29:ダンスの練習が始まりました

  * * * *



 正式に招待状が届いたのは、隊長さんから話を聞いてからたった二日後のことだった。

 どうやら私は普通の招待客ではなく、精霊の客人として主賓のような扱いになるらしい。

 ようやく暇ができた隊長さんが、ダンスの個人レッスンをしてくれるついでに、パーティーの進行を軽く説明してくれることになった。


「当日は国王から皆に紹介される形になる。ただ笑っていればいい」


 ふむふむ。

 挨拶しなくていいのは助かるけど、大勢のお貴族様から好奇のまなざしを向けられながら、ずっと笑っているのも大変そうだ。

 接客のバイトをしている気持ちでいればいいんだろうか。

 なんて、国王様主催のパーティーにそんな調子で出向いたらさすがに怒られるかもしれない。


「ダンスは、国王と王太子のあとに踊ることになるだろう。最初の一曲を踊ったら、あとはどうとでも逃げられる。一曲目のステップは基本中の基本しかない。初心者のお前でもなんとかなるだろう」

「そんな簡単に言わないでくださいよ~! 盆踊りとはわけが違うんですから……」


 お貴族様が当たり前に身につけているマナーですら、私はつい最近習い始めたばかり。

 ダンスどころか、基本の姿勢すらまだ合格点をもらってない。

 人間、自分のできることは軽く見積もってしまいがちだ。

 努力すればできるようになる、という理論はできる人だから言えること。

 根性論だけではどうにもできないものもあると、二十歳にもなれば知っているのです。


「まっすぐ立て。笑顔を絶やすな。視線を落とすな。恥ずかしがって身体を離すな。ステップを間違えようと、パートナーの足を踏もうと、動揺を表に出すな。それだけでもだいぶ見られるようになる」

「すでにすっごく難易度高く聞こえるんですが……」


 次々に並べ立てられたダンスのコツに、私はゲッソリと肩を落とした。

 これを、今からパーティーまでの短期間で身につけなきゃいけないんだよね。

 ……ほんとにできるの、私?


「身体が覚えるまで何度でも教える。大丈夫だ」


 そう言ってくれる隊長さんはとても格好よくて頼もしい。

 でも、素直に喜ぶには一つ気になることがあった。


「……前に小隊長さんが、隊長さんは教えるのに向いてないって言ってたんですけど」

「それは……否定できないが」

「嘘でもいいから否定してほしいところでした!」


 やっぱり!

 小隊長さんが言っていたのは剣の扱い方だったけど、ダンスだって身体を動かすものだ。動きを教えるという部分は共通してる。

 ド素人の私と、指南役に向いてない隊長さん。

 早くも不安いっぱいなんですが……。


「なら、他の者に頼むか? ルシアンなら俺よりうまく教えられるだろう」

「それじゃあ、口実がなくなっちゃうじゃないですか」


 隊長さんの提案を、私は速攻で却下した。

 なんだかんだと文句を言いながら、私は隊長さんとの個人レッスンを楽しみにしていたんだから。

 堂々と二人っきりを堪能できる、貴重な時間。

 むしろ、さっきから口にしていた文句だって隊長さんとじゃれ合いたかっただけだ。


「奇遇だな。俺もそう思っていた」


 瞳を細めて微笑む隊長さんも、この時間を楽しんでくれているんだろう。

 気持ちを共有できるのがうれしくて、頬がゆるゆるになってしまう。


「まずは、ステップから教えよう」


 そうして、二人っきりのダンスの練習が始まった。

 最初は隊長さんに教えられるがまま、足だけで基本のステップを繰り返す。

 慣れない動きを覚えるのも大変で、少ないステップなのに何度も順番を間違えてしまった。

 やっと間違えなくなってきて、たどたどしいながらもステップが踏めるようになったら、今度は試しにとパートナーと組んだときの体勢を教えられた。


「……サクラ、硬い」

「え、ストレッチすればいいですか!?」

「そうじゃない、筋肉が強張っている。なぜ緊張しているんだ」

「何もかも初めてづくしなんですから、そりゃ緊張もしますよ!」


 だって、すごい、すごい近い。

 呼吸の音も、上下する胸の動きもわかる距離にいるのに、普通に抱きしめられているのとはまた違う。

 新鮮な距離感に、よくわからない緊張感を覚えてしまっていた。


「もう少し距離を詰めて、……だからといってしなだれかかるな」


 はぁ、と隊長さんのため息を直に感じる。

 いつもの距離感になれば肩の力が抜けるかもしれないって思ったんだけど、どうやらよろしくなかったらしい。


「注文が多いです! いいじゃないですか少しくらい、減るもんじゃなし」

「その発言はどうかと思うぞ」

「たしかにエロオヤジみたいでしたね。でもちょっとはキュンとしたりしませんでした?」

「指南役を誘惑するな」


 ちょん、と隊長さんの指が私の額を小突いた。

 ちぇ。ちょっとくらい動揺してくれてもいいのになぁ。

 残念がる私を相手にせずに、隊長さんは手の位置を直して元の距離感へと戻る。


「近すぎるとステップが踏めない。離れすぎると不格好に映る。曲によっても距離は変わるが、今はまずこの距離を覚えておけ」


 そしてまた、さっきと同じ体勢になる。

 この距離、と隊長さんが示すのは、靴の爪先が触れ合うほどの距離。相手の呼吸を感じる距離。

 自分の心臓がうるさいくらい早鐘を打っているのがわかる。

 たぶん、それも隊長さんに聞こえてしまっている。

 これは……恋人の距離だ。


「私、隊長さん以外とは絶対踊れません。こんな距離まで近づくなんて……」

「お前でもそんなことを気にするんだな」

「そんなことじゃないですよ! 乙女には重要なことです」

「……乙女」

「すみません。自分で言っておきながらちょっと無理あるなって思いました」


 さすがに、エロオヤジ発言の直後にするには苦しすぎる主張だった。

 乙女を名乗るならもっと女子力を磨かないといけないね。


「安心しろ。俺以外と踊らせるつもりはない」


 ぐっ、と私の背中に回された腕に力がこもった。

 しなだれかかるなって言ったのは隊長さんなのに、こんなの抱きしめられているのと変わらないじゃないか。

 隊長さんのほうから抱きしめるのはいいなんて、ずるい。でも、離れたくないから文句は言わない。

 大好きな人のぬくもりと匂いに包まれて、胸はドキドキしているのに無性に安心する。


「……イケメンすぎます、隊長さん」


 赤くなっているだろう頬を隠すために、広い胸に額を押しつける。

 隊長さんと一緒なら、周りからどんな目を向けられても耐えられる気がした。

 大観衆の前で腹踊りだってできるかもしれない。


 隊長さんはいつもいつも、私のことを守ってくれる。

 私のことを最優先に考えてくれている。優しすぎて、もどかしいくらいに。

 家族に対して私を恋人と紹介しなかったのも、フタを開けてみれば私のためだった。

 もう、私はどう紹介されたとしても困ったりしない。

 そう告げる前にパーティーの話になってしまって、私の覚悟は宙ぶらりんのまま。

 どうやら隊長さんは、あの夜の私の言葉を覚えていないようだ。

 それなら、今は目の前のことに集中して、パーティーが終わってからまた改めて伝えよう。



 私は、グレイスさんの隣を選ぶって。


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