09:出発の前夜を秘めやかに過ごしました
あっというまに日は過ぎて、今日はもう王都に行く前日だ。
「はー……サクラも明日には王都に行っちゃうのね……」
「寂しくなりますね……」
エルミアさんとハニーナちゃんと、お昼を食堂で取る。
明日からこの砦を留守にするとは思えないくらいいつもどおりだった。
「大丈夫ですよ! ちょちょっと行って、パパッと帰ってくるので!」
寂しがってくれるのはうれしいけど、しんみりされるとまるで永遠のお別れみたいじゃないか。
私はまたこの砦に戻ってくるんだから、笑って見送ってほしかった。
もちろん、後見人の件とか、私一人ではどうにもできないこともあるけど、きっとなんとかなるはずだって信じるしかない。
隊長さんっていう最大最強の味方がいれば、全部いい方向に行くような気がした。
「心配だわ~、あんた王都でも問題起こしそうで」
「え、ちょっと待ってくださいエルミアさん。私いつ問題起こしましたっけ?」
「いつもじゃないの」
「あの、いつも賑やかでいいと思いますよ」
「ハニーナちゃん天使か……! でもそれ、問題を起こしてるってことを否定はしてないですよね!?」
「あ、え、えっと……」
どもって言葉が続かないハニーナちゃんに、私が二人にどう見られていたのかがわかってしまった。
まさかまさか、『寂しくなる』って、『しばらく見世物が見られなくて寂しい』って意味じゃないよね!? 違うよね!?
たしかに、ここではだいぶのびのび過ごさせてもらってるけど、王都に、しかも王宮に行くことになるんだから、できる限りちゃんとするつもりだ。
エルミアさんもハニーナちゃんも、もうちょっと私のことを信用してくれてもいいと思う。
「ま、お土産話を楽しみにしてるから、早く帰ってきなさいね」
「はい! お土産も買ってきますね!」
優しく笑いかけられて、私の機嫌はそれだけで元通りだ。
やっぱりエルミアさんは姉御って感じだなぁ。
「あ、本当? じゃあ僕には王都で流行ってるルイヒの頬紅をよろしく」
ひょこり、と横から顔を出してきたのは、エルミアさんのお兄ちゃんのシャルトルさんだった。
手に持っていたトレイを私の隣の席に置いて、了承を取ることなく隣に腰を下ろした。
ルイヒというのはたぶんお店の名前なんだろう。でも……頬紅?
「……女装でもするんですか?」
「そんなわけないでしょ。かわいい子への贈り物にね」
「そういうのは自分で買わないと意味ないです!」
人からもらったお土産を使って女の子を口説くつもりか、シャルトルさん!
そういうの、よくないと思います!
「サクラ、兄さんは冗談で言ってるだけよ。本気にしないの」
「はっ……私、もてあそばれた!?」
「ちょっとサクラちゃん、誤解を招くようなこと言わないでくれない? 隊長に聞かれでもしたら命が危ないんだけど」
「自業自得でしょ」
エルミアさん、実のお兄ちゃん相手にも容赦ないよね。
これは、もし恋人でもできたときには確実に彼氏さんは尻に敷かれるね!
エルミアさんの肉感的なお尻になら喜んで敷かれたいって人は、いくらでもいそうだけど。
「二対一で形勢不利だなぁ。ビリーからも何か言ってよ」
「俺を巻き込むな」
シャルトルさんが振り返ったと思ったら、冷ややかな声が後ろから聞こえてきた。
どうやらビリーさんはちょうど後ろを通り過ぎようとしていたところのようだ。
声をかけられたから立ち止まらざるをえなかったビリーさんは、迷惑そうに眉間にシワを寄せていた。
「ビリーさんもお土産いります?」
とりあえず、社交辞令でそう言ってみる。
ビリーさんには嫌われているし、絶対断られるのはわかっていたけれど。
「いらねぇ。……短剣、持ってけよ」
「う。わ、わかってますよ。忘れていたかったのに……」
無慈悲な忠告に、私は一気にテンションが下がってしまった。
実は、小隊長さんにも同じこと言われてたんだよねぇ……。
いまだに剣を握ることに拒否感があるのに、万が一のために、って言われたらうなずくしかない。
なんていっても、この世界での先輩方のありがた~いお言葉なんだから。
「まあ、王都も王都で危険はあるからねぇ。用心するに越したことはないよ」
「特にサクラはトラブルメーカーだものねぇ」
「うう、否定したいけどできない……」
うなだれる私を見て、男性が混ざったことで戸惑っていたハニーナちゃんも、クスクスと楽しそうに笑ってくれた。
……いや、笑われた、のかな?
