第三章 禁忌の系譜



       一


 毒コケってのは、本当に恐ろしいもんだ。

 酒場でぶっ倒れてから、早や四日も経つってのに、手足はまだ軽くしびれてる。


 ユングムルトはわざわざ遠方の村から医者を連れてきておれを診せ、薬を調合してもらってくれた。おそらくその費用でこれまで働いた分の賃金はすっかりパアになるだろうし、たぶんこのあともただ働きをすることになるかも知れない。


 巨娘ルゥファナのほうはというと、毎日昼食を持って部屋を訪ねてくる。

 約束通り剣士の話は一切せず、そのかわり、しびれが治ったら壁に立てかけてある双首のキリューグを弾けとうるさい。


「どう? だいぶ良くなった?」

 きょうも彼女は開け放した扉からおずおずと部屋に入ってきた。

 ちょうど寝床を出て立ち上がり、身体を動かしている最中だった。

「あまり無茶しないで。まだ四日しか経ってないんだから」

「ああ、そのつもりだ。明日はボヌンで、その次の日が本当のボヌンなんだろ? なんとかそこまでには治したい。ユングムルトの仕事もたまってるからな」


 おれはふと、この村の特殊なボヌンについてルゥファナに尋ねてみた。


「ここにだけ普通の一週間の他に、もう一日休日があるとすると、暦がずれて他の村とはつきあいにくいんじゃないか?」

「べつに。意識したこともないわ。月の中頃だと、他の村から来たお客さんと多少話の合わないこともあるけど、なぜか月はじめにはどこの村もキュレーになるのは変わらないわ」

 キュレーってのは週の初めの日のことだ。

「ふーん」

 頭の中で数字をいくつか動かしてみた。

 しかし途中で計算はぐちゃぐちゃとなり、わからなくなる。

 暗算をあきらめ、ルゥファナに頼んで居間からユングムルトの革紙を持ってきてもらった。

 そこに筆石で日付を書き込み、本格的な比較を始める。


 ルゥファナは頭だけ出しておれの頭上からそれをのぞき込もうとした。


「……なるほど、そうなるわけか。こいつは面白い」思わぬ結果だ。

「上の五つの点がふつうの暦だ。ボヌンは他よりも濃い点だ」

「ドゥーリス正暦ね」

 酒場娘にしては、意外にものをよく知っている。

「……そうだ。よく知ってるな、で、点の下の黒い丸が君たちのボヌンだ」


 おれの作った表を見ると、日付のずれはうまくひと月ごとに元に戻るようになっていた。

「次の月には元に戻るからそれほど意識しなくても済むんだろうな」 

「でも、言われてみれば……どうして村ではこんな面倒な暦を使っているのかしら」


 ルゥファナは不思議そうに言った。


 おれの手許の革紙をもっとよく見るため、彼女は背後からおおいかぶさるようにして身を乗り出してくる。

 その豊満な胸はおれの頭にわずかに触れ、彼女は革紙を見ることに夢中なのかそれに気づいていないようだ。

 真上の首元からか、かすかに香水のような芳香も漂ってくる。

 まさかただの村娘がそんなものを持っているとは思わなかったし、その香りに少しばかり気を散らせてしまう。

 だが、やがてふたりとも暦の話に飽き、ルゥファナは、大きな手提げ篭から昼食を取り出して並べ始めた。

 おれの狼狽に気づいている様子はなかった。


 さて、昼食後は、彼女の世話に応える番だ。

 驚いたことにルゥファナはこの村の外へは、ただの一度も出たことがないという。

 村を囲む山々以外、隣村にさえ行ったことがないのだ。

 新しい知識や情報に貪欲になるのも無理はない。

 酒場で働いているのもおそらく、よそからきた客から聞く外の世界のうわさ話や、客同士の会話から漏れ聞こえる情報を楽しみにしているからなのだろう。


 そこで連日おれは、時間の許す限りいろんな話をしてやっていた。

「商業国家ウーラ、武の国ウーケ、君たちの住む農業国キスル、キスルに隣接する神聖国ミーナス、そしておれの生まれた学問と貿易の国ケネヴ。この五カ国は、もともとひとつの大きな国として誕生したことはきのう話したね」

「『剣王ドゥール』は、神さまに与えられた豪剣『ドゥーリガン』によって、この地上を魔物や怪物たちから取り返したって……でもそれってお話なのよね?」

 きのうおれの話した『剣王ドゥール正統紀』の内容を反芻し、ルゥファナは賢しく答えた。

「そうだ。けどおれたちの住む五カ国の起源はそんな不確かな神話から始まってて、いまでも五カ国共通の公的な見解となっている」

「……ふしぎ。見たわけでもない昔の古い話なのに」

「ま、そういうもんなんだ、この世界はね。いずれにせよ国が国家として成り立つためには、民衆をまとめるための伝説や神話のひとつも必要ってことさ」


 おれの口はすらすらことばをはき出し、いかにも教師然としている。


「きょうは趣向を変え、正統紀以外の話をしよう。子どものころに聞いて……」

 剣士にあこがれ、その後も吟遊詩人として歌ってきたと言いかけ、口をつぐむ。


「どうしたの?」

「ん、……子どものころに聞いた話で、『剣王ドゥール異記』という神話がある。『ドゥルクの記』とも呼ばれてる」

 思いがけず、ルゥファナは眉間にしわを寄せた。

「ドゥルク?」何かに思い当たったように訊きかえしてきた。

「ああ。何か知ってるのかい?」

「んー、そうなのかな……でもいいわ、お話をつづけて」

「気になるじゃないか」

「いいの、つづけて」先を促され、おれは話を紡ぐ。

「ともかく、その異記によればドゥールは全世界を巡って、自分の子種をばらまいていたらしい。たぶんこの話は、剣王の子孫がひとりだけでは全世界の祖とは言えないと考えた、後代のだれかが作ったのかも知れないがね」


 言いながら、おれの手は何かを探るように動きはじめた。


 はじめ、おれはその動きの意味することを理解していなかった。

 手は愛用のキリューグを探していた。

 それをルゥファナに気取られないようにして、『剣王ドゥール異記』の数節を諳誦する。


 <こうして、かのお方が訪れたすべての地で生まれた子らは、百人にものぼった。彼らはそれぞれたくましく育ち、やがて出会うとお互いを兄弟とも知らず、あるいは兄弟だからというので、たがいに傷つけあい、殺しあった>

 <その中でもとりわけ大きく、強く、賢い若者は、兄弟すべてに打ち勝ち、ある日、その父のみもとを訪れた。かのお方がその若者に名をお尋ねになると、若者は『ドゥルクです』と答えた>


