言語道断《てらくだ》さんは諦めない!

lest

第1話



「どうも、言語同断 華てらくだ はなといいます。」


軽く俯き、顔を真っ赤にしながら彼女は言った。

なぜ、ただ自分の名を名乗っているだけなのに恥ずかしそうなのかは、初対面の僕でも当然わかった。


(ああ、この娘が噂の……)


「言語同断」と書いて「てらくだ」と読む珍しい苗字を持つ、それもとんでもない美少女がこの学校にいるという話は友人から聞いていた。

だが、ここまで綺麗な人は生まれてから一度だって見たことはなかった。

夕暮れ時の薄暗い校舎裏にいても輝きを放つ桃色の髪が特徴的で、苗字から来るイメージとは正反対な華奢な身体付きと透き通るような瞳のせいで軽く抱き締めるだけで壊れてしまいそうな不思議な女の子だ。そんな子が僕に何の用だろうか。


「僕は三日月 白(みかづき しろ)っていいます。初めまして……だよね?……よろしく、言語同断さん」


僕が取り敢えずといった調子で軽く名乗ると、言語同断てらくださんは目を大きく開き驚いた表情になり、その後今度は微笑んだかと思うと彼女は、こちらの目を見据えながら囁くようにいった。


「し、知ってます!……三日月くんの名前……好きだから……」


僕に目を合わせ、少し恥ずかしそうに微笑む彼女に不覚にもドキッとしてしまった僕は、そっぽを向き照れ笑いを浮かべながら、本題に入ることにした。


「そ、それで、用ってなにかな?」


今朝のことだった。僕がいつも通り登校して下駄箱を開けると、中には綺麗に折りたたまれたノートの切れ端が入っていた。それを開いてみると


「用があるので放課後、校舎裏に来てください。

1-D言語同断 華より」


と書かれていた。

最初は勿論、ラブレターの類いかと思って緊張したが、その荘厳な名前のせいか果たし状のようにも見えてしまい、何だか可笑しくて、だが、そのおかげか今は不思議と彼女と気楽に接せている。

改めて彼女を見てみると、彼女も僕を見ていて自然と再び目が合ってしまった。

しばしの静寂の後、彼女はゆっくりと口を開いた。


「三日月くん…………私と、結婚してください!」


……………………は?



僕の答えはNOだった。もし普通に告白されたとしても僕の答えは変わらなかっただろう。

多分、この答えになぜ?と思う人も少なくないと思う。実際、逆に言語同断てらくださんに告白した人はこの学校内だけでも十人近くいるらしい。

だが、よく考えて欲しい。面と向かって話したのは初めてで、それどころか僕は顔を見たのも初めての相手に告白すっ飛ばして求婚されたんだ。何か深い訳があると考えるのは当然だろう。

それでも、「ならば試しに付き合ってみればいいじゃないか」なんて意見の人もいると思う。

だが、お生憎様僕は誰ともお付き合いする気はなかった。それはプロポーズされてから一週間たった今でも変わらない。

そして、僕は言語同断てらくださんからプロポーズされた事から手紙を貰ったことすらも誰にも言わず、いつも通りの日々を送っていた。

すると、いつからか僕は、校内で度々たびたび言語同断てらくださんに観察されるようになった。最初はその視線を何か用があるのかとも思ったが、近づくどころかそちらを向くだけで隠れられる始末。そんなこんなで一週間たったある日、教室で友人と雑談していると、またしても言語同断てらくださんに観られていることに気が付いた。流石にこのままではいけないと思った僕は少しばかり申し訳ないと思いつつその視線の元へと向かった。


「言語同断さん、何してるの?」


わざと少し威圧的に言うと、あっさりと気圧されてしまった言語同断てらくださんは、直後何かを決意したように毅然とこちらを向き、言い放った。


「私、諦めませんから!……ぜ、絶対に……あなたの妻になってみせますから!」


………だから、なんで工程が一つ飛んでるんですか!?


