策略

 そんな折、江東に荊州から劉備の妻甘夫人病死の知らせが届いた。阿斗の母親である。周瑜は今度こそこれならと思える策を思いついた。劉備と孫権の妹、仁茗じんめいとの縁談である。まだ十七歳の仁茗を餌に劉備をおびき寄せ捕え、荊州と交換するのだ。さっそく孫権に話を通し、劉備に使者を立てた。

 最初は劉備のいる荊州に輿入れするものだと思い乗り気だった孔明も、話を聞くにつれ無口になっていた。

「孫仁茗様はまだ幼く、遠方での暮らしには不安がおありです。出来れば、建業けんぎょう(江東・呉国の首都)においで下さい。しばらく留まって頂きたいのです」

 使者は劉備の顔色を窺った。劉備は来る者は拒まずで妻を娶ってきたが、さすがにためらった。

「わたしはすでに五十になります。十七歳の妹御とはつり合いが取れますまい」

と、劉備がやんわり断ろうとすると、

「いいえ、仁茗様はかねてより嫁ぐなら天下の英雄と決めておられます。劉皇叔なら申し分ありません」

と答えた。孔明はますます暗くなり、

「ありがたいお話ですが、心構えのいることです。少しお時間を頂きたい」

と、ひとまず使者を帰した。


「ああまで言われて断れば、孫権に恥をかかせる事になろう。子敬殿にも涙を呑んでもらっておる。ここはわたしが建業に行こうと思う」

 その夜劉備は、孔明にしみじみ言った。

「建業に行かれたら帰れぬかもしれません」

 孔明は固い口調で言った。これが周瑜の策略であるのは明らかだ。

「判っておる。帰らねば、孔明。荊州と阿斗を頼む」

と静かに劉備が言った。

「荊州を渡さねば、お命も……」

 さらに孔明が言った。

「ならば、雲長か翼徳を連れて行こう」

と、劉備が言うと、

「それは……お止め下さい。左右(関羽・張飛)は確かにわが君をお守りするでしょうが、その為に行き過ぎがあるやも知れません」

と、孔明は止めた。呉と関係を深める婚儀で騒ぎを起こせば、かえって仇になる。劉備は、

「わたしは命は惜しまぬ。だが、あの二人はわたしが殺されたらどうなるか……後を追うだけでは済まないだろう。必ず仇を討ちにでよう」

と、孔明の不安をあおった。やはり他に方法は無い。

「……子龍を付けましょう」

 劉備は孔明を見つめた。

「良いのか」

 孔明も劉備を見つめ返した。

「子龍ならば、離れていても忠実に働いてくれます。お任せ下さい。この孔明、知力を尽くしてお守り致します」

 ただ、劉備は人質として価値があるのでまず殺されはしないだろうが、子龍が命を落とす確率は高い。その上子龍は劉備の為なら容易に命を捨てるだろう。


 その夜遅く、孔明は子龍を訪れた。子龍は眠っていたが、気配に気づき目を開けた。

「……孔明」

 灯りは無かったが、その香りで子龍には判った。

「そのままでいい。わが君をお守りして江東へ行ってもらいたいのです」

 孔明はそっと子龍の傍へ座り、頬を撫でた。孔明の様子を異に思い、

「どうしたのですか」

と問うと、

「江東では周瑜の配下に気を付けて下さい。兄の諸葛瑾は信用できますが、魯粛は江東の利が第一です。油断しないように。呉国太ごこくたい(孫権と仁茗の母)は潔癖な方なので、周瑜の押さえとなるでしょう」

