俯瞰するもの



 #3




 オルゴー将軍率いる『聖帝騎士団』によるオルクの街の反乱軍掃討作戦は苛烈を極めた。内通者からの情報により既に反乱軍『明けの明星』の規模、人員を把握し、確固たる情報を持って粛正に辺る。また反乱軍に加担していると思われる人物や近しい者もその標的になっていた。



 街の東区から侵攻した聖帝騎士団は東区の拠点となる建物、住居を制圧した。反乱軍らは抵抗を試みるが、所詮寄せ集めに過ぎない戦力の反乱軍と正規軍である帝国兵とでは戦力比が大きく、本来多勢である反乱軍の面々は帝国兵の前に次々と敗退。粛正、捕縛されていった。



 また既に顔が割れている反乱軍の一員以外の住人たちも、帝国兵の裁量に拠って同じく粛正、捕縛が行われた。しかしその多くが誤認や冤罪であり民間の犠牲者はこの時点で数百名は下らないと言われている。




 後世に後の戦乱の起点となるこの事件はオルクの街始まって以来の悲劇となる。だが、これはまだ序章に過ぎないのだった。




 街の中心部にある広場。そこには聖帝騎士団が将軍に付き従う形で整列していた。その中心に不動の構えで直立するのはこの作戦の総指揮を執るグメイラ帝国の、いや皇帝ネメシスの忠臣、オルゴー将軍である。



 将軍は抜き身の刀身を石畳の上に突き立て右手を柄に添え、左手にグメイラの紋様が描かれた大楯を構え、頭頂部から後頭部を覆う将軍階級を表す装飾が為された兜から見える面持ちは、眉一つ動かさずその狼と見紛う眼光と黒い毛皮に覆われた耳は見る者を威圧する。威風堂々としたその姿はグメイラ帝国の将軍、皇帝ネメシスの一番槍を名乗る程の威容を放っていた。




 そこに一人の兵が将軍の前に歩み出る。オルゴー将軍の副官、ナルグスである。将軍の前に出ると片膝を着き跪く。



「将軍、報告致します。制圧状況は街の六割、街の東区と南区は制圧。北区と西区は未だ抵抗に遭って居りますが、北区は既に半数の反逆者どもを粛正、捕縛しているとの事。


 西区では激しく抵抗に遭い、第九部隊が半壊したと。以上」



 報告を受けオルゴー将軍は更に表情を険しくさせ、副官のナルグスを仇敵を見るかのような形相で視ると、仇敵に対する怒りを忍ばせ副官に指示を飛ばす。



「反乱軍どもの制圧を急がせろ。半壊した第九部隊は我が隊に編入。草の根を分けてでも反乱軍を追い詰めるのだ」



 オルゴー将軍の指示に対し含める様に一礼した後、副官は将軍に言葉を返す。



「は、承知しました。ですが閣下、この街の地下には迷路の如く水路が張り巡らされております。そこに逃げ込まれては事かと。追撃隊の編成を進言致します」


「ならん。地下に逃げたネズミ共を駆除するのはこの街の愚かな反乱軍共を一掃し、皇帝陛下の御威光を知らしめてからだ。


 地下に逃げたネズミ共など物の数では無い。反乱分子を掃討後、地下水路の作戦を開始する」


「……ジーク。全ては皇帝陛下の御為に」



 副官は将軍に一礼すると踵を返し混乱の中にある街へと進んでいく。未だ抵抗を続ける反乱軍に苛立つオルゴー将軍。



「反乱分子共め。必ず貴様らを根絶やしにしてくれるわ」



 眼光には憤りを、混沌渦巻くオルクの街を正義に燃える両の眼が見据える。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 地下水路の一角、四十名余りの人員が集まっている。道幅の広くない水路には二、三人程度の余裕しかなく、そのため列を成すように人が集まっていた。