その後、言語同断てらくださんは周りに人がいる事を今になって気付き、顔を燃え上がりそうな程真っ赤にし僕のいる1-Aの教室から自分の教室へと走って行ってしまった。

……それから僕の身に起こったことは、ご想像にお任せします。

そして、今日の授業とSHR《ショートホームルーム》を終え、帰ろうと席を立ち廊下へと向かう。

僕の通う私立華宮はなみや高校は近年、老朽化が進んだことが問題とされていた。そして、生徒達はもちろん教師達まで不満の声を上げていたため、一昨年に本校舎の大幅改装工事が開始され、今年僕が入学する約2ヶ月前にようやく改装が無事終了した。華宮高校は、学力、芸術、スポーツ全ての分野において、例年優秀な生徒を輩出することで有名で、そのため生徒数も多い所謂いわゆるマンモス校で、偏差値もなかなかに高い。だが、入学当初に抱いていた格式張った堅いイメージとは違い、どちらかというと他の学校よりも緩い……と言うと具体性に欠けると思うが、とにかく気楽に過ごせる学校だと思う。

環境のいい学校で充実した生活を送れるとワクワクしていたのだが、まさか入学してからたった1ヶ月でこんな事になろうとは……。

既に何人もの人(そのほとんどが女子で、男子の場合は全員が振られたorこれから告白しようとしていた人で、中には先生までもが興味本位で聞いてくる事もあった)からの質問攻めに遭い、気力が限界に達していた僕は一人ため息を吐きながら廊下を歩いていた。そして、改めて言語同断てらくださんの意図について考えるが、やっぱり僕にはわからなかった。これ以上考えるのは無駄だと思い、僕は直接彼女に聞いてみることにした。

だが、そこに一つ問題が生じた。

まず、言語同断てらくださんがどこにいるか分からない。部活をしているのか、そもそも部活動に所属しているのか、はたまた帰宅部でもう既に帰ってしまったのか、何もわからない自分の、あまりの周りへの関心の無さに呆れつつも取り敢えず、

彼女の在席する1-Dへと向かった。

まあ、予想していた通り言語同断てらくださんは教室にはいなかった。まあ、放課後だし普通に廊下を歩いているような生徒は僕以外にほとんどいないだろう。

だが、彼女が恐らくまだ校内には居るだろうということは分かった。彼女の使っているリュックサックが本人のであろう机の横に掛かっているのが見えたからだ。この学校は他の学校に比べて何故だか分からないが学校指定のスクールバッグを使用している生徒が多い(かく言う僕もその一人なのだが)。そのため、言語同断てらくださんに告白(というかプロポーズ)をされた時ふと、その綺麗な桃色の髪より色味が強いピンク色のリュックサックが目に入ったのを覚えていた。

まだ帰っていないのならここで待っていれば来るか。そう考えた僕は、教室には入らず、教室の後ろ側にある扉に寄りかかり言語同断てらくださんが来るのを待った。

10分程すると、彼女は僕ですら少し重そうな量のノートの束を抱えながら歩いて来るのが見えた。


「持つよ」


僕が手を差し出すと、彼女は躊躇ためらいながらもありがとうと言って僕にノートの束を差し出した。


「ここでいいかな?」

「う、うん」


僕が棚にノートの束を置くと、しばしお互いに無言の時間が流れる。


(き、気まずい…何か話題を……何かないのか僕!)


