28:夢幻のような

  * * * *



『精霊の客人を保護してたんだってな』


 軍の上層の集まりは、夜ともなれば酒が入ることもある。

 休暇でしか王都に戻らない俺は、休み中だろうと招集がかかれば出向くしかない。

 仕事の話が一段落ついたところで声をかけてきたのは、俺の前に第五師団隊長をしていた、もう壮年に差し掛かる男性だった。


『……ああ』

『しかも、イイ関係なんだって?』


 ニヤリと笑いながらの耳打ちに、俺は思いきりむせ込んだ。

 なぜ、どこから、と言葉にすることも叶わなかったが、疑問は正確に伝わったらしい。


『安心しろ、噂になってるわけじゃない。知ってる連中にも箝口令が敷かれてるらしい。だがまあ、こっちにゃ昔のツテがあるからなぁ』


 いったい誰だ、といくつもの顔を脳裏に並べる。

 一番怪しいのは副隊長のエリンだろうか。彼は抜けているふうを装って、最終的にうまく場をまとめてしまうちゃっかりしたところがある。

 箝口令に関しては、すでに知られているならば黙っている意味もないと、隠密部隊あたりが注意を促したのかもしれない。


『いやー、お前さんもようやっと身を固める気になったか。これでも心配してたんだ。ちっとややこしい立場にいるしなぁ』


 ちっと、で済ませてしまう彼の大らかさに苦笑が浮かぶ。

 王族の中でも、王の甥という近しい血縁関係でありながら王位継承権を持っていない。

 後悔はしていないが、第五師団隊長という立場も相手を探す上では不利に働く。

 普通は将来を考える相手に、死体となって帰ってくる可能性のある人間は選ばない。

 残るのは、遊び方を知っている賢い女性と、子が王位を継ぐ可能性にかけた貴族の娘だけ。

 サクラをそうだと誤解してしまったように、過去には砦に送られてきた娘もいた。


『しかし、それならなんで隠してるんだ? 中途半端な気持ちじゃアレだが、嫁にするってんならバラしちまったほうが後見人になるのに有利だろ。余計な手間が減るからな』

『……事情があるんだ』

『お前のことだから、私利私欲じゃなくてその子のためなんだろうけどなー』


 ずいぶんと世話になった人だ。俺の融通の利かない性格をよく知ってくれている。

 けれど、どうだろうか、とも思ってしまう。

 俺はただ、サクラが自分から離れていってしまわぬよう、少しでもいい居場所であれるよう、心を砕いているだけだ。

 見返りを求めている以上、すべてをサクラのためだと言うことはできない。

 巡り巡っては自分のためなのだから。


『せっかく見つけたんなら、放すんじゃねぇぞ』


 ぽん、と肩を叩かれての言葉に、うなずくことはできなかった。

 俺がどれだけ望もうとも、サクラが望んでくれなければずっと傍にいることはできない。

 選択を急かすつもりなどなかったというのに、一度この手を離れてしまったからか、焦燥感が消えてくれない。

 勧められるがままに杯を重ねてしまったのは、これは酒による熱だとごまかしてしまいたかったのかもしれない。



  * * * *



 夢の続きだろうか。

 鈍く痛む頭に促され、実家のベッドで目を覚まし。己の腕の中で寝入っている少女に気づき、しばし脳が理解を拒絶した。

 あたたかい、とそんな至極当然の感想が浮かぶ。

 ここ数日は忙しかった上に家族の目もあり、くるくる変わる彼女の表情をゆっくり眺めることもできなかった。

 実家でなければ、と思いもしたが、ここ以上に安心してサクラを預けられる場所はない。

 厄介なものだが俺にも立場があり、四六時中傍にいることは不可能だ。


「……サクラ?」


 名を呼ぶ、というよりもただの独り言に近かった。

 抱いているぬくもりが、現実のものだと理解が追いつかない。

 んん、と掠れた声を上げながらまぶたが開いていく。

 何もかもを飲み込んでしまいそうな闇色の瞳と目が合って、ようやく彼女が己の作り出した夢ではないと確信できた。