と言った。子龍は孔明の手を強めに握ってもう一度問うた。

「どうしたのですか」

「……行かせたくない」

 絞り出すように孔明が言い、子龍の胸の上に頭を乗せた。子龍は孔明の頭を掌で包んだ。夜着に孔明の涙が染みてきた。

「一つだけ……わたしを置いて、死んではなりません」

 子龍はもう何も聞かず、ただ孔明を抱きしめた。


 建業から迎えの船が着いた。十月だった。

 孔明は子龍を呼び止め小さな錦の袋を三つ渡した。

「一の袋は乗船してから開けてください。二は年を越すことになりそうなら、今年のうちに。三は建業を離れる時に。必ず無事に戻れるように策をしるしています」

「承知しました」

と袋を懐に仕舞った。

 劉備、子龍、孫乾そんけんが五百の兵を従えて船に乗り込んだ。孫乾は徐州の陶謙から推挙された信頼のおける参謀である。

 泊で見送る側には孔明の弟子で馬良の弟の馬謖ばしょく、そして涙を浮かべている張飛と口をへの字に結んだ関羽がいた。その中でも子龍には、孔明がとても小さく見えた。


 『孫乾を南徐なんじょで降ろし、喬氏きょうし(兄嫁の実家)から竹簡を受け取り早馬で建業の呉国太に届けさせよ。南徐では結納の品を買いそろえておくように』

 これが一の袋の策であった。

 子龍は趙王族として養われた審美眼を以って、立派な結納品を買いそろえ、劉備と仁茗の婚約をふれて回らせた。高価な結納品をそろえて劉皇叔が婿入りするという噂があっという間に広まり、喬氏の耳にも入った。そこへ劉備からの土産を持って孫乾が訪ねてきて、一足先に建業に行くのでと呉国太への使いを申し出た。

 じつは、周瑜も孫権もこの縁談を母娘には話していなかった。劉備が建業に降りたらすぐに、捕えてしまうつもりでいたので、話す必要は無いと思っていた。ところが、その前に噂が先だってしまい慌てた。


 孫権は呉国太に呼ばれた。亡き父と兄を祀ってある廟内である。

「南徐の喬氏から書簡が届いてな。祝いを言ってきておる。どうも仁茗が婿を取るらしい。」

 呉国太はそう言って孫権に竹簡を差し出した。孫権はざっと見て、

「何か勘違いをされておるのでしょう」

ととぼけてみせた。

「そなた、父と兄の前で嘘を言うか。これを届けたのは劉皇叔の臣下だったのだ。南徐で準備を整え次第、そちらへ、参りますと言うたのだ」

 孫権はもう言い逃れは出来ないと、

「結婚は劉備を人質にする為の罠です。本当に妹を遣るつもりは無いのです」

とうち明けた。呉国太は目を吊り上げ、

「そなたは妹に美人局つつもたせをさせる気か。周知となれば、辱めを受けるは仁茗ぞ」

と、どう喝した。孫権は母をなだめるように、

「そんなつもりはありません。公瑾(周瑜)が言いだした事なのです。どうすれば母上のお気に召すか、おっしゃる通りに致します」

と言った。母は少し落ち着いて言った。

「喬氏が言うには劉公は義に厚く徳の高いお方のようです。ならば仁茗に目会わせるもやぶさかではない。ただこの目で確かめぬ事には承知しかねます。あまりに年寄りでは仁茗が不憫です」

