21:離れた手と抱いたぬくもり
* * * *
「隊長さんっ!」
「サクラ!」
伸ばした手と伸ばされた手が、しっかりと結ばれた。
けれど……次の瞬間、彼女の姿は消えていた。
転移術から己を弾いた、従弟と共に。
「クソッ……!」
今までほとんど発したことのない悪態が口をついて出た。
手にはまだ、彼女のぬくもりが、感触が残っている。
ぎゅっと痛いほど握り込んで、激情をこらえる。
油断していたつもりはないのに、防げなかった自分に腹が立つ。
「やられましたね。ここから王都まではどうがんばっても四日はかかる。いったい何が目的なのかはわかりませんが……サクラちゃんがどこまで耐えられるか」
こんなときでもミルトは冷静に状況を把握していた。
そうだ、こうしている間も、サクラは王都で一人震えているかもしれない。
今は後悔している時間すら惜しい。
「すぐにここを出る」
「ちょっと待ってください」
「止めるな」
肩に触れた手を振り払う。
とっさのことで加減ができず、ミルトは振り払われた手をもう片方の手で握り眉をひそめた。
「止めてません。冷静になれって言ってるんです。今回は転移で行くつもりだったから、道中の準備はあまり揃っていないはずです」
「……そうだったな」
頭を冷やすように、深く息をついた。
こんなときだからこそ落ち着いて行動しなければならない。
常ならば倒せる敵も、焦れば命すら危険に晒す。
それを俺は、長い軍人生活でよく知っているはずだ。
「オレはこれから馬の準備をしてきます。その間に隊長は荷作りし直してください。あ、あとレットに連絡を。最低限、彼女の身は守れるはずです」
「わかった。……お前がいてよかった」
思ったままを告げれば、ミルトは気味が悪そうな表情をした。
「よしてください。上司の尻拭いもオレの仕事です」
「ああ、助かる」
「……二人で無事に帰ってきてくれれば、それでいいですから」
観念したようにため息を一つつき、彼らしくもないやわらかな声音でそうつぶやいた。
必ず、と答え、俺は私室に戻った。
王都に実家のある俺は、大体のものはあちらにすでに揃っているため、今回もそれほど荷物を準備していなかった。
けれど、馬で向かうとなれば話は別だ。
正装から動きやすい軽装に着替えなければならない。路銀も必要になる。
『つまり、精霊の客人さんのナイトの代役を引き受ければいいんだね』
衣服に、使い勝手のいいナイフ、日持ちする食料。
荷物を追加しながら王都にいるレットに通信を送った。
口ぶりは軽いが、力になってくれるつもりはあるようだ。
「四日、彼女を守ってほしい。なるべく早くそちらへ向かう」
普通ならば馬で五日かかる距離だが、急げば一日くらいは短縮できるだろう。
『んー……もちろん裏からでも守りようはいくらでもあるけど、問題は精霊の客人さんのメンタルかなぁ』
いつもよりも少し落ち着いた声に耳を傾ける。
レットにとってサクラはただの興味対象でしかないと思っていたが、今は本気で心配しているように聞こえた。
『この異世界で初めて、本当の意味で一人になっちゃったんだよ。心細いに決まってるよねぇ。あの子の心が折れちゃわないように、味方がすぐ傍にいるよって教えてあげたほうがいいんじゃないかなって』
「……そうだな」
サクラは、ああ見えてとても寂しがり屋で、脆い一面を持っている。
身分差のない世界で育った彼女が、欲望の渦巻く王宮でいつまで立っていられるだろうか。
たとえサクラにとっては初対面の相手でも、いないよりはずっと心強いはずだ。
『まあ大丈夫だとは思うんだけど、うちのたいちょーの説得のためにも、第五の隊長さんの許可も欲しいな。むしろそっちからお願いされたってことにしていい?』
「ああ、構わない。サクラの安全を最優先にしてほしい。……心身共に」
『はーいはい、承りましたーっと』
明るく請け負うレットは、深刻さなど微塵も感じさせない。
それに不安を覚えたりはせず、むしろ彼に任せておけば大丈夫だろうと思えるのはこれまでの成果があればこそ。
『だいじょーぶ、安心してよ。ぼくらは何に代えても彼女を守るから』
通信機の向こうで、彼が常になく優しく笑っているような気がした。
* * * *
支度を終え、砦の諸々をミルトに任せ、あとは馬を駆ける数日だった。
全力で駆けた馬は一日で限界が来て、新たな馬を買った場所で手間賃を払い砦に戻してもらった。
それからも約一日ごとに馬を交換し、馬の体力を魔法で回復しながらひた走った。
今はただ時間が惜しかった。
予定より早く王都に着いても、薄汚れた姿で王宮に登るわけにはいかない。実家に戻り風呂に入り、正装に着替えた。
その際、“王太子の寵姫”の噂を耳にして、レットに報告を受けていたにもかかわらず動揺した。
たった三日で、サクラの周囲は目まぐるしく変化していたようだ。
泣いてはいないだろうか。涙を我慢して笑顔を浮かべているならそれも問題だ。
噂の内容に関して、少しもサクラを疑う気持ちがないのは、王太子に対して俺のことで怒りをあらわにする姿をこの目で見ているからだろう。
王宮に上がり、久々の帰還を報告するために国王にお目通りを願った。
謁見の間には王の脇に当然のようにフロスティンもいた。
言葉にできない怒りをぐっと抑え込み、国の重鎮も居並ぶ中、頭を垂れて帰還の挨拶をした。
「頭を上げよ」
威厳のある声に、甥に対する気安さは僅かにも感じられない。
俺にとっても、彼は伯父ではなくあくまで仕えるべき王だ。
そのことを寂しいと思ったことはないが、家族思いのサクラには奇妙な血縁関係かもしれない。
そんなことを、考えていたからだろうか。
顔を上げて、王と視線が交わるよりも前に目に入ってきたのは、何より切望した黒。
数歩先に唐突に現れた彼女は、なぜかバスタオルをヴェールのように頭から被っていた。
「たい、ちょ……」
微かな声が耳朶を打つ。
その瞬間、周囲のどよめきがすべて意識の外へと消えた。
「……サクラ?」
何かを考える余裕もなく、彼女の名が口からこぼれ落ちた。
あるいは、確かめたかったのかもしれない。
すぐ傍に、声の届く場所に、彼女がいるのか。
サクラはくしゃりと表情を歪め、そして。
「隊長さん……っ!」
立ち上がるよりも先に前へ出ようとして、結果つんのめるように俺の胸へと飛び込んできた。
なんとか受け止められたものの、格好悪く後ろに倒れてしまう。
ぎゅうっと力いっぱい抱きついてくる彼女は、どうやら夢でもなんでもないようだ。
なぜ謁見の間に。そのバスタオルはいったい。今までつらい思いはしていなかったか。
聞きたいことは山ほどあったが、ようやく言葉にできたのは。
「無事で、よかった……」
そんな、当たり障りのないことだけで。
けれどそこに万感の想いがこもっていることは、きっと彼女にも伝わるだろう。
か細い肩に腕を回し、抱きしめ返す。
いつもそうしているようにそっと頭を撫でれば、安心しきったような吐息が聞こえた。
変な話かもしれないが、ようやく彼女が“帰ってきた”と思った。
もう俺は、どれだけサクラが願おうとも、このぬくもりを手放せないのかもしれない。
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