 地上の帝国兵の追撃を逃れて地下水路に一先ず身を隠す明けの明星の一行とアルムとフィリクスの二人。一行はこの先の逃走経路や身の処し方を話し合っており、主要な人物を中心とし二人の協力者を交えての話し合いだ。




「やはり、追撃隊が地下水路に放たれる前に脱出するべきだな。今の状況では致し方あるまい」



 まず口を開くのは明けの明星のまとめ役、チヒテル。どちらかと言えば保守的な考えで進んで危険に進むような事はしない人物で、この場合でも危険を避ける提案を挙げる。



「だが連中とて馬鹿ではない。そう遠く内に仕掛けてくるだろう。ならば、一度こちらから打って出て、倒すまではいかないだろうが、他の同志が逃げる時間を稼ぐことにすべきだ」



 対して意見を返すのは元軍人で明けの明星の戦闘隊長、アイザック。保守的なチヒテルとは対照的に強硬な態度で帝国軍に対し臆する事なく大胆な強行策を提示する。


 しかし、強硬な態度とは裏腹に彼はその裏側の流れを読んでおり、それを踏んでの繊細な計算の下にこの強行策があった。




「しかしだな、それは危険過ぎる。帝国軍との戦力差が圧倒的な今、そんな火龍に丸腰で挑むような真似は無謀ではないのかね?」



 アイザックの腹の底の計算を知らないチヒテルは強行策に対して反論する。たしかに、戦力的に言えばこの戦力で挑むのは自殺行為に等しい。



「この二人が居るとは言え、それはあまりに……。ベアトリス君、君はどう思うかね」



 ベアトリスは腕を軽く組むと落ち着いた口調で分析する。



「そうね、正直なところ勝ち目は薄いとしか言いようが無いわね。例えアルムとフィリクスがどれ程強かろうと、全体的な戦力が違い過ぎる。


 その上あれを率いているのはあの『鉄血将軍』のオルゴーよ。アルムとフィリクス二人がかりでも勝てるかどうか……。私個人としては賛成出来ない」



「オルゴー……」

 ニコルはオルゴーの名を反芻する。表情が陰り俯いている。その目には強い怒りが灯っていた。




「お前さんはどう思う。同じ戦士として意見を聞きたい」



 アイザックが二人に意見を求めてきた。同意を求める、と言うより純粋に二人の意見を伺いたいようだ。


 顔を見合わせる二人、代表してフィリクスがこれまでの意見も踏まえて自身の意見を発言する。



「俺は打って出るべきだと思う。まだ地上で他の連中を襲っているのなら、今頃本陣は手薄になると思う。


 今打って出るならまだ残っている連中も逃げられるかも知れん。

 確かにリスクは高い、だがやってみる価値はあると思う」



「ふむ」

 意見を受けてチヒテルは考え込む。この意見は彼にとっても一理あるようだ。


「そうなると、やはりその陽動役が危険になるな、そうすると、ううむ……」



 しかしそれでも煮え切らないチヒテルに対しアイザックが強く提案する。



「その役は俺がやらせてもらう。それにどうせお前さんが陽動役をやろうって訳じゃ無いんだろ? 愚図愚図している暇は無い。さっさと決めてくれ」


「そ、そうか。君が出ると言うのなら安心かな。ならば陽動作戦で行くとしよう」



 アイザックが名乗り出た事に納得したか、態度を改める。無論、完全に納得した訳では無いだろう、戦力の要であるアイザックが陽動役に出ると言う事には賛成の様だ。



 咳払いを一つ。狭い通路に響き渡るようにチヒテルは呼び掛ける。



「この陽動作戦は有志による参加とする。強制はしない、参加する意志のある者だけ手を挙げてくれたまえ」



 呼び掛けには数名が手を挙げた。先程戦闘に参加していた戦闘員たち九名の内六名。そしてもう一人、細身の女性の手が挙がっていた。無論傭兵二人も手を挙げていた。



「ありがとう、君たちの勇気に感謝するよ。戦場での指示はアイザック君が出す。私たちは脱出経路を目指す、それまで時間を稼いでくれ」