 本来ならキリューグの調べに合わせ、古詩にて弾き語る話だ。楽器無しの口語調ではいささか調子を外してしまうのは仕方ない。

 それから少しばかり朗読を進めると、いったん語るのをやめ、ルゥファナの表情をうかがった。

 浮かない顔をしている。

「面白くない?」

「そうじゃなくて。……そうじゃないの」


 床に座りこみ、寝床に預けていた上半身を起こすと、ルゥファナは姿勢をただし、両手を腹部の上で組んだ。そして朗々たる声で古詩の一節を朗読し始めた。


「主、己ガ爪モテ頬ヲ搔キムシリ、衣ヲ裂キシナリ。ソノ後、ドゥルクヘ語リ告グナリ。『汝、若人。汝ノ剣モテ呪セラルルベシ』……」


 古詩は間違いなくおれの語った『剣王ドゥール異記』のつづきだった。

「おいおい! 人が悪いな。この話を知っているんじゃないか」

 おれは驚いて大声を出した。ルゥファナは朗読をやめた。

「なに? そんな大声で。この詞は古くから村に伝わるものよ。村はずれのほこらの碑にこの詞が刻んであるわ。古い文字であたしはとても読めないけど」

 彼女はおれの非礼をなじるようにとがった声を出す。

「なんだって! ほこらの……」


 数日前に見たあの石碑のことか。


 おれたち吟遊詩人の世界では、古詩の扱いは節、文字数などに厳密で、特に表記上、行を変えたり、文字数を変えたり、文自体を省略したりすることは許されない。

 碑にあった文字は解読できなくても、あの碑にどこかで見たような懐かしさと馴染み深さを感じたのは、幼時から親しみ、たしなんできたこの古詩だったからだ。


 おれは何ともいい知れない、畏れにも似た感情に包まれた。

 気分は昂ぶり、つい目の前の巨娘に、そのまとまらない気持ちを無遠慮にぶつけてしまっていた。

「ルゥファナ、この村……ネッケーゼ村はいったいどういう村なんだ。ここにはいたるところに謎や秘密が隠されているようだ……教えてくれ、ルゥファナ!」

 ルゥファナは怒鳴るおれに、怯えたような表情を浮かべ、必死に抗弁した。

「わからない。わからないわよ、センギュスト! あなたは何を言っているの!」

「わからないはずはないだろう! 君はこの村で生まれ育った! 本当に生まれてから一歩もここを出てないなら、この村にあるもの、起こっていることはみんな知っているはずだ。ボヌンのことだって、ほこらのことだって、しらを切って、真実を隠蔽しているんじゃないのか! え、どうなんだ! 答えてくれ。答えろ!」

「やめて! センギュスト、怖いわ!」


 彼女は寝室の壁ぎわに走り寄り、胸の前で両手を交差させると、自分を抱きかかえるようにしてしゃがみ込む。表情は恐怖と不安とにこわばっていた。

 その大きな身体が小さく見えるくらい萎縮しているのを見て、おれはようやく我に返った。


 当惑と疑念の含まれる非難めいた彼女の視線に耐えきれず、よろけながら居間に出ると、椅子に腰かけた。

 手足はふたたび軽くしびれている。

 疲労も感じた。


 背後に大きな足音とそよぐ風。

 鼻水をすする音で、泣いているらしいことも知れた。


 彼女は出て行った。


 どうやら、今日が詩吟教室の最終回になっちまったようだ。



 ユングムルトと夕食を共にしたとき、おれは昼間あったことをこの老人に話した。

 押し黙るその顔は燭台のろうそくに照らされ、黒々とした陰影を形作っている。

 表情からその心中を推し量るのは難しい。

 

 老人は、まるで魔除けの彫像のように見えた。


「ルゥファナに謝っておいてもらえないかな」昼間の不首尾にふてくされていた。

「そりゃ、自分ですることじゃろ。だが、あんたにゃ、ワシの方が謝らなきゃならんかもしれん。この村に興味をもっとったのに、いろいろはぐらかしちまったようで、おかしな誤解を招いたらしいからの」


 生きた彫像は重々しく口を開く。

 はぐらかす、とは、誤解とは何だ。

 どういう意味かわからない。

 ユングムルトの言っていることを理解しようと懸命に考えた。


「隠しているつもりはないし、実際、隠すことでもないんじゃが、外の者に話すのは勇気のいることでな、この村の話は。……そうじゃな、何から話すか」

 あれこれ頭の中で勘ぐるおれに向かい、ユングムルトはことばを継いだ。

「あんたは『ドゥルクの記』について、どれほど知っとるかな?」


 老人の真意を測りかね、警戒する。


「ドゥルクが『剣王ドゥール』の妾腹だったということは知っておろう?」

 何を言い出すのかと思えば、古い碑の話か。

 それはしかし、ルゥファナとのいさかいを起こすきっかけになったと、さっき話したばかりだ。

 おれは投げやりな気分に返事をした。

「ああ。だがそれはルゥファナから聞いたと」

「簡単な話じゃよ。この地にかつてドゥルクは逼塞ひっそくしておったのじゃ。すべてはその名残というわけじゃな」突飛な話題の展開に、おれの思考は止まった。

 妾腹ドゥルクがなんだって?

 ヒッソク? 

 逼塞とはいったいなんのことだ? 

「ようするにじゃ。この村はな、英雄ドゥルクのその子孫が興した村と言われとるんじゃよ」




       二


 ユングムルトの話は護国の歴史的見地からすると、非常に興味深い内容だった。


 英雄ドゥルクが主人公の古詩『剣王ドゥール異記』の大まかな筋立てはこうだ。


 嫡子ドゥーエルをあとつぎと決めた剣王ドゥールのもとに、ある日英雄ドゥルクがやってきて、自分こそあとつぎにふさわしいと訴えた。

 妾腹の子ドゥルクは若く、強く、大きく、と三拍子そろったすごい剣士だが、自分の異母兄弟百人を皆殺しにしたひどいやつだ。

 ドゥールは、ドゥルクを捕らえ、兄弟殺しの罪で幽閉するも、ドゥルクのあまりに強大な力に、正嫡子ドゥーエルがいつか殺されるのではと恐れるようになった。そこで自分の領地の一部――古詩では『ゆずりの地』と表現されている――を分け与え、その王とし、ドゥルクをなんとか厄介払いした。


