19:嵐が通り過ぎました

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 不思議な夢だったなぁ、と一人になってから改めて反芻する。

 リビングに、両親と姉と兄に猫のミケ、それから姉の旦那さん。そして、当然のように場に馴染んで談笑していた隊長さん。

 家族と隊長さんが一緒にいても、少しも違和感を覚えなかった。そもそも夢ってそういうものだけれど。

 私服よりももう少しラフなセーターを着た隊長さんはいつも通り格好よくて、魔法が使えるとか軍をまとめているだとか、そんなふうには見えなくて。

 まるで……ずっと昔から日本に暮らしている外人さんのようだった。


 家族の夢は、もう何度となく見ている。

 夢は、脳がランダムに見せるものらしいから、生まれてからずっと一緒にいた家族の登場回数が多いのは仕方ない。

 気になっているものや印象に残っているものほど、夢という形で目の前にさらけ出される。人間ってなんだかんだ単純な生き物だ。

 大好きな家族と大好きな隊長さんが一緒に夢に出てきたことも、そう考えれば何も不思議じゃないのかもしれない。

 それに……きっとあれは、私のひとつの願望だ。

 どちらも大事で、どちらも選べなくて、迷っている私の心が見せた幻想。

 目が覚めて、夢だとわかって、泣くのを我慢できた自分を褒めてあげたい。


「隊長さんは、私がいなくて泣いちゃわないかなぁ」


 きっと今、必死になって王都に向かってきてくれている恋人を思い浮かべる。

 心配してくれていることは確信している。守ると言ったのに離れ離れになってしまったことを申し訳なくも思っていそう。

 でも、私がいないからって寂しくて泣く隊長さんはいまいち想像がつかない。

 隊長さんは、なんとなく、私がいなくても変わらない気がした。

 それは薄情だとか、愛が薄いとかじゃなくて、隊長さんは芯がしっかりしてるから、私がいないくらいじゃ揺らがないように思えて。

 そして、私はそんなどっしりとした隊長さんが好きだから、そのままの隊長さんでいてほしい。

 ……もちろん、寂しがってほしい気持ちはあるんだけども。


「私は……泣きそうだよ……」


 うつむいたままこぼした声は、涙混じりでかすれたものになった。

 込み上げてきたものを深呼吸でやり過ごして、ごまかすみたいにパチパチとまばたきした。

 今、泣いてしまったら、もう二度と立ち上がれなくなりそうで、怖いから。


 でも――と思う自分もいる。

 私は、好きな人を待っているんだろうか。それとも、庇護者を待っているんだろうか。

 この世界に来てから、ずっと傍にいてくれた人。ずっと守ってくれていた人。

 こうして引き離されてしまって、寂しくて不安で仕方がないのは、きっと隊長さんが好きだからっていう単純な想いだけじゃない。

 知る人のないこの王城で、味方が欲しいから。絶対的な安心を与えてほしいから。

 ……本当に私は、打算的で、ずるい人間だ。


「隊長さん……」


 はやく、はやく来てほしい。

 前の向き方を、思い出せなくなる前に。

 ゆらゆら揺れる心ごと、もやもや広がる悩みごと、そのガッシリとした腕で包み込んでほしい。

 首から下げている桜のペンダントを、ぎゅっと握り込んだ。


「つまらんな」


 この部屋にいないはずの人の声がして、私はバッと顔を上げた。

 当然、そこにいたのは隊長さんではなく、隊長さんよりも派手な金の髪と、鮮やかな青い瞳の血縁者……王太子殿下、だった。


「なんでここに……ど、どうやって……」

「直接飛んできただけだ。周囲に知られれば面倒もあるからな」


 砦から王都に移動してきたように、また精霊の"道"を利用したんだろうか。

 王太子の寵姫という噂が囁かれている今、たしかに王太子が堂々と訪ねてきたら色々とややこしいことになりそうだ。


「グレイスが目をかけているからどんな女かと思えば、ただの甘ったれか。……余興にもならなかったな」


 明らかな嘲りを含んだ言葉に、瞬間的に怒りがわいた。


「私は……! 王太子様の暇つぶしのために存在しているわけではありません」

「なら、なんのためにここにいる。他人に依存するためか。他人に機嫌を取ってもらうためか」

「違……」


 否定、しようとした。でも、できなかった。

 王太子の言う"ここ"は、たぶん王都のことじゃない。この世界のことだろう。

 精霊の客人として、この世界にいる意味。

 そんなものは私が聞きたい。精霊の気まぐれで連れてこられて、私は私なりにこの世界で居場所を得るために努力して。

 これ以上、王太子は私に何を望むっていうんだろう。


 冬の空のように冷たい瞳が、私を見下ろしている。

 嘘も、ごまかしも許さない瞳だ。

 血縁だってすぐにはわからなかったくらい似ていないのに、そんなところだけそっくりだなんて。