 チヒテルの言葉が終わるとアイザックが檄を飛ばす。



「よし、お前ら。敵将を討てとは言わねえ、一人でも多く生き残り、仲間の元に戻るぞ!」


「オオーーッ!」





 雄叫びを上げ心を一つに纏めた一行はベアトリスの情報を元に街の中心部にいる帝国軍の本隊へと足を進める。


 陽動役の中でただ一人の女性である彼女に真意を確かめるべく騒めきの中、フィリクスが話しかける。



「ニコル、何で陽動役に志願したんだ? 無理をする必要は無いはずだろ」


「それは……、あの時のあの処刑台の事を覚えている?」


「処刑台、ああ。……たしかニコルの友達だっていう」



 半年前、彼女が必死になり止めようとした惨劇。この世界の残酷な現実を目の当たりにした事件。図らずも被害者、加害者の側に互いに回った出来事。



「そう。あの時のメリアを笑い者にし、挙げ句殺したグメイラの将軍が、あのオルゴーなのよ」


「なに。まさか」



 偶然か。それとも必然か。間接的にとは言え彼女の親友が殺害される原因を作った傭兵の男とその被害者でもある彼女がこんな所で居合わせ、その仇と対峙するとは。



「本当よ。調べも付いている。あいつがメリアを殺した張本人よ」


「それで、仇討ち……か」



 それで直接仇を討てるこの陽動作戦に志願したのか、とフィリクスは目を伏せた。熱に浮かされたかの如くニコルは続ける。



「メリアの仇が今この街に居る……今を逃せば次はいつ、いや。もしかしたら二度とこんな機会は無いかも知れない。

 必ず、メリアの仇を討つ……!」



 彼女の言葉には鬼気迫るものがあった。その表情はいつもの和やかなものでは無く、決意に満ちた険しいものだった。それだけ強い意気込み、いや亡き友達への想いがあるのだろう。しかし、それだけ強い想いは時として致命的な事態を招く。



 その様を見、かつて自分がそうだったように自分の暴走を庇って仲間を死なせてしまった様に彼女も最悪の事態に陥るかも知れない。


 そうフィリクスは内心自嘲しながらもその決意を真っ直ぐ受け止める。



「わかった。だが、仇を討っても死ぬんじゃ無いぞ。


 仇を討とうが死んじまったらきっとあの世にいる友達も浮かばれないぜ? 命は大切にするもんだ」


「フィリクス。……ありがとう、わかった。メリアの為にも、必ず」



 それを見ていた赤毛の青年、アルムは静態を保ちひたすらに不干渉を貫いていた。彼から見る二人の姿は強い結束に結ばれ、群衆の中に浮き立っている。彼はただそれを無感情に見るのみ。



 一行は共に街の中心部へと向かう。決して死に行くのではなく、活路を切り開く為に。一縷の望みを託し、暗闇の中を進んでいく。







「さて、地下水路は幾つか外に続いている場所がある。私たちは一先ず街の外へと向かう訳だが、その為にはまず……」



 チヒテルが脱出経路の説明を行っている頃、一団の中から出て行く一つの人影があった。人影は暗の中に足を踏み入れていく。



「ベアトリスさん、どこへ?」



 声を掛けたのは片角の少年キース。声を受けてベアトリスは振り向かずに立ち止まる。彼女に対しキースは心配から声をかけた。



「今は一人で行動するのは危険だと思う、ベアトリスさんの事だから何か考えがあるんだと思いますけど。行き先だけでも教えてくれないですか?」



 この至近距離、彼女に聞こえる程度の声量でキースは問いかける。背後の一団にはあまり聞こえていないようで、通路の中はチヒテルの説明の声が聞こえてくる。




「……当然、危険もある。しかし帝国の監視の目を抜け、街からの脱出を果たし、この先の……」






 貌だけを振り向き、背後の少年を見る。冷やかな声で彼に向かい言葉を放つ。



「街の外に続く出口よ。陽動役の仲間が、役目を果たした時に逃げられないんじゃどうしようも無いでしょう?


