26:妹さんの恋愛話を聞きました
* * * *
隊長さんとちゃんとお話できないまま、早数日。
私は現在タイラルド家で教養や礼儀作法を学んでいます。
精霊の客人として王宮に上る機会もあるだろうからということで、隊長さんのみならず一家全員に勧められたら断れるわけがない。
それに、これからも隊長さんの隣にいたいならどうしたって必要になるものだ。
渡りに船ということで、私からもお願いすることにした。
ちょうど、カーディナさんが現在再勉強中だったようで、私も一緒に家庭教師が見てくれることになった。
娘が逃げ出さないように見張っていてほしい、とこっそりシリエスさんにお願いされたりした。
前に隊長さんがお転婆と言っていたように、カーディナさんはあんまり真面目な生徒ではなかったけど、それでも私とは基礎が違いすぎる。
何度も足を引っ張って、そのたび私のレベルに合わせてもらう羽目になって申し訳なかった。
カーディナさんの復習にもなると先生が力づけてくれたのが、せめてもの救いだ。
「サクラががんばっているのを見ると、私ももう少しちゃんとしないとなって思えるわ」
「そ、それは私のレベルがひどすぎて……!?」
「違うわよ。サクラの一生懸命さにつられるのかしら」
休憩中、一緒にお茶をしていたらそんなことを言われた。
カーディナさんもよくわかっていないような口ぶりだったけど、少しでもいい影響を与えられてるならよかった。
「それにしても、グレイス兄様は大事なお客様をほっぽって何してるのかしら。ルシアン兄様、何か知ってる?」
カーディナさんはそう、形のいい眉をひそめる。
隊長さんは相変わらず忙しそうで、食事もゆっくり取れないこともあった。方々を駆け回っているらしい。
問いを投げかけられたルシアンさんは困ったように微笑んで、私に目を向けた。
「王族としてより、軍の長として顔を出さなければならないところが多いようです。せっかくの休みなのだから休めばいいのにとも思うけれど、兄さんは真面目だから」
「……そうですね」
「でも、あんまり無理をするようならサクラさんからも言ってもらえると助かります」
「任せてください!」
私は胸をドンと叩いて請け負った。
なんたって、砦では隊長さんを休ませるのは私の仕事だったからね!
隊長さんを休ませることに関して、私の右に出る人間はいないんじゃないかな。あんまり誇れることじゃない気もするけども。
「本当よ。いくら忙しいといったって、もう少しくらい時間を作ることはできるでしょうに。まあ、その分私は色んなお話が聞けるからいいけれど。サクラはもっと文句を言ってもいいのよ」
「私は別に。カーディナさんもルシアンさんもこうやってお相手してくれますし」
カーディナさんの素直な優しさと好意がくすぐったくて、私は笑顔でそう答える。
タイラルドの家の人はみんないい人で、私が快適に過ごせるように何かと気を配ってくれる。
とてもありがたいことだけど、いまだに隊長さんとの関係を内緒にしている身としては、優しくされるほど後ろめたさが刺激されたりもする。
それについても隊長さんと話したいのに、ゆっくり二人の時間を作れないのは困ったものだ。
「カーディナはもう少し遠慮したほうがいいんじゃないかな。サクラさんを疲れさせていない?」
「そ、そんなことないわ! ……そうよね?」
「はい、お話ししてくれてうれしいです」
「ほら!」
少し不安そうな表情をしたカーディナさんは、私がうなずくと一転して得意げな顔になって胸を張った。
そのかわいらしさに、ルシアンさんは特にほだされた様子もなく、小さくため息をついた。
「あんまり甘やかさないでくださいね、サクラさん。つけ上がりますから」
「何よその言い方!」
「エッシェの誘いを断ったんだって? 手紙もおざなりで、寂しがっていたよ」
エッシェさん。それはたしか、数日前にも聞いた名前だ。
カーディナさんのお友だちか何かだろうか?
私が内心首をかしげていると、カーディナさんはガタッと音を立てて席を立った。
「告げ口したの!? まったく、女々しいんだから……!」
「カーディナ」
名前を読んだだけなのに、ルシアンさんの声には初めて聞く鋭さがあった。
カーディナさんはビクリと肩を震わせる。
「エッシェには僕から確認したんだよ。彼は決して君を悪く言ってはいない。子どもみたいに拗ねている君よりもずっと大人だからね」
「……ごめんなさい」
しょんぼりと肩を落としたカーディナさんは、イタズラを叱られた子どものようだ。
少しかわいそうに見えるけど、事情を知らない私が口を出していいことじゃないだろう。
「カーディナにも色々と思うところはあるだろうけれど、手紙くらいはちゃんと書いてあげて。僕も父もエッシェも、君の気持ちを無視して話を進めたりはしないから」
ルシアンさんは、今度は打って変わって優しく声をかけた。
それでも、カーディナさんはなかなか顔を上げない。
妙に重たい空気に、我慢できずに口を開こうとしたところで、カーディナさんが私の手を引っ張った。
「……行きましょ、サクラ!」
「え、あ、カーディナさん!?」
グイグイと私の手を引いて、カーディナさんは部屋から出ていこうとする。
行こうも何も、ここが私の部屋なんだけどな!?