 孫権は劉備が弟になることに抵抗はあったが、仕方なく、

「では、劉備と面会できるように致します」

と言うしかなかった。


 建業の泊では、魯粛と諸葛瑾がその他の家臣達と共に並んでいた。

「さすがは孔明殿、嘘を本当にしてしまわれましたな」

 魯粛が諸葛瑾に言った。

「ですがさらに公瑾殿の神経に障った事でしょう」

と不安げに答えた。

「公瑾は急ぎ過ぎるきらいがあります。ここで玄徳殿に何かあれば、呉国もただでは済まないでしょうに」

 魯粛は小声で言った。諸葛瑾も小さく頷いた。

 船が着き、劉備と子龍が降り立った。孫乾が船倉に行き結納品を降ろす指図を始めた。ゆっくりと出迎えの魯粛らが近づき礼をした。劉備も礼をして言った。

「盛大なお出迎え、恐縮いたします」

 魯粛はにこにこして、

「今度の孫家とのご婚礼の儀、誠にお目出度くお祝申し上げます。こちらは孔明殿の兄上、子瑜しゆ殿です」

と、諸葛瑾を紹介した。諸葛瑾は礼をして、

「お初にお目にかかります。こちらにご滞在の間は、私がお世話致します。何でもお申し付け下さい」

と言った。劉備も礼を返し言った。

「それはありがたい。孔明の尊兄に付いていただけるとは、不慣れな所でも心強い事です」

 子龍も顔を緩めて礼をした。

「趙子龍と申します。お見知りおき下さい」

 諸葛瑾はさらに丁寧に礼をし、

「趙将軍の武功はすでに天下に轟いております。知らぬ者はおりません」

と言ってかすかに頷いた。

 するとそこへ馬車が着き、孫権が降りてきた。早足で劉備に近づきすかさず礼をした。

「よくおいで下さいました、劉皇叔。どうぞ車にお乗り下さい。御相談したき事もありますので、ひとまず宿所にお連れ致します」

 同盟の調印の態度とはうって変わって愛想が良い。子龍は白竜に乗り馬車に並んでついて行った。

「劉皇叔、誠に申し上げにくいが、婚儀の前に母、呉国太がお会いしておきたいと仰せなのです。妹がまだ十七歳では母も不安があるのでしょう。明後日、甘露寺にてお引き会わせしたいのですが、いかがでしょう」

と切り出した。

「もちろん結構です。わたしもぜひ呉国太殿にご挨拶をしておきたい」

と、劉備は機嫌よく答えた。


 甘露寺には孫権、呉国太、その他主だった官職が二十名程同席していたが、周瑜は病を理由に来ていなかった。

 呉国太は驚いていた。劉皇叔は五十歳と聞いていたが、色白く肌も艶やかで全く年寄り臭さは感じられない。物腰も柔らかく、言葉も丁寧で品格にあふれていた。

 その主を細やかに気遣い、場を上手く取り持っている控えめな孫乾。喬氏の竹簡を持ってきて的確に仕事をこなした者だ。

 そして後ろに控えている趙子龍は見とれる程の美丈夫で、長坂坡で名を馳せた忠臣。桂陽一の美女を鼻にもかけなかったと聞いている。

 完璧だった。呉国太は劉備一行を大層気に入った。

 

 和やかに話もまとまり、呉国太は先だって退出し、劉備も並ぶ臣下らの横を通り過ぎようとした。

 その時、中の一人が突然立ちはだかり、斬りかかってきた。

 劉備の後ろにいた子龍は、すでに劉備の前にいて、相手の手首を手刀で叩いた。子龍はもちろん帯刀してはいない。

 剣が床に刺さる。

 子龍は流れるようにその剣を抜き、相手のこめかみに当てた。

 呂蒙だった。


 呂蒙は劉備を殺すよう、周瑜の命を受けた。理由は後で何とでもする。この機に劉備を殺さねば、荊州どころか江東まで取られる。周瑜はそう言った。

 趙雲が付いている事は知っていたが、劉備を殺す事が出来れば、その後、自分が殺されてもいいと覚悟を決めていた。呂蒙はそれほど忠義の臣下である。


 「子明しめい(呂蒙)、血迷ったか」

 魯粛が叫んだ。呉国太は振り返り動きを止めた。孫権は唖然としていた。

「子龍、剣を下ろしなさい」

 劉備は身をかわす事も無く、顔色一つ変えず立ったまま静かに言った。子龍は呂蒙から目を離さず、剣を下ろした。

 呉国太は何が起こったか悟り、呂蒙の前に立つと思い切り頬を張った。老女なのでたいした力ではないはずだが、呂蒙はよろよろと尻もちをついた。

「たれか、子明を成敗なさい」

 呉国太は怒りに震えていた。孫権もやっと我に返り口を開いた。

「お、お待ちください母上。子明は忠臣です。何か訳があったはず。なにとぞ……」

「訳があれば、国が招いた客人を殺してよいのか。趙将軍が防がねば皇叔の命は無かったのだぞ」

 呉国太の怒りは治まらない。そこへ劉備が落ち着いて言った。

「忠臣なればこそ、この婚儀に不満があったのでしょう。無理もありません。わたしのような年長の者に年若い姫が嫁がれるのを、不憫に思われたのではありませんか」

 呉国太は目を潤ませて言った。

「なんと慈悲深い、あなたのような徳の高い方に、ぜひ娘をお願いしたい」

 そして、呂蒙に向かい

「誰でもこの婚儀に異のある者は、わらわを殺してからにしなさい」

と言い放ち、劉備を促して立ち去った。


 さて、この甘露寺での一部始終を孫仁茗は見ていた。隣室で様子を窺っていたのだ。仁茗も劉備に魅せられた。幼くして父を亡くし、若い兄達の元にいて、堂々として寛大な劉備に父の面影を見たかもしれない。

