第13話 エピローグ
数時間後。既に日付は変わっていたが、夜明けにはまだ遠い。洋子とアヤタチは最初に会った遥拝所の鳥居の前に立っていた。
事件はすべて終わっていた。
ナシメの身柄は特殊作戦群が引き取った。
ポロニウムと言うウランの百億倍の比放射能を持つ核種を体内に持つナシメを一般の病院に連れて行くわけにも行かず、結局防衛医科大学病院に秘密裏に入院させることとなった。
「可哀想だが、彼が助かることは無い。そして事件の性質上、事が公になることもないだろう。この先死体となっても、彼の体は貴重な研究資料として防衛省の奥深く秘匿され続けるだろう」
そう言って群長は部下に命じて、ナシメを陵から運び出していった。
さらに洋子たちを丁重に天皇陵の外へ連れ出すと、さすがに特殊部隊らしくあっという間に鮮やかなぐらい何の痕跡も残さず撤収して行った。
「ワイらは前方部の工作員仲間を連れて海外に行きます。本当は日御子様が戻ってくるのを待ちたいんやけど、このことが北の政府にばれたらタダではすまんよって。偽造パスポートが有効なうちに三人そろって南の島にでも渡ってしばらく静かに暮らします」
在日の元工作員の若者はそう言って三人で立ち去っていった。尾田が黙っていたところを見ると、あえて彼らの偽造パスポートによる出国を告発する気はないようだった。
そして尾田は洋子のために堺市役所の女性スタッフ専用の仮眠室を提供することを申し出たが、昼間あの石室で十分な睡眠をとった洋子はその申し出を断った。
官房長官への報告業務と事件の事後処理が山のようにあることを理由に、「それじゃあ先に市役所に帰ってるよ。君にも報告業務があるから気が済んだら市役所まで来てくれ」と言い残し、彼もせわしなく天皇陵を後にした。
残されたのは洋子とアヤタチだけだった。
避難命令は解除された筈だったが、付近住民の帰宅のほとんどは多分明朝になるのだろう、信者の去った街は人の気配も少なく静まりかえっていた。
明日になれば、『堺市化学工場火災による住民避難の顛末』としてマスコミも少しは騒ぎ始めるのだろうが、それもまさかこの仁徳天皇陵と関連付けるところまで探り出すほどの取材をするとは思えない。
この事件は永遠に歴史の表舞台に出ることはないのだろう。
「私ね、少しだけナシメさんの気持ちがわかるの」
唐突に洋子は話し始めた。
「彼は、多分どこかで秦氏の血に囚われすぎていたんだと思う。自分の中に秦氏の血が流れていることが、ある時は優越感になり、またある時は劣等感になり、それが原因で周囲とのフラットな人間関係を持つことが出来なくなったのじゃないかな。だからあれ程能力があるのに、イザという時頼れる人が誰もいない」
「昨日会ったばかりの人間のことがようわかるんやな」
アヤタチがからかう様に言ったが、洋子は俯いたまま言葉を続けた。
「あの人はある意味で私と一緒だと感じるの」
「どういうことや?」
「私の先祖はセボレーという名のアメリカ人なの」
「あんたハーフやったんか、どうりで別嬪さんやと思うたわ」
「違うの。セボレーは1830年に当時無人島だった小笠原諸島に初めて移住した白人五人とハワイ人二十五人のうちの一人なの」
そして洋子は、セボレーがあの幕末に日本に開国を迫った黒船の提督、ペリーによって小笠原の村長に任命され、明治になって日本の領有権が認められた後は『瀬掘』と日本式の名前を名乗り、完全な日本人となったこと。しかしながら太平洋戦争では、日本人として協力したものの、硫黄島と父島が空襲を受け始めた戦争末期には本土長野県に疎開を余儀なくされ、その欧米系外見からスパイ扱いなどの迫害を受け、逆に終戦後、アメリカの統治期には、日本人でありながら欧米系の先祖を持つという理由だけで、他の島民が帰島出来ない中、瀬掘家は欧米系住民三十五世帯のうちの一世帯として特別に帰島を許されたという歴史を簡単に説明した。
