第12話 天の岩戸
尾田、群長は石室の外で、ナシメの扱いと洋子の救出に関して口論していた。
「治安出動命令が撤回された今、我々自衛隊はいかなる活動も法的には保護されない。一般人と同じ緊急避難や正当防衛程度の活動しか出来ない」
群長の言葉に尾田は苛つくように返した。
「そんなことは我々内閣調査室だって一緒だ。だったら、俺たちは瀬掘洋子とナシメをこのまま放置して撤収するのか?」
「そうは言っていない。ただ活動に法的な後ろ盾がないと言っただけだ」
「何かといえば、法的根拠だの、任務逸脱だの言い出すのは自衛隊の悪い癖だ。ほんの些細な行動でもマスコミに叩かれてきた自衛隊の歴史には同情するが、特殊部隊の群長であるあなたまでがサラリーマン軍人になって恥ずかしくないのか」
そこまで言われてさすがに群長も怒りを含んだ表情になった。
「れっきとした軍隊でありながら、常に憲法問題の制約から、国内でも海外でも肩身の狭い思いをしてきた我々の気持ちが警察出身のあんたにわかるか」
尾田は自分の言葉が少し過ぎていたことに気付き敢えて反論しなかった。
「二人とも、ええ加減にしときや」
アヤタチが見かねたように二人の間に割って入った。
「とにかく、この天皇陵を元の静かな場所に戻すのがワイの役目や。群長さん、あんたもあんたの部下もいろいろ制約があって大変やろ。心配せんでもここから先はワイがやる。せやけどちょっとだけ力を貸して欲しいんや」
そして今度は入り口の脇に座っているあの在日の教団信者二人に尋ねた。
「あの金属のドアを開ける方法は?」
「あの扉は一応鉄製で、中から鍵をかけられたら、まず通常の力では開かんやろな」
腰を切られて座っていた若者が答えた。
「ほうか。仕方ないな。それから内部の照明はどうしてるんや」
「それは、非常用バッテリーにソーラーシステムを組み合わせたものを石室の脇に設置して、それを電源にしてる」
「ほな、それは今すぐにでも止めることが出来るんやな」
小さく頷く若者に向かってアヤタチが続けた。
「ほな、逆天の岩戸作戦やな」
十分後、アヤタチの指示に従って、特殊作戦群の隊員と二人の在日信者がそれぞれ指定された位置についた。
尾田と群長は邪魔にならないように大木の影に身を隠していた。
作戦自体は単純だった。
教団信者の若者の手で非常用バッテリーの電源をストップさせる。すると石室の内部は真っ暗になる。何の活動も出来なくなれば、仕方なくナシメは洋子を人質にとったまま電源の復活を要求してくる。その方法として二つの場合が考えられる。
まず第一が、普通に内部から金属のドアを開けて、要求を伝えようとする場合。ナシメが少しでもドアを開けた瞬間、サイドに潜んだ自衛隊の屈強な隊員の手で、強引にそれを全開し、二人を石室外に引っ張り出す。
まさに天の岩戸神話の逆バージョンだ。
ただ、現実にはこの可能性は薄い。いくら動顚していても、ナシメがこんな簡単な策に引っかかるとは思えない。
第二は、内部から携帯電話などを使って要求を伝えてくる場合だ。
この場合はナシメ自身か、あるいは洋子を通じて多分尾田の元に電話がかかってくるだろう。
その電話がかかってきたら、尾田が対応し、、会話の中でタイミングを見計らって合図を出す。その時サイドに潜んでいた隊員の手で予め仕掛けられた少量の爆薬により、ドアの鍵を破壊し、石室内部に突入する。
「この場合は突入するのはワイだけで十分や」
そう言ったアヤタチの意図は、法的な権限の無い隊員たちを慮っての言葉なのか、単に足手まといだと思っただけなのか、そこまでは読み取れなかった。
「鍵を爆破する際に、もし万一ドア付近にグリーンぺぺがいれば、負傷するケースが考えられるんじゃないか」
尾田の心配にアヤタチは
「それは考えがあるんや」そう言って笑った。
昨夜、死闘を繰り広げた北の元工作員の若者は、今はアヤタチの指示でいつでも非常バッテリーの配線を切断する体勢に入っていた。
石室の中からは何も聞こえない。
アヤタチが右手を高く挙げ、そして空間を切るように振り降ろした。
バッテリーの配線が切断された。
入り口脇の隊員の表情に緊張が走った。
一秒、二秒、三秒。
しばらくしても金属のドアは内側から開くことは無かった。
