16:修羅場ってみました

 これはいったい、どういうことなのか……。

 誰か私に教えてくれないでしょうか。


「紅茶のおかわりはいかが?」


 丸テーブルの向こう側で微笑んでいらっしゃるのは、この国の王太子妃。

 つまりは、あの性悪王太子フロスティンの奥方様で……。

 ほんと、どうしてこうなった!?


「えっと、あの……いただきます」


 私がそう言うと、すぐに傍にいた王太子妃様の侍女さんが紅茶をついでくれた。

 厚かましいかもしれないけど、断るのもそれはそれで失礼かなとも思うし。どう答えるのが正解なんだろう、この場合。

 居心地が悪すぎて笑顔のまま表情筋が固まってるし、カップを持つ手は油を差し忘れたロボットみたいにぎこちなくしか動かせない。

 王太子妃様が目の保養になる美人さんなことが、唯一ありがたい点だろうか。


「そんなに緊張しないで。取って食べたりはしないから」


 くすくすと笑う王太子妃様はとても優雅で、女の私から見ても美しい。

 チョコレートブラウンの髪に澄んだ水色の瞳。王太子みたいに華やかな印象はないけれど、楚々とした立ち振舞いはまるで白百合の花のよう。

 あの性悪王太子だったらもっと派手な女性を選びそうなのに、と思ったのは嫌みとかではなくむしろ逆で、それくらい感じのいい女性だった。


 事の起こりは、と説明できるほど私もちゃんとこの状態を理解しているわけじゃない。

 王太子にお妃様がいると知った、その翌日。私のもとに、そのお妃様本人からのお茶会の招待状が届いた。

 最初から拒否権のない私は、手紙をじっくりと読む時間すら与えられずに侍女さんたちに身体を磨かれ、王太子妃の前に立っても恥ずかしくないくらいに着飾らせられた。

 これまで着たことのなかったドレスは重くて動きにくい。今も、お茶をこぼして汚してしまったらどうしようなんて考えてしまう。

 お茶会は、侍女を除けば王太子妃様と二人っきりだから、とりあえずロマンス小説なんかで見る"みんなの前で恥をかかせてどーのこーの"ってことではなさそうだ。

 でも、理由もなくこんな場を設けることもないだろうから、きっと何かしら私に言いたいことがあるんだろう。


「あ、あの……私……」


 会ったこともない王太子妃様がわざわざ私を呼ぶなんて、理由は一つしか考えられない。"王太子の寵姫"の噂のことだろう。

 真実を知らない人からすれば、これは本命と浮気相手のお茶会だ。なんだこの修羅場。自分がその当事者だなんて信じたくない。

 王太子と私の間には本当に何もなくて、それどころかお互い嫌い合っているような関係なんだってことを説明しないと、とは思うんだけど。

 お妃様に対して、まさかあの王太子が全部悪いんですと言うわけにもいかないし。

 ちょっと言葉選びを間違えただけで失礼極まりないことになりそうで、迂闊に口を開けなかった。


「少しの間、二人っきりにしてもらえるかしら」

「承知いたしました」


 私がまごまごと口を動かしていると、王太子妃様はそう周りの侍女さんたちを下がらせた。

 あっというまに部屋には私と王太子妃様、二人っきり。素早い。展開についていけない。

 誰の目もないところでいったい何を言うつもりだろう。

 ああ、嫌だなぁこの考え方。……疑いたいわけじゃないのに。


「ごめんなさいね。他の人がいると、あなたも話しにくいかと思って」

「あ、はい……それはまあ……」


 ほんわりと和むような笑みを向けられて、私は曖昧にうなずくことしかできなかった。

 たしかに侍女さんたちがいると妙な威圧感みたいなものがあって話しづらいけど、王太子妃様と二人っきりっていうのもそれはそれで緊張する。

 隊長さんがお貴族様だって知ったときはそんなことはなかったのに、この緊張感はなんなんだろう。

 あのときはまだ隊長さんの身分の高さを理解してなかったからってことも、もちろんある。ただそれ以上に、ここが王宮だってことと、王太子妃様が見るからに住む世界の違う、お上品な空気をまとっているからというのが大きいかもしれない。


「噂のことなら私も、私の侍女たちも信じていないから気にしないで。どうせまたフロウ様が好き放題にしたのでしょう?」


 え、と私は目を丸くした。

 フロウ様というのは、フロスティン王太子の愛称だろう。奥さんからはそう呼ばれているらしい。

 噂を信じずにいてくれたことはありがたいのに、話の早さに戸惑ってしまう。

 というか、それならどうして私をこの場に招待したんだろうか。


「また、ですか……?」

「ええ。本当に困った人ね。精霊の客人を、順序も考えずに連れてくるだなんて」


 悩ましげに告げられた言葉に、私は今度こそ驚きを隠せなかった。

 私が精霊の客人だって知っているのは、ここでは王太子だけのはずだ。

 レットくん情報でも、私にまつわる噂はどれも、精霊のせの字も出ていないって話だった。


「王太子様から聞いたんですか?」

「いいえ。あの人は誰にも言わずに一人で動いてしまう人だから」

「じゃあなんで……」


 うまく言葉にできなかった私の問いは、ちゃんと理解してもらえたようだ。

 テーブルの向こう側で、王太子妃様はきれいに微笑んだ。


「私も、少しだけ精霊の声が聞こえるの。愛み人ではないけれど、相性がいいみたいで。フロウ様ももちろんそのことは知っているのだけれど……気づいているとわかっていても自分から話さないのは、きっと後ろめたいんでしょうね」


 なるほど、王太子も精霊から私の存在を知ったって言っていたし、それなら納得だ。精霊の愛み人や護り人以外でもそういった人がいることは初めて知ったけど。

 しかし、王太子は後ろめたいっていうより、後ろ暗いんじゃ……。

 王太子妃様の語る王太子は、私の知っている性悪王太子とは違う人物みたいに思えた。


「あの、それなら私の正体に気づいている人は、他にもいるんでしょうか?」

「そうね。精霊の愛み人はこの王都にも数えるほどしかいないけれど、私のように時折その声を耳にする人もいますから。ただ……あなたがフロウ様の庇護を受け、フロウ様が口を開かない今、王太子を差し置いて物を言える人間はいないわね」


 あ、あの性悪王太子め……!!

