30:王太子がお忍びでやってきました

  * * * *



 個人レッスンを受け始めて、数日後のこと。

 カーディナさんと、相変わらず成長の乏しい礼儀作法を学んだあと、私は一人部屋に戻って。

 隊長さんが帰ってくるまで一休みしていたところに――彼は現れた。


「ダンスの練習は進んでいるか」

「お、王太子様……!?」


 まさかの人物の登場に、勢いよく椅子から立ち上がる。

 大きな音を立てて椅子が倒れてしまったけど、私はただ王太子を凝視することしかできない。

 前にも同じ手を食らったことがある。たしかあれは、隊長さんと再会する日の朝だった。

 精霊の道を通ってきたんだろうとわかっても、驚きが減るわけじゃない。


「あまり騒ぐな。家人に知られると面倒だ」

「お、お忍びってことですか……?」

「忍ぶ以外にどうやってこの部屋に一人で入れると思う?」


 たしかにその通りだけど、忍び込んだ身で堂々としすぎじゃないですかね。

 現代日本だったら不法侵入で即お縄ですよ、この状況。


「……王太子様のお付きの人は大変そうですね」

「もうとっくに諦められている」


 自分でそう言ってしまうくらいには、勝手な行動はいつものことなんだろう。

 王太子の部下とかめちゃくちゃ苦労してそうだ。ご愁傷様です。

 現在進行系で迷惑をかけられている身としては、もう少し根性を出してほしいところだけど。


「私になんのご用ですか」


 倒してしまった椅子を戻してから、静かに問いかける。

 何度もきつい言葉を投げかけられてきたせいで、感情を揺らされないように警戒する癖がついてしまっていた。

 前に、これ以上は邪魔しないと王太子は言ったけれども。

 結局彼が何をしたかったのかいまだにわからないから、完全に安心もできないわけなんです。


「預かりものだ」


 王太子はそう言って、ひょいと何かを放り投げてきた。

 危なげなくキャッチすると、それは両手に乗るくらいの小さな包みだった。

 添えられている手紙には、『またお茶会をしましょうね』とココリア様の署名つきで書かれている。

 それによると、中身はココリア様お気に入りのいちごジャムクッキーらしい。


「あ、ありがとうございます……これのために、わざわざ?」

「そんなはずがあるか。これは私が行くと言ったら渡されただけだ」


 王太子は深々と眉間に皺を刻んで嫌そうな顔をした。

 ですよね。さすがの私もそれはありえないかなとは思ったよ。

 でも、ついでだとしてもココリア様のお使いを引き受けたんだよね? あの、性悪王太子が。

 とても意外に思えるけど、王太子も自分の奥さんには優しい面も見せたりするってことだろうか。

 レットくんから聞いてもいまいちピンと来なかった"恋愛結婚"という言葉が、急に真実味を帯びてきた。


「グレイスも、砦の人間も、タイラルドの家もお前に甘い。誰も教えないだろうから私直々に教えてやろうと思ってな」


 王太子はふんぞり返ってフンと鼻を鳴らした。

 ……本当、どうしてこんなに偉そうなんだろう。

 実際王族だし、王様の次に偉いんだけどさ! いちいち鼻につくよね!


「精霊はその性質上、攻撃や破壊よりも守りと創造に特化している。世界を創造した神を守っているからだとか、創造神の力を一部分け与えられているからなどと言われているが、まあそこはどうでもいい」


 唐突に始まった精霊講座は、今まで聞いたことのないものだった。

 すぐに話を切り上げられてしまったけど、正直、もう少し詳しく知りたかった。

 今度、レットくんあたりに聞いたら教えてくれるだろうか。


「お前が精霊の客人としての力を目覚めさせれば、どれだけグレイスの助けとなるか。どれだけジェイロの砦が盤石な守りとなるか。お前は、一度でも考えたことがあるか?」


 それはまさに、寝耳に水。

 私が、隊長さんの助けになる? ジェイロの砦を守れる?

 精霊の客人には、そんな力がある……?