 婚儀は盛大につつがなく終わった。

 その夜、劉備が新居に行くと、腰元達が武装して並んでいた。仁茗は男勝りで武芸を好んでいたのだ。皆礼をして劉備を迎えたが、中に入ると甲冑や武具が飾られていた。劉備は思わず、

「部屋を間違えたか」

と言うと、奥の戸が開き赤い夜着に身を包んだ仁茗が現れた。まだあどけなさを残してはいるが、勝気な瞳が潤んでいた。

「殿、こちらでございます」

と招き入れてくれたので、劉備はほっとした。


 周瑜は病を理由に婚儀にも出なかった。呉国太から何を言われるかわからない。最初は人質にして荊州と交換しようと思っていたが、周知となればそれも叶わず呂蒙に殺させようとし、失敗した。なるほど趙雲がいる限り隙は無い。

 少し冷静に考えれば、劉備を建業に留めておきさえすれば、いずれ隙をつける時も来るだろう。劉備はもともと平民で母子でつつましく暮らしていたという。荊州でも質実剛健を貫いてきた。今までしたことの無いような贅沢をさせてはどうか。荊州に帰る気も無くす筈だ。周瑜は私財を投じて、劉備に高級食材や名品、珍品を送り、楽師や舞手をはべらたせた。

 やがて、劉備が遊興にふけり酒浸りという噂が聞こえてきた。周瑜は、ほくそ笑んだ。


 劉備の屋敷では連日、飲めや踊れの華やかな宴が催され、建業の人々は金に糸目を付けず贅を尽くす劉備の処を好んで訪れた。

 女達の舞う中を子龍はつかつかと劉備の前に進み出た。膝を付いて礼を取り、

「わが君、そろそろ荊州にお戻りにならねば皆案じております。いつ曹操が進攻して来るやもしれません」

と言った。劉備は仁茗の膝に頭を乗せたまま、半眼で答えた。

「ふん……荊州になど戻らぬわ。雲長も翼徳もおるではないか。孔明がうまくやるだろう」

 かなり酔っている様子である。子龍はさらに、

「恐れながら、少し酒をお控え下さい。冷静になってお考え直しになるよう、お願い致します」

と訴えた。その言葉に劉備は激怒し、身体を起こした。

「そなた、臣下の分際でわたしに意見するのか。冷静になれなど、おこがましいわ。この者を大通りに連れて行き、棒叩き二十回の罰を与えよ。良いと言うまで蟄居しておれ」

 兵が両腕を掴んだが、それでも、

「どうか、どうかわが君……」

と言いかけ、引きずられるように連れだされた。

 民衆の前で長坂の英雄、趙雲が棒叩きの罰を受けた事はすぐに知れ渡った。呉国内はもちろん、荊州にも噂は広がり連絡役の孫乾が劉備の竹簡を持って知らせに帰った。劉備が呉へ行ってすでに数カ月経ち、長い不在に関羽と張飛は不安を募らせていた。


 孔明と孫乾が向かい合っている所へ二人が駆け付けた。

「兄者が子龍を罰したというのは本当か」

と、張飛が意気込んで訊いた。孔明は渋い顔で頷いた。関羽が、

「信じられぬ。何ゆえに……」

と問うと、孔明は竹簡を差し出した。関羽は受け取り張飛と共に目を通した。

『建業では呉王を始め、皆良くしてくれている。呉の民とも親交を深めている処へ、趙雲が意見し荊州に戻るように言うので罰を与えた。今後もわたしに反する者は容赦なく処罰する。荊州では諸葛軍師の言をわたしの言として、臣下一同よく仕えるように』