 他の同志とは別に逃げ道を確保しようと思ったの。ここは一人で足りるから、チヒテルを手伝いなさい」



 言葉には突き放す様な、拒絶の意思があった。危険だから、というだけでは無いのだろう。確かに彼は明けの明星内でも中心に居る人物ではない。


 戦闘員にも加われていない程度の腕前、かと言って魔術も決して得意としている訳では無い。戦力的に考えても彼女の判断は妥当なものだった。しかし。




「いや、俺はベアトリスさんを手伝います。だって、放っておけないでしょ。

 それにベアトリスさんにもしもの事があれば……。


 足手まといかも知れないけどやれるだけのことはやる、連れてってくれませんか」



 されど少年は健気に彼女への思い遣りと同行の意思を示す。言葉には何が何でも食らいつく、といった気概さえあった。戦力に加われずともせめて彼女の役に立ちたい。その一心なのだろう。


 一刻の間の後、彼女は少年の気概に負けたのか仕方無しに少年の方を振り向き、

「……仕方ない。

 遅れたら置いていくから」



 渋々ながらも少年の申し出を受けた。



「あ、……はい!」



 少年の表情は一瞬驚き、すぐに覚悟を決めた真剣な顔に変わる。少年は彼女に気付かれないよう、密かに拳を握り絞める。


 その様を彼女は冷やかに見詰めていた。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 オルクの街より上空、鳥さえも行かぬその高みに数名の人影があった。その中央、空中に浮かぶ高椅子に座りローブを纏った者たちを侍らせ、退屈に目の前に映し出された混沌とするオルクの街の映像を見る女が一人。


 精霊族特有の長い耳と金の装飾があしらわれた法衣を着た女は、足を組み、不満気に言葉を漏らす。




「暑いわね。自分の魔術の加減も出来ないの?」



 妖将ミューシス。グメイラ帝国の将軍が一人、魔術での戦闘を行う魔導士部隊を司る。彼女はその強大な魔力と帝国最強とも言われる魔術を行使し、数々の拠点や戦場を征してきた。率いる魔導士達も精鋭揃いと知られ、他国の魔導士、魔術師からも一目置かれる存在である。



 魔術を極め、真理を追究する『魔術師』、魔術を戦闘に用いる者の総称『魔導士』。この魔導士の中でも選ばれた者のみが彼女に近しい者として登用されている。



 しかし、今。


 側近らが用いた熱魔術に不満を漏らし、調節を命ずるのみ。どの様に強大な魔力を持とうとも、どれほど高位の魔術を行使出来ようと、今の彼女の前では空調程度しかする事はできないのだ。


 ちなみに、彼女が座る高椅子と眼前の映像も側近らの行使した魔術によるものである。




「ふう、全く使えないわね。オルゴーの監視で退屈してるのに、今度は私を苛つかせる気?


 最近、退屈な仕事ばかりで苛つきが溜まってるんだから。

 ……余計な真似はしないでくれる」



 ミューシスは僅かな怒りと殺気を発する。場は一瞬にして凍りつき、体感温度は零下に逆転する。



「ま、いいわ。どうせオルゴーがヘマをすれば幾らでも暇つぶしが出来る訳だし。それに奴が例の魔導器を使ってくれれば少しは面白くなりそうね。皇帝陛下の命だもの、待ってあげるわ」



 気紛れに殺気は収められる。空気の循環は再開し、一陣の風が吹く。それも熱魔術の効力によって適温に暖められる。


 ミューシスは片肘を着き、拳に頭の重さを預ける。眼前の映像にはグメイラ兵に蹂躙される民たちの姿が映し出されている。


 それをただ彼女は退屈に眺めていた。


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