「あ、たいちょうさん、おはようございます~」


 にへら、とサクラは気の抜けた笑みを浮かべる。

 恋人の実家にいようと彼女は何も変わらない。

 それが喜ばしくもあり、同時に少々もどかしくもある。


「なぜ、ここに……」

「あれ? 昨日のこと、覚えてません?」

「……どこまでが現実かわからない」


 昨日は出席した軍の集まりで昔なじみに捕まり、しこたま酒を飲まされた。

 酒に強いという自負はあるが、酒瓶を何本も空にしても顔色一つ変えない彼には敵わない。

 彼ももう若くないのだから少しは控えてほしいものだ。俺の忠告を聞くとも思えないけれど。


 いや、それは今は関係ない。

 問題は、酒のせいで昨夜の記憶がひどく曖昧だということだ。

 言ってはいけない言葉を吐き出してしまった気もするし、心の底から望んでいた言葉を聞いた気もする。

 夢と断じられるのが怖くて確認もできないなど、まったく情けない。


「昨日は激しかったです……」


 ぽ、と頬を染めるサクラに、ザァっと一気に血の気が引いた。

 その俺の反応を見て、彼女はあわてたように続ける。


「あ、冗談ですからね? いや嘘ってわけでもないですけど、何もなかったですからね! 私は何かあっても全然よかったんですけど!」

「そうか……」


 深々と安堵のため息をつく。全身から力が抜けていく。

 冷静にあって見てみれば、サクラの衣服は乱れていないし、怪しい痕跡も何一つ残っていない。

 俺を気遣っての嘘ではなく、本当に何もなかったんだろう。


「そこで安心するなんてひどいです。私はようやく二人っきりになれてうれしいのに」

「……俺も、うれしくないわけではない、が」

「が?」


 ベッドメイキングは当然使用人の仕事だ。どこから話が広がるかわかったものではない。

 のどかで閉鎖的な砦にいるときとは違う。

 彼女はただのサクラではなく、どこに行こうと精霊の客人として見られる。

 俺は、サクラの心身はもちろんのこと、彼女の名誉も守らなくてはならない。


「隊長さん?」


 あどけない表情で小首をかしげるサクラに、どこまで伝えればいいのか判断がつかない。

 何も知らせずに守ることは難しく、それがあまりいいやり方ではないことはわかっている。

 レットにもまたどやされることになるだろう。


「そもそも、どうやってここに来た」


 話を変えようと、気になっていたことを確認する。

 薄ぼんやりとした記憶は、気づけば目の前に彼女がいた、という程度の情報しかない。

 鍵は閉めた覚えがあったのだが、その記憶すらあまり自信はない。


「あ、それはですね、精霊の道というものを通ってきました。知ってます?」

「知識としては知っていたが……なるほどな」


 精霊に許された者だけが通れる道は、魔法とは違い陣も呪文も魔力も必要ないらしい。

 彼女が訪ねてきた経緯を俺が忘れているわけではなかったようだ。

 なんにせよ、屋敷の者に見られていないのは助かった。

 早朝のうちにもう一度精霊の道を使って部屋に戻れば、昨夜のことが人の口に上ることはない。


「最近、隊長さんと全然イチャイ……お話できなくて寂しかったんです」

「それは……悪かった」

「隊長さんが忙しいのはわかってますからいいんです。だから、夜のちょっとの時間とか、こうやって時間を貰えたらって思うんですけど」


 魅力的な誘いに、ぐらりと心が揺れる。

 変な意味ではなくとも、サクラと接する時間を取れるのは俺にとって幸いなことだ。


「だが……もし誰かに知られたら」


 精霊の道は便利だが、何度も繰り返していれば必ず綻びは出てくる。

 それでなくとも、妹のカーディナがサクラに懐いている。

 カーディナが前触れもなく訪ねてきたとき、部屋にサクラがいなければ大騒ぎになるだろう。