焦る僕の気配を読んだのかは分からないが、言語道断てらくださんが、話を切り出した。


「あの、三日月くん」

「な、何かな?」

「さっきは、どうしてあそこに?」

「ああ、実はさ……言語同断さんに聞きたいことがあって……」

「…………!」


すると、僕の聞きたいことの意味を察したのであろう彼女はみるみる顔を赤らめていった。


「聞いてもいいかな?」

「……はい」


不安そうに僕が尋ねると意外にも彼女は承諾してくれた。


「ど、どうして僕に……け、結婚…してほしいって言ってくれたのかな……?」


僕は緊張のあまり変な口調になってしまったとすら思考が回らなくなっていた。


「…………」

「て、言語同断さん?」


彼女は依然として沈黙を続けている。たったの1秒が、途轍もなく長く感じられる……。

そして、永遠にも等しい長さの1分が経とうかとした時、彼女はようやく口を開いた。


「名前……」

「え?」


僕が聞き返すと言語同断てらくださんはこちらを振り向き、僕と彼女の目が合う。綺麗なブラウンの瞳に僕が見入ってしまっていると彼女はその瞳を輝かせながら言った。


「名前が、綺麗だったから」

「……はい?」


全くもって予想外だった答えにまたもや僕が聞き返してしまうと彼女は不服そうに頬を膨らませて言った。


「だ、だって、本当に綺麗な名前だと思ったから……」

「それが、僕を好きになった理由?」


正確には、それだけで?という思いもあったけどそれは言わないでおいた。


「好きじゃないよ?」

「え?」

「私は、三日月君が好きじゃなくて、三日月君の名前が好きなの。だから……」


僕は何年ぶりか、今の発言に珍しく絶句していた。

でもそれと同時に、自分の中にあった違和感が絡まった糸が解けるようにして消えていった。


(ああ、だから[付き合ってください]じゃなくて[結婚してください]なのか……)


つまりは苗字か。確かに、僕と結婚してしまえば僕の家の苗字を正式に名乗ることも出来る。


僕は自分の勘違いによる余りの恥ずかしさに顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。




次の日。


「じゃあ、行ってきまーす」


高校に入学してすぐに一人暮らしを始めたから、もう一ヶ月経つのだけれど、やっぱりこの癖は抜けないなぁと思いながら、僕は扉の鍵を閉めて自分の住むアパートを出た。

いつも通りイヤホンでお気に入りの曲を聴きながら、一人で学校へと向かう。言っておくが決してぼっちなどではない。登校路のかぶる友達がいないだけだ。

丁度1曲目が終わるとほぼ同時に、今まではこの通学路で見掛けなかったある人物と遭遇する。


「よお、白じゃねーか」


そこには、黒くてボサボサの髪にギロリという効果音が付きそうな目をした、一見しなくても不良そうな男が、顔に似合わず明るい笑みを浮かべ立っていた。

青木 涼あおき りょう僕の小学校からの親友であり、僕の従兄弟でもある(これは僕が涼と知り合って二年経ってから知った)。


「おはよう。あれ、涼って家ここら辺だったっけ?」


小学校の時はよく家から近かった涼の家で一緒に遊んでいたのだが、中学二年の時涼が引っ越してからは遊べていなかったため、新しい涼の家のある位置はあやふやだった。


「いや、俺もお前と同じで一人暮らしだよ。つい先週引越して来たばかりなんだ」

「あ、そうなんだ。でもなんで?僕と違って涼の家は学校からそんなに遠くないでしょ?」

「ああ、うん。まあ、そうなんだが……」


やけに言葉を濁した涼に、首を傾げた僕は、自分で質問した後になってようやく気付いた。


「あ、そ、その…………ごめん」

「いや、いいんだ。別に悪気があった訳でもないだろ?」

「それは、そうだけど……」


元々、涼が中学の時に引越したのは、両親の離婚が原因だった。涼は父親に引き取られ、最初は二人で過ごしていたのだが、半年程経ったある日涼の父親が知らない女の人を家に入れ「この人が新しいお前の母親だ」と涼に言ったらしい。(籍は未だ入れていないそうだ)

当然、そう簡単に慣れるはずもなく、僕がまだ中学生の時には、「最近、すげえ家に居づらいんだ……俺このままやってけんのかなぁ」なんて真面目に相談されたこともあった。

恐らく今回の一人暮らしの事もそれが原因なのだろう。考えればすぐに分かったのに、なぜもっと考えられなかったのだろうか。僕が自分を戒めていると、涼が無理矢理明るい声で言った。