そうは思いつつ、カーディナさんの勢いを止めることはできなさそうだ。ここはおとなしくついていこう。
部屋を出る前に振り返ると、ルシアンさんは申し訳なさそうに私に笑いかけた。
まるで、妹を任せる、とでも言うように。
* * * *
痛いくらいに握られた手が離されたのは、カーディナさんの部屋についてからだった。
客室よりも乙女チックな室内を、ついキョロキョロと見回してしまう。
たぶん、カーディナさんの趣味なんだろう。少女小説が好きなことを思えば何も不思議じゃない。
「ごめんね、変な話を聞かせてしまって」
「いえ……」
苦々しい表情で謝るカーディナさんに、私はとりあえず首を横に振る。
正直、判断材料が少なすぎて変かどうかもよくわからなかった。
エッシェさんとは誰なのか、カーディナさんとどんな関係なのか、何も知らない私には慰めることもできない。
「エッシェは、私の一つ年下の幼馴染なの。それで……たぶん、婚約者、なのかしら」
「た、たぶん?」
婚約者。その言葉にも驚きだけど、王族だってことを考えたらいてもおかしくないんだろう。カーディナさんは私よりも年上だし。
ただ、『たぶん』って前置きされたのはなぜだろう。婚約者にたぶんも何もないんじゃないだろうか。
「去年求婚されて、正直寝耳に水だったんだけど。私もいずれ誰かと結婚することになるなら見ず知らずの人よりもエッシェのほうがいいと思って受けたの。でも……それから、どうしていいかわからなくなって」
はぁ、とカーディナさんは物憂げなため息をつく。
この世界は、漫画なんかでよく見る中世風の世界と比べればずいぶんと発展しているけど、現代ほど男女平等が謳われているわけじゃない。
特に身分の高い女性は、結婚することなく身を立てることはなかなか難しそうだ。
「どうしていいか、というのは?」
「だって、エッシェのことはずっと弟のように思っていて、異性として見たことなんてなかったのよ? なのにいきなり婚約者になって、以前のようにはいられなくなって。なんだか……幼馴染を失ったようで寂しくて、悔しいの」
きっと、カーディナさん自身にも名前のわからない、いろんな感情がごちゃ混ぜになっているんだろう。
ワインレッドの瞳の奥には、複雑な葛藤が見て取れた。
「その気持ちをそのままエッシェさんに伝えることはできないんですか?」
「そんなことをしたら……傷つけるわ。エッシェは人より繊細なの。婚約も解消してしまうかもしれない」
ルシアンさんの話から察するに、もうすでに傷ついているんじゃないかなぁ……。
そうは思いつつも、口には出さない。
今はそれよりもっと大事なことがあるから。
「婚約は、解消したくないんですね」
「当然じゃない。だって、ずっと一緒がいいもの。エッシェ以外は嫌だわ」
カーディナさんの声は、疑いを挟む余地もないほどキッパリしていた。
あまりにもあっさりと断言するものだから、なんというか、拍子抜けしてしまった。
これは心配無用かもしれない。
本人たちが気づいていないだけで、きっと。
「じゃあカーディナさんは、関係が変わってしまったことに、ただ戸惑ってるんですね。エッシェさんのことが、大事だから」
「……そうね」
ゆっくりと噛みしめるように、カーディナさんはうなずいた。
伏せられた瞳は、きっとエッシェさんのことを思い浮かべているんだろう。
「エッシェはグレイス兄様のように強くもないし、ルシアン兄様のように落ち着いてもいない。いつもおどおどとしていて苛立つこともあるわ。でも、どんなバカバカしい話でも聞いてくれて、悩みがあれば一緒に考えてくれた。優しい、大事な幼馴染だったの」
素直な気持ちを吐き出すカーディナさんは、ただの幼馴染の話をしているようには見えなかった。
そう、まるで。
好きな人のことを語る、乙女のようで。
やっぱり心配はいらないなぁ、と私はにっこり笑みを浮かべる。
「カーディナさんは何も失ってません。ちょっと、入れ物が変わっただけですよ」
「入れ物?」
「そう。幼馴染っていう入れ物から、婚約者って入れ物に変わっただけで、中身は全部一緒なんです。入れ物が変わって、最初は持ち方に戸惑うかもしれませんけど、ちゃんと向き合えばきっと大丈夫です」
私は両手でコップの形を作りながら説明する。
お友だちとしては大事でも、恋人となると何かが違う、という場合もある。
でも、カーディナさんとエッシェさんは大丈夫だろう。
人よりも繊細らしいのに勇気を出して申し込んだエッシェさんはもちろん、彼以外は嫌だと断言できるカーディナさんも、きちんと気持ちは育っているようだから。
「……エッシェ、もう私に愛想を尽かしていたりしないかしら」
「それはエッシェさんに聞いてみないとですね」
ちゃんと素直になれるよう、わざと不安の残る言い方で背中を押した。
たぶん、ほぼ確実に、問題ないと思うけど。
「ありがとう、サクラ」
そう微笑むカーディナさんは、立派な恋する乙女だった。
……恋って、いいものだなぁ。
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