 古詩ではドゥルクが幽閉された場所や地名は示されていない。


 ユングムルトの語る、この地域の伝承によれば、ドゥルクは、ネッケーゼ村周辺のこのストルング地方に、兄弟殺しの罪人として一時的に押し込められていたらしい。


 もちろん、幽閉といってもその地域から出るなということであって、土地内ではある程度自由に振る舞えたようだ。

 結果ドゥルクはしばらくこの地でおとなしく暮らし、やがて父ドゥールから生前分与された遺産――ゆずりの土地――に移り住んだ。

 自分の子孫をも、この地域にちゃっかり残した上で。


 その後、それらドゥルクの末裔たちはストルング地方の人々から、罪人の子孫として迫害を受けることを恐れ、一カ所に集まって暮らしたという。

 そこが、いまおれのいるこのネッケーゼ村だというわけだ。


「村はずれのほこらにある碑は、そうしたこの村の成り立ちを忘れぬよう、村の先人たちが作ったもんなんじゃ……まあ、今ではそんなことを知るものも少ないがの」

「『ドゥルクの記』自体、この村の開祖の手になるものだったのか」


 おれはひとつの可能性を口走る。

 ユングムルトは婉曲にそれを否定した。


「それはわからん。ひょっとするとドゥルクの身の上を不憫に思った当時の吟遊詩人が作ったものなのかも知れん。……ひとつたしかなのは、わしらのボヌンは、英雄ドゥルクの息子が決めたものだということじゃな」

 それも初耳だ。


 なんと、この村には伝説の英雄の『息子』まで残されていたのだ。


「ドゥーリス正暦は、『剣王ドゥール』の五人のひ孫にちなんで定められたものじゃ。ドゥルフ――英雄ドゥルクの息子――は、もし自分の父親が『剣王ドゥール』直系の子孫としてまっとうに認められておれば、自分の孫も暦の一日に数えられたはずだと考えた。それで自分の住むこの村だけででも六番目の曜日を作り、世間に認められない自分の家系の存在を残そうとしたんじゃな」


 ドゥルクとかドゥルフだとか似たような名前に頭も混乱しそうになるが、つまるところ、もうひとつのボヌンは、伝説の英雄の子孫が、世間の主流になれなかった自分たちを儚んで作った奇習、ということらしい。


「だが、いいのか? そんな村の禁忌をおれみたいなよそ者にやすやすと話して」

「禁忌? ……ふたつのボヌンのことかね?」

 ユングムルトは不思議そうに眉を上げ、おれを見た。

「それもそうだし、この村がドゥルクの末裔だってこととかさ」

「やはりあんたは何か勘違いしとるようだの、センギュスト。ワシはいま話したことが禁忌だと、ひとことも言っとらんよ?」

「はぁ?」おれは仰天した。


「いまのような話は、この地域一帯では古くからの言い伝えじゃ。若いもんは知らんでも、ワシくらいの年のだれかに訊けば、まったく同じ話をしてくれるじゃろ」

「なんだって? だがさっきあんたは、話すのは勇気のいることって……」

 おれの声は自分でも恥ずかしくなるくらいうわずっていた。

「そりゃそうじゃ。この村だけ世間一般の常識から外れたことをしているんじゃ。ほこらの碑だって根拠のない言い伝えじゃよ。だれだって、バカなことを信じてるやつらだと思われたくないじゃろ? よそ者には特にな」

 このじいさんはおれをあわれむように微笑んだ。


 おれは道化者だった。


 ろくに調べもせず、ひとりよがりに考え、この村には何か秘密があって、外部のものに隠されていると勝手に思いこんでいたのだった。

「あんたはあまり人づきあいをせんからな。この村にきてからワシ以外の人間とはつきあおうともせん。ルゥファナのこともあったが、毎晩あんたを酒場に誘っておったのはそういうわけなんじゃよ」


 ユングムルトの押しのひとことに、おれは完全に打ちのめされた。


 かつて表現者だったおれは、自分の思う以上に内向的、自閉的になり、猜疑心と偏屈の塊になっていたと判明したからだった。

「さて、これからが本題じゃ……」ユングムルトはふたたび真顔になる。

 むしろその話の方が、この村の禁忌だった。



 あくる日の昼飯時、ルゥファナはやって来なかった。

 そりゃそうだろう。

 その理由や由来は知らないにせよ、村人にとっちゃとりたてて珍しくもないことに、秘密だなんだと言いがかりをつけ、怖い顔をして怒鳴り、迫ってくる男には、女ならだれだって身の危険を感じるに決まってる。


 おれはユングムルトに彼女の家の場所を教えてもらい、昨日の件への謝罪と、至らぬ態度の弁明をしに出かけた。


 手足のしびれはもう気にならない程度に回復していた。


 扉を数回たたき名乗りを入れると、家の中に動く気配を感じた。

 しばらくして扉が開く。

 ルゥファナはそのすぐ後ろに直立していた。

 まるで大きな壁のようだ。


「なに? ここに来たのなら良くなったのね。もうお昼を持って行く必要もないわ」

 彼女は険しい顔で腰に両の腕を当て、おれを威嚇するように低い声を出した。

「それから、剣士になりたいっていうのも忘れて。もう頼む気はないから。さ、これで気は済んだでしょう。帰って」

 口をひらく間もなくルゥファナはまくし立て、扉を閉めようとした。

「お、ま、待ってくれ!」おれはあわてて彼女に頼んだ。

「……まだ何かあるの? あんたはおかしいわ」刺すような口調。

「ああ、そうだった。おれはおかしかったんだ」

 素直にそれを認めた。

「……なぜあんなに怒ったの?」

 おれを閉め出そうと前に出たルゥファナの足が止まる。

 

 偶然にも彼女の興味を惹くのに成功したようだ。


「済まなかった。きみを傷つけるつもりはなかった」

 おれは、まるで生家に逃げ帰った女房を連れもどそうとする農夫のようなせりふを吐き、その情けない自分の姿を客観的に想像して、ますます情けない気持ちになった。なるべく目を合わせないようにして、たんたんと自分の非を謝罪しつづける。


「わかった、わかったわよ」

 ルゥファナはじれったそうに声を荒げた。

 目を上げると彼女の青々しい瞳がじっとおれを見つめている。


「男のぺこぺこする姿は、あまり見たくないの」

「気があうね、実はおれもなんだ。……だからいまは精神的にそうとう参ってる」

 どちらからともなく笑いが漏れた。

 おれたちは少しの間、たがいに笑いあった。

「あきれたものね。……いいわ。許してあげるから、また酒場にでもいらして」


 彼女は、ここに来た時よりもほんの僅か表情を緩め、おれの顔を見ながら、ゆっくり扉を閉めた。


 巨娘との和解に成功したおれは、帰り際にルゥファナの家の周囲を見渡し、昨晩聞いたユングムルトの話を思い出していた。


「監視……なるほどな」


 つぶやきは風にかき消され、農地の虚空へ霧散していくように思えた。

 



