第11話 秦氏
『報告します。ヒトヒトフタマル、ただ今天皇陵周辺の群集が動き始めました』
群長の無線に、陪塚の茶山古墳ベースキャンプより連絡が入った。
「何の指示を出したんだ?」
尾田が叫んだ。
ナシメの返答は無かった。
それどころか、ナシメ自身も何が起こったのか理解できていない様子だった。
『ヒトヒトフタゴ、どうやら彼らは天皇陵を離れつつある模様。整然と最寄の駅に向かっています。相変わらず一切交通法規に触れることも無く散会中』
無線の続報に、ナシメがうろたえた。
「どういうことだ?私は何も指示を出していないのに。やつ等は一体誰の指示で動いているんだ?」
アヤタチが沈黙を破って口を開いた。
「多分、信者たちは自分の意思で動いたんやないか」
「馬鹿な。やつらは全員教団に心酔していたはずだ。教団をここまで大きくしたのは私の力だ。『日御子の光教団』は私と日御子様があってこその教団だ。日御子さまが沖の島に去った今、私以外に彼らをコントロールできる人間はいない」
まるで悲鳴のように叫ぶナシメの背後から返答があった。
「俺たちは、日御子さまのためには戦うが、あんたのために戦うつもりはない」
それは前方部でアヤタチが戦った在日朝鮮人の二人の若者だった。日御子の身を案じてお互いに体を支えあいながら円頂部まで這うようにしてやってきたらしい。
「お前らが、信者たちに撤収命令を出したのか」
普段のスマートな口調と打って変わった厳しい、まるで奴隷に対するような物言いだった。
「俺たちは何も指示なんて出してへんよ。みんなさっき自衛隊のヘリで日御子さまが去ったのを見てたからや。あんたは確かに教団の幹部かもしれへんが、日御子さまじゃない。せやからみんなここにいる意味を失って帰っただけや」
体を震わせながら、唇をかみ締めるナシメにアヤタチが言った。
「ナシメはん、一人では梁山泊を作るのは無理やで」
その言葉にがっくりとナシメは膝をついた。
洋子は、その姿に同情のようなものを感じた。
「ナシメさん、いえ羽田さん。とりあえず今回の行動は罪に問われることもないわけですから、それだけでも良しとしましょう。今日の所はおとなしく撤収しましょう」
その言葉に同調するかのように尾田も群長も頷いた。
その時アヤタチがナシメに向かって声をかけた。
「ナシメはん、あんたいろいろと革命の理想について教えてくれたけど、ワイはどうも納得がいかへんのや。あんたの言動を見てると革命の理想だけで動いているとは思えへん。
日御子はんがおらんなってもまだ、そこまでこの天皇陵に執着するには訳があるんやないか?」
それは返答だったのか、とっさの叫びだったのか。
「ここにある金印は、私のものだ」
そしてナシメは隣にいた洋子の腕を取ると強引に石室に引きずりこんだ。
不意だったことに加え、元々上司といってもいい立場だったことへの遠慮と、初老とはいえ、思った以上に強いナシメの力に洋子は抵抗も出来なかった。
視界の向こうに慌てた表情のアヤタチと尾田がよぎった瞬間、石室の入り口は、黒く冷たい金属製の扉で遮られた。
特殊作戦群の突入時には施錠されていなかったが 内側から、やはり金属製のかなり頑丈な錠をかけると同時に、ポケットから新しいフレックスカフを取り出すと洋子の腕に装着し、中央の石棺の隣の椅子に座らせると荒い呼吸を整えながら言った。
「すまない。おとなしくしていてくれれば君に危害は加えない。君がいてくれれば、多分自衛隊もこの石室に対して無茶な攻撃は仕掛けてはこないだろうからね」
確かにナシメ一人なら、特殊作戦群の装備でこれぐらいの鉄製の扉を破壊するのは容易だろうが、洋子という人質がいれば、その生命に危険を及ぼすような突入をすぐに実行に移す可能性は低い。
その事を裏打ちするかのように、外部から扉を叩きながら洋子やナシメの名前を呼ぶ声が聞こえた。
尾田の声に混じって「洋子はん、大丈夫か」というアヤタチの声が聞こえ、少しほっとした気持ちになった。
そしてナシメに対しても、一通りの武道の心得がある洋子がもっと本気で抵抗していれば、拘束されるまでの事は無かった筈なのに、何故かその気になれなかった。
不思議と身の危険は感じなかった。