「そして小笠原は1963年に日本に返還され、かつての日本人島民も帰ってきた。そんな歴史の中で私も自分の瀬掘と言う名前に嫌悪感と罪悪感とそして少しの優越感が混ざった不思議な感情を持つようになったの」
アヤタチは黙ったまま聞いていた。
「多分、私がこんな生意気な性格になったのは、瀬掘という苗字とその歴史のせい。だから秦氏の血に囚われたナシメ、いえ羽田米次郎さんの気持ちが良くわかるの。そして日御子さんに惹かれる気持ちも」
「なんでや」アヤタチが初めて口を開いた。
「私ね、こんな話は今まで自分では絶対に話したことなかった。たまに小笠原の歴史に詳しい人が私の苗字を聞いて気付くこともあったけど、無視していた。私は私、瀬掘なんて名前関係ないと思っていた。でも本当はその考え自体が瀬掘の血に囚われていた証なの。日御子さんと話していると知らないうちに素直に自分のその気持ちに気付いていたわ。そしてすごく気持ちが楽になっていった。まさに日御子さんは私にとって本当の自分を映し出してくれる鏡だった。たぶんそれは羽田さんにとっても同じだったと思う」
そして洋子は思った。
三世紀の日本で卑弥呼に出会ったローマ人ナシムも、まさに自分と同じ悩みを持ちながら、それを卑弥呼によって浄化されたことで、邪馬台国の使者として遠く魏の国まで赴く決心をしたのではないかと。
「ところでさっき、あなたはナシメこと羽田さんが秦氏の末裔だと薄々気付いていたって言っていたけど、あれは何故?」
「同じとは言われへんけど、ワイの祖先とされるスサノオと秦氏も関係が深いんや」
そして今度はアヤタチが、スサノオの伝説自体がかなり中東系の影響を受けていることや、スサノオと同体と言われる牛頭天王や蘇民将来はインドや中東の神であり、さらにそれを遡るとユダヤ教やキリスト教に見られるメシア思想に辿りつくことを話した。
「確かに蘇民将来なんて、名前自体に弥勒菩薩と同じようなメシア思想が色濃く現れているし、ダビデの星の描かれた護符を貼って、蘇民将来の子孫だと証明した者だけが疫病から救われるなんていう信仰は、あのモーゼの出エジプト記で、死を司る神が門にヘブライ人である印の付いた家だけを通り過ぎていくという過越の祭りの起源に酷似しているわね」
「秦氏は、世阿弥の例でわかるように、政界や官界だけでなく芸術の面でも大きな影響力を持っていたんや。またその世阿弥の娘婿である猿楽師金春禅竹の子孫からは大久保長安のように全国を渡り歩き鉱脈を見つける山師も輩出している」
「技芸を生業とする道々の輩や、全国の山を渡り歩く山師といった漂泊民は、あなたのルーツとも言えるサンカとかなり重複する部分があるわね」
洋子の言葉ににアヤタチは深く頷きながら言った。
「そして、卑弥呼と関連性の深い神功皇后を祭る豊前国一ノ宮宇佐八幡宮とスサノオの息子オオクニヌシを祭る出雲大社の二社だけが二拝四拍手一拝という特殊な拝礼なのも両者の関連を暗示しるやろ」
そしてアヤタチは空を見上げるように呟いた。
「羽田という苗字を聞いた時には、既にワイはもしかしたら、ナシメはんもワイらと同じ血を引いているのかも知れへんと思った。ただワイらはアヤタチの名前とともに苗字も捨て、自分のルーツについて悩むことも捨ててるからあんたやナシメはんのように悩む事は無いけどな」
そう言ったアヤタチの横顔に、言葉と裏腹の翳りが見えたような気がした。
