20:穴がすっぽりと埋まりました
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王太子は、姿を現したときと同じように唐突に消えてしまった。
彼は何をしたかったんだろう。何を言いたくて私を訪ねてきたんだろう。
わけがわからなくてしばらくポカーンとしていたけれど、今その答えを私にくれる人はここにいない。
気持ちを推し量れるほど王太子のことを知らないんだから、考えるだけ無駄ってものだ。
そう結論づけて、私は倒れるようにベッドに寝転がった。
行儀悪くごろごろと寝返りを打っても、誰にも怒られない。もしかしたらレットくんが見ているかもしれないけど、一人にしてあげると言った以上出てくることはないだろう。
「そういえば……」
ふと、今さらすぎる疑問が頭をもたげてきた。
精霊の声が聞こえる王太子は、こっそりと私を守ってくれているレットくんのことをどう思っているんだろう。
ここ数日、まったく触れられないことが不思議でしょうがなかった。
毒蛇事件のとき、ここに私の味方はいない、なんて王太子は言っていたけれど。今思えば、レットくんの存在を知っていたらそんな言葉は出てこなかったんじゃないだろうか。
千の耳を持つとか呼ばれているわりには、実はそんなに情報通でもないのかもしれない。
「まあ……どうでもいいんだけど」
ベッドの上をごろりんと転がって、ため息をつく。
手の届く範囲に置いてあったうさぎのムーさんバスタオルを頭から被って、小さく小さく丸まった。
* * * *
ぺしぺし、ぺしぺし。
頬に感じる、すごく軽くて小さな衝撃に、ゆっくり意識が浮上する。
《サクラー、サークーラ!》
「うう……おふぃ……?」
目をこすりながら起き上がると、窓の外が薄暗くなっていた。
どうやらあのまま深く寝入ってしまっていたらしい。
昼前から日暮れ時までとか、私の身体はどんだけ休息を欲していたんだろう。おかげで昼ご飯を食べ損ねてしまった。
ここ数日ずっと気を張っている上に、性悪王太子とも話したことを思えばしょうがないんだろうか。
《サークラ! 来たよ!》
「あ、オフィ。いらっしゃい」
目の前にふよふよ浮いているオフィに笑いかける。
あのぺしぺしはオフィの平手だろうか。投げたポップコーンを口で受け取り損ねてぶつかったみたいな軽すぎる衝撃だった。
レットくんもお昼には私を起こしてくれてもよかったんだけどな。一人にさせてくれた優しさもわかるから、文句は言えない。
《うん、いらっしゃい! やっとだね!》
「ん……? 何が?」
異様にテンションの高いオフィが私の周囲をくるくる楽しそうに回る。
寝起きで頭が働いていない私に、その理由がわかるわけもない。
せめて主語は、主語はつけてほしい。対精霊用翻訳機能を持たない人間からのお願いだ。
《もうダイジョーブ。サクラもフルーオーフィシディエンも元気出して!》
そうは言われても……。
いったい何が大丈夫なのか、説明してくれる気はないんだろうか。
あくびしながら首をかしげている私の腕に、オフィはまるでコアラが木に抱きつくようにくっついてきた。
《ニンゲンには色々面倒なテジュン? があるみたいだから、連れてってあげるね!》
「え、ちょっと待ってオフィ、どういう――」
こと? と、問いかけは最後まで言葉にできなかった。
ほんの一瞬、くいっと軽く引かれた感覚がしただけだったのに。
光も重力も何も感じることなく、景色が一変して。
気づけば、私が座り込んでいるのはベッドではなく絨毯の上。
そして……目の前には。
「たい、ちょ……」
ずっと、ずっと求めていた姿が、そこにあった。
軍服の上にマントをまとった姿で、物語に出て来る騎士様のように膝を折った隊長さん。
青みを帯びた、大好きな瞳がこぼれんばかりに見開かれ、私を映している。
隊長さん以外のものは何も目に入らない。ここがどこかとか、なぜ隊長さんがとか、何も考えられない。
今、すぐそこに隊長さんがいるという現実を、うまく飲み込めない。
「……サクラ?」
呆然としたように、小さな小さな声で私の名前をつぶやく。
ずっと聞きたかった声だった。ずっと隊長さんに名前を呼んでほしかった。
ずっと、ずっと私は――
「隊長さんっ……!!」
ずっと、隊長さんに、ただ抱きしめてほしかった。
がむしゃらに距離を縮めて、勢いよくその胸に飛び込んで、ぎゅうっと強く強くしがみつく。
不意を突かれて対処しきれなかったのか、隊長さんは尻もちをついたけど、離れる気にはならなかった。
すごく久しぶりなように思えるぬくもりに心の底から安心する。
ふかふかの毛布に包まれながらまどろむみたいに、身体も気持ちもやわらかくほどけていく。
しあわせをコップで表すなら、ほかほかのココアを一気に注がれたかのようで。
満たされすぎてあふれた分が、私の目からこぼれてしまう。
それは、隊長さんにしか、与えられないもの。
「無事で、よかった……」
安堵の吐息と共に、つぶやきがこぼされた。
大きな、あたたかな手が、そっと私を抱き寄せて、頭を撫でて。
ああ、いつもの隊長さんだ。
いつもの隊長さんの声。ぬくもり。手。優しさ。
たった数日。でも、永遠にも感じられる数日だった。
ようやく私はこの腕の中に“帰ってきたんだ”と、そう思った。
この世界に来て、家族を、故郷を、友人を失って。心に大きな穴があいたようだった。
それはどれだけ隊長さんのことが好きでも、隊長さん一人では埋められないものだと思っていた。
でも、気づけば心にぽっかりあいた穴は、隊長さんの形をしていた。
きれいにきれいに、すっぽりと私の穴を埋めてくれる存在は、グレイスさんしかいない。
そう、ストンと答えが降ってきた。
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