ホラー短編集「つれづれなるままに」

哀歌

「私の遺書」

「今までわたくしを見守り、育んでくださったお父さん、お母さん。先立つ不幸をお許しください。また、私と親しくしてくださった多くの方々にも、大変申し訳ない気持ちで一杯でございます。

 今回、私がこのようなことをしでかしたのは誰かに苦痛を与えられたから、などという、深刻な状況によるものではございません。決して、誰かのせいではないのです。それだけは心に刻んでおいてください。

 全ては私のせいなのです。私が弱かったせいで、自らこのような事態を招いてしまったのです。

 小さい頃から、私は引っ込み思案で大人しい性格でした。普通ならば、友人も終生の伴侶も作ることが出来ず、生涯を独りぼっちで終えるはずでした。しかしながら、大変幸福なことに、私は親しい友人に囲まれ、更には私には勿体無いほど素敵な方とも将来を誓い合うことが出来ました。寂しい思いをすることも無く、日々楽しく過ごせたのは皆様のおかげでございます。本当に有難ありがとうございました。

 けれども、そんな幸せに満ちた生活を送っていた私でしたが、一つ、堪えられないことがございました。

 それは“彼”の存在です。“彼”はいつも私の心に潜み、隙を見ては私の耳元でこうささやくのです。

『俺と変われ。』と。

 私はその度に必死に抵抗しておりました。残酷で粗暴な性格の“彼”に、我が身を奪われるわけにはいかない。そう思い、常に“彼”と争っておりました。

 私が“彼”の存在に気付いたのは、中学生の時でございます。ある時、学校の廊下で二人の男子生徒が喧嘩けんかをし始めました。私は他の生徒達と共に、遠目からその様子を眺めておりました。最初は些細ささいなものでしたが、喧嘩は次第に殴り合うまでにエスカレートしていきました。最終的には先生が両生徒を取り押さえ、大事には至りませんでした。しかし、その時、私の心の中で声が聞こえてきました。『もっと激しくやってくれれば良かったのに。』と。それが、“彼”の第一声にございました。

 いえ、第一声というのは違うかもしれません。私が初めて“彼”に気付いたのがその時だっただけで、実際にはもっと前から“彼”は私に囁きかけていた可能性もございますから。

 何はともあれ、私が“彼”の存在に気付いてからというもの、“彼”は頻繁ひんぱんに私の心の中に姿を現しては、酷いことを言って消えるようになりました。しかも、まるで狙ったかのように、私が辛い時に限って“彼”は現れるのです。まさに泣きっ面に蜂、とでも言いましょうか。“彼”にとって、私は余程よほど嫌いな相手だったに違いありません。私に囁きかけている時も、“彼”は常に下品な笑いを浮かべておりました。

 “彼”の存在は、私にとって堪えがたい苦痛にございました。それでも、私は“彼”を捨て去ることが出来ませんでした。“彼”は私自身なのだと、気付いていたからにございます。気付いていたからこそ、堪えるしかなかったのです。“彼”が赤の他人であったならば、無視してしまえば良い。しかし、“彼”が私である以上、私は無視することが出来なかった。“彼”と、面と向かって対峙たいじせざるを得なかったのでございます。

 私が何度『消えてくれ。』と申し上げても、“彼”は一向に消えてはくれませんでした。それどころか、私が楽しい気分の時にも現れるようになり、私の幸せな日常を奪おうとしてきたのです。私のことをわらうだけだった“彼”が、いつしか私に成り代わろうとしていたのです。

 私は恐ろしかったのでございます。私が必死に抗っても、“彼”の存在は心の中でどんどん大きくなってゆきます。近頃では私自身を飲み込んでしまいそうな程、“彼”は巨大になっておりました。最近、私のことを『昔と変わったね。』とおっしゃる方がいらっしゃいますが、それは私ではございません。“彼”が私の身体を乗っ取り、操っているのです。私が抑えきれなかったばかりに、“彼”はそれほどまで力をつけてしまいました。

 これを書いている間も、“彼”は私の耳元で囁き続けております。長年諦めずに戦い続けてきましたが、もう限界です。“彼”は、とても私がかなうような相手ではございませんでした。しかしながら、私は“彼”を何としてでも止めなくてはなりません。私自身である“彼”が、他人様を傷つけるような真似を阻止しなければ、死んでも死にきれません。

 ですから、私は最後の手段として、今回のようなことをしでかしたのでございます。“彼”に身体を奪われるくらいなら、いっそ“彼”と共に地獄にちてしまおうと考えたのです。本当は死にたくなどありません。しかし、仕方が無いのでございます。“彼”に意識を奪われ、私の身体を好き放題に操り続けられるのは、死ぬことよりも恐ろしいのです。

 そろそろ本当に限界がきてしまったようです。“彼”の声が一層強くなりました。手を動かすこともままなりません。書きたいことはまだありますが、これで筆を置かせてもらいます。


 みなさん、さようなら。」




 読み終えると、細く丁寧な字で書かれたそれを、何の躊躇ためらいもなく手で破いた。


「ったく、めんどくせぇもんのこしやがって」


 気が付くと、目の前にちりの山が出来ていた。その塵を両手でかき集めると、全て屑籠くずかごに捨てた。


「堕ちるのはお前だけだよ」


 そう言って、“俺”は笑った。

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ホラー短編集「つれづれなるままに」 哀歌 @aika-1911

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