「さあ、そろそろワイらもお開きにしようか」
アヤタチが何かの思いを断ち切るかのように言った。
「こんな夜中にどうやって、どこに帰るの?」
洋子の問いにアヤタチは少し笑っただけで、まともに答えようとはしなかった。多分、彼は洋子の知らない本来の彼の居場所に帰るだけなのだろう。
頭上には満月が輝いていた。
「きれいな月ね」
「ああ、そうやな」
「こうやって見ると日御子さんって、まるで満月の夜に月の世界に帰っていったかぐや姫みたいね」
何気なく言った洋子の言葉にアヤタチが沈黙した。
「・・・」
「どうしたの?」
すると彼は唐突に話し始めた。
「月はな、言うて見れば、この世で最大の鏡や。夜の間も太陽の光を反射して輝いてる。
昔の人は本能的にそれを知っていて、かぐや姫の話を伝えたんや」
洋子は彼が何を言い出したのか理解できなかった。
その表情を見てアヤタチが言った。
「何や、気がついて言ったのと違うんか」
「何のこと?」
「ワイはあんたが日御子はんの正体が、かぐや姫やって気付いたのかと思うたんや」
「日御子さんがかぐや姫?」
「そうや、かぐや姫はほんまはかごの姫や」
確かに音は似ている。しかしかぐや姫が籠の姫とすれば、つまりは『かごめかごめ』と『かぐや姫』は同じルーツということなのか。
洋子の考えを先取りするようにアヤタチが解説した。
「かごめの歌はトヨの一族の再来を待望する神職者たちが作った歌や。逆にかぐや姫の話は天武天皇によって皇室の歴史から排斥されたトヨの一族を偲んで宮中の誰かが作った話や」
そういえば、かぐや姫の話、『竹取物語』は「物語の祖」として源氏物語の中でも言及されている日本最古の仮名文学ながら作者も不明だ。しかしながら、かぐや姫に求愛した五人のモデルはほぼ確定されており、すべて天武天皇のもと、壬申の乱で功績があったとされる貴族たちだ。
「中でも一番人間的に醜く描かれている『車持皇子』のモデルは藤原不比等や。なんでかわかるか?」
アヤタチの問いに洋子が答える。
「不比等こそが、天武天皇の命によって古事記や日本書紀の編纂を指揮した中心人物だからね」
「そうや、トヨ一族の歴史を無理矢理皇室の歴史の中に埋め込んだ歴史改ざんの張本人や。竹取物語の作者はそれを後世に伝えるためにこの物語を書いたんや」
「だから、あの時代でありながら、かぐや姫が天皇の求愛を断ったり、月からの一族がこの世を『穢き所』と表現したり、当時としては不敬な表現が平気で使われているのね」
「そうや、ついでに言うと、天皇家とかぐや姫の間で右往左往する竹取の翁がワイらの一族や」
かぐや姫を育て、守るのが何故、農民や貴族でなく賎業とされていた竹細工を扱う竹取の翁なのか、その理由は、天皇家とトヨ一族の間で影の一族として貶められたアヤタチ一族を象徴していたからなのだ。
「あんたらが学校で習った歴史よりも、かごめ歌やかぐや姫の話のほうがよっぽど正確な歴史を伝えているんや」
アヤタチの言葉に洋子は素直に頷いた。
「あんた達の知っている歴史は、たとえて言うなら雪景色を見ているようなもんや。この国には二千年以上にわたって雪が降り積もっている。実際の景色は雪に隠れて見えへん。
所々に雪の下から覗いているものだけを見てこれが日本の形やと思っているだけや」
そう言ったアヤタチの視線の先には、巨大な仁徳天皇陵が聳えている。
月光に照らされて輝くその照葉樹林は確かにまるで雪が積もっているように白く柔らかい稜線を描いていた。
終
仁徳天皇陵を奪還せよ 橋本純一 @happygangan
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