しかし、ナシメはこれからどうするつもりなのか。洋子を道連れにしたことで、瞬間的には身の安全を図ることが出来たにせよ、日御子も教団の信者もいない今のナシメに何の展望があるのか。
オレンジのライトの下で次第に落ち着きを取り戻してきたナシメに対し、洋子は、問いかけた。
「ナシメさん、いえ羽田さん、ここに閉じこもってどうするつもりなのですか?」
「私はね、どうしてもここにあの『親魏倭王』の金印があるかどうかを確かめたいのです。実はここを離れるとき日御子様は、『ここには金印はないそうです』と私におっしゃいました」
あの時、ヘリに乗り込む前に日御子がナシメに耳打ちしていたのはそれだったのか、と洋子は納得した。
「しかし、私は諦めきれません。あの金印は私の先祖が遠く魏の都洛陽まで赴き、日御子様のために拝受してきたものです。そして私自身の存在意義を証明するためにも、金印がここに本当にあるのか、あるいは無いのか、自分の眼で確かめるまではこの陵から撤退することは考えられないのです」
洋子はナシメが何を言っているのか理解できなかった。
「羽田さん、あなた自分が本当にナシメの生まれ変わりだとでも思っているの?それともまさか、あなたの家に三世紀のナシメの時代まで遡った家系図でもあるというの?」
羽田がナシメを名乗っているのは、単に自らを『日御子の光教団』のナンバー2であり外交の責任者として自任しているからだと思っていた洋子は、少し肩をすくめながら尋ねた。
しかし、ナシメはそんな洋子の態度に気を悪くした様子も無く話し始めた。
「既にお話したように、外交官生活の長かった私は、日本人としてのアイデンティティを確認する意味から史跡を巡るようになりました。また、日本人はどこから来たのか、あらゆる文献や資料を研究するようになりました。その過程で、私は自分自身がもしかしたらナシメの子孫ではないかという仮説に辿りついたのです」
それは冗談で言っている表情ではなかった。
「私の名前は羽田です」
それは当然のことで、洋子は黙って頷くしかなかった。
「私の家系の羽田姓は、もともと秦と書く古代氏族秦氏の家系だと伝わっています」
洋子は秦氏と言われてもよくわからない。アヤタチがいれば、わかりやすく教えてくれるのかもしれないが、今は、時々扉の向こうで洋子の名を呼ぶ声が微かに聞こえるだけだった。
そんな表情を読んだのか、ナシメが秦氏に関して説明を始めた。
「秦氏は、日本書紀によれば、秦の始皇帝の末裔、を始祖とする渡来系氏族とされています。秦氏の中でもっとも有名なのは秦河勝で、聖徳太子のブレーンとして活躍するとともにあの有名な国宝第一号弥勒菩薩像が安置される広隆寺を創建したことでも知られています。歴史上でも秦氏の子孫を名乗るのは、薩摩の島津家や四国の長宗我部家、対馬の宗家、雅楽の東儀家、松尾大社の社家や伏見稲荷の社家も秦氏を自称しています。また能の世阿弥、観阿弥親子や浄土宗の法然も秦氏の末裔と言われています」
ようやく洋子の知識にヒットする名詞が出たがまだ話は繋がらない。
「そして秦氏は謎の一族としても有名です」
このあたりからナシメの話に熱が入ってきたのが洋子にもわかった。
「秦の始皇帝との関連もそうですが、他にも秦氏は、あの古代イスラエルの失われた十支族のうちのひとつであるという日ユ同祖論や中国語で景教と呼ばれるキリスト教ネストリウス派との関連でも必ずその論拠として挙げられる氏族です」
「例えば?」
「よく言われるのが、秦氏の本拠地が太秦であり、中国の景教寺院である太秦寺と同じ文字、また秦氏の建立した神社である兵庫県の大避神社の大避は中国語でダビデを意味するといったことです。他にも秦河勝が仕えた聖徳太子の名前が厩戸皇子であることなどが挙げられます」
確かに偶然の一致として片付けられないものを感じる。しかし細かい単語の音や漢字の相似をことさらに強調して、無理に秦氏をユダヤやキリスト教に結びつけるのは、牽強付会である気もする。
そんな洋子の表情を読んだのか、ナシメは言葉を続けた。
「細かい説を挙げればキリがありませんし、確かに、謎の部分を適当にいろいろな現象に結び付けていけば、それこそ秦氏宇宙人説や未来から来たタイムトリッパー説だって唱えることができるでしょう」
ナシメの相変わらず回りくどい言い方にまた洋子は少しイライラしてきた。
それもナシメは読んだのか、今度は明確に断言した。
「私の仮説では、秦氏はローマ人、もしくはローマ人の末裔だと考えています」
「それこそ、三流雑誌のトンでも学説じゃないのですか?」
「そう言われると思っていました。でも、秦氏の足跡を調べてみると、実はもっとも単純に導き出される結論なのです。そんなことある筈無い、そんな説を唱えれば軽蔑される、そういった先入観が学者たちの眼を曇らせ、秦氏を5世紀に移住した朝鮮系渡来人という定説に押し込めているだけなのです」
「それじゃあ、その単純な説っていうのを教えてください。そう、単純なんだから、回りくどく言わずにストレートに」
すでに洋子は拘束の身である事も、相手が元ミスター外務省であることも気にしなくなっていた。ただナシメのいう秦氏=ローマ人説には少なからず興味が湧いてきていた。
「まず、秦氏の秦という字は、当時の中国語でローマのことです。秦氏の本拠地太秦は、同じくローマ帝国の意味になります。これをわざわざ学者たちは、音が似ているという理由で当時朝鮮にあった辰韓と関連付けようとしています。私はそのほうが余計に牽強付会だと思います。日系人が、アメリカにリトルトーキョーを作ったように、秦氏は普通に自分はローマ人であると名乗り、自らの地を故郷と同じローマ帝国と名付けた。それが秦氏の秦であり太秦なのです」
洋子の記憶の中で、確かに世界史でローマを秦と表現した箇所があった気がした。
「そう、西暦166年に大秦国王安敦、つまりローマ皇帝アントニウスが漢に対して使者を送ってきたという記述があったわ」
わが意を得たりとばかりにナシメは話し続けた。
「秦氏を秦の始皇帝と関連付ける学説もありますが、秦が実際に存在したのは紀元前三世紀、聖徳太子の時代から八百年も前にほんの十五年間中国を統一しただけです。一方でローマは後漢書にあなたが学生時代に習われたとおり大秦という名前で登場し、宗の時代に至るまで千年以上大秦国として認知され続けました。とすれば、秦氏の太秦がローマと中国の秦のどちらの意味か自ずから明らかだとおもいます。ただ当時の一般の日本人にとって中国もローマも区別がつかないほど遠い存在であった。このため長年の日本人との同化の過程で記紀などの伝承上や、秦氏自身の始祖伝説でも混同が起きたために、様々な文献上、秦氏の始祖が秦の始皇帝とされてしまいました。現代人でさえ、例えば中東の国々やアフリカの国々の名前と場所がなかなか結びつかない現実を考えると、三世紀から五世紀の日本では仕方ないことだとは思いますが」
「でも太秦がローマだとしても、それをうずまさと呼ぶのはなぜなのでしょう。長年の間に音が変化するとはいえ、うずまさの音にローマという発音の痕跡はまったく感じられないわ」
「それは簡単です。古語で『うず』は高貴なことを意味します。そして『まさ』は勝つと言う字で表されるように他より強いことを意味します。つまり太秦とは、強く高貴なローマ帝国、簡単に言えば偉大なるローマ帝国を表しているのです」
そしてナシメは、例えば秦氏が聖徳太子とともに建立した法隆寺の柱が、ローマ、ギリシャ建築の特徴であるエンタシス柱を使用していることや、秦氏の氏神の社には珍しい三本柱の鳥居が存在し、これはキリスト教の三位一体を表している、といった事を饒舌に語った。
それらの話は確かに興味深かったが、洋子の中で秦氏の中に西洋を感じるのは、何と言っても太秦にある秦氏の氏寺、広隆寺の弥勒菩薩像だった。
それほど日本美術に興味があるわけでもないが、この国宝第一号となった仏像の謎めいた美しさは、日本や朝鮮、中国の東洋的な仏像とはまったく異なるしなやかさを持っており、京都を訪れた際には、わざわざ実物を見に行ったこともあった。
そのことを話すと、ナシメの話は更に饒舌さが増した。
「あの弥勒菩薩像の微笑みはアルカイクスマイルと呼ばれる生命感と幸福感を表す表情で古代ギリシャのアルカイク美術に見られる微笑です。もちろんローマ文明はギリシャ文明を受け継いだものですから、ローマ人の子孫である秦氏がそれを継承していても何の不思議もありません。そしてついでにお話しすると、弥勒菩薩はご存知のとおり五十六億七千万年後に人々を救済するために現れるとされる仏ですが、これこそ、キリスト教の最後の審判とメシア思想の影響を受けていると言って良いでしょう」
「確かに秦氏の周辺には、ローマや地中海近辺の匂いのするものが多いのは認めます」
あまりにも得意そうなナシメの表情に微かな不快を感じて洋子は彼の話を遮るかのように尋ねた。
「秦氏=ローマ人説のそれなりの根拠があるのはわかりました。でもそれと、邪馬台国の金印との関係はどう説明するのですか?」
彼は、またあの外交官時代に身に付けた妙な間をあけたのち答えた。
「朝廷から太秦を賜る前の、秦氏の根拠地は豊の国だったのです」
ここでもまた、豊の国が出てくるのか、洋子は驚いた。
「私の祖先の秦氏は、日御子様の先祖、あの卑弥呼やトヨが倭国を治めるための宗教的聖地である豊の国を本拠地としていたのです。
この事は、後世、六百七年、あの聖徳太子が隋の煬帝に送った『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々』という国書を送り、その返書を持って小野妹子とともに来日した際の隋の使者、裴世清の記録でも、現在の大分県ないし瀬戸内側の山口県あたりに秦王国、つまり秦氏の本拠地が当時も実在したということが記述されているので確実です。そしてそれを知ったとき、私の中である考えが閃きました。
あの魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の使者、ナシメは秦氏の先祖、ローマ人ではないかと」
「その根拠は何でしょう」
「思い出してください。魏志倭人伝に出てくる倭人の名前や国名を。邪馬台国、卑弥呼、卑弥弓呼、卑狗、卑奴母離、都市牛利、掖邪狗などあまり良い漢字は使われていませんし、彼らは人間以下の動物として見られていたのか、獣を表す漢字が多用されています。その中でナシメのみ難升米とそれほど悪い漢字は使われていないし、音もどこか他の倭人とは違うような気がしませんか」
「たしかに、難という漢字を除けば、それほど悪い意味は感じられないですね」
「難という漢字も、本来の意味は火矢を持って鳥を取ることで、それが簡単な事ではないから難しいという意味になっただけで、字自体に悪い意味があるわけではありません。さらに升に至っては、昇るという、非情に良い意味の字です。米は当然ながら悪い意味ではありません。同じように音から表記するのに、相手国の最高責任者を卑弥呼と貶めながら、その使節代表に過ぎない人間を難升米と表記したのはなぜか、そして難升米すなわち、nasimeの音自体、和語の発音とは異質なものを感じます。私は、難升米とは、ナシムとか、ナシュームといった音を漢字で表したのではないかと考えています。実際にナシムという名前は現代でも北アフリカやトルコなど地中海沿岸で見られる名前ですから」
「でも、どうしてローマ人が三世紀の日本にいるの? 」
「それは、先程、あなた自身が学生時代に習ったことを思い出してください。大秦国安敦の使者が漢に来たのは二世紀です。一方で五世紀前半に造営された京都宇都久志古墳からは、既にローマ製のガラスが副葬品として見つかっています。物の交流があれば同時に人も動くのが当たり前です。とすれば二世紀後半から四世紀末までの間に、ローマから人や物が日本に来ていても何の不思議もありません」
そして黙って聞いている洋子に、まるで目の前にそれが見えているかのように、ナシメは語り続けた。
「私の考えではナシメの一族は特殊な技術をもった集団だと思っています。当時のローマ文明の水準を考えれば、土木建築、医学、芸術、どれを取っても日本とは比べ物にならないハイレベルだったことでしょう。彼らがなぜ日本に来たのか、それは明確ではありませんが、既に秦の始皇帝の時代から、東海には不老不死の国があるとされていましたから、もしかしたら大航海時代に黄金の国ジパングを求めたように、彼らも不老不死の国を求めてやってきたのかも知れません。あるいは始皇帝の命で不老不死の薬を求めて旅立ったとされる徐福伝説が日本各地に残っていることも無関係ではないかもしれません。とにかく非常に高い技術や芸術をもつ人々が日本にやってきた。そして、彼らの故郷である、地中海に良く似た景色と穏やかな気候の瀬戸内に面する豊の国にその居を構えた。それがナシメかあるいはナシメの数代前だと考えています」
ナシメの語り口調に、知らず知らず、洋子も引き込まれ、あの映画などでよく見るローマ人特有の一枚布を体に巻きつけた服装の一団が、長い流浪の旅の末、瀬戸内海を見下ろす丘を、故郷ローマの風景に見立てて安住の地と定める様子が脳裏に浮かんだ。
「しかし、絶対数で少数派である彼らは、自らが持つ技術や知識の提供と引き換えに原住勢力との共存を図った」
「それが邪馬台国の卑弥呼だということですか」
「そうです。もともと卑弥呼には日御子さまと同じようにカリスマ性もあったのだと思いますが、そこへナシメ達のローマ伝来の技術、知識が加わることによって、邪馬台国は二世紀の倭国大乱と呼ばれる時代を国家連合という形ながらほぼ統一することに成功したのだと考えられます。それは、南蛮渡来の鉄砲を駆使し戦国時代を終焉させた織田信長に良く似ています。そして長年の放浪を経験した彼らは国際情勢にも詳しかった筈です。どんな国でも、国内の安定を手中にすれば、次に考えるのは外交です」
「それで、ナシメが外交使節の代表として海を渡ったわけですね」
「そのとおりです。放浪の旅の過程で、地理的な知識や航海能力、ある程度の複数の言語能力も身につけていたであろう彼らに勝る人材はいなかった筈です。ナシメたちはまず朝鮮半島の帯方を訪れた。土産はたった十人の奴隷と布だけでしたが、そこの太守劉夏はさぞ驚いた事だと思います」
それは、その通りだろう。当時の朝鮮半島からみても辺境の倭国から来た使者が、会ってみれば、彫の深い顔立ちで、様々な先進知識をもったローマ人ナシメだったのだから。
本来なら、皇帝の名代として太守が応対すれば済むところだが、帯方の太守、劉夏はナシメを扱いかねて魏の都洛陽に送り届けた。そしてナシメはそこであの『親魏倭王』の金印を拝受する。
「これまで、学者達によって、なぜ東海の小国、邪馬台国が大月氏国である大国クシャーナ朝と同じ金印を授けられたのか、様々な説が唱えられたが、どれも説得力に欠けていました。しかしナシメが元ローマ人であれば答えは簡単です。格を重んじる官僚たちが、ナシメの風貌と知識から判断して、当時、魏に使いを送ってきた西の大国クシャーナ朝と同格に扱うのが妥当と判断したのでしょう」
そしてナシメは周知のとおり金印と卒善中郎将という位をもって意気揚々と帰国するのだ。
「そう、それがあなたがここまで金印に執着する理由だったわけですね」
秦氏に関する彼の説をすべて聞き終えたところで洋子はナシメをまっすぐに見据えて言った。
「この石棺からあの金印が見つかれば、邪馬台国とヤマト朝廷との連続性が証明される」
「そうです。それによって私の秦氏=ローマ人説はすべて証明されるわけではありませんが、少なくともナシメ=秦氏という説は補強される。何より、私自身が、私の説がただのトンデモ学説ではなかったとして納得することが出来るのです」
「でも結局それはあなたの自己満足のためでしょう。昼間あなたがアヤタチさんに対して語った革命への思いは嘘だったわけですね」
敢えて洋子は挑発するように言った。そのことで何か成算があるわけではなかったが、とにかく事態を動かせないかという思いがあった。
「それは違う」
意外にも、かなり強い調子でナシメは真っ向から否定した。
「私の日御子さまへの気持ちや革命への情熱に嘘も偽りもない。私はかつて私の祖先であるナシメが、邪馬台国の卑弥呼のために危険を冒しながら遠く海を渡り魏の国まで行ったように、日御子さまのためならどんな困難でも厭わないつもりでした」
「でも、因果ですね。当時のナシメもあなたも優秀な外交官でありながら、いざ後ろ盾となる日御子を失ってしまうとまったく統率力を発揮できない」
「・・・」
口惜しそうにナシメが黙り込んだ。
実際に過去のナシメも卑弥呼が死んだ後、まったく邪馬台国連合を維持すことが出来ず、一度は千人以上の死者を出す混乱を招き、僅か十三歳のトヨの力を借りてようやく国を治めることが出来た。今、目の前のナシメも日御子が去った後、天皇陵を取り囲んでいた数万人の信者のうち、たったひとりの信者さえ、彼のもとに残る者はいなかった。
「それは結局、どんなに理論武装しても、あなたの理論や行動が、すべて利己心からのものなのが透けて見えたからじゃないのですか。」
沈黙のナシメを尚も責めるかのように洋子は続けた。
「日御子さんを中心とした宗教社会主義国家、の理想も、総理との若き日の誓いもまるで安っぽい共産革命指導者の伝記みたいなもの。実際は利己心と虚栄心にまみれて、教団を利用しようとした挙句すべての信者から見捨てられた哀れな秦氏の末裔、それがあなたでしょう。それこそ、邪馬台国のナシメからあなたが引き継いだDNAかもしれませんね」
我ながら厳しい言葉と思いながらも、ここでナシメが怒るのか、あるいは泣き喚くのか、いずれにせよ状況が変化すれば、脱出の糸口が掴めるかもしれないと洋子は考えていた。
しかし、意に反してナシメは怒りもしなかったし、泣きもしなかった。
「洋子さん、あなたに言われるまでもなく、そのことは自分でも感じていたような気がします。どんなに才能があろうとも、決してトップに立つことが出来ない、それはあなたの言うとおり、私達秦氏のDNAというか、宿命なのかもしれません」
そしてナシメは古代から、秦氏の子孫とされる歴史上の人物を挙げていった。
「聖徳太子に重用された秦河勝は、太子亡き後、最後には赤穂に流罪となり、その子孫で能の開祖世阿弥は足利義満の庇護のもと隆盛を極めるが、後、足利義教に疎まれ佐渡に流罪になりそこで客死しました。後醍醐天皇に忠誠を尽くし、湊川の戦いで滅びた楠木正成や、秀吉の恩顧に報いるため、関が原で西軍に付いて敗れた長宗我部氏や島津氏も秦氏の一族だと言われています。また徳川幕府創成期に絶大な権力を振るった大久保長安も世阿弥の娘婿、金春禅竹の系統の猿楽師の家系であることから秦氏の一族と思われますが、やはり死後、一族すべて粛清されました。非凡な才能や知識、強固な意志の力を持ちながらも、結局歴史の波の中で最後は悲運に弄ばれる、それが私達秦一族のDNAといってもいいでしょう。ただ、今あなたに指摘されて初めてはっきりと自覚しました。秦氏のDNAもさることながら、確かに私は上辺だけで教団の信者たちを動かそうとしていたのかもしれません。しかし、それでも日御子さまに対する忠誠は本物であったと思います」
ナシメの声は何か重大な決心をしような口調だった。
「そして今、私はここで石棺を開けてあの『親魏倭王』の金印があるのか、無いのか確認しようと思っています。あなたに危害を加えるつもりはありません。あなたは私が石棺の中を確認するまで、外にいるあなたの上司や自衛隊の方が私の邪魔をしないように、人質としていてくれればよいのです」
そしてナシメはこの時のために用意しておいたのか、道路工事などでよく使われる、掘削用のハンドドリルを持ち出した。
「日御子さまは、電話の主から、ここに金印は無い、と言われたそうですが、やはり私はこの眼で確かめないと気が済みません。馬鹿な奴だと思うかもしれませんが、なぜか、ここに金印があれば、私の先祖の秦氏やナシメが私の行動を肯定してくれているような気がするのです。もちろん金印を私するような気持ちはありません。もう一度それを持って沖ノ島に日御子さまを迎えに行き、一からやり直すつもりです。そしてもしここに金印が無ければ、それこそ、この天皇陵のことは夢のまた夢として諦めがつきます」
他人から見れば、羨むほどの経歴と卓越した能力を持つ元外交官羽田米次郎だが、結局一族の宿命から逃れることが出来ず、孤独なまま、最後の希望である金印にしがみつくように石棺に向かうその背中が小さく見えて、洋子はそれ以上彼を責めることが出来なかった。
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