と、確かに劉備の字で記してあった。

 このところ、関羽と張飛は毎日のように孔明の所へ来ては劉備の帰還をせかしていた。張飛は時に酒に酔い孔明が劉備に代わって荊州を取る気だろうと暴言を吐き、関羽は自ら出陣し劉備を連れ戻すと言ってきかないのだった。孫乾は腰軽く荊州と建業を行き来し、その様子を劉備に報告した。もともと孔明は、子龍を遠ざけ周瑜を油断させるように第二の策を与えていたが、関羽と張飛を押さえる為に、劉備は子龍を見せしめに罰して竹簡を送り釘を刺したのだった。

 忠臣の子龍を処罰したことを聞き、周瑜は思惑以上の成果が上がったと喜んだが、これまで孔明に散々煮え湯を飲まされてきたので、今回は慎重だった。子龍が蟄居させられてもすぐには行動を起こさず、荊州に続く街道に兵を駐屯させていた。もうじき新年を迎える時期だった。


 呉国太の所に劉備から、元旦に墓祀りをしたいという竹簡が届いた。それが荊州へ帰る口実であると察して、竹簡を届けに来た諸葛瑾に相談した。

「仁茗が荊州に行ってしまうのは寂しいこと。もし呉との間にいさかいがあれば、もう会えなくなりはしないか」

母親としての心配だった。

「劉皇叔がこのまま江東に居れば、民や臣下には皇叔に傾倒する者も出てきましょう。今までどの土地に行ってもそうなっています。徐州でも荊州でも、領民は皇叔を慕いました。ある意味曹操より厄介です」

 呉国太ははっとした。自らがそうであったのだ。

「なればどうすべきか」

「江東の平安をお望みなら、皇叔は荊州にお帰りいただくのがよろしいかと。皇叔は仁茗様を人質にして策を弄するような方では無いので心配いりません」

と、諸葛瑾は助言した。呉国太は国家の母として決心した。

 呉国太は元旦に孫権と臣下達を招き宴席を設けた。自ら孫権に酒を勧め酩酊させた。

 その間に劉備らは、諸葛瑾の手引きで建業を出発したが、妻を乗せた馬車や腰元達を連れての行程は速く無かった。


「わが君、劉皇叔の屋敷がもぬけの空です」

 その声で目ざめた孫権は陳武ちんぶらに

「追え。必ず捕えよ。さもなくば殺せ」

と命じた。


 道を急ぎながら三つ目の袋を開く。子龍は的盧に乗る劉備に並んだ。

「軍師殿からの指示です」

 袋に入っていた紙を渡した。劉備は一読すると仁茗の馬車に近づき言った。

「じつはそなたとの結婚はわたしを人質に取るために仕組まれた事だったのだ。思いがけずそなたを妻に得ることが出来たが、やはり荊州に帰らねばならぬ。そなたはここで迎えを待つが良い。短い間だったが、そなたのことは愛しかった」