石室内部は真っ暗闇の筈だ。
すると、予想通り尾田の携帯電話が鳴った。
携帯の着信番号を見てアヤタチに眼で頷きながら尾田が通話ボタンを押した。
「瀬掘くん、無事か」
多分、ナシメの命令で洋子が彼の要求を伝えているのだろう。
「いや、我々が何かをしたわけではない。きっと何かの原因で放電してしまったのではないかな」
尾田がとぼけた言い訳をしていた。
その間に特殊作戦群の隊員は、金属製のドアの鍵部分に手榴弾のような爆発物を数個、粘着テープで貼り付けると、数メートル後退し、木陰に身を隠した。
ドア爆破の準備は整った。
あとは洋子にドア付近から離れて、出来れば何かの物陰に身を伏せるように伝えるだけだ。
適当に会話を伸ばしている尾田の後ろに立ったアヤタチが突然、百舌鳥の鳴き声を真似た。
「キチキチキチ」甲高い鳴き声が夜の森に響いた。
石室内で洋子はナシメが持つ携帯に向かって懸命に彼の要求を尾田に伝えていた。
照明は消えていたが、携帯の僅かな光でナシメの顔が不気味に浮かび上がり、そして洋子を通じて、自衛隊が持っている非常用電源を運んできて石室外の配線に接続するよう交渉させていた。
話している相手は尾田のようだが、内容はなにか、のらりくらりとかわされているようだった。両腕をフレックスカフで固定されて不自然な体勢で携帯を耳に当てている事に加え、特殊作戦群突入時のフラッシュバンによる鼓膜の損傷がまだ回復していないのか、洋子は何度も尾田の言葉を聞き返していた。
石室の扉の前ではアヤタチが「キチキチキチ」と再び百舌鳥の声を真似た。
洋子は尾田の声が聴き取りにくいために、少しでも電波状態を良くしようと、扉の前に近づいて話す。
隊員達は尾田の合図さえあればいつでも起爆スイッチを入れる体勢を整えた。
しかし、洋子の鼓膜は受話器の向こうの百舌鳥の鳴き声を捉えるほどは回復していなかった。
「尾田さん。とにかくナシメさんは電源を回復するタイムリミットを決めるように言っています。何時までに回復できるのか具体的に教えてください」
自分の聴力が弱いために、つい大きな声で叫ぶ。
洋子のいつになく大きな声に尾田は微かな不安を覚えた。
背後で百舌の鳴きまねをするアヤタチに何かを伝えようとする意図があることは理解していたが、もしかしてその声は洋子の耳には届いていないのではないか。
念を押すように尾田は言った。
「そんな大きな声を出すと、鳥もびっくりして鳴き止むよ」
その言葉に洋子ははっとした。
「鳥が鳴いているの?何の鳥?」
「たぶん百舌鳥だ」
尾田の返事を聞いた瞬間洋子は素早く動いた。
同時に石室の外では、尾田の右手が大きく振り下ろされた。
どういう仕組みか、それほど大きな音はしないのに、かなりの爆発力で金属の扉は石室の内側に倒れるように開いた。
内部は爆発に伴う煙でまったく視界は利かない。
しかし、アヤタチは一瞬の躊躇も無く扉の破壊と同時に石室に飛び込んでいった。
尾田や群長も飛び込みたい気持ちはあったが、治安出動命令が解かれた身分ではアヤタチを見守るしかない。
数分の静寂の後、まだ煙の残る石室から洋子が自力で出てきた。
尾田と群長が駆け寄った。
「大丈夫か?どこも怪我はしていないか」
「ありがとうございます。大丈夫です。尾田さんの機転のおかげで、間一髪のところで石棺の影に身を隠すことが出来ました」
あの石室の中央にあったタイムマシンのような巨大な石棺が爆風の盾になってくれたのだった。
にっこり笑う洋子の腕のフレックスカフを群長が軍用ナイフで切断した。
体の自由を取り戻した洋子は、石室を振り返った。
「アヤタチさんが、脱出しろ、と叫んだので何も考えず出てきたのですけど・・・」
その場にいる全員の視線の中、石室からアヤタチが出てきた。その肩には、爆発によって半ば意識を失っているかのようなナシメの姿もあった。
全員の注視の中で、アヤタチはそっとナシメの体を祭壇の脇に降ろした。
「大丈夫?」
洋子が声をかけた。
「ああ、ワイは大丈夫や。せやけどナシメはんが、煙幕の中で、何やら口に含んでいたみたいや」
「何を飲んだのですか?」
洋子の声にナシメは少しずつ意識を取り戻してきた様子で答えた。
「ポロニウムのカプセルです」
