15:私、王太子の寵姫になっちゃいました!?

 用意された朝食を見て、私はウッと顔を引きつらせた。

 深皿に並々と入ったトマトスープ。このタイミングで、いじめとしか思えないメニューだ。

 実際、そういう意図があったとしてもおかしくないんだろう。侍女にしろ護衛にしろ、好意的じゃない空気はヒシヒシと感じているから。


「……ごめんなさい。下げてください」


 しばらくスープとにらめっこしたのち、作ってくれた人に申し訳なく思いながらもそう言った。

 にょろにょろとした物体から流れ、床に広がっていた赤を、どうしても連想してしまう。

 それに……と、私は侍女さんたちが部屋を辞してからため息をつく。

 もし、あの朝食に毒が入っていたら。

 そう考えてしまうと、もう何も口にできそうになかった。

 過剰反応かもしれなくても、それくらいあの毒蛇は私にとって青天の霹靂だった。


「食事は身体の資本ですー」


 何をやる気にもなれずにベッドに寝転がっていたら、そんな言葉と共に天井から人が降ってきた。

 一瞬ビックリして飛び上がったけど、すぐに昨日見たばかりの人物だと気づいて、へなへなと脱力する。

 黒茶色の短髪に赤みがかった茶色の瞳。陽の光の元で見るとだいぶ印象は違うものの、その少年のような容姿と邪気のない笑みは、間違えようがなかった。

 さっきまでベッドの下にいたはずなのに、いつのまに天井裏に移動していたんだろうか。


「レットくん……」

「弱ってるねぇ。ま、無理もないか。よしよし怖かったね」

「心がこもってません……」

「んー、慰めたいのはほんとだけど、ぼくはあんなのよりもっと怖いものたくさん知ってるしなー」


 もっと怖いものってなんだろう。聞きたいような、聞きたくないような。

 第十一師団――別名隠密部隊は、軍の連絡係ということになっているけれど、間者の真似事もすると隊長さんに聞いたことがある。

 詳しい仕事内容はわからなくても、人間社会の闇の面を見てきただろうことくらいはわかる。

 きっとレットくんの知る“怖いもの”は、私の想像なんか簡単に飛び越えてしまうだろう。


「これ、食べる?」


 レットくんはそう言って、紙に包まれた何かを私に差し出した。

 促されるままに受け取って開けてみると、白パンに野菜や肉を挟んだサンドイッチだった。見た目は、某有名なファーストフード店が朝に出しているメニューに似てなくもない。


「いつのまにこんなものを……」

「ぼくだって食べなきゃ働けないからね。今はずっときみについてるから、お仲間に持ってきてもらってる」

「え、じゃあこれレットくんのご飯ですか? だめですよちゃんと食べなきゃ!」

「今はぼくよりきみのことー。ほんと、倒れそうな顔色してるよ?」


 サンドイッチを返そうとしても彼は受け取らず、無造作に腰を折って顔を覗き込んできた。

 長めの前髪の間から覗く、赤っぽい茶色の瞳。その奥で一瞬炎のようなものが揺らめいたかと思うと、ニィっと細められて笑みの形になった。


「あとで甘いものとかも持ってきてもらうよ。今はとりあえずこれだけで我慢して」


 再度、サンドイッチを握らされる。有無を言わせない押しの強さに、私は根負けした。

 だって、レットくんの瞳がとっても優しかったんだ。私を心から案じてるとわかる表情と言葉に、ちょっと涙腺がゆるみそうになった。

 おいしそうなサンドイッチに、毒が入ってるかも、とは今度は欠片も思わなかった。

 昨日知り合ったばかりの男の人。過去に一回会っているといってもちらりと見かけた程度なのに、だいぶ気を許してしまっている自分がなんだか不思議だ。

 少し幼さの残る容姿と、憎めない雰囲気。それにやっぱり、どことなく感じる懐かしさのせいだろうか。


「ありがとう……いただきます」


 お礼を言って、もぐ、と大きく一口。

 サンドイッチは作ってから少し時間が経っているのか、パンは微妙にパサパサ、野菜は若干しんなりとしていて、でも味のついた肉との相性は最高だった。

 空腹は最大の調味料とはよく言ったもので、昨日食べたお高そうなメニューよりもずっとおいしかった。

 二口三口、四口と夢中になって食べていると、だんだんと気持ちが上向いていくのを感じた。

 正確には、上というとちょっと違う方向かもしれないけど。


「……なんか、ムカムカしてきました」

「おー、いつもの調子戻ってきた?」


 人間の身体っていうものは、案外単純にできているもの。お腹が空いてるだけで悲観的になってしまったりもする。

 お腹が満たされて、現状の理不尽さに腹を立てるだけの元気が出てきた。


「毒蛇ですよ、毒蛇。ひどくないですか。か弱い乙女にする仕打ちじゃないですよ。しかもやり方が汚いです。正々堂々と姿を見せろってんですよ」

「ま、お貴族様ってそういうものだしー?」

「だいたい、なんで私が狙われなきゃいけないんですか? 歓迎されたいとまでは言いませんけど、仮にも王太子のお客様ってなってるんだから、もっと丁重にもてなされるものなんじゃないんですか!?」