 王太子の真剣な顔は、嘘や誇張を言っているようには見えない。

 さすがの私も、その場のノリでうなずいていいような内容じゃないことくらいはわかる。


「惚れた弱みか男としての意地か、グレイスからお前の力に頼ることはないだろうよ。だが、力あるものがそれを行使しないのは怠慢だ」


 刺さるような視線だった。

 逃げるなと、向き合えと言われているようだった。

 精霊の客人としての力なんて、今まで考えたこともなかった。

 過去に偉業を成し遂げた人もいるとは聞いてたけど、みんながみんなそうだったわけじゃなかったらしいし。

 ただの女子大生だった私とは、なんの関わりもない話だと思っていた。


 私にできることがあるならやりたい、という気持ちはある。

 好きな人のために、大切な人のために、役に立つ方法があるなら、と。

 それと同時に、どんな形でも戦いに関わるのは恐ろしい、と腰が引けてしまうのもまた本音で。

 隊長さんはそれをわかっていたから、今まで何も言わなかったのかもしれない。


「だから、王太子様は私につらく当たっていたんですか? 私が、怠けているように見えたから」


 やるべきことをやってないように見えたなら、王太子の態度が最初から悪かった理由も一応は納得できる。

 精霊の客人としての力なんて、別に欲しかったわけじゃない。

 勝手に喚ばれて勝手に押しつけられた力があるからって、怠慢と言われても困る。

 でも、そうやって私には私の言い分があるように、王太子には王太子の価値観があるんだもんね。

 王太子は、たぶんだけど、自分にも他人にも厳しい人だ。


「お前が、」

「私が?」

「……あまりにも馬鹿に見えたからな」

「ば、ばか……!?」


 唐突な罵倒に、私は大口を開けて固まった。

 表現が直接的すぎて、いつも嫌味ったらしい王太子らしくない。

 怒りを覚えるよりも先にそっちが気になってしまった。


「グレイスの伴侶は馬鹿には務まらない」


 そのシンプルな言葉に、ハッとさせられた。

 そっか、王太子もそうだったんだ。

 恋と結婚は別だと思っていた私とは違って、隊長さんも小隊長さんも、最初から"未来の結婚相手"になる可能性を考えてた。

 王太子も同じように私を見ていたなら、彼の目に、私はどれだけ中途半端で覚悟のない女として映っていただろう。

 そういえば、王都に行く朝、王太子の前で隊長さんの家族の話になった。

 本当にそんなつもりはなかったけど、玉の輿目当てのようにも見えてしまったかもしれない。


「もしかして、私を試した……?」

「さて、どうだかな」


 確かめたくて問いかけたのに、適当にはぐらかされてしまった。

 それから、王太子は一切の興味を失ったかのように私から視線をそらす。


「言うべきことは言った。長居は無用だ」


 もう帰るつもりのようで、王太子は私に背中を向けた。

 そのまますぐに消えていくと思っていたのに、ふと彼は振り返る。


「ああ、一つ忘れていた。皆の前で精霊が見えないことは話すな。誰につけ込まれるか、わかったものではない」


 最後にそれだけを言い残して、今度こそ王太子の姿は幻のように消えていった。

 完全に見えなくなってから、私は疲労を吐き出すようにため息をついた。

 前にも思ったけど、本当に嵐みたいな人だ。

 私みたいに振り回されてる人が彼の周りにどれだけいることだろう。


 私も全部理解できたわけじゃないけど、ただの意地悪だと思っていた王太子の言動には実は意味があったらしい。

 数々の暴言から、王太子は隊長さんのことが嫌いなんだと思っていた。

 でも、ココリア様の語る王太子が別人に感じたように、私が知る王太子にも知らず知らずのうちにフィルターがかかっていたのかもしれない。

 王太子は今、王宮で開かれるパーティーの準備だってあるはずだ。

 忙しい中、わざわざ時間を作ってまで私に忠告しにきた。

 そのことに、私の中である疑惑が浮上する。



 王太子って、実は……意外と面倒見がいいんじゃないだろうか。


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