 すると仁茗は御簾を上げ、

「私はもう殿の妻です。どうか荊州にお連れ下さい」

と涙ながらに懇願した。

 そこへ、追手の陳武が迫って来た。

「待たれよ、待たれよ」

 子龍は劉備の側に構えた。陳武の後から兵も集まった。

「建業にお戻り下さい。お戻りにならなければ、お命を頂戴せねばなりません」

と子龍を警戒しながら言った。すかさず仁茗が睨みつけ、

「わが夫を殺すと言うか。ならばその前に、この私を殺しなさい」

と、呉国太譲りの口調で言った。陳武は返す言葉も無く、劉備を見送る他なかった。

 だが、すぐに前方に周瑜が配していた徐盛が迫って来て、さらに後方の間道からは周瑜自身が兵を率いて攻め寄せて来た。それを見て陳武も勢いを取り戻し動き始める。

「子龍よ、命を粗末にしてはならぬ。ここは建業に戻ろう」

と、劉備が言って馬首を反すと、周瑜の一軍がきた道を塞いでいた。子龍は劉備の前に出て構えた。

「趙将軍、いかなあなたでもこの情勢で抗うは無謀というもの。わたしに下れば、劉皇叔に手荒な事は致さぬ。あなたは呉の将軍として迎えよう」

と、周瑜が呼びかけた。子龍はすかさず、

「呉に帰伏するぐらいなら、ここで討ち死に致す。周大都督、いざ勝負を」

と持ちかけた。だが、周瑜はそんな挑発には乗らない。

「勘違いしているようだな。あなたが討ち死にしたところで、皇叔の命はわたし次第。主君を助けたければ、わたしに仕えるしか無いのだ」

 子龍は唇を噛みしめながら白竜を下りた。後ろの劉備に向かって言った。

「……周瑜の処へ参ります。わが君が荊州に戻られるようなんとか致します。どうかお許し下さい」

 深く礼をした子龍に、

「子龍、そなたを失えば孔明に申し訳が立たぬ。何としても生きるのだ。耐えて生きねばならぬぞ」

と、涙を溜めて言った。

 子龍は頷いて白竜の手綱を握った。胸掛の勾玉を見て孔明を想った。意を決して周瑜の方に歩き出そうとした時、谷の左右から時の声が上がり、黄忠と魏延の旗が立てられた。周瑜らは思いもかけず上から矢を射られ後退し、子龍は素早く白竜に乗り、先陣切って行くてを塞いでいた徐盛の軍に向って行った。呉兵をなぎ倒しながら道を開いて行くと、後から黄忠が守りに入った。子龍と黄忠に挟まれて劉備らは泊を目指す。魏延は矢が尽きるまで周瑜を足止めし、なんとか攻撃をしのぎ周瑜が泊に駆け付けた時には、劉備を乗せた船はもう矢の届く所に無かった。

 船上には孔明がいた。周瑜を見つけると、羽扇であおぎながら、

「公瑾(周瑜)殿、ご無理が祟りますぞ。お見送りはもう結構です」

とよく通る声で呼びかけた。周瑜は真っ赤になり、

「おのれ、孔明……」

と言うと、またどっと血を吐いて馬上に伏した。


 劉備が荊州に帰り、関羽も張飛も涙して喜んだ。いつもは質実剛健を旨とする劉備も、今日は無礼講で花嫁を交えて宴席を開いた。

 子龍は早々に切り上げ居室に帰った。劉備を守って帰る事が出来て、心底安心した。あのまま周瑜に帰伏して、劉備が言ったように耐えて生きていけたとは思えない。心無い主に仕えるくらいなら死を選ぶだろう。多くの敵を討ってきたのだ。命を惜しむ筋合いはない。ただ、孔明の言葉が頭をよぎった。

―――わたしを置いて、死んではなりません。―――

 なぜ……と思ったところへ扉が開いた。滑るように孔明が駆け寄り、子龍の衣の襟を下ろし背を見た。棒叩きの傷跡を確かめた。

「大丈夫です。傷は塞がっています。痕も残らないでしょう」

と子龍が言った。孔明はそのままずるずると両膝を着き、子龍の腰を後ろから抱きしめた。子龍は孔明の手に自分の手を重ねた。

「またあなたに会えて良かった。もう少しで周瑜に帰伏するところでした」

と言うと、孔明は子龍を抱く腕に力を込めた。

「思い上がりもこれまで……あの者の将星はもう暗く翳り、直に命運は尽きるでしょう」


 その後の孔明の行為は、切ない程優しかった。傷を気遣い、心にもない罰を与えたことを詫びているように感じた。

 孔明の腕を枕に子龍は言った。

「周瑜らに囲まれた時、あなたに聞きそびれた事を思い出して、後悔したのです」

 孔明は優しく、

「何なりと……」

と言った。

「十五年前に初めて会った時の事、なぜ黙っていたのですか」

 孔明は、少し間を取って言った。

「言うつもりは無かったのです。兄にあなたの事を報告せぬ訳にもいかず、結果あなたに打ち明ける事になってしまった」

 子龍はなお不思議に思い、孔明を見た。

「……あの満月の夜、あなたがわたしを白竜の背に抱き上げた時から、あなたを想い続けてきた。一日も想わぬ日は無かった。龍は十五年間ずっと、たった一つの龍玉の夢を見て眠っていたのです。白馬の武者の噂があれば、訊ねて行った。どんなお役にも立てるように、あらゆる学問を学んだ。いつお会いしても恥ずかしくないように貧しくても身なりは整えていました。十五年過ぎ思わぬ処で巡り合えたが、あなたはわたしの事が判らなかったでしょう。……無理もない事ですが」

