第8話 "Virginity" Revisit

 深呼吸をして、意識を外に戻すと、監督さんと神原君が、内容に関する、忌憚ない意見を取り交わしているのが聞こえる。


 俺はさっきから、適当に頷きながら、意識の深いところに落ちていたが、どうやら神原君が、セリフのある脇役に、半ば説得され掛かっていた。


「そんなこと言われても、俺、英語の台詞とか、まじで無理だから」


 神原君がそう言うと、鈴原監督は「あっ」と何かを思い出したように掌を打つ。そして、「ちょっとごめんなさい」と言うなり、部屋の隅へ飛んでいき、ひどく嬉しそうな様子で、小冊子並みの紙の束を持ち帰った。どうするのかと思えば、「どうぞ」と言って、俺に押し付ける。


「派手な黄色の髪のお兄さんが差し入れを持って来たら、これを渡してほしいと、のぞみんに頼まれましたので宜しく。一応、お兄さんの役とセリフです。いやぁ、このタイミングで無茶振りされて、正直困ってたけど、いいかもしれない。このほうが」


 断る理由も無いので受け取り、表紙代わりらしい白紙をめくると、セリフを含め、つらつらと10ページほど、手書きの脚本が綴られていた。


「へぇ、現代劇なんだ、じゃ大丈夫…かな」


 横から覗く神原くんが、俺の代わりに無難な感想を口にする。ただ、彼の読めていない肝心の内容は、知れば、その過激さに閉口するかもしれない。



 どうやら俺の役どころは、エキストラどころか、重要な登場人物らしい。


 整ってはいないが、不思議と読める監督さん直筆の戯曲を目で追いかける。俺の役が退場したところで、更に続く数ページは、びっしりと字の埋まった、パソコンのメール文を印刷したもので、発信者と受信者を見るに、どれも、市橋さんから鈴原さんへ宛てたものである。


 内容は、彼女の監督さんに宛てた、具体的な筋書きの指示のようだ。


 なんというか、直に会ったときの印象とは違い、勢いに任せて字を連ねたような、慌てた感じが伝わってきた。


(メール本文)

 すずちゃんへ、唐突ながら、今度の作品に、こんなのどうでしょう?


“主人公は、なりたての現役女子大生。容姿端麗、資産家の令嬢でお姫様のように育てられる。でも我儘ついでに、「私は結婚しない!」と、宣言をしたものだから大騒ぎ!”


 そんな彼女をくどこうとする男、結婚を申し込む男達を、片っ端から袖にする彼女の台詞は、毎回凝ったものにすること(→コメディタッチに!ってこと)。けれど彼女が何故、そんな決意をしたのかを、誰も聞き出すことができない。


 彼女は、自身の結婚問題に直面する度、転職をするのだけれど、清々しいほど駆け足で、待遇の良い仕事に就いていく(とんとん拍子に!)。


 そして、ついには、女性ばっかりの政党を作って、党首を務めると、有権者の過半数を占める(当然だよね)女性たちの粘り強い支持を得て、とうとう国会議員から、首相候補にまで出世する。そのときようやく彼女は、自分の人生のモットーを語る。こんなかんじで↓



『私以上に、世の中を愛している人間は存在しません。たった一人の夫の為に、自分の人生を捧げることはできません。私は奉仕したいのです。この社会に生きる人たち全てと、私は結婚したいのです。どうか私に、誰かだけの所有物になることを強要しないでください。私は皆さんすべてを愛しています』

(→この台詞だけはそのまま使って!)


 結局、彼女は他政党の男性候補に敗れるのだけれど、その首相になった男は、彼女にこんなことを言った。


『みんなと結婚したいだなんて、どれだけ不埒な発言か理解していない。ご自分に相当な自信があるようだが、たった一人の男も選べない、優柔不断な女と結婚したい男はいないでしょう。夢を見るのも結構だが、国のトップには相応しくない』

(→これは、もっといい表現を探してくれるといいな)


 こうして彼女は、公式の場で強い非難をあびて、男性経験のアル・ナシなんてことまで、毀誉褒貶の嵐です。けれど彼女終始一貫、自分は"処女だ"、と言い張るの。でも、本当の問題はそこじゃなかった。彼女はすべてに裏切られた気分で、橋から身投げを。そう、自ら命を絶ってしまう。


 そして時間経過。彼女の死後3年が経って、彼女の発言の意味が、改めて問い直される、という流れ。


 "全てを愛する" ということの意味と、彼女の生き方を照らして、決して彼女が有権者たちを馬鹿にしたのでも、冗談を言ったのでもないと、彼女の名誉回復を望む人たちが出てくる。

 』


 これが、約半年前のメールである。次のメールの発信日付は、いきなり昨日である。


 すず様、ごめん、我儘ついでに書き足してほしいことが出来ちゃった。


“主人公の家族が隠した一つの秘密”とか、あってもいいんじゃないかと思う。もっとドラマチックになるかと思うし

 』


 なんだか、筋書きがドタバタと騒がしいなと思いつつ、死後の名誉回復と加わる秘密とやらが、どう関わるのか、気になる。


 続きを読む。


“彼女には実の兄がいて、とても幼い頃から仲が良かった。6歳離れた兄は、結婚を機に家をでてしまうのだけれど、その時から彼女は少し、おかしくなったと家族は思った”