 大声を出して侍女さんが部屋に入ってきたら困るから、声量は控えめにしながらも興奮は収まらない。

 王太子が私だけを連れてきた理由もわからないままだっていうのに、今度は毒蛇騒動。

 自慢じゃないけど私はあの小隊長さんが認めるくらいにはコミュ力があるし、これまでソリが合わない人がいてもどうにかこうにか距離を測って付き合ってきた。もしかしたら私の知らないところでは色々あったかもしれないけど、こんな、わけもわからず一方的に敵意を向けられることなんてなかった。

 王太子の意地悪は性格だとしても、侍女さんたちも護衛も最初から取りつく島がなかった。いったい私が何をしたっていうんだろう。


「あー……それ、理由知りたい?」

「理由、ですか?」

「精霊の客人ちゃんが歓迎されてない理由」

「え、なんですかそれ。ちょっと聞くの怖いんですけど」

「じゃ、やめる?」

「やめないでくださいよ! 聞かないほうがもっと怖いです!」


 自分に落ち度があるのか、何か行き違いがあるのかはわからないけど、それを知らないままでいるのは怖すぎる。

 聞きたくない気持ちもありつつ、逃げていたって先には進めない。

 それに、理由もなく嫌われるよりはまだ希望がある。そこをどうにかすれば状況が改善できるってことだから。


「あのね、“王太子の寵姫”ってことになってるんだよね」


 レットくんが口にした言葉は、聞き慣れないものだった。

 単語として頭に入ってこなくて、私は首をかしげる。


「ちょうき。って?」

「王太子の寵愛を受ける姫君」

「……は?」


 目が点になる、とはこういうことを言うのかもしれない。

 ちょうあい。寵愛。でろでろに愛されること。

 私が、王太子の、寵姫……!?


「しかも、どこの誰かはわからないけど、立ち振舞いからして庶民のようだ。ともなれば、みんなおもしろくないよねぇ」


 そうだよね、私は姫なんてガラじゃないもんね。

 砦のみんなも基本そんなお上品とかじゃなかったし、行儀作法なんて習ってない。

 今さらだけど、王都に行くってわかったときに、隊長さんや小隊長さんにちょっと教えてもらうんだった。まあ、ドタバタしててそれどころじゃなかったから、しょうがない。

 なんて、思考がそれちゃったけど、私の頭の中は事実無根の情報をもたらされて大混乱中だ。


「ちょ、ま、待って……! 寵愛って、え、あ、愛……!?」

「まー王太子がきみについて何も語ろうとしないからね。口さがないお貴族様の間じゃあ無責任な噂が飛び交うよねぇ。王宮じゃぼくらも表立って動けないし」

「わ、わけわかんない……たった一日で……」


 昨日の昼前に来て、ちょうど丸一日。たったそれだけの時間でどうしてそんなことになるんだろう。

 しかも、毒蛇事件は朝なんだから、昨日のうちにはその噂がもう出回っていたってことだ。

 王宮って、おそろしい……。


「王太子が故意に、君に害意が向くよう仕向けたって可能性もある」


 レットくんは人差し指を私に向けて、真面目な顔をして言った。

 考えたくない可能性だけど、あの王太子ならありえるかもしれないと思ってしまった。


「……私をいじめるために?」

「さあ? それはわからないけど。最近、ちょっとお妃様周辺も穏やかじゃなかったから、お妃様派の中でも過激な人が暴走しちゃったんだろうね」

「……へ」

「ん? なんか変なこと言った?」

「お、お妃様が……イラッシャルンデスカ……?」


 思わずカタコトになってしまうくらい、激しく動揺した。

 お妃様って、妻とか、奥さんとか、細君とか言われる人のことだよね?

 それって、王太子がもう結婚してるって意味だよね?

 あの……王太子が……?


「あれ、知らなかった? そりゃ王太子だし、もう二十六歳とかだしね。いても何も不思議じゃないでしょ」


 レットくんは、何を今さら、とばかりにケロリとしている。

 それはたしかに、この世界の常識ではそうなのかもしれないけど。

 年々晩婚化が進んでいた私の世界じゃ、三十過ぎても結婚してない人なんて普通だったし。

 漫画や小説の影響か、なんとなく王子って、未婚のイメージが強かったし。

 王太子より年上の隊長さんだってフリーだったし。

 何より……あんなに性格悪いのに。



 王太子、奥さんいたんかーい!!

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