4 -強がりの笑み-
警笛の音に、俺は瞬時に神経を張り詰めた。
規模は五十体以下。等級はEとF。
これなら俺が出るまでもない、簡単な仕事だろう。
けれど念には念を、と思いすぐに支度をする。
支度といっても、上着を脱いで通信機を身につけ、剣を持っていくだけ。一分とかからない。
等級が高ければ装備を固める必要もあるが、今回は身軽さを優先すべきだ。
「あれ、隊長も出るんですか」
西棟から外に出る途中で、ミルトにかち合った。
「お前もか?」
「まさか。オレは状況を把握しようと思って、一応来てみただけです。魔物と対するつもりありませんよ」
その言葉どおり、戦う意志がないのは帯剣していないことからも見て取れた。
ミルトは魔法も使えなくはないが、低級までだ。戦うつもりなら剣は必須。
この程度の魔物なら、自分が出るまでもないと思ったのだろう。
外に出ようとしたところで、通信機から隠密部隊の声が聞こえてくる。
「ここから南に八百メートル先、か。まっすぐこちらに向かってるとすれば、あと五分ってとこですかね」
後ろにミルトの声を聞きながら、俺は他の隊員と共に南に走った。
南に向かいながらも、周りの隊員に素早く指示を飛ばす。
いくら数が少ないとはいえ、真っ向からぶつかっていてはただの削り合いにしかならない。
この規模の魔物が現れた場合、対処に当たるのは第四小隊と決まっている。それに、俺の直属部隊が幾人か含まれている。
囲い込むようにと、小隊を三分して進行方向を変えさせる。
魔物の襲撃に慣れている隊員はみな、俺の指示どおりに動いてくれる。
正面からぶつかる隊にいた俺は、すぐに魔物と相対することになった。
魔物は群れる習性はあるものの、狩りに群れの特性を活かそうとはしない。
ばらばらに牙を向いてくる小物の魔物を、一閃で斬り伏せていく。
一度に数体を相手にするときは、自分と一番相性のいい風の魔法を使う。
他の隊員には、なるべく一対一に持ち込むようにと、傷を負ったら無理せず下がれと指示を出す。
二十分程度で数は減り、戦いは収束に向かっていた。
魔物にも動物のような本能が備わっている。追い詰められれば窮鼠猫を噛むものだ。
だから、逃げるものは追わないのが魔物退治の鉄則。
だというのに、
「何をやっている、馬鹿がっ!」
「すっ、すみません!!」
逃げようとする魔物を追い、そのせいで他の魔物におそわれて体勢を崩した隊員をかばい、おそってきた魔物を斬って捨てた。
その場を飛び退くほどの余裕もなく、もろに返り血を浴びてしまった。
俺が怒鳴ると、隊員はすぐに立ち上がって後方へと下がった。腕に怪我をしたのだから賢明な判断だ。
小物だったからと、油断をしてしまったのだろう。
たしかあの男は入隊して三年目だったはずだ。
魔物を相手にするのも慣れてきて、自分の力を試したくなるころだ。
けれど、魔物退治は、単純作業ではない。
命の奪い合いだ。
奪われてからでは、遅いのだ。
「うわー、すごい返り血ですね」
砦に戻った俺を迎えたのは、ミルトの呆れたような言葉だった。
さすがというか、彼はこれが俺の血ではないことをすぐに見抜いたようだ。
「すぐに部屋に戻って着替えてきたほうがいいですよ」
「ああ」
そう返事をしてから、気づいた。
……部屋には、サクラがいる。
見せるのか? この、服いっぱいに広がる血を。
「隊長? どうかしたんですか?」
ミルトの問いかけに、俺は眉をひそめてみせた。
お前も事情を知っているだろうに、と。
言わなくても伝わったらしく、ミルトはニコリとこの場に似つかわしくない笑みを浮かべた。
「彼女にも、見せとくべきだとオレは思いますよ」
その言葉に、思わず俺は顔をしかめた。
けれど、ミルトの言うとおりかもしれなかった。
ここはけっして安全な場所などではない。
今回のような魔物の血だけでなく、俺自身の血を見ることだって、これからあるかもしれない。
下手をすれば、彼女自身が害される可能性も、ないとは言えない。
彼女のいた世界には魔法がなく、魔物もいなかったのだという。
なら、彼女は魔物の危険性を知らないのだ。
これから、知っていくしかない。
現実を見せて、教えていくしかない。
「……部屋に戻る」
「シャワーを浴びる時間くらいは作ってあげますよ。でも、事後処理がありますから、なるべく早く戻ってきてくださいね」