 そんなはずはないのに、隊長さんに責められているような心地になってくる。


「お前はグレイスにとって枷にしかならない」

「……っ」


 淡々とした声は、毒のように全身を巡っていく。

 胸が痛いのは、そうかもしれないと思ってしまう自分がいるから。

 今まで隊長さんに助けられてばかりで、もらってばかりで。私は隊長さんに何も返すことができていない。

 隊長さんの欲しい"見返り"だって、まだあげられるかどうかわからない。

 私は……隊長さんにとって……


『お前が、ここを俺の逃げ場所から、居場所に変えてくれた』


 ふと、隊長さんの言葉が耳によみがえった。

 王族という立場が"枷"だと言っていた隊長さん。逃げた先が軍だったと。

 何も知らない私の考えなしな言葉に、救われたと。


『隊長は君と出会って、君に恋をして、生き抜く覚悟を手に入れたんだ』


 小隊長さんもそう言っていた。

 覚悟を決めた隊長さんは、きっと私と出会う前よりも身軽じゃない。

 自分と隊員、それから私。みんなの分の命を背負って、それでもしっかりと前を向いている。

 どんなに重くても、隊長さんはもうそれを手放さないだろう。

 なら、私は……。


「枷、かもしれません。でも、それが隊長さんにとって必要な枷なら、私は隊長さんの枷になります」

「必要でなければ?」

「それは、隊長さんが決めることだから。隊長さんがいらないって言うまで、傍にいます」


 心配症な隊長さんは、私を一人になんてできないだろう。

 私を守ろうとすることは、たしかに隊長さんにとって枷にもなるのかもしれない。

 それでも、隊長さんはきっと喜んでその枷を背負ってくれるんだ。


『お前を守る役目を、他の者に譲るつもりはない』


 王太子が砦にやってきた日に言ってくれた、その言葉通りに。


「王太子様はあの砦をぬるま湯だっておっしゃいましたけど、身体をリラックスさせるためには、ぬるま湯での全身浴がオススメなんですよ」

「は?」


 唐突に話を変えると、王太子は虚を突かれたのか間抜けな声をもらした。

 それから、眉間に深いシワを刻んで私を睨んだ。

 怖い顔をしている王太子に、私はにっこりと笑ってみせる。


「私にとっては、必要なぬるま湯だったんです。きっと隊長さんにとっての私も」


 私はあの砦で居場所を得てからここに連れてこられて、どうにか踏ん張って立っていられる。

 隊長さんは私を拠り所として、守る覚悟、生き抜く覚悟を決めた。

 私が隊長さんを救っただなんて、そんな大それたことをした覚えはない。正直、隊長さんは女の趣味が悪いんじゃ、なんて思ったりもする。

 それでも隊長さんが私を望んでくれたなら、きっと私の存在に意味はあったんだろう。


「……反抗的な目だな。癪に障る。それだけグレイスに甘やかされてきたということか」

「そうですね、グレイスさんは私にとっても優しかった」

「私に惚気けるつもりか?」

「聞きたいならいくらでも話しますよ」


 そんな軽口が叩けるくらいには、少しだけいつもの調子が戻ってきたような気がする。

 隊長さんの夢を見て元気がなくなったり、隊長さんの言葉を思い出して元気になったり、影響力抜群すぎるけど大好きな人なんだから当然だ。


「……本当に、グレイスはこんな女のどこがいいんだか」

「それは本人に聞いてください。私も知りたいです」


 本当にね! 私、全然できた人間じゃないし。ちゃらんぽらんだし。いつもその場のノリと勢いで生きてるし。隊長さんには迷惑ばっかりかけてるし。

 隊長さんと私って月とスッポン並に凸凹カップルだと思うんですが。

 あばたもえくぼと言うけれど、隊長さんの目には私の何がえくぼに見えているんだろうか。

 そこんとこ、一度詳しく聞かせてほしいところだ。


「……認めたわけじゃない」


 少しの沈黙ののち、王太子は小さな声で、そんなつぶやきを落とした。

 言葉の意味を取りかねて、私は目をまたたかせる。


「だが、これ以上は邪魔もしない」

「何をですか?」


 理解が追いつかずに首をかしげる私に、王太子はこれみよがしにもう一度ため息をついた。


「馬に蹴られたくはないからな」


 そう、言ったかと思うと。

 王太子は背を向けて、扉のほうへと歩いていく。

 そのまま数歩進んだところで、まるで煙が風に掻き消されるように、王太子の姿は消えてしまった。

 精霊の"道"を使ったんだろうけれど、魔法みたいにキラキラしたりしないから、気持ちの準備をさせてもらえない。

 よくわからないまま呆気なく過ぎ去った嵐に、私はぽかんとしてしまう。


「……つまり、何?」


 一人残された私は、そう首をかしげることしかできなかった。

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