       三


「エー、お集まりの皆さん。今度のボヌンはおまつりです! 無礼講です! ですが近隣からも大勢お客さんがいらして、この村の大事な大事な収入源となります!」

 村の広場に建造された、にわか造りの舞台壇上で叫んでいるのはネッケーゼ村の村長だ。来週にせまった村まつりに備え、村民を必死に鼓舞しているのだ。

「子どもをさらう誘拐の物騒な噂もあります。不審者には充分気をつけてください」

 客と不審者との見分け方については、なにも言及されなかった。

 村民のひとりは、客がきたら泥棒と思え、とヤジを飛ばし、周囲の人間を笑わせていた。


 毒コケの一件からひと月。おれはまだこの村にいる。


 契約の満了したあとも、おれはどういうわけかまだユングムルトの家に居候してこの村に腰を落ち着けていた。


 その理由のひとつは、ほこらの碑だ。

 おれが吟遊詩人になったきっかけのひとつ、古詩『ドゥルクの記』の源流があったという事実に、おれは、自身の源流をもこの地に見た気がしているからだった。


 もう一つはルゥファナのことだ。

 あれからお互い世間話をする程度に関係は修復されていた。

 剣士になりたい人間と、剣士を育ててきた人間、おたがいの潜在的な利害はどこかで一致し、なにやら波長の合うような、そんな心地の良さもあってか、そのつき合いを捨てきれないようだった。


 どこからかおれが吟遊詩人だった、という話は漏れ伝えられ――ユングムルトがしゃべったに決まってるが――先週、村まつりの実行委員とかいう村の青年がいきなりおれを訪ねてきて、彼らの演し物に協力して欲しいと依頼してきた。


「いいかい、おれは演奏なんかしない。まっぴらごめんだ」


 おれの返事を聞くとそいつは言った。

「あのぅ……それならぼくらの演し物にご指導いただければぁ。演奏はぼくらがしますから、あなたには演し物の全体的な雰囲気というかぁ……そのぉ、盛り上がるような演出をしていただければいいんですぅ。専門家として」

 おれにキリューグの歌奏を頼みに来たのではなく、はなからそのつもりだったか。

 仕方なく、話だけでも聞いてみる。

「ぼくら、って……奏者は何人もいるのか?」

 二重奏か、それとも管楽器と打楽器を加え『三種の調べ』でもやるつもりか。

 それは無理でも二重奏なら何とか指導できるな。

 

 やつの答えはちがった。


「総勢十四人ですぅ。打楽器ぃ、管楽器ぃ、弦楽器ぃ……あわせて十人、歌を歌うのは四人ですぅ」

 なんてこった。

「少し考えさせてくれ」ヨツラのあれか。

 

 毒ゴケにやられたときより気分は悪くなった。


 ほどなくして、おれは村の青年たちの依頼を受けることに決めた。

 村の人間に親しむ機会を作ってくれたユングムルトへの配慮もあるが、おれ自身が人前でなにかすることにすっかり自信をなくしちまってて、おれはなんでもいい、なにか少しでも他人と関わっていなけりゃ、自分がダメになるってことに気づいたのだった。

 それにヨツラと同じ土俵ならおれの方がいいものを作れるだろうし、作ってやろうという競争心も湧いた。

 あいつに出来ておれに出来ないはずはない。


 はじめに青年たちの作ってきた曲は、お世辞にも……いや、おれの作っていた曲だってそんなにほめられた出来じゃないが、まあ、おれはやつらに、歌というのは自分の主張をただ闇雲に、おおざっぱに伝えるだけじゃなく、何かひとつ大きな主題を決めて表現したほうがよいのだと教えた。


 たとえば、村の言い伝えとか、村社会と自分たちとの格差とか、他の身分へのあこがれとか、そんなものを主題に歌詞をつくり、即興でも何でも歌詞の雰囲気にあった曲に乗せれば伝えやすく、観客にも分かりやすいだろう、と。


 楽隊の代表者だというニキビ面の青年は、それをどう伝え聞いたのか、先日おれのもとを訪ねてきて、一曲作ったから、聴いて欲しいという。


 曲の試聴は、客のまったくいない昼間の酒場を借りて行った。

 期待――はなかったが――と不安をよそに、指揮をするニキビ面は自信たっぷりで、おれを前にして自分たちの苦労の結晶を披瀝しようと意気込んでいる。


 素人楽隊は、酒場の壁を背にし、幾分緊張気味に演奏を始めた。


 出だしはなかなかいい感じ。


 爪弾かれる高音のキリューグの和音もなかなかしゃれている……と思ったのも束の間、曲調はがらりと変わり、プタオンとパタオンの混じったやかましい音に変わっていく。

 こりゃいかんと思い始めた矢先、昇り調子の旋律に合わせ四人の歌手は絶叫した。


 <おいらの村さ。秘、秘、碑ィーッ! 秘密のほこらだ、秘ッ、秘、碑ィーッ!>

 <村の誇りのドゥルクの伝説、おいらの村じゃ、あーたりーまえーっ>


 ―― 中略 ――

 <勇者のほこらだ、おいらの村の碑、秘碑碑、碑ィーッ!>


「おいらの村のヒ、ヒヒヒ、ヒィーッ。ばかじゃないの?」

 夜の仕込みのため酒場の厨房で働いていたルゥファナは、おれの横に立ち、口まねをして言った。

 その目にありありと軽蔑の色を浮かべている。

 ちなみに題名を訊ねると、ニキビ面は得意げに『おいらのほこらロック』と答えた。


 農業国キスルは護国連合の中でも最南方に位置し、他の国と比べても暖かな国だ。


 ネッケーゼ村の村まつりは例年、本格的な冬の訪れを翌月に控えた九の月最終週のボヌンに行われていた。

 この日は周囲の村落ともボヌンが一致するので、他村から大勢の人が訪れる。

 あるものは客として、あるものは屋台を出すため、またその両方と、酒場前の広場はちょっとした市場のように雑多な物売りも集って、客と見物人とで大盛況になるらしい。

 中でも、ひときわ大きな屋台を連ねるネッケーゼのあぶり肉は、実はそうとう有名な地場産品なのだそうだ。

 川ダヌやら山ゴリの肉を焼いたそれは、護国中を旅し、地元名物と呼ばれる多くの地方料理を食べ歩いたおれからすると、評判ほどうまいとは思えないものの、ストルング地方名産百選のひとつに数えられるのだという。

