合流
#2
薄闇の中を歩いていく。地下水路の中は地上からの光が薄く射し込み足場の輪郭を描いている。要所要所から降りる光を頼りに進む。通路の中は地上の喧騒が遠く響き渡り微かに騒がしい。
このオルクの街の地下に張り巡らされた地下水路は表の世界から溢れた者の通り道としてよく使われており、地上の裏路地のそれを上回るとも言える迷路ぶりは公的機関がどれ程、警戒しようと抜け穴となってしまう裏世界の住人にとっての温床であった。
この有事において真っ先に封じられてしまうであろうこの通路に三名の通行者がある。俺とフィリクス、片角の少年キース。地上の阿鼻叫喚を背に薄暗い地下水路を行く。
地下水路に入ってから数分、入り口の番をしていた兵士を片付けキースの案内で反乱軍のアジトに向かっていた。もし、運悪く番をしていた兵士の異変に気付かれていたならば今頃追っ手が迫っている頃かもしれない。
しかし、自分たち以外の足音は今の所はない。他の反乱軍の始末に戦力を割いているのであろう、地上からは悲鳴と怒号が漏れ聴こえてくる。
「後、どの位だ」
走りながらフィリクスが尋ねる。全身に鎧を纏いながらも、劣らない速さで併走している。一歩走る度に鎧の軋む音が聞こえる。
「ここを真っ直ぐ、もう少し行けば」
キースは先の明かりが漏れている方を指す。明かりは等間隔に離れていてその辺りは中央の水路を挟んで十字路になっている。三つ程離れた明かりの箇所は行き止まりになっておりそこが彼が指す場所なのだろう。
明かりが漏れる箇所に近づくと外の喧騒が近付く。上が地上へと繋がっており、通路には梯子か階段が備え付けてありそこから地上へと登る事が出来る。
そこに足音が響く。向こうの通路から音は聞こえてくる。フィリクスも気付いているのか警戒を強める。二つほど離れた明かりの奥に人影が横切る。声を出さず手でキースと俺を制する。距離を測り相手が単身である事を確認する。
「誰だ!」
フィリクスの声が飛ぶ。声は通路の中を乱反射し響き渡る。フィリクスの声を受けて人影は足を止め、陰の内からこちらへ進み光が漏れる箇所に制止する。
女の姿だった。兵士の着ける様な鎧は着ておらず、動き易い上下に短剣らしき物を提げている。暗闇の中を割く冷たい瞳がこちらを鋭く見据えていた。
一番の特徴は精霊族特有の長く尖った耳と、角人族の特徴である頭から生える角を二本生やした他の人物とは一線を画す容姿。彼女は極稀に別人種の両親の特徴を両方備えた合いの子“ハウナー”。
母方の遺伝子が優先的に遺伝されるこの世界の人種に於いて、千人かそれ以下の割合で両親の遺伝情報を持ちこの世に生を受ける。その為、非常に数が少なく、地域によっては災いの象徴として迫害を受ける事すらあると聞く。
彼女はこちらを見据え、様子を見ている。どうやら彼女にとってもこの遭遇は予想外なのか。しかし動じる様子もなく冷静にこちらを見るばかりだ。
「ベアトリスさん! 良かった、無事だったんですね!」
キースが声を上げる。ようやく仲間に再会出来たからか声には喜びの表情がある。
「キース。こんな時に、ここで何をしているの」
ベアトリスの声が飛んでくる。距離を詰めず、そのままでこちらに話しかけてくる。距離が離れてる為、声があちこちに反射している。
「グメイラが攻めて来たって聞いてアルムさん達に助けを呼びに行ったんです。そういえば、同士のみんなは? まだ、大丈夫ですか?」
キースの声から焦りが伺える。それに対して冷静にベアトリスが言葉を返す。
「残念だけど、もう見付かってしまっているわ。おそらく今は裏路地を南に進んでいる筈だと思う」
混沌とした状況の中で大した情報収集能力だ。彼女は主にグメイラ帝国の動向を探っており、どこで培ったかは不明だが高い諜報力を持っている。彼女の情報が『明けの明星』内で重宝されている。
「そうか、分かった。ベアトリス、あんたはそれを伝える為にここまで?」
フィリクスの声が響く。その疑問は最もだ、この有事に際して単身で行動するのはリスクは高い。それとも他の理由があるのか。
「……ええ。ここに居ればあなたたちがやって来ると思ったから。さあ、早くしないと帝国の連中に勘付かれるわよ」
「ニコル達がいる所が判るのか?」
「大体の場所だけど。行きましょう、こっちよ」
ベアトリスは左の通路を指差す。フィリクスとキースは彼女の方へと向かう。
……だが、少しばかり出来過ぎた話の様な気がしている。この女も含め反乱軍の面々もそうだが、まだ不明な部分も多く完全には信用していない。故に、これが罠やミスリードの類い、という可能性がある以上は、迂闊について行く気にはならなかった。
「どうした? アルム。何かあったか」
フィリクスが立ち止まり声を掛ける。その場に留まっていたのを疑問に思ったのか、僅かに疑念の色が伺える。
「……いや」
「そうか、行くぞ」
促されてついて行く。この先に何があり、何が待ち構えるのか。ひとまずの疑念を胸に押し込み向かっていく。
戦闘単位である自分に必要なのは考える事ではなく、戦う事だ。その一念を思い出し、深く暗い暗の中を進む。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
戦闘は絶え間なく続く。
裏口から外へ脱出してからも帝国兵の執拗な追跡は続いた。裏通りの迷路のような細い路地を非戦闘員の仲間達をかばいながら進み、幾度も帝国兵の遭遇と襲撃を受けながらも路地を進んでようやく地下水路へと降りる階段のある場所へと辿り着いた。
数名の死傷者を出しながらの決死行で戦いの中、私と仲間達は徐々に疲弊していった。
その間も帝国兵達は追撃を続ける。既に居場所が割れている様で一つの分隊を退けるとまた別の分隊がこちらを発見、攻撃してくる。
非戦闘員の仲間達はその状況に狼狽し、不安が広がる。今になってその不安が伝染し、僅かではあるが皆の士気が削がれているみたいだった。
「もう少しだ、水路まで逃げ切れば後はどうにでもなる!」
陣頭指揮を執るアイザックが私達戦闘員と非戦闘員の心を鼓舞する。
かつてグメイラ帝国に亡ぼされた、ルガー国の兵士長だった彼の飛ばす檄は先の見えない不安な私達の心を奮い立たせ、戦意を立て直させる。長く戦場に立ち、前線で指揮を執ってきた彼の言葉には人心を奮い立たