27:夜這いしちゃいました

  * * * *



 その夜、私もついに行動に移すことにしました。

 昼間、カーディナさんに言ったことは、もちろん私にもそのまま適応される。

 つまり、『隊長さんに直接聞かなきゃわからない』ってこと。

 レットくんにもちゃんと話してみなって言われたし、思い立ったが吉日だ。


 今はもう深夜近く。

 今日は帰りが遅すぎてお出迎えはできなかったけど、使用人さんとの雑談で隊長さんの帰宅は確認済み。

 気持ちを落ち着かせて、心の中でフルーオーフィシディエンを呼ぶ。

 隊長さんの部屋に入ったことはないから、イメージするのは『グレイスさんのところに』ということだけ。

 雑念が少ないほど、一心に願うほど、より正確な位置に飛べるらしい。


 特訓したときと同じように、くいっと軽く引っ張られたような感覚がした。

 それだけで、光も音もなく、景色が一変する。

 景色――というか。


 ペタペタ、と目の前の壁に触れてみる。

 肌色のそれはあたたかくて、少し湿っていた。

 平面ではなく凹凸があって、弾力もある。

 そして、傷跡も……。

 私はハッと我に返って、バネのついたオモチャのように飛び退った。


「きゃー! 隊長さんなんて格好してるんですかっ!」


 視界が広がって、壁の全体像が確認できた。

 私が壁だと思ったものは、何も着てない隊長さんの素肌だ。一心に願いすぎて、すぐ目の前に飛んでしまったらしい。そりゃあ肌色なわけだよ。

 悲鳴を上げて離れた私を、隊長さんはぼんやりとした目で見ていた。

 眠いのかなんなのか、どうも反応が鈍い。


「酒の匂いを……落としたくて……」


 私の疑問に答える声も、隊長さんらしくなく、茹ですぎたパスタのようにふにゃふにゃしていた。

 なるほど、腰にタオルが巻かれているし、髪からはポタポタと水滴も垂れている。

 その様子からして、お風呂から出てきた直後なんだろう。


「お酒が入ってるんですか!? 酔ってるときにお風呂なんて危険ですよ! もう!」


 アルコールを摂取したあとお風呂には入らないこと。

 お風呂好きな私が、二十歳になってから家族に口を酸っぱくして言われたことだった。

 話に聞いただけだけど、貧血や心臓発作、脱水症状など危険極まりないらしい。


「ああもう、頭もまだ濡れてるし……」


 髪から垂れる水滴は減る気配がない。

 突っ立っている隊長さんに再度近づき、その手に握られていたもう一枚のタオルを頭に被せる。

 無理やり屈ませて、両手でゴシゴシと拭く。

 この距離だと、まだ少しお酒の匂いが残っているのがわかった。

 いったいどれだけ飲んだんだろうか。いや、飲まされたのかもしれないけど。


「サクラ……?」

「はい、隊長さん」


 返事をすると、私が映っているかもよくわからない瞳に熱がこもったような気がした。

 隊長さんの腕が私を囲って、檻に閉じ込めるようにぎゅうっと強く抱きしめられた。


「た、隊長さん、イチャイチャできるのはうれしいんですけどこれだと髪が拭けません! 服も着ましょう……!」


 腕を上げたままの変な体勢から、身動きが取れなくなってしまった。

 どうにか腕を解けないものかともぞもぞと身体をひねったりしてみるけど、なぜか動けば動くほど腕の力は強まっていく。


「……離れるな」

「わっ、」


 酔っ払ってるせいで加減がわからないのか、隊長さんは遠慮なく体重をかけてきた。そして私は、隊長さんを支えきれるほど力持ちじゃない。となれば当然、体勢を崩すわけで。

 幸い、隊長さんを巻き込んで転んでしまうことはなく、すぐ傍にあったベッドが受け止めてくれた。

 軽い衝撃を耐えて目を開けると、一緒に倒れた隊長さんが覆い被さってくる。

 隊長さんの瞳は、まるで夢でも見ているようにとろけていた。


「隊……んむっ!?」


 隊長さんらしくない、ただ唇をぶつけるような稚拙なキス。

 悲鳴は舌に絡め取られ、飲み込まれる。

 おさけのあじがする。そんなことをぼんやり思いながら、唐突な口づけを受け入れる。

 久しぶりに与えられる熱に、もっと、と求めたくなったところで、唇は離れていってしまった。

 思わず濡れた唇を恨めしげに見つめてしまう。

 まだまだ全然、足りないのに。


「サクラ……愛しているんだ。どこにも行かないでくれ」


 熱い吐息と、酒の匂いと。

 一緒に吐き出された、隊長さんの愚直な愛の言葉。そして、弱音。

 少しの間、私は固まってしまった。

 そのあとにわき上がってきた想いは……胸が苦しいほどの、愛しさ。


「隊長さん……」


 手を伸ばして、ゆっくりと隊長さんの首に腕を回す。

 そのまま引き寄せれば、隊長さんはされるがまま私の胸にもたれかかった。

 酔いが回っていて、抵抗できるほど意識がはっきりしていないのかもしれない。


 お酒を飲むと本性が現れるという説を全面肯定はできない。理性だって、人を構成する一部分だと思うから。

 でも、普段から自分を律して過ごしている隊長さんがもらしたのは、理性と見栄に隠されていた臆病な本音なんだろう。

 ずっと、大人の顔をして私を待ちながら。

 隊長さんはいったいどれだけの不安を、心の奥底に沈めていたんだろうか。


「どこにも行きませんよ。隊長さんのいるところ以外に、行く場所なんてありませんし」


 考えがまとまる前に口を開いたら、なんだか卑屈な言い方になってしまった。

 落ち着くために一度大きく深呼吸をして、隊長さんと瞳を合わせる。

 あの謁見の間で隊長さんを目にした瞬間、ようやく……ようやく気づけたことがある。

 私の中で、どの願いよりも一切強く主張する想いの存在に。


 隊長さんの、傍にいたい。

 ずっと、ずーっと、一緒にいたい。


 家族も故郷もやっぱり大事で、忘れられたわけじゃない。帰りたいという願いが消えたわけじゃない。

 それでも、そこに隊長さんがいないなら私はきっと幸せになれない。

 私の心に空いた穴をきれいに塞いでくれるのは、隊長さん以外にはありえない。

 未練をすべて捨てられたわけではないけれど、私を包み込んでくれるあたたかな手を取って、これからを一緒に歩んでいきたい。

 隊長さんを選んでも、私は後悔しない。

 不思議とそんな確信があった。


「ずっと、傍にいさせてください。グレイスさん」


 隊長さんを抱きしめながら、耳に吹き込むようにささやいた。

 その耳で鈍く輝いている、隊長さんの瞳の色と同じピアスが欲しい。

 私をこの世界につなぎ止める枷をつけてほしい。



 他の誰でもない、隊長さんの手で。


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