 それゆえ、本来、英雄の子孫の件でひっそりと暮らしてきたはずのネッケーゼは、ストルング地方で、実はそこそこ有名な村落だった。

 いくら自閉的になり、外との関わりを断っていたとはいえ、恥ずかしいことにおれはそんなことすら知らず、ここに来ていた。


 ちなみに最近では村酒場にいる巨娘の噂も、ご当地名物として近隣に知れ渡っているらしい。


「ルゥファナ、テーブルのお客さんがご指名だよ!」酒場の主人は厨房で叫ぶ。

「はーい! ただいま!」ルゥファナは注文をとりに客のテーブルへ向かう。

 厨房から出て来るたび、彼女を見て『おー』とか『あれか』とか、無粋な声もあちこちで上がった。テーブルには他の村から来ている農夫どもが座り、にやにや笑いながら、ルゥファナに注文するあいだ、彼女の身体の大きさをからかったり、卑猥な冗談を言ったりして上機嫌になっていた。

 その大きな臀部に触れようとして、手をはたかれ喜ぶ変態までいやがる。


 まったく、どうしようもない奴らだ。


 彼女は村まつりの間、当然ながら客寄せの見せ物として大役を果たしている。

 おれは酒場の一角からその光景を眺め、ぐいぐいと軽酒を片端から開けていた。


 例の演し物は夜の部だ。

 出番まで相当時間もある。


 ほかにやることもなく、そうして漫然とルゥファナと客のやりとりを眺めていると、隣のテーブルの会話が聞こえてきた。


「あの話どうなった?」

「断って正解だった」

「いい金になるって言ってたのに?」

「……例の事件と関係があるみたいなんだ」

 聞くともなしに聞いてしまった。

 事件、か。

 どうみても堅気の二人組だ。

 村で見慣れないから、きっと観光客だろう。どうせたいした事件でもあるまい。

 それ以上聞く気をなくし、男の給仕に軽酒のかわりを頼んだ。


「誘拐?」

「しっ、声が大きいよ!」


 喧噪のさなか声をひそめて話すのは難しい。

 自然、声も大きくなってしまったんだろう。

 物騒な単語で、ふたたび隣の会話に聞き耳を立て直した。

 つづく会話に、ふたりはおれのふるさと、ケネヴから来た若者たちだとわかった。


「いやに条件のいい話だと思ったけど、なんとなく気乗りしなくて……」


 その声はさらに低く小さくなったので、聞き取れなかった部分を類推すると、ふたり組の片方は、知り合いから金になる話を紹介され断ったが、その知り合いは後日、未遂に終わったらしいケネヴの貴族子弟誘拐事件で、犯人たちのひとりとして投獄されたそうだ。


 くだらない。

 要するにうまい儲け話には裏もあったと言う、よくある話だ。


 そういえば、かなり前、だれかから貴族子弟の誘拐について聞いた記憶もある。

 サーカルジュの門衛だったか。

 いやいや、この村の村長も祭りの前にたしか、そんな話をしていた。

 おおかた貴族の跡目争いや、相続争いってとこだろう。

 平民や農民の、それも素人を雇って下手人に仕立て上げるのは、万一足がついたとき、金目当ての犯行にでもして、うまく言い逃れできるようにしてるってことだ。


 それにしても、あちこちで似たような事件が起こるのは、誘拐みたいな卑劣で陰湿な手口のほうが、暗殺や斬り合いをするより、確実に目的を達成できるからかも知れない。表だった争いにもならないだろうし、より平和的手法とは言える。


 この若者たちも危ないもうけ話に引っかからなくて幸いだった。

 いずれ年を取ったとき、青春時代の冒険話として、たぶん自分の目利きのたしかさを孫にでも自慢するんだろうな。

 ……だが、世の中には冒険したくてもかなわず、与えられた運命や環境にただひたすら堪え忍ぶ人生だってある。


 そう、ルゥファナもそんな歩みをしてきた人間のひとりなんだ。




       四



「あの娘はこの村にとって畏怖すべき存在であると同時に、嫌悪し憎悪すべき存在だったんじゃよ」

 低く、うなるような声だった。

 村の由来を聞いた晩、ユングムルトはルゥファナの本当の秘密を打ち明けた。


 彼女の不幸を理解するためには、この地方に関わる人物への歴史的知識も必要だ。


 そのひとつ。


 英雄ドゥルクは、その父『剣王ドゥール』に与えられた土地へ移る際、、ストルング地方の民に、ひとつの予言をした。


 <我去りし後、ここに大きく強き子孫与えらるるならば、目を留めよ>

 <其は我が血のゆずり。其はいずれこの地の支配者とならん>


 ドゥルクは非常な巨漢だったと伝承されている。

 以来、この地方では大柄な子どもの誕生時、いずれ国を支配する大いなる使命を持つと信じられ、畏怖の対象となってきたのだった。


 後にキスルの初代民王となった『剣王ドゥール』のひ孫ドゥキスは、その民間伝承を一笑に付することなく、各地方の選王に命じて、大きな子どもは生涯、生まれ故郷から一歩も出さぬよう監視をつけさせた。

 さらに、もしその子どもが成長し、命令を守らず故郷を出たなら、故郷ごと共に滅ぼせという、狂気さえ感じられるような勅令まで出している。


「ネッケーゼはドゥルクの子孫ゆずりの村じゃからの、われわれに気づかれぬようにして、ずっと他村の何倍も厳しい監視の目が注がれておったそうじゃ。……何百年も前の話で、ゆずりの村ということさえ、みな忘れとった」


 ルゥファナが生まれたとき、突如、ストルング地方の選王から使者が村へ送られてきた。ドゥキスの法は効力を失っていなかった。

 使者はかつて定められた国法に従い、両親に、ルゥファナを村の外に出すことを禁じ、万が一それを破った場合には、家族どころか、ネッケーゼ村を焼き払うと通達した。

 一方、村の他の人間はそのことでルゥファナをますます伝説の英雄の『呪い』によって生まれてきたと信じ込んだ。

 そうして彼女を畏怖しながらも、その身体の大きさを呪いの証拠として嫌悪した。


 彼女の両親が流行病で亡くなると、ふたたび選王の使者は村を訪れ、『呪われた娘』から片時も目を離さず見張るよう命じた。


 当時の村長は彼女の家の周囲に小屋を建てた。

 くじで順番を決められた村民はそこへ籠もり、交代で毎日監視していたそうだ。


 ルゥファナの家を訪ねたとき、おれは家屋の周囲にいくつもの朽ちかけた小屋を見た。それらはみな彼女を見張るためだけに作られた監視小屋だったのだ。


 やがてルゥファナは成長し、なぜか酒場で働くようになる。


 その時期と前後し、キスル初代民王ドゥキスにより定められた国法は見直され、伝承に基づくいわれのない法律は次々撤廃されていく。

 その中には彼女を縛りつづけてきた例の悪法も含まれていた。


「キスル国としては、ドゥキスの法を残せば、ほこらの碑に残る『ドゥルクの記』を史実であると認めることになるから、諸国との摩擦を恐れたんじゃろ。まあ、一番は正統紀を奉ずる隣国ミーナスへの配慮じゃろうがな」