 つまり、私が今困った状況にいるのは、王太子が私について口をつぐんでいるからってことだ。

 王太子がちゃんと周りに対して私が精霊の客人だと説明しておけば、こんなことにはならなかった。

 それを言ったら、そもそも隊長さんを弾いて私だけを連れてきたことや、王太子の部屋に転移したことも、全部が私にとって悪いほうに働いている。王太子は、それを狙っていたんだろうけど。

 そして……きっと今私が何を言ったところで、王太子の口から語られない以上、誰も聞く耳を持たないんだろう。そう容易に想像がついてしまった。

 改めて、八方塞がりな状況に立っていることに気づかされた。


「私の目が届く範囲では、あなたに負の感情が向かないよう気を配っているのですけれど。毒蛇を贈られたと聞きました。ごめんなさい、恐ろしかったでしょう?」

「あの、王太子妃様に謝っていただくことではありません」

「いいえ。私の立場が盤石なものであれば、あなたに矛先が向くこともなかったのですから」

「そんなことは……!」


 私に王太子妃様側の事情はわからない。でも、この人が優しい人なのは、少し話しただけでも伝わってきた。

 それこそ、王太子にはもったいないくらい素敵な女性だと思う。

 まったくもう、自分の奥さんにこんな顔をさせてまで、王太子はいったい何がしたいんだ。


「私にできることは多くないでしょうが……まずは、食べましょう? 昨日は何も召し上がらなかったと聞いています」

「あ、それは、その……」


 まさかそんな気遣いをされるとは思ってなくて、うまく反応できなかった。

 昨日も今日もレットくんにご飯をもらったから、王太子妃様が考えてるほどにはひもじい思いはしていない。

 たしかに、パンだとか運びやすい簡単なものしか食べてないから、腹八分目というか五分目くらいだけど。

 王太子妃様が敵じゃなかったとしても、秘密の護衛の存在までは打ち明けられない。

 慌てる私に王太子妃様は何を思ったのか、悲しげに瞳を伏せた。


「毒は……本当に恐ろしいものです。あなたが警戒するのも当然のこと。けれど、食事を取らなければ身体も、心の上でもどんどん弱っていってしまいます」


 それは、そのとおりだと思う。

 実際昨日の私は一瞬心が折れかけた。

 持ち直したのはもちろんレットくんの存在が大きいけれど、すごく単純な話、お腹が満たされたからっていうのもあるんだろう。

 食事や睡眠が心にも大きな影響を及ぼすのは、現代では常識だったしね。


「毒蛇は、ほぼ間違いなく王太子妃派の仕業でしょう。それについては本当に申し訳ないのですが、逆に考えれば、私も口にする食事に毒が盛られる心配はありません」


 にっこり、と一転して朗らかに笑う王太子妃様に、思わず目をぱちぱちとさせてしまった。

 つまり、動機がわかっているならそれを逆手に取って対応しようっていうことか。

 そしてたぶん、王太子妃派の中で私を排除しようとしていた人たちを牽制する意味合いもあるんだろう。


「……もしかして、王太子妃様。最初からそのために……」

「王太子妃としても、フロウ様の妻としても、今回の件には責任がありますから。少しでもあなたの心が休まるように取り計らいたいの」


 涼やかな水色の瞳には、あたたかなぬくもりが宿っている。

 思い返せば、先に紅茶を口にしたのも、先にお菓子に手を伸ばしたのも王太子妃様だった。緊張のしすぎでそこまで頭が回っていなかったけれど、毒を恐れる私の気持ちを汲んでくれたんだろう。

 テーブルには、お菓子だけじゃなく軽食まで並んでいた。さらにはイチゴやトマトなんかの赤い食材が見当たらないところにも細やかな配慮が感じられる。

 最初から、私に食べさせるためにこの場を設けたのだと、遅ればせながら気がついた。


「ありがとう……ございます。王太子妃様は、何も悪くないのに……」


 王太子妃様の優しさに、目頭が熱くなってきた。

 オフィがいて、レットくんもいてくれる。それだけでもありがたかったのに、こうして王太子妃様まで気にかけてくれている。

 私は、たくさんの善意に支えられているんだ。


「ココリア、と呼んでくださいませんか。私もあなたを名前で呼ばせてもらってもいいかしら」

「あっ、名乗りもしないで失礼しました……! サクラ、です。サクラ・ミナカミ。お気遣い、ありがとうございます、ココリア様」


 私がそう呼ぶと、ココリア様は、それはそれは美しい微笑みを浮かべてみせた。


「サクラさん、フロウ様に遠慮することはないですからね」


 えーっと……それは、遠慮しないで歯向かっていいって、そういうことでしょうか。

 王太子って、あなたの旦那様ですよね?

 ココリア様って、実はわりと、イイ性格をしてらっしゃる?



 ……まさかの、お妃様の許可が下りてしまいました。

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