「そもそも、なんで『精霊の客人』なんですか! 他にもうちょっと言いようはなかったんですか!? 私と隊長さんの仲って、ご家族に知られたら困るものなんですか!?」

「困るだろう、お前が」

「私……?」


 本当にわかっていないのか、サクラはきょとんと目を丸くした。


「待ってほしいと言ったのはお前だ。だが、俺の家族に知れれば少なからず拘束力があるだろう。外堀を埋めるような卑怯な真似はしたくない」


 もし許されるのなら、未来の伴侶としてサクラを紹介したかった。

 ずっと心配をかけていた家族に、唯一を見つけたのだと、もう大丈夫なのだと伝えたかった。

 けれど、そのためにはサクラの気持ちも伴っていなければならない。

 サクラのために自制したというのに、それを責められるのはさすがに納得がいかない。


「あっ……す、すみません」


 謝ってほしいわけではない。望むのはもっと別の言葉だ。

 彼女の反応から察するに……やはり、あれは夢だったんだろう。

 ずっと傍にいると、そんな俺にばかり都合のいい言葉を聞いた気がしたのは。

 ブーケを手にしてやわらかく笑うサクラが、昨日のことのように思い出される。

 いつまででも待てると思っていたのに、夢にまで見てしまうほど焦れているらしい。


「あの、私……」

「ちょうどよかった。一つ、伝えておくことがある」

「え?」


 これ以上は聞きたくなくて、わざと言葉を被せた。

 目をまたたかせるサクラに、俺は気づいていないふりをして話を続ける。


「近々、お前もパーティーに出ることになった」

「え? えええ!?」

「本音を言えば行かせたくはないが、そうも言っていられない。国王主催の舞踏会に俺と一緒に行くことになるだろう。精霊の客人の存在を広く周知するために」


 同じく招待を受けている軍のトップからの情報だから、きっと間違いない。数日中に招待状が届くだろう。

 サクラと再会した数日前、謁見の間にいた貴族の中には議会で発言力のある者もいた。

 おとぎ話のような存在が実際に現れたとなれば、興味を持たない人間はいない。

 彼女が精霊の客人である以上、ずっと隠しておくのは不可能だ。

 すでに後見人として立候補はしてある。議会で出される結論が俺たちの望むものになるよう、俺がサクラの保護者に相応しいと示せる場所は活用しなければ。


「舞踏会って、踊るんですか? 私、盆踊りとマイムマイムくらいしか踊れませんよ?」


"ぼんおどり"も"まいむまいむ"もわからないが、サクラの世界での踊りなんだろう。

 型は違えど、曲に合わせて一定の動きを繰り返すことさえわかっているならどうにかなるはずだ。

 どうにかするしかない、とも言う。


「ダンスは俺が教える。あまり時間はないが、ひとまず形になっていればいい」


 ちょうど、挨拶回りなども一段落ついたところだ。

 精霊の客人をもてなすという口実があれば、断れる誘いもある。

 軍関連はまだしも、貴族の集まりは元々肌に合わないから、行かなくて済むならそれに越したことはない。


「そんな、短期間で形になるものなんですか……!?」

「運動神経は悪くないだろう。コツさえ掴めばなんとかなる」


 俺がそう言うと、サクラは少し遠い目をしてから、諦めるようにため息をついた。


「劣等生でも、見捨てないでくださいね……」

「見捨てない。安心しろ」


 口実は、そのまま家族に対しても有効だ。

 サクラに懐いているカーディナになんの遠慮もなく、父や弟に疑われることなく二人の時間を作れる。

 寂しかった、とサクラのように素直に言葉にすることはできないが、恋人のぬくもりに飢えていたのは俺のほうだ。

 与えられた大義名分は有効活用しなくてはもったいない。



 もし万が一、俺が後見人になれなかったとしたら。

 サクラと過ごせる時間は、もうあまり残されてはいないのだから。


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