 伝承に縛られ、政治的判断により突然解放されたルゥファナ。


 しかし彼女は取り戻した自由を行使するより、村に留まることを選んだ。


「あの娘は自分を伝承の英雄ドゥルクと重ねとるよ。剣士のまねごとはきっとそうじゃろう。いずれだれかが『剣王ドゥール』のように自分の赴くべき『ゆずりの土地』を指し示してくれるのを待っておるのかもな。……いま、酒場で働くのは、彼女なりの復讐なのじゃ」

「復讐? 村の人間にか?」

 おれは驚いてそう訊ね返した。

 ルゥファナの明るく屈託なく見える外見から、そのことばの内容を連想するのは難しかった。

「そうじゃ。生まれたときから自分を呪われた子として扱い、表面上はともかく内心得体の知れない化け物と考え、監視してきた村のものへの復讐じゃ……村のものの中で、彼女に早く村を出て行って欲しいと考えているのものは多い。なぜなら、ありもしない呪いに怯えてルゥファナとその家族にした酷い仕打ち、その年月の記憶が、彼女を見るたびに甦るからの。あの娘は自分をみなに見える場所へ置くことで、そうした罪責感を、もっともっと味わせたいんじゃろう。……ワシから見れば、どちらもつらい思いをしたんじゃがな」


 ユングムルトは酒場の女給仕という、見方によっては下賤ともいえる職に就いた彼女の真意を、そう解釈していた。


「あんたをこの村に招いたのはな、剣士を目指すあの娘をあんたに連れ出してもらいたかったからなんじゃ。それがワシ……いや、ワシら村のものの願いなんじゃよ」

 内心動揺しながら、ユングムルトへ尋ねた。

「あんたは……ルゥファナの理解者で味方のはずじゃなかったのかい?」

「あの娘を監視するように命じたのは、ワシじゃ。どの面下げて理解者などと言える? それなのにルゥファナは、ワシを足繁く訪ねてくる……まるで昔のことなど……請われたと言え、流行り病で苦しむあの娘の両親に、剣でとどめをさしたこのワシの所業を忘れているかのように。……つらいんじゃ。あの娘の笑顔も、なにもかもが」

 前任村長だった老人は、告白を終えると顔をゆがめた。

 その表情に、おれは彼の罪責感の深さを理解した。


 まつりは夜を迎え、最高潮に達しつつあった。


 昼間出ていた子ども向けの屋台は大人用の品物を軒先に並べ変え、村の民家は臨時宿泊所の様相を呈し、予約を取ろうとする観光客で混み合っている。


 酒場前の広場には演し物の演者たちも勢揃いし、出番をいまかと待ちわびていた。

 おれは自分の演出による<ヨツラ式>の楽隊を率いて登壇することになっていた。

 いま舞台では、となり村の有志によるドゥルク伝説の劇が上演されている。


 次はおれたちの出番だ。

 ニキビ面の青年を呼びよせ、最後の打ち合わせをする。


「いいかいアズムント、思い切りやるぞ。<譜>は全員に渡したか?」

「ええ、センギィ、ばっちりですよ! はやく見物人を驚かせてやりましょう!」

 そう呼ぶなと何度言っても治らないから、気にしないことにした。


 たしかにあの歌詞ではみんな驚くに違いない。


 ひどい歌詞と曲を作り直す時間はなかったので、おれは他の部分で現状をよりよく引き上げることしかできなかった。


 普通の吟遊詩人は大抵ひとりか、多くても三人ほどで演奏するから、お互いの拍子あわせにそれほど苦労はしない。

 即興も多く、それほど拍子に気を遣わないのだ。

 だが、十四人もの大人数で演奏するとすれば、問題になるのはそれぞれの楽器の拍子合わせだ。

 ヨツラ楽隊の音に気持ち悪さを覚えたのは、おそらく、ちぐはぐで、でたらめな拍子のまま演奏されていたからだろう。

 そこでおれは、むかし宮廷楽師の友人に教わった<譜>の存在を思い出し、このにわか楽隊に取り入れた。


 <譜>は、それぞれの楽器の拍子を個別に書き出し、一枚の表にしたものだ。


 おれはあのくだらない曲を彼らに何回も演奏させ、二日がかりで革紙に<譜>として書き出し、それをひとつの間違いもないように十五枚、別な革紙に書き写した。


 <譜>に書く必要のある音の数と、拍子のあまりの多さに発狂しそうになった。

 さいわいルゥファナも手伝ってくれたので、たぶんまだ正気は保てているはずだ。


 文字を書けない彼女でも、革紙に書くのは簡単な丸と点、そして線だったので、少し教えるだけでどんどん作業は進んだのだ。


 徹夜で全部の<譜>を書き上げたとき、ルゥファナは訊ねた。


「剣士育成と斡旋ではなく、あなたの歌人としての実力はまだ知らないけれど、この曲はあなたの吟遊詩人としての正当な評価や評判につながるのかしら?」

「ああ。おれ史上初の画期的評価、これまでにない風評を生み出すだろうな」


 おれはやけくそに答えたのだった。


「つぎはあぁ、えと。こ、高名なる吟遊詩人センギュスト・テイル率いる、ひきいる……村の青年有志による、ね、ネッケーゼ英雄楽隊、の新作楽曲をご披露いたします。題名は、お、おいら、……『おいらのほこらロック』」