「みんな一度は憧れる夢の一人暮らしだぜ!思う存分堪能しねえとな!」

これ以上涼に気を使わせる訳にはいかないと思い僕もできる限りいつも通りに言った。

「うん、そうだね」


そして、更に5分程歩くと(僕の家から学校までは徒歩で15分程だ)、先には珍しい人物がいた。


「ん、白くんだ。おは」


覇気のない力の抜ける挨拶をしてきたのは、僕の中学からの友達でクラスメイトでもある大橋 沙夜おおはし さやさんだ。

彼女は(本人曰く)純日本人であるにも関わらず何故か銀髪で、本人に訪ねても常に「秘密だ」といって終わらせてしまうミステリアス(?)な一面をもつ。

一見すると常にぐったりと脱力しているイメージなのだが、これでも学力はトップクラスで、テストの際にも基本学年五位以内には入っているのが普通だ。そのうえ外見もトップクラスで、中学の時には密かにファンクラブが創られたくらい彼女は皆から尊敬されていた。


(まあ、[みんな]とは[全員ぜんいん]ということではないのは皆さんご存知の事だとは思いますが……)


ちなみに、なぜ僕が大橋さんと仲良くなったのかはお互いしか知らない秘密だったりする。

さっき珍しいと言ったのは、彼女は基本学校に遅刻寸前の時間に登校するからだ。それは中学から高校に上がっても変わらないようだったはずなのだが、今日は何故だかこんな早い時間にいた。


「大橋さん、おはよう」

「もう、沙夜でいいのに……。あ、それと、そっちの野犬みたいなお方もおはようございます」


涼にはわざと皮肉っぽく挨拶する大橋さん。


「誰が野犬か。それを言うならお前はナマケモノだな」

「むう……ナマケモノを馬鹿にするな。ナマケモノはあの見た目で何気に泳げたりするんだぞ……まあ、動かな過ぎて背中に苔生えたりもするけど」

「馬鹿みてーだな」

「ナマケモノを馬鹿にするな!」

「お前のそのナマケモノ愛は一体どこから来るんだ……」


この二人の会話を見ていると、なんだか仲が良いのか悪いのかわからなくなる。まあ、今の距離感を保てているのは僕が頑張ったからなのだが……。というか何で大橋さんはそんな事知ってるの?


と、そうこうしている内に校門を過ぎ昇降口から校内へと入る。この時間は人通りも多いからスムーズに移動しないと、他の人に迷惑がかかってしまう。いつもの如く「まるで通勤ラッシュ時の駅中みたいだな……」などと一人考えながら、いつも通り下駄箱に靴を入れようとする。が、何かに引っかかる。何だろうと思い、取り出そうとした所でふと思う。


(何か、前にもこんな事あったよな……)


俗に言うデジャヴと言うやつだ。今見たり聴いたりした物に、ふと既視感を覚えてしまう事。たしか、今まで見た夢の中の光景と今見てる光景が一致した事で起こる現象だ、なんて説もあったっけか。

靴を取り出し下駄箱の中を覗くと、果たしてそこにはやはり、あの時と同じ薄いピンク色の封筒が入っていた。


「何やってんだ?早く行こーぜ」


振り向くと、そこには涼と大橋さんが立っていた。


「う、うん」


(バレてなかった……のかな)


廊下を3人で歩きながら、僕はさっきの封筒のことについて触れないことにホッと胸を撫で下ろした。

のもつかの間。涼はニヤニヤ顔で言った


「で、さっきのラブレターはなんだよ、白」


僕は自分の中で電流が走ったような感覚に陥った。


(ああ、終わった。よりにもよってこの2人に知られてしまった……)


いや、別にからかわれるとかそうんじゃないんだ。

ただ僕は、前に僕が一度だけ、女の子に告白された時の事を憶えていた。

僕はきっぱりと断った。その娘も残念そうではあったが納得してくれていた。それなのに何故か涼はやたらとその告白してきた娘と僕をくっつけたがるし、挙げ句の果てにはクラスの大半に僕がその娘に黙ると約束していた告白の事が知られてしまった。

