火緋色金<ヒヒイロカネ>の異界剣士

草津来々

第1話

今思えば運命の日は、やけに暑い日であったことが記憶に残っている。


大学初めての夏休みを迎え、期待に心震わせる夏。

多くの学生が行楽地だ、海だとはしゃぐ中に彼の姿はあった。

金なし、コミュ力なし、色気なしの三連コンボのハマった男子大学生「篝 蓮太郎」の姿がそこにはあった。

彼女は当然いないけれど、友達がいないわけじゃない。

すごく頭がいい訳では無いけれど、悪いわけでもない。

運動神経がすごいという訳では無いけれど、小中高と続けたハンドボールは彼のそこそこの運動能力を証明している。

そんな平々凡々な大学生はバイトに向かっていた。

東京から超有名な舞浜の遊園地に行く電車に乗る。しかし、彼の降りる駅は手前の新木場。今日というすばらしい1日を夢想し、はしゃぐ乗客を押しのけ、彼は電車から降りた。

駅前のロッテルヤでハンバーガーを購入し、駅前3分の輸送会社へと向かう。

彼の背中には憂愁しか無かった。


今日のバイトを振り返っても得たものははした金だけ、平々凡々であったことは言うまでもない。

中肉中背の割に力のある蓮太郎は便利なバイト程度でしかない。

本当であれば、彼はまた電車に乗り、乗客の喧騒の中で、人目を避けるように音楽を聞きながら帰路につき、夕食を食べ寝るはずだった。

この時、蓮太郎はそう信じて疑ってはいなかった。


電車を降りる。

自宅の最寄り駅、人気はない。

東京都ではあれど、比較的田舎のこの駅で降りる人は多くない。

駅の改札を抜け、エナジードリンクを購入し、家を目指す。

いつもの帰り道にどうしようもない飽きを感じていた彼は珍しく近道の神社を抜けて帰る道を選んだ。


それが彼の苦悩に満ちた人生の始まりになるとも知らずーーーーー



神坂神社

神の文字を二つも冠するご利益高そうな神社。

しかし、その実この神社に訪れる人間は少ない。

毎年ある町内会のお祭りも開催を危ぶまれるほどである。


社の裏の大岩を右に逸れ、階段を下る。

階段に差し掛かり、蓮太郎の脳内には一つの疑問が浮かんだ。


(この階段、こんなにもボロかっただろうか…)


石を積み重ねて作られた階段は一部風化しており、階段の先は陽炎のように揺らいでいる。


疲れているのだと自分に言い聞かせ階段を下る。

時刻は夕方、暗くなり始めとはいえ陽炎の一つや二つ気にすることもない。

蓮太郎の心にはそんな思いがあった。

そんな彼の耳に音楽よりも鮮明に聞こえた。

生涯忘れもしないあの声が、あの音が…


錫杖が鳴り響く

「逢魔ヶ刻、汝が影に朧月、明訓の雅も果てし、さぁさぁ、鬼の居ぬ間にとおりゃんせ」

錫杖は鳴り止まない

手先から血の気が引き、心臓が収縮する。視界は暗くなり、耳鳴りもやまない。

膝をついたところまでは覚えている。

やけに遠くに響く錫杖と、少女の泣き声が耳に残った。


篝 蓮太郎は八月二日水曜日の夕方に姿をくらました。

警察や家族の必死の捜索も虚しく、彼は見つからなかった。

素行にも性格にも問題を抱えぬ少年の失踪は大きくワイドショーを賑わせた。

そんな篝 蓮太郎が再び現世に姿を現すのは失踪から八ヶ月後のことである。



懐かしい光景だった。

これは泡沫の儚い夢…榊 蓮太郎という生命体、一個体ではなく、もっと根源的な、何かの記憶。

赤茶けた大地、果てなく続く地平線。

正しくヨノハテという言葉にふさわしい世界の終わり。

蓮太郎を襲うのは言語なんていう狭い括りでは説明出来ないほどの感動、ただ尊いと感じ、ただ涙した。

むせび泣く蓮太郎の足元に唐突に開く暗闇。

彼は二度とこの光景を思い出すことはない。


ーーーーーーーーー


「んっ…」


最初に感じたのは喉の乾きだった。

呼吸さえままならない。

喉の痛みをこらえ、周囲を見渡す。

テントの中に置かれたベットの上に蓮太郎は横になっていた。

病室のように四方は純白のカーテンに囲われており、閉塞感は感じるものの、清潔には保たれていた。



「…は?」


確か俺は自宅を目指して帰っていたはずなのだ。

階段をおりて…倒れたのか?