 食の好みや服装ががらりと変わり、派手な性格になったと、彼女の母親は思い出して語る。彼女はどうやら兄が好きだったらしいと、知人たちは口を揃えて言う。でも生きている間に、彼女がそれらしいことを口にしたことは一度もない。


 ただ、彼女は一度、父親の不明な子供を身籠ったことがあって(これについては、彼女が嘘を付いてたってことになるのかどうか。いわゆるマリアの”処女受胎”認識でいいと思うんだけど)、その際、それが兄の子どもだと言い張り、家族との関係が破綻しかかったことある。そして、強制入院中に罹った、強い感染症のせいで死産。


 彼女のつきぬけた性格は、拍車を増して、より目立つものになっていったという

 』


 どうやら主人公の背景を掘り下げて、キャラクターとしての現実味を増したいらしい。ただ、兄という近親者への恋情と、事実としての妊娠を、どう繋げるのかというところで、主人公の幻想が混じり、ぼんやりとしてしまっている。


 いったい、どうしたいんだ?

 俺はそう思いつつ、最後の追伸に目を走らせる。


 p.s.

 ここまで書いたらまずいかな? 

 でも女が、常に男の行動や考えの反作用、反対物でしかないという思考や、”様式美”にはもう、うんざりだって言いたいの。


 恋や愛と、母親になる女の性というものとが、どう繋がるのか、もっとよく考えたい。


 女の意識や行動原理を、混沌と無理解の”自然状態”の括りの中に放置して、過度に神聖視するのも、女から見れば、ひどくおかしなことだって、思う。


 だって、、それだけで特別だなんてこと、ある? ただ、普通に生きている人間でしょ? きちんと観察すれば見えてくる。むしろ、男よりも分かりやすいはずだって。


 確かに、女が生み出せるものは、男に比べれば多彩で、思いがけなく新しいものだったりする。

 普段から内側の激しい感情に慣れていれば、ただそれに呑まれるだけではは無くて、こちらから飲み込んでいく"度量"っていうのも、身に付くかもしれない。


 そもそも"処女性"と言う概念が謎なんだよね。いつもそこに、男の視点が入るの。それがなんだか腑に落ちない。


 女として生まれれば、男と関係を持たない限り、『処女』だというのは、はっきり言って、どうでもいい概念じゃない? だって社会性とか、精神性のレベルの話じゃないんだから。


 

 主人公が兄に焦がれていたこと。でもその感情を飲み込んで、彼女はより大きな人間になる。望みを叶えたいんじゃない。叶わないから狂うんじゃない。近親相姦だとか、関係があったか無かったかとか、の話じゃなくて、女にとっての処女性と、その"超越"(→『喪失』とは表現したくない)は、もっとこう、深い議論を呼べると思うの。


 自分に課している規律。世の中の道理。もし、それらが、自分の望みを妨げる"悪"だと言えるなら、問題は簡単だけど、そうじゃない。


 自分の想いを遂げることを、最終的に自分自身が、苦しむんだよね。まるで操り人形のように悲劇を内面化している女っていう生き物は、"永遠の処女性を有している"、とは言えない?



  身体の中を廻る赤い血のように、自分を縛る掟のすべてに『否』と言えたら、そのときはじめて、処女性から超越した "主体" になれる。自由になれる。、自由になれると思う。

              

 それが言いたいんだと思う。 Written by 市橋』




 そういうことか。

 市橋さんはどうやら、一つの自由主義を形にしたい、ということらしい。


 俺の役どころは、彼女が関係を持った、遊び慣れた雰囲気の男。


 事実関係としては、彼女の妊娠は、この男との関係によるものなのだろう。けれど、そのことは主人公の”精神的処女性”とも言うべきものによって、全否定される。男の方も、端から子どもを望んでいないから、何を言われようと構わない、という訳だ。


 演劇としては面白いかはともかく、良く出来た理屈だ。


 シェイクスピアの、禁じられた恋の様式に沿いつつも、父と娘から、兄と妹に置き換えることで、”母親”という項を除外している。

 あぁ、でもシェイクスピアが描く世界では、大抵、母親が既に他界しているか、別の男と結婚するなど、「母親不在」の設定が多い。


 母性を描かないシェイクスピア作品が持つ、独特の”非”現実性。だからそう、これは、その不自然さと技巧性に、限りなく準拠したストーリーだと言える。


 彼女が、突然内容変更を言い出したタイミングからして、俺が何かのヒントを提示したことが大きいらしい。現に、俺の役は新しく作られたばかりだ。


 俺の顔の上に、いったい市橋さんは何を見出したのかと考えると、ひどく彼女に会いたくて仕方が無くなった。


「それでどう?お兄さん、やってくれる?」


 鈴原監督が待ちかねたように問うので、俺は、「市橋さんのご指名なら」と短く答え、周囲を見渡した。しかし、彼女の姿は見当たらない。


「あぁ、のぞみんは劇場ですよ」


 監督の目には、なんでもお見通しのようだ。



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