魔の植物の物語

@reoreo2016

プロローグ

 薄絹をまとっただけの若い女達が、ひな壇に身体を横たえている。

 豊満な肉体の女達が、薄暗い部屋でろうそくの光に照らされながら忍び笑いを漏らしていた。

 一人の女が男のそばに来て、息を吹きかけてきた。甘く痺れるような香り。

 反対側に立った別の女が男の服を脱がせ始め、正面にまた別の一人が来て唇を重ねてきた。

 身体が熱くなる。女達はくすくす笑いながら、男の手を引いて奥の部屋へと連れて行こうとした。どこかから、犬の鳴き声が聞こえる。

 男はその場に踏みとどまり、おもむろに腰の剣を引き抜いた。

 そして、なおも手招きしている一人の女を一刀のもとに斬り捨てた。

 女達の笑い声が室内に反響し、世界に皹(ひび)が入る。娼館の一室だった風景は陶器のように砕け散り、男の視界が強い光に覆われた。光が消えていく。現れたのは、森だった。

 元の世界(・・・・)に戻って来た。足下では一匹の犬が吠えており、女達のいた方向は崖になっていた。もしついて行っていれば、谷底に転落していただろう。

「へっ…犬っころに助けられるとはな」

 吠える犬のすぐそばに、大きな緑色の葉をした植物が生えていた。緑に覆われた森の中で、その周囲だけ土がむき出しになっていた。炎が揺らめいているかのように、周囲の空気が歪んでいる。この特別な植物の魔力によるものに違いなかった。

「こいつか…人間様に幻を見せやがるイモ野郎(・・・・)は…!」

 男は自分の頬を何度も叩き、無理矢理意識を奮い起こした。

 苦労続きの旅の末、ようやく「お宝」にたどり着いた。しくじるわけにはいかない。

 男は連れていた犬をその辺の木にくくりつけると、携帯用スコップを取り出し、草の周りを慎重に掘り始めた。

 ある程度の深さになると手を使って掘り、根を傷つけないよう丁寧に土を払っていく。

 やがて、「お宝」の本体が露出した。

「よし…!」

 葉っぱの下の根っこの部分は焦げ茶色で、太さが大人の男の腕ほどもあった。

 男は荷物から長いロープを取り出し、掘り返した植物に丁寧に巻きつけると、今度は反対側を犬の首輪に繋いだ。コルクでできた耳栓をして、犬に「待て」をする。木に繋いでいた手綱を外し、犬を目で制しながらゆっくりとその場を離れていく。

 この稼業を始めて数年のこの男にとって、犬の命を浪費することに何のためらいもなかった。

 こいつの命は、俺の仕事のために買ったのだ――。そう考えていた。

 女達は、いつの間にかいなくなっていた。既に諦めた(・・・)のかも知れない。

 男が見つけた物は、近付く者に幻覚を見せることで危険を回避する種、ということになる。かなりの高値がつく品種だった。無事に持ち帰ることができれば、幻でなく本物の女を好きなだけ買うことができる。狩りの成功を目前にして、男は目まいがしそうだった。

 充分な距離――男の歩幅で30歩ほど――を離れてから、豚の干し肉を取り出した。最上級の犬のエサだ。後はこれを犬と自分の間に放って犬を呼べば、エサめがけて走ってくる犬に引っ張られ、目当ての植物が地中から掘り起こされるという具合だった。

 男は肉を犬と自分の間ほどの位置に放り投げた。犬は微動だにしない。よく訓練されている。

 突然、女達の忍び笑いが聞こえてきた。

「な…!?」

 瞬時に耳の穴を確認した。確かに耳栓をしているが、女達の声は鳴り止まなかった。

「くすくす…」「ふふふ…」「あはは…」

「くそっ!」

 女達の姿はなく、その声だけが頭に直接響いてきた。犬も何かに向けて激しく吠えている。

 男は一度耳栓を外し、綿で耳に詰め物をしてから再度耳栓をすることにした。妖気と笑い声で朦朧とする中、必死で荷物を漁った。いつの間にか、犬の吠える声が大きくなっていた。

 男は目を見開いた。犬が、こちらに走り寄っている。

「おッ、おいッ! やめろ!!!」

 男が両耳の穴に指を突っ込もうとしたその時だった。

 聞いてはならぬ声が、男の耳をつんざいた。

 気の触れた老婆が絶叫したような、恐ろしい金切り声だった。

「ぐッ……! 畜…しょ…!」

 男は目を血走らせ、口から泡を吹いた。顔中に血管が浮き上がり、ぶるぶると震えた末に鯨の潮吹きのように血を吐いて倒れた。

 男は絶命していた。

 その男に駆け寄ってきた犬も、口から舌を投げ出してぐったりしている。首輪に繋がれたロープの反対側には、男が命をかけて手に入れようとした「お宝」がくくりつけられていた。

 それは、他のどんな植物にも似ていなかった。強いて言えば、人間に似ていた。

 手足があり、目と口のような物があり、目に当たる部分は逆三角形に落ちくぼんでいる。そして、顔全体がまるで首を吊られて殺された人間のように醜く歪んでいた。

 それは二つの命と引き換えに姿を現した、この世の物ならざる異形の植物だった。

 哀れな一人と一匹は、聞いてしまったのだ。

 聞いた者を死に至らしめる、地獄からの悲鳴を。

 悪魔の産声とも言われる、そのおぞましき啼き声を。

 狩人達が求めてやまぬ、マンドラゴラのその声を。

 女達の笑い声は止み、無情なまでの静寂が森を包み込んでいた。

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