「あわてて吐かそうとしたんやけど、思い切り噛まれてしもうた」
そしてアヤタチは歯形の残る右手を見せた。
「まだポロニウムを持っていたのか」
群長が叫んだ。
「今飲んだカプセルが最後です。こんなときのために取っておいたものです」
ナシメは弱々しく笑って答えた。
「すでにカプセルは体内で溶け始めていますから、体内被曝は始まっている頃でしょう」
「どのくらいの量だ?」
「50ナノグラム(一億分の5g)」
ナシメの答を聞いて群長は周囲に教えるかのように言った。
「すぐではないが、致死量は超えている」
「どうにか出来へんのか?」
アヤタチの問いに群長は首を振った。
「カプセルが溶ける前ならともかく、50ナノグラムの物質など、それが体内のどこにあるのか眼で見ることさえ出来ない」
「アヤタチ・・・さん」
先刻の爆発のショックなのか、それとも既に放射線の影響で臓器の機能に支障が出始めているのか、ナシメの息遣いは弱いままだったが、搾り出すように言った。
「私の計画はすべて夢となってしまいました」
アヤタチはそのずんぐりとした体を丸めるようにナシメの口元に顔を近づけた。
「本当はあなたは知っているんじゃないですか?あの石棺の中に金印があるのか」
アヤタチは答えない。
「日御子様とともにこの国の形を変えようとする私の願いは潰えました。これは私の中に流れる秦氏の血脈の宿命なのかもしれません」
「あんた、やっぱり秦氏の子孫やったんか」
アヤタチは既にそのことを薄々気付いていたようだった。
そして、洋子には目前のナシメの姿に、秦河勝や、世阿弥、楠木正成など、時の権力の中枢に手の届くところまで昇りつめながら非業の最期を迎えた彼の祖先たちの姿がオーバーラップされた。
優秀な外交官として非凡な才能を有し、時の総理や近隣諸国のトップたちとさえ親交を持つ地位まで上りながら、最後は自らの理想を掲げ、そして破れ滅びていく。それはまさに秦氏の宿命と重なり合っていた。
「日御子様はあの電話のあと、ここに金印はない、と言って去っていかれた。宮内庁書陵部衛視の肩書きをもつあなたなら何か知っている筈だ」
なおも食い下がるナシメに、アヤタチは仕方なさそうに答えた。
「ワイも事実はどうか知ってない。あくまで伝聞や」
ナシメがその言葉に頷くのを確認して彼は言葉を続けた。
「終戦直後、この天皇陵に侵入したGHQが石棺の中から金印を見つけたという話や。ただ、彼らもそれを世間に発表することが、敗戦国日本の統治にどう影響するのか判断が付かなかったために、それはGHQ司令部の奥に秘匿されたんや。当時のことや。下手に公表すれば、かえって左翼に利用されて、ソ連や中国のように日本の共産化に利用されるのを最も恐れていたんや。ただ、人の口に戸は立てられへん。当時、愛知で細々と陸軍トラックを作っていた会社の関係者が、仕事の関係で知り合ったGHQの役人から金印の噂を聞きつけて、裏ルートでそれを譲り受けたらしい。多分GHQも処置に困っていたんやろ。どんな条件で譲り受けたのかはしらんけどな」
「その金印はじゃあ今もその会社が持っているの?」
洋子の問いにアヤタチは少し首をかしげながら答えた。
「多分、そうやと思う。そしてその会社は金印を手に入れたのち、大躍進して日本一、いや世界一の企業になったそうや」
洋子は思わず傍にいた尾田と顔を見合わせた。群長とナシメもはっとした表情を隠さなかった。
愛知で陸軍トラックの生産からスタートして戦後世界一になった企業といえば一つしかない。そしてまさにその企業にはトヨの文字が。
「まさか、あの企業が日御子さんと同じ一族で金印のおかげで今日の繁栄があると言うの?」
「それはわからへん。あくまで伝聞や。すべて偶然かも知れへん。せやけどな、あの企業が太平洋戦争の敗戦による混乱と荒廃、言わば現代の倭国大乱とも言える状況から奇跡的に復興する日本の牽引役のひとつになったのは間違いない事実や」
「ありがとう、アヤタチさん」
ナシメは納得したように眼を閉じた。
その瞬間も確実に放射線はナシメの細胞を損傷させていた。
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