ミルトの声を背に、俺は部屋へと戻った。
替えの服があるのは寝室だ。サクラと顔を合わせないわけにはいかない。
気は重いが、仕方がない。
寝室で出迎えてくれたサクラは、俺の姿を見た瞬間に、顔を真っ青にした。
「たっ、隊長さん! 大丈夫ですか!?」
つんのめりそうになりながらも駆け寄ってきて、その手が血で汚れるのも気にせずに身体に触れてくる。
正直、これほどまでの反応は予想していなかった。
返り血だということを教えれば、彼女は安堵の息をついた。
心配してくれたのだと、遅ればせながら理解した。
警笛を話に出され、そんな大切なことも教えていなかったことに気がついた。
けれど今はそれを話しているだけの時間もない。
魔物の心配はするなと声をかけ、急ぎ風呂に入った。
風呂から出てきた俺に、シャツをどうするのか、とサクラは聞いてきた。
真っ赤に染められた服は、使用人のいない今、捨てるしかないように思われた。
「私でよければ、洗いましょうか?」
それは予想外の言葉だった。
血の気の引いた顔は今もそのままだ。
彼女が血を怖がっていることは、見ればすぐにわかった。
なのに、洗う?
いったい何を考えているんだろうか。
断ろうとしても、サクラは食いついてくる。
暇だったからちょうどいい、なんて理由までつけて。
声だけ聞いていれば、いつもどおりのサクラだ。
青白い顔は、無理をしているようにしか見えないというのに。
「……なら、頼もうか」
結局、俺は押し負けた。
本人がやると言っているのなら、それもいいだろうと。
血に慣れる必要もあるのだし、考えようによっては一石二鳥かもしれない。
サクラに血塗れのシャツを手渡し、洗濯に必要なものを用意してから、俺は仕事に戻った。
昼休憩は事後処理でつぶれた。そうなるだろうと予想はしていたが。
魔物は、倒してしまえば死体は残らずに塵となる。分解されて魔力の元になるのだという。
けれどなぜか、血は残る。それは今でも研究者たちを悩ませている謎なのだそうだ。
血の匂いに釣られて他の魔物が現れないよう、できるだけ痕跡を消しておく必要がある。
そして、この砦の最高責任者である俺には、上への報告書を書く必要もあった。
できるかぎり正確な数を、なんて無茶を上は当然のように言う。
隠密部隊の奴らと情報を照らし合わせ、なんとか形にはしたものの。
「今日は、悪かったな」
そうサクラに告げることができたのは、夜、部屋に戻ってからだった。
ここがどんなところなのか、知っておいたほうがいいのはたしかだけれど。
それが、こんな形になってしまったのは、多少申し訳なく思っていた。
血など誰だって見たいものではないはずだ。
サクラのいた世界は、少なくともここよりは平和だったのだろうと、彼女を見ていればわかる。
心構えもなく見せられた血。そしてそれを、彼女自身が望んだとはいえ洗うことになってしまって。
どれだけ心に負担がかかったか、俺には推し量ることはできない。
「気にしないでください。私は大丈夫ですから」
「嘘をつけ」
それがただの虚勢であることは、俺でなくともわかったはずだ。
これでも貴族社会で生きてきたのだから、彼女が無理をしているのは見て取れる。
いつもどおりに思える声のトーンも、それが意識してのものだとよく聞けばわかった。
俺の指摘に、サクラはくしゃりと表情を歪ませた。
泣きそうにも見える顔。
けれど彼女は、笑ってみせた。
「大丈夫、ってことにしといてください。隊長さんが気にするようなことじゃないのは、本当なんですから」
彼女がどうして弱みを見せないのか、わかった。
俺に気を使わせないためにだ。
彼女はわかっているんだろう。自分の存在が少なからず俺の動きを阻害していることに。
だから、これ以上は迷惑をかけないようにと。
彼女は笑って、大丈夫だと言うのだ。
少しくらい迷惑をかけられたところで、俺はどうにもしないというのに。
「無理はするな」
そう言うことしか、できなかった。
もう少し、彼女の心を軽くできる言葉をかけてあげられたなら。
無理をしているわけではない、自然な笑顔を見ることができたのだろうか。
そんな、詮なきことを思ってしまった。
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