようっていう欲求が出てくるけど、こらえろっていう話だろ。知ってるよ」


 薄ピンクの液体がワイングラスに注がれるのを見ながら、今度は白い照明の下で、高宮は上げた足を悠々と延ばした。三人掛けのソファの上である。押越はいつも通り、一人掛けを選んで座っている。


「人は自身の欲で、色んなものを望むけど、望み以上のものを手に入れるとね、結局は自分を見失うことになる。知識だってそうさ。世の中、何がどうなっているのか知れれば、どれだけ有利になるかと思うだろうし、他者への優位性だって確保できるって、信じてるのかもしれない。


 でもね、常にそれを扱うのが自分だっていうのは、忘れちゃいけないんだ。小さな自分、卑小な自分。持て余すことが分かっているようなことは、初めから知る必要の無いことなんだよね」


 高宮はワインには手を付けず、ぼんやりと押越の話す様子を観察している。こうしてリビングで話す時間が、一番落ち着く時間だ。


「でも、マサ兄は言ったよね。望みもしないのに、『知の女神』の方に気に入られる人間もいるってさ。そして、不幸にもいろんなことを知り得てしまったそいつは、、早急に選ばされる羽目になるって。

 

 俺からすれば、女神さまの寵愛を受けるなんて羨ましい限りだけど、当人はそんな気楽なもんじゃない、っていう」


 そう言いつつ高宮は、市橋つとむのことを思い出していた。そういえば目元が良く似ていた。思わずグラスに手を伸ばす。押越はそんな高宮を見やって、本題に入った。



「学生ばかりの大学だけど、探知犬も気付かない新種の薬が、出回っててね。見た目は、固形スープの素みたいなのから、一度熔かして冷却すると、硅石程度の比重を持つものまで、運送可能な形態が、比較的自由な商品だ。見た目もそんな感じで、園芸土や、鉱石なんかの資源と混ぜて持ち込んでるっていう話もある。


 人によって、強烈なアレルギー反応を引き起こす場合があって、もちろん死人も出てるけど、捜査の都合上、まだ関係者しか知らない。原料だけ輸入して、日本で加工している産品だというのが強い線だから、僕たちにお声が掛かったんだ」


 高宮は起き上がり、ワインに口を付けた。数種のベリーの香りが鼻腔を通り抜け、脳を直接、痺れさせるようだ。



「生産者本人がいるのか、メインの流通経路を握っているのが、無垢な大学生なんて、体裁が悪いし、教育現場にも悪影響だっていうんだろ。


 "犯罪は疫病と同じ、不衛生な環境で蔓延るのを防ぎたければ、まず水槽を掃除しろ" ってね。たいていの人間は、自分の住んでいるところがきれいだと思えば、汚すことをとりあえずは躊躇する。

 

 要は、そういう風に思わせておく必要があるっていうことだよな。なるほどね、俺みたいなのが関わると、広めたくないものまで広まるかも、っていう心配をされたわけだ」



 甘いものが好きな押越は、嬉しそうにワインを口に含む。


「そうとも言える。でも、都合がいいじゃない? 市橋君の妹の件は、とりあえずオフレコにしておくから、和君の好きなようにすれば」



 高宮は、二口目で、ぐいとワインを飲み干し、グラスを置くと、頭を抱えた。


「どうしよう俺、何もかも洗いざらいしゃべりそう。勝てる気がしない」



 押越は、若いなぁという目をして高宮を見、そして言った。



「人生はゲームだよ、和君。楽しまないと、勝っても損をした気分になる」


 高宮は、その押越の言葉に重ねて、こう言って返した。


。勝とうが負けようが、すべてはみな平等な舞台の上。死ねば、同じ土くれに還るのに、何を奪い合って争うことがある? すべてはマヤカシだ」



 押越は頷いて、高宮を見つめた。


「和君らしいよね」


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