そしてそれは、当然のように大橋さんの耳にも届いた。それからは、クラスの人達には呆れられるわ大橋さんには何故か無視されるわでさすがの僕も精神的に参ってしまった。涼も、そんなクラス内での混沌とした状況と、僕の憔悴しきった様子を見る事で、ようやく自分のしたことが余計なお節介で、しかもそれにより周りに迷惑をかけていた事を知り、僕に何度も頭を下げた。

そんな出来事があったせいか、僕ら3人の中での恋愛話は自然となくなっていた。だが、やはり涼にとっては放置するべき話題とは思えなかったのだろう。

もう、あの時の様な思いはしたくない。


(隠すしかないか……)


といっても、半分バレてるようなものなので、方法を変える。というか、隠す標的をこの手紙の存在から、この手紙がラブレターである、という事実にすり替える。


「ああ、これね。頼み事の手紙だよ」


平然な態度を装い、どうか騙されてくれ……と願っていると


「頼み事か、それってどんな?」


(ヤバイ、頼み事の内容までは考えてなかった!)


己の頭の足りなさを悲観しながらも慌てて思考を巡らし、何とかそれらしく答える。


「え、えーと……ぶ、部活の勧誘をね……?わ、わざわざ手紙で言わなくたって、直接言ってくれればいいのにね!」


よし!我ながら上手い言い訳ができたぞ、と僕は心の中でガッツポーズをしていた。


「そっかー……お前、結構運動神経良いもんな」

「そ、そうかなあ」


そう、僕は自分で言うのもなんだがスポーツの類いは得意な方だ。

生まれつき色々と器用なのが功を奏したのだろう、いつもスポーツなどをしていると周りから「フォームが綺麗だ」などとよく言われていた。僕としては、ただ見せられた手本を真似しているだけなのだけど。

まあ、それだけにこの言い訳は涼にあまり違和感を感じさせない最適な選択だったと思う。

そんなこんなで 何とか無事に教室へとたどり着いた。


「じゃあ、また昼休みにね」

「ああ、じゃあな!」


クラスの違う涼と分かれ(大橋さんとは同じ1年A組で、涼はE組だ。E組の教室は、A組の教室とは階段もはさむのでかなりの距離があり、通常の休み時間に会うのは難しいので基本的には昼休みや放課後に会うようにしている)、僕らは自分達の教室へと入っていった。

それからは、いつも通り授業を受けた。

そして昼休み。

いつも通り涼と他2人の男友達と昼食を済ませるも、早々の内に皆と分かれ、他人にはバレないよう滅多に人の来ない特別棟三階の隅にあるトイレの個室にて、問題の手紙をまるで危険物処理班の如く慎重に開いた。

中には前と同じく綺麗に折りたたまれた紙が一枚。それを開き、中身を確認したところ、丁寧な字でこう書かれていた。


「放課後、校門で待っています。

1-D 言語道断 華」


どうしよう。彼女の意図が全く読めない。

諦めない宣言されてから翌日に渡されたこの手紙は、僕自身からするとある種恐怖の対象となりえるものだった。人間、自暴自棄になると本気で何をしてくるか分からないものだと、僕は今までの経験から人一倍学んでいると自負しているし、こうして立て続けに僕の下駄箱に手紙を入れる彼女の行動力は、「やる時はやる」という彼女自身の意思の表明ともとれる。


「やる時はやる……ね」


僕は、ひっそりと笑みを浮かべた。涼や、大橋さんはもちろん、家族にも滅多に見せた事のないこの顔は、自分でも正直異常だと思えた。が、今はそんな事を気にしてはいられない。