* * * *
その日の夜。
「あの、隊長さん。今日はお泊りしてもいいですか?」
隊長さんの部屋でご飯を食べ終えて、ソファーでまったりしていたときに、私は思いきってお願いしてみた。
ここ数日、王都に行く準備で忙しくて、全然イチャイチャできてなかったし。
隣に座る隊長さんに、期待を込めたまなざしを向ける。
「……それは、」
「もちろん、そういうの込みで」
何かを言われる前に、先回りした。
王太子がこの砦にやってきてから、なんだかんだで一緒の夜を過ごしていなかった。
いや、たぶんだけど、隊長さんはそれを避けていたんだと思う。
複雑に揺れる、青みを帯びた灰色の瞳を見て、私はそう確信した。
「……今、フロスティンが砦にいる」
「そうですね」
「あいつは精霊の声が聞こえる。精霊は、噂話が好きらしい。つまり……」
つまり……?
言葉を濁した隊長さんのその続きを、私は想像で補完する。
「これからすることも全部筒抜けってことですか?」
「その可能性が高い」
なるほど、なるほど。
そういえば、王太子は千の耳を持ってるとか言われているんだっけ。
だから隊長さんはここ数日、CどころかAもBもしようとしなかったのか。
真面目で奥ゆかしい隊長さんなら、あいつらエッチしてたんだぜーって噂が実の従弟に聞かれるとわかっていて、メイクラブをする気にはなれないだろう。
でも……あいにくと私は、そんなに真面目な性格はしていないのだ。
「隊……グレイスさん。私、グレイスさんが好きです」
「……ああ」
「恋人同士がエッチするのは、当たり前のことだと思うんです。もし今夜のことがバレたとしても、それって今さらじゃないですか?」
私と隊長さんがそういう関係だってことは、この砦の誰もが知っていることだ。
身体の関係を持たない恋人同士なんて、私にしてみればそっちのほうが不健全じゃないかって思うし。もちろんプラトニックラブを否定するつもりはないけども。
「……覗き見されるようなものだぞ。気にならないのか」
「最中を見られるのと、その事実をあとで知られるのは、だいぶ違う気がします。それに、私だって精霊とお話できるけど、噂話は聞いたことないですし。意外と大丈夫かもしれませんよ」
監視カメラが設置されてるっていうんならさすがに気になるけど、致してた事実を知られるくらいなら別にどうってことない。
そもそも精霊は姿を見せるのも気まぐれで、またここ二週間くらいお目にかかっていなかった。
オフィ以外の精霊に会ったこともないし、この砦には精霊が少ないのかもしれない。
「グレイスさんは、私が欲しくないですか?」
私との間に置かれていた手に、するりと指を絡ませるように重ねる。
ただ、隊長さんを肌で感じたかった。
王都に行くことへの不安や、王太子に対しての複雑な気持ち。そういったものを、隊長さんと二人で分かち合って、溶かしてしまいたかった。
前みたく、もやもやとした思いをごまかすために抱いてほしいのとは、似ているようでまったく違う。
「……お前の誘惑は、いつも、抗いがたい」
迷うように、ゆっくりと隊長さんの手が伸ばされる。
私の頬を包み込んだその手のひらに、ちゅ、と軽くキスをした。
冷静さを残していた灰色の瞳に、とろりと甘い色がにじむのが見て取れた。
「抱いてください、グレイスさん」
私のその“お願い”に、彼は観念したように小さく息をついて。
それから、私を優しく抱え上げて、寝室まで連れて行ってくれた。
一人では肌寒い秋の夜も、二人なら焦げそうなほど熱い夜になる。
溶け合いそうなほど何度も口づけを交わして、互いの肌の境界線すらあいまいになって、私たちはただの男と女になる。
隊長さん……グレイスさんは、いつも以上に優しくて、それでいてどこか必死だった。
私をつなぎ止めるように注がれる熱が、内に秘めた不安を感じさせた。
必ず守る、と。
短く、小さな声で、けれどはっきりと、彼は言った。
まるで、何かが起こってしまう予兆のように。
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