たまらない酩酊感を思い出し、蓮太郎は顔を顰める。

酩酊感から立ち直り、ベットを立とうとする頃、1人の看護師が入ってきた。


「あ、目を覚まされましたか、私の言葉ちゃんと伝わってますか?」


美しく鳴く鈴の音の様な声、褐色の肌と銀の髪、黒い瞳を持つ浮世離れしたほど美しい看護婦が俺に話しかける。


「え…あっ…その…」


女性耐性0、我ながら恥ずかしい、ここがどこであるかという質問は脳内から消失し、今すぐ穴を掘って隠れたい気分になる…。

コミュ障だと思われたらどうしよう…

そんなマイナス思考が蓮太郎の脳内を埋め尽くす頃、彼女の声が再び聞こえた。


「あの、ほんとに大丈夫ですか?

どこかで頭とか、ぶつけたりしてませんか?」


パタパタと踵の低いサンダルを鳴らしながら俺に近寄り、頭を撫で回す。

その真剣な表情は純粋な俺への心配が見て取れた。


「だ、大丈夫です、どこもぶつけてないですよ、ちょっとビックリしてしまって」


「あ!そうなんですか、ごめんなさいっ、早とちりしちゃいました」


軽く頬を染めながら俺から離れる看護婦さん。

身長は160cm程であろうか、170cmの俺からすると少々小柄だか、メリハリのある均等の取れた体は童貞には目の毒だ。

だが、とっても可愛い。


「こちらこそありがとうございます。

ちなみにここは…?」


「南部横須賀駐屯陣地です。」


彼女の口から飛び出した言葉の羅列にまたも蓮太郎は言葉を失った。


「よ、横須賀?」


「はい、横須賀ですよ?

あ、カルテ書かなきゃ行けないので、身分証明等ありましたらお願いします。」


「は、はい…」


蓮太郎は懐の財布から保険証を出しながら思考を巡らせる。

(なぜだ?俺がいたのは実家の近く…八王子市だ…でも、なぜ横須賀に?大型病院へと移されたのか?だが、それにしては距離がありすぎる…)


「榊 蓮太郎さんでよろしいですか?」


「あ、え、はい。」


「これは…保険証?ですか?

戸籍証は?」


「戸籍証?ってなんですか?」


お互いに話が噛み合っていない感覚、常識が通じないのではないかという恐怖が蓮太郎の心を蝕む…


「ちょっと確認してきますね」


またもパタパタとサンダルを鳴らしながら病室を去る看護婦。

かなりの不安を持ちつつ、残された蓮太郎は更に考える。

(というか、横須賀市はアメリカ海軍基地のある、神奈川県の都市ではないのか?)

蓮太郎の脳内を様々な感情が、思考が混沌としたまま存在していた。


ーーーーーーーーーーー


ベッドに横になるうちに眠気に襲われたのか、いつの間にか眠りに落ちていた。

時間はわからない。

テントの骨組みの見える天井に底知れぬ不安を覚えた。


ぶおおおおおおおおおおおん!!!!


爆音であった。

耳の鼓膜が震え、体を芯から揺さぶられるような感覚に襲われる。

急激な状況の変化に身も心をついていけす、ただ呆然とするばかりであった。


ズガガッ、ガガッ、ピーッ、戦況連絡、戦況連絡、南部元市街地よりBランク妖魔の出現を確認。

第一から第七陸戦歩兵部隊は戦線に出撃。

これは訓練ではありません。

繰り返します。

第一から第七陸戦歩兵部隊は出撃。

野戦病院の患者は退避が可能な患者以外は放置。

全ての民間職員は横浜戦線まで


そこで警報は終了した。

唐突に切られた警報から流された情報は俺に危機感を感じさせるには十分な内容であった。

焦ってテントから飛び出す。

そこに広がっていたのは


ーーーーー地獄絵図であった。


時間は夜

視界いっぱいに燃える廃都市が広がり、距離があるにもかかわらず、焚き火の近くにいる時のような目の乾きを覚える。高く昇る煙は果てなき夜空へ消えてゆく。

ぐおおおおおおん、と地の底から響くような轟音が響き渡り、合間を縫うように人々の叫び声が耳に届く。


死線、というのがふさわしいのだろうか…などとほんの少し残った理性的な部分で考えた。


呆然と棒立ちになった俺の隣に音もなくぺしゃんこになった車が落ちてくる。

先ほどまで入っていたテントを巻き込み、テントは踏み潰された空き缶のように潰れる。

テントの下から滲み出るコールタールのような赤黒い液体。

本能的に俺は振り向き、走り始めた。

しかも、全力疾走で


(人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が死んだ人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人がーーーーー死んだ)


脳内は大混乱。

もつれる足も、酸素に喘ぐ肺も、振り疲れた腕も無視して走る。

瓦礫を登り、ガードレールを飛び越え、ヒビの入ったアスファルトを踏みしめる。

火のない所へ、死のない所を目指して

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火緋色金<ヒヒイロカネ>の異界剣士 草津来々 @fufufu

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