18:いつも通りがわからなくなりました
夢を見た。
それはとてもたわいのない、穏やかな日常のようで、少しだけ違っていた。
お父さんがいて、お母さんがいて、お姉ちゃんとお兄ちゃんがいて、ミケがいて。
半年ほど前まで当たり前だったはずのそこに、なぜか隊長さんも一緒にいた。
みんなと一緒に、私はただ、笑っていた。
あたたかくて、しあわせで、ちょっぴり切なくなってしまう夢だった。
「顔色悪いね、精霊の客人ちゃん」
朝食を食べ終えて少し、ベッド脇に座ってぼんやりしていた私の目の前に、影が降ってきた。
もちろんその影は文字通りの影じゃなく、人影というもので。もっと言えばレットくんその人なわけなんだけど。
あまりにも気が抜けすぎていたせいで驚くタイミングを逃して、私は座ったままレットくんを見上げる。
腰をかがめて覗き込んでくるレットくんは、日本人の血が入っていると言われてなるほどと納得したくらいには童顔だ。昨日、私より二つ年上だと自己申告を受けたけど、疑いたくなってしまうのも無理はないと思う。
「今さらなんですけど、精霊の客人ちゃんって呼びにくくないですか? 名前でいいですよ!」
「そう? じゃあサクラちゃん、大丈夫?」
レットくんは言い直しつつ、今度は明確に問いかけてきた。
ゆるく微笑みながらも、その瞳は真剣そのものだ。
心配をかけてしまっているんだろう、と思うと、どうでもいいことで煩わせてしまって申し訳なくなる。
「うーん……レットくんから色々聞いたからなのか、ちょっと、夢見がよくて」
「普通逆じゃない? 変なの」
解せぬ、と言わんばかりの表情をするレットくんに、私は小さく笑う。
自分でも変だとは思うけれど、そうとしか言えないんだからしょうがない。
久しぶりに見た家族の夢は、明らかにレットくんの秘密を聞いた影響だろう。
同郷の血を引いていると言われて、何も思わないほど私はまだ色々とあきらめられていなかったようだ。
未練タラタラ、気持ちはグラグラ。
そんな自分を素直に認められるようになったのは、せめてもの進歩と言えるかもしれない。それだって、隊長さんが私の甘えを許して、受け止めてくれたからだ。
「これも今さらなんですけど、レットくんずっと私についてていいんですか? 他のお仕事とか……」
「隠密部隊は精霊の客人のための部隊だって、昨日も言ったでしょ。最優先事項ほっぽって他の仕事になんか行けないよ」
「それ、まだ実感がないんですよねぇ……」
正直、私の精霊の客人としての能力なんて、自動翻訳のおかげで通訳いらずってことくらいだ。
オフィ以外の精霊が見えていないことが関係しているのか、ただ単純に自覚が足りないだけなのか。
どちらにしても、私を守るために存在している人たちがいると急に言われたところで、ああそうなんだってすんなり飲み込めるものじゃない。
「一人になりたい、ってご要望なら、聞くのもやぶさかじゃないけど?」
ニンマリと笑うレットくんの頭に、とんがった黒い耳が見えるのは私だけだろうか。
百戦錬磨の隠密部隊に、下手なごまかしはするだけ無駄だったようだ。
「……なんか、意地悪じゃないですかその言い方」
「図星だった?」
そう言われて、正直にうなずく人間がどれだけいるっていうんだろう。
否定しない時点で、肯定しているようなものだということもわかってはいるけれど。
一人にしてほしい、とはっきり言うほどの願いではなかったものの、そういう気持ちが少なからず存在していたのもまた事実。ええ、言い逃れはできません。
むっつり顔で押し黙った私に、我が意を得たりとばかりにレットくんは笑みを深くした。
「きみは知らないだろうけどさ、ぼくほんとずっときみのこと見てたんだよ。砦にいなかったことも多いし、砦でもある程度のプライバシーは守るようにしてたけど。だから、きみのことはきみが思ってる以上に知ってるし、今のきみがちょっと不思議」
「不思議……ですか?」
「砦にいたときのきみはさ、もっと自由だった。自分のしたいことしてたし、毎日楽しそうだった。もちろん、カラ元気のときもあっただろうけど」
すべて知っているかのように語るレットくんは、いったいどこからどこまで見ていたんだろうか。