 孔明は柔らかく笑った。

 子龍は胸が熱くなった。孔明が自分を求めるのは、武将としてだと思っていた。その絆としての契りであり、いわば戦の為の剣のようなものだろうと理解していたのだ。

 だが、切ない想いを抱き十五年前たった一度会ったきりの名も知らぬ者の為に、生きてきたと言ったのだ。子龍は自分にそんな感情が寄せられるとは思いもよらなかった。

 言いようのない愛しさがこみ上げてきて、孔明の上になり口づけをしていた。孔明は初めての子龍からの行為に、夢中になった。

 間もなく孔明のものは形を露わにし、子龍は迷わずその上に深く腰を沈めた。

 孔明と離れたくなかった。離したくなかった。何度も昇りつめながら、動きを止め長く留め置いた。

 だが孔明は子龍の動きに焦れて、下から突き上げ始める。そうなると子龍も、我慢の限界だった。

「ああっ」

 子龍は珍しく、声を上げた。しばらく動けずにいたが、ゆっくり離れ孔明の腕に戻った。孔明は目を細め子龍を見つめ、

「こんなことなら、もっと早く答えておけば良かった」

と言い、頬を撫でた。

 子龍は満ち足りた気分で微笑んだ。そして、孔明の為なら命を惜しむだろうと思った。


「公瑾殿、お加減は如何か」

 柴桑の周瑜の居城である。魯粛は周瑜の容態が芳しくないと聞き、見舞いに訪れた。

 血の気が失せ、食事も喉を通らぬ様子だが、目だけがぎらついていた。魯粛は周瑜が今、この時にでも息を引き取ると察した。そしてこの江東の英雄を、このまま逝かせてはならないと思った。

「初めてあなたにお会いした時、わたしは中華を担う英雄になろうと、二つあった倉を一つ明け渡し施しました。数多くの功を立て、江東の大都督にまでなられたので、わたしの目は確かだったのでしょう」

と言って、笑ってみせた。周瑜は遠い目をして、

「ああ……子敬(魯粛)殿は初めて会った若造を、賓客のようにもてなして下さった。まだその恩もお返し出来ず……」

と弱々しく言った。

「何を、あなたはもう充分江東に尽くされた。先主も感謝しておられましょう」

 周瑜の目が徐々に安らかさを取り戻していった。

「子敬殿……あなたならわたしの後、大都督を任せる事が出来る。どうかお願い致します……」

 周瑜は泣いていた。魯粛も涙を流し頷いて、手を握った。

「だが、なぜ天は周瑜を生みながら、同じ時代に諸葛亮を生ませたのだ」

 これが周瑜、公瑾の最期の言葉となった。

 二百十年、亨年三十六歳であった。


 周瑜の葬儀に単身孔明が訪れた。周瑜にとっての怨敵の登場に皆が睨みつける中、堂々と白い喪服をなびかせて棺の前に座ると、弔文を取りだした。

「悲しいかな、周公瑾

 美しき君のかんばせ

 雄々しき姿いずまい

 優れた才幹、

 すべて失われてしまった

 この江東の地にこれ程の不幸があろうか

 悲しいかな、周公瑾

 我が同志、

 我が朋友、

 我が尊兄、

 すべて遠ざかってしまった

 我が身にこれ程の不幸があろうか」

と涙を浮かべ読みあげた。最初は孔明に反発していた呉の臣下達も、感動してすすり泣いた。


 孫権、魯粛らに挨拶をし、門を出ると

「公瑾を死に追いやっておいて、よく弔問に来られたものだ」

と門の陰から声がした。

「士元……」

 孔明が振り返ると、泣きぬれた龐統が、壁に寄りかかり酒をあおっていた。孔明はそっと歩み寄り肩に手を置いた。

「もう江東にいる必要も無いでしょう。荊州に来てわが君に仕えて下さい」

 龐統は顔を伏せたまま、

「わしが南郡で毒矢を仕込んだんだ。公瑾にもう不義をさせたくなかったのだ……わしが殺した」

と言った。孔明は少し驚いたが、すぐに、

「子龍も待っていますよ」

と優しく言った。

「子龍……あのような者が公瑾の側におったなら、義というものも学べただろうに」

 龐統はふらふらと歩きだした。孔明はもう、止めなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る