僕だって、やる時はやるのだ。


そして、約10分後。昼休みはまだ20分近くも残っているので、まだ大丈夫なはずだ。

僕は、1-Dの教室のドアを開くと、教室全体を見回した。

昼休みは他のクラスの生徒も普通に出入りするので、僕に視線を向けた者はほとんどいなかった。

その中で、いち早く僕の存在に気づいたのは。


「言語道断さん、ちょっといいかな?」

「え……」


僕は、返事も待たずお弁当を仕舞っている途中だった言語道断てらくださんの手を引くと、そのまま廊下へと連れ出した。


「ねぇ……あれって……!」

「キャー!告白するのかな」

「大胆ね」


言語道断てらくださんと相席していた数人の女子がなにやら言っていたようだが、僕は気にせず彼女をとある場所へと連れて行った。


「ここは……?」

「えと、確か生物準備室所……かな?」


今は、標識も何も付いていない完全な空き教室なのだが、ここは他と違い鍵さえかけられていない。というのも、「教師にさえ存在を半ば忘れられた教室」というなんとも悲しい事実から来るものだからだ。

しかも、位置的に授業の際にも通る人はほとんどいないし、この辺りは通常の掃除場所としての対象になっていないので、学期末の大掃除くらいでしかこの辺りに来る者はいない。

そして、埃の被った机に手をつくと、僕は話し始めた。


「ねえ、僕が、どうしてこんな場所に君を連れて来たか分かる?」


その言葉に、彼女はビクッと身震いすると、僕の視線から逃げるように目を逸らしながら、平然を装ってはいるが、少し震え気味の声で言った。


「……あ、朝の手紙のこと?」


彼女の答えは、まあ、妥当なものだろう。だが、


「違うよ」

「え……?じゃあ、一体どうして?」


僕は、自然な動作で微笑むと、扉を背に立ち尽くす彼女へと近づいた。近づいて、近づいて。僕と言語道断てらくださんとの距離が1メートルを切ったところで、僕は、手を伸ばした。

ガチャリ。鍵を閉めた音に、彼女はようやく、自分の状況を自覚した。


「君は、あの日、僕に結婚して欲しいって言ったよね?」


僕は、まっすぐに彼女を見つめると、余裕のある微笑みを崩し、真剣な表現で続けた。


「……そして君は、昨日、諦めないと言った。……それが、どう言う意味を持つのか、君はまるで分かってない!」


言語道断てらくださんは、僕の感情を理解してか、まるで初めて親に叱られたことを自覚した幼児のような、悲しそうな表情をした。


(やめろ。そんな顔をしないでくれ。でないと僕は……)


「分かっていないわけじゃ……ないよ?」


ハッと僕はうつむきかけた顔を彼女へと向けた。


「……嘘だ。君は何も分かっていない。……君は」

「覚悟は、出来てるから。」


僕には、もう、それ以上言葉をかける余裕は無かった。ただ、彼女の姿を、彼女の顔を、彼女の瞳を見つめていた。


「じゃあ、三日月君からも聞かせて。……あなたは、この状況で、私を襲える程の覚悟があるの?」

「……………………」

「もし、私が本当に三日月君と結婚する覚悟があったら、あなたは、それを受け入れる覚悟がある?」

「それは……」


僕は、何故だか答えられなかった。

そんな覚悟は無い。まだ知り合って3日目の娘と結婚する気になんてなれない。だからこそ断ったのだ。

なのに、どうしてそれを、僕は口に出す事ができないのだろうか。


「やっぱり。三日月君は、優しいんだね」

「……え?」

「三日月君が優しいから、私はこうして、普通に君と話すことができてる。君が本当にその気なら、私の口を塞いで無理やりにでも乱暴すればいい。それじゃなくても、私が告白した事を皆に言いふらして馬鹿にするとか、私を貶める方法はいくらでもあるよね。……けど、君はそれをしない。……そんな事、優しい君にはできるはずがない」


僕はその言葉に耐えられなかった。力任せに机を殴りつけると、語気を強め、さらに威圧するように言った。


「……なんだよ、それ。まるで、何もかも分かっているみたいに!」

「分かってるよ」


そして、彼女は、僕に自ら近づくと──────

───僕にそっとキスをした。


「なっ…………ななな、何して…………!?」


僕が顔を真っ赤にして体を仰け反らせると、彼女は満足気に笑んだ。


「フフッ……三日月君って結構、面白い人なんだね」


未だ熱の引かない顔を更に羞恥に染め上げながら、僕はようやく悟った。

ああ、この娘には勝てない…………と。












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