隊長さんと恋人になるまでのあれやこれや。仕事や食事や休憩時間の日常風景。町に行ったり、隊長さんとラブラブしたり……隊長さんの腕の中で大泣きしたりもした。
カラ元気は否定できない。隊長さんのおかげで今はそんなことはないけれど、自分の気持ちから目を背けていたこともあった。
それでも私は、それも含めて"自分のしたいようにしていた"んだと思う。
「王太子に文句言いにいったり、舐めきってる侍女にケンカ売ったり、自分は精霊の客人だーって暴露したり、サクラちゃんならするかと思ってた。別に鎖につながれてるわけでもないのに、なんでおとなしくしてるんだろって、不思議」
隊長さんと引き離されて、王都に連れてこられて今日で三日。
王太子に言いたいことは山ほどある。侍女さんたちの態度にはちょっとムッとしているし、精霊の客人としてならもっと丁重に扱ってもらえるんじゃと思ったりもした。
でも、何も行動には移さなかった。ココリア様とのお茶会のために半ば無理やり追い立てられたとき以外、部屋から一歩も出なかった。
それはレットくんからしてみれば、私らしくないように見えたんだろう。
部屋にこもるのは、何もこれが初めてのことじゃない。
レットくんがどこまで知っているかはわからないけど、私はこの世界に来てから一週間以上、隊長さんの部屋から一歩も外に出なかった。
女性を含む使用人はみんな避難してしまった砦にいたのは、戦闘直後の気が立った隊員さんたち。貞操の保障ができないと言われたら、わざわざ安全地帯から出ようとは思わない。
あのときの私は、そんな状況でもきっと自由だった。もちろん行動は制限されていたけど、心は自由だった。ここにいれば安心だと素直に信じられたし、非日常にドキドキしてすらいた。
今と似たような状況のはずなのに、今とはまったく違った。
違うのは……隊長さんが、いるかいないか。
ああ、そうか。
私は……。
「……こわいから、かな」
「こわい?」
子どもみたいに首をかしげるレットくんに、私は苦く微笑んでみせた。
「私、たぶん、自分で思ってた以上に子どもだったんですよ。自分一人じゃ、何もできないくらい」
隊長さんが、いないから。
そのままの私を見てくれて、受け入れてくれる人が、ここにはいないから。
たったそれだけのことで、私は私らしく行動することができなくなってしまう。
未知に怯えることなく突っ込んでいけたのは、何かあれば隊長さんが守ってくれるってわかっていたから。人との衝突が怖くなかったのは、隊長さんが公平な目で見てくれると知っていたから。
私がこの世界でも私のままでいられたのは、隊長さんのおかげだったんだ。
そんな簡単なことに、隊長さんと離れて初めて気づくことができた。
「きみが少しくらい無茶したって、ぼくたちでフォローできるのになぁ。何かしでかしてくれたほうがおもしろいのに。やっぱ第五の隊長さんじゃなきゃだめかぁ」
「うん、だめみたいです」
「そっか、じゃあしょーがないね。今日はしばらく一人にしてあげる」
レットくんは気分を害した様子はなく、軽い調子でそう言った。
守ってもらっている立場なのに、引き下がってくれたことにほっとする私は、本当に勝手だ。
「……レットくんがいてくれて、よかったって思ってるのも本当なんですよ」
何を言っても意味はないとわかっていながら、つい、言い訳のように付け足してしまった。
一人じゃない、という事実は大きい。それだけで私はどうにか震えそうになる両足を踏ん張っていられる。
でも、それは、隊長さんが与えてくれる絶対の安心感には程遠い。
「うん、知ってる」
レットくんはかわいらしい笑顔を置き土産にして、ササッと天井裏に消えていった。
私のわがままを笑って許してくれちゃうレットくんは、本当にいい人だなぁ。
レットくんに限らず、私はこの世界の優しい人たちに支えられながら、今までそのお返しも満足にできないまま過ごしてきた。
いったいいつになったら、私は優しさに優しさを返せる人間になれるんだろう。誠意に誠意で応えられる人間になれるんだろう。
レットくんの消えた天井をぼんやりと見上げながら、込み上げてきたため息を飲み込んだ。
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