 酔っぱらった司会から間の抜けた紹介を受け、おれたちは登壇した。

 まばらな拍手を受ける。

 観客は既にほろ酔いだった。

 楽器の設置に少し時間をかける。

 これは『演出』だ。


 おれは、この『ネッケーゼ英雄楽隊』全員に、前もっていくつか指示をしていた。

 たとえば、代表のニキビ面には、

「アズムント。歌手は出来るだけ派手に動け。服装も奇抜なものにしろ」とか、

「ルルーテは、プタオンの拍子に会わせて、前後左右に大きく振るんだ」とか、

「プタオン、パタオンの奏者は楽器の後ろで目立たないから、おおげさに頭を振れ。チヴェルを打ち鳴らすときは盛大にな」

 ……という具合。

 楽器の設置と奏者の配置も整い、演奏の準備は完了する。

 観客に一礼し、おれは素早く指揮棒を振り上げた。


 <ずたたた、ずたたた、ずたたた、ずたたた、どがしゃかどん!>


 壇上で組み合わされたプタオンとパタオンはいきなり全開。

 激しく強く、素早い拍子により、出だしで観客に衝撃を与えるよう、編曲し直したのだった。


 <わっわっわっわあぁーっ> <わっわっわっわあぁーっ>


 四人の若者は和音で合唱し、ルルーテとキリューグの旋律がそこに割って入る。

 ねらい通り聴衆の度肝を抜いた。

 不毛な歌詞も始まった。


 <おいらの村さ! 秘秘ッ碑ィーッ! 秘密のほこらだ、秘ッ、秘、碑ィーッ!>


 指揮しながら、会場の様子をうかがう。

 場内は騒然としていた。

 みるみるうちに客席の最前列に若者たちが殺到し、立つ隙間もないほどになる。おかげで広場の客席はぽっかり空いてしまった。


 ナンデコンナ曲ガイイノデスカ、オマエラハ。


 客席の後部にしつらえられたテーブルを囲む老人たちや地元の剣士たち、中年女たちはあまりの騒音にぽかんと口を開けたままになっている。 

 おれたちの楽隊が碑、碑、秘ィーと叫ぶたびに、群れ集う若者もヒ、ヒ、ヒィーと叫ぶ。

 碑ぃーと言えばヒィー、碑秘碑ィーといってもヒヒヒィー。


 あちらもこちらもヒーヒーヒーヒーと正気の沙汰じゃない。

 会場は異様な興奮と沈静、熱狂と沈黙、動と静とに二分され、ちょっと例えようもない雰囲気となった。

 そろそろ演奏も佳境に入る。

 楽隊の指揮に集中した。



       五


「だまれ、おまえらうるさいぞ! いい加減にしろ!」

 突如として、野獣の咆吼にも似た大声が会場に響きわたった。

 会場は一瞬にして静まりかえる。


 声は後部の客席からだった。


 ひとりの巨漢がテーブルの上に立ち上がり、おれたちをにらんでいた。

 腰に下げた得物で、剣士だと分かる。

 だれひとり声を上げるものもいない会場に、その男の声はふたたび響いた。

「ふざけんな、なんだその気持ち悪い曲は! 客に聴かせる歌じゃねえだろ!」

 テーブルを降り、こちらへ向かってきた。


 舞台前の若者たちは左右に割れ、逃げだした。

 やつはそのまま舞台に上がると、目を見開いたままのアズムントをつかまえ、言い放つ。

「最近のわけぇやつは、軟弱でどうしようもないと思ってたが、ここまでひでぇとはな。なあおまえ。ヒーヒー歌ってたが、本当にヒーヒー言うってのは、こういうことだぜ」

 剣士は、アズムントの身体を持ち上げ、舞台奥のプタオンめがけ投げつけた。

 チヴェルの耳障りな金属音を大きく響かせながら、プタオンとパタオンは破裂したように散乱する。アズムントのニキビだらけの顔は、今度は血だらけとなった。


 おれは巨漢を止めようとして間に合わず、代わりに大声で怒鳴った。

「おい、やめろ!」

「なんだ? おまえは」そいつは首をぐるりと回し、顔をこちらへ向けた。

 顔中血まみれのアズムントは仲間に抱えられ、舞台を降りていく。


 気絶したのか、ぐったりと力の抜けた感じだった。


 巨漢の顔は広場を取り巻くかがり火に照らされ、赤々しく輝く。

 少し離れたおれのところまで臭うこの男の息から、赤さの理由はそれだけでないと知れた。

 視界の外で交わされるだれかのひそひそ声に、こいつは近隣でもよく知られている剣士とわかった。

 酒乱でか、剣の腕でかの判別は付かなかったが。


「おまえ……そうか。さっきの指揮者か。変な格好しやがって」

 じろじろとおれを見定め、赤ら顔の巨漢は吐き捨てるように言った。


 いいか。


 おれの格好は古式ゆかしい吟遊詩人の扮装で……って残念、こんなやつに言っても無駄だった。

「さっさと舞台を降りろ、このくず剣士!」

 やつを挑発してやった。

 やかましく、情緒のかけらもない曲調でも、意味不明の不毛な歌詞だとしても、おれの楽隊はよくがんばった。

 金を取るわけでもないのに、いわれなく部外者に舞台を邪魔される筋合いはない。


 巨漢は腰の剣を抜き、激昂する。


「田舎楽隊風情に、くず剣士呼ばわりされるおぼえはねぇ。剣士様と呼びやがれ!」

 前置きもなにもない横凪ぎは、おれの衣装をかすった。

 剣先のきゅっと衣をこするいやな音とともに、その部分はさっくり切れている。

 なかなかの腕前。

 ケンカの場数を踏んだ上に、何人かは確実に斬り斃しているだろう。


 舞台の最前列には先ほどの若者たちではなく、今度は巨漢の仲間らしき剣士たちが来て、下卑たヤジをとばしはじめた。

 おれはそれを気にも留めず、巨漢にうそぶいた。

「なんだ、なまくらだな。服しか切れねぇのか」

「おれを本気にさせてぇのか?」巨漢はすごむ。

 おまえすでに本気だろ、と言おうとするところに、やつは、おれの予想を超えた速さの、必殺の勢いで剣を繰り出してきた。


 それを寸前でかわし、何か武器になるものはないか、と舞台上を探す。

 せめて自分のキリューグでもあれば、攻撃を防ぐ役にたったと、今さらながら自身の演奏を断ったことを後悔した。


「逃げるばかりか、ええ? くず剣士にやられちまうぜ、ほらほら!」


 巨漢はすでにおれをいたぶることにその目的を変えていて、舞台上を逃げ回るおれを執拗に追い回し、いつまで逃げ切れるか、仲間の剣士と賭けを始めていた。


 なんのことはない、おれ自身、この舞台の演し物なのだ。

 主演はもちろんおれ、演目は剣劇、題は『吟遊詩人の最後』で、結末まで容易に想像のつくチンケな小劇。


「ほらよ、ほらほら」

 見上げるような巨漢のくせに小手先でつつくような突きを放ってくる。

 何回かはよけそこね手足に鋭い痛みを感じた。

 からかっているつもりらしい。

 楽隊の準備に徹夜を重ねたせいか、体力をかなり消耗していて、このままだと早晩、生命まで消耗しちまう。


 舞台上の楽隊は全員無事に逃げ出している。


 おれもそろそろ逃げるつもりで、けれど巨漢の仲間は舞台前列に広がっていて、逃げ道を塞いでいた。広場内のだれも、こいつらを止める術を持たず、このままでは本当にいびり殺されるのは間違いない。

 けれど、どうせなら最後に必死の抵抗を試みよう。


「お、なんだなんだ? そんなものを持ってどうする?」

 足もと近くに打ち捨ててあったキリューグを見つけ、拾い上げると、剣を持つように構えた。

 巨漢はうれしそうな楽しそうな、嗜虐の喜びに満ちあふれたような目でおれを見る。もちろんおれも目算なくこの弦楽器を拾ったりはしない。

 キリューグの背には楽器の構造を支える金属の板が埋め込まれているから、一撃程度なら、たぶん相手の剣を受けきれるはずだった。

 相手の剣を受け、狙いをそらし、ふところに飛び込めば、少しは活路も見いだせるんじゃないか、そんな淡い可能性しかなかったが。


「いい加減、よしなさい! 剣士でしょ、あんた!」

 聞き覚えのある声。


 ルゥファナは広場のど真ん中に立っていた。


 一瞬、気をのまれた見物の剣士たちは我に返り、彼女をからかい始める。

「だれかと思えば、この村の名物女じゃねぇか。でかいのは身体だけにしとけよ」

 つられて何人かの剣士もわざとらしい笑い声を出す。


 酔っぱらいどもめ。


 ルゥファナは眉間に複雑なしわを寄せ、そいつらをじろりとにらみつけながら、こちらへ歩みだした。

 その右手には長柄の金槌のような得物が握られていた。


 窪地の擬敵相手に使っているのは、あれか? 


 彼女の服はよく見ると泥だらけで、真っ暗な農道をたぶん、途中で転んだりもしながら、走って家に戻り、それを取ってきたのだろう。

「そりゃなんて金槌だよ? でかい姐ちゃん。鍛冶屋なら間に合ってるぜぇー」

 ルゥファナの得物に気づいた剣士は、おどけてみせた。


 ルゥファナは少々頭を傾け舞台上のおれを横目に見た。

 油断なく頭を戻し、巨漢の剣士を正面から見据えると、うなるように低い声をひねり出した。

「かかってきな。遊んでやるわ」


 巨漢の剣士は、何を言われたのか理解できないようで、しかめ面をしていた。

 かぶりを振りつつ仲間の剣士に大声で尋ねる。

「なあおい、このいかれた化けもん女は、おれに何を言ったんだ?」


 その返事を待たず、ルゥファナは一足飛びに舞台へ跳びのった。

 彼女が酒場で着ているさらし布の長い腰巻きが一瞬ふわりとまくれ上がり、周囲のかがり火はその内側の太ももを生々しく照らし出す。


 それを目撃し、おれは寸時どぎまぎした。


「かかってきな、て言ったの。うすらバカでもことばくらい分かるでしょ?」


 巨漢の剣士は黙り込んだ。

 次に口を開くと、殺意を秘める醒めた口調に変わっていた。

「おれは、女に侮辱されんのを好まねぇ。たとえそれがおれのおふくろだろうとな」

「くずを生んだ、かわいそうな女の話なんか聞きたくないね」


 ルゥファナは啖呵を切る。


 うわ……やめろルゥファナ、相手は本気だぞ。

 そう思うのと同時に、巨漢は低い姿勢からすり足で一気に前へと踏み込み、彼女に剣を打ち込んだ。

 おれとの時とは違う、まぎれもない本気の一撃だ。


 <かっぃんんん!>


 剣と金槌は猛烈にぶつかり合い、激しく大量の火花を中空へ散らした。


 巨漢は再度打ち込み、ルゥファナはまたそれを受ける。

 火花の散らし合いは二、三合つづいた。

 ふたりは激しく腕と身体を動かし、それはまるで剣舞を見ているようだった。


 <ふぅううう>


 息を吐いて巨漢はいったん身体を引くと、体勢を建て直し、信じられないという様子に巨娘を凝視した。


 酔いは完全に吹き飛んだらしかった。


 ルゥファナも相手から目を離さず、金槌を寝かせ半身に構えていた。

 おれのいるところからは、彼女が滝のような汗を流しているのも見える。

 気楽そうに受け流しているように見えて実際には、想像以上に神経をすり減らしているのかも知れない。

 巨漢は彼女が仕掛けてこないのを自分の利と考えたらしい。

 先手必勝とばかりにするどい連撃を放った。


 五合、六合、……打ち合いの音は広場中に響き、観衆は固唾をのんで、この怪物対決の行く末を見守っている。


 おれはルゥファナの技術に驚いた。


 彼女は大剣の斬撃をすべて金槌の金属部分で受けている。

 木の柄には一度も相手の剣先を当てられることはなかった。

 巨漢は攻撃を金槌で受け流されていることに焦りを感じたのか、相手のふところ深く潜り込もうとして、大きく前に一歩踏み込んだ。


 ルゥファナはそれを待ちかまえていたように、金槌の先で相手の足をひょいと引っかける。

 足をもつれさせ、息の漏れた奇妙な声を発しながら、巨漢はコマのように身体を回しひっくり返った。

 そこは、投げ込まれたアズムントの下敷きとなり、破砕した打楽器の残骸や細かな破片の散乱する場所だった。


 大きな悲鳴が広場じゅうに響きわたる。


 プタオンやパタオンの折れた木片や、尖った金属の破片が、巨漢の顔や身体に突き刺さっている。顔を押さえているその手の指のあいだから、毒々しい色の鮮血が吹き出していた。


「ルゥファナ!」


 短く叫んで巨娘の手を取り、舞台上からひっぱりおろそうとした。

 彼女は、唐突な勝負の終焉に放心したと見え、そこへ立ちつくしたままだ。

 血まみれの巨漢を介抱しようと、仲間たちはつぎつぎ舞台へ駈け上がっていく。


 おれはルゥファナの手を曳きながら、走り寄ってくる群衆に逆らい、かき分け、農地へ続く小径の暗闇に走り出す。

 背後の灯りは前方におれたちの濃く長い影を作った。


 心の中で何かが蠢いていた。


 なぜかとても愉快になり、暗闇の中、とうとうおれは笑い出した。

「ハハハハハハハハハハハ!」

 つられたのか、ルゥファナも笑い出す。

「アハハハハハハハハハハ!」


 口から、例のあの歌が飛び出てきた。


「おいらの村さ。ヒ、ヒ、ヒィーッ! 」

 彼女も叫ぶ。

「おいらの村のヒ、ヒヒヒ、ヒィーッ!」


 甲高い調子はずれのその声に、ふたたびおれは大声で笑った。

 つづく彼女の爆笑もおれの声と重なり、おれたちは手をつないだまま狂ったように走り、笑い続けた。

 そうして、闇の中を前へ前へとどこまでも進む。


 突然おれは大声で叫んだ。


「ルゥファナ、剣士にしてやる! おれはおまえを伝説にしてやるぞ!」

 

 おれの手を握りしめている彼女の大きな手に、ぎゅっと、さらに力が加わった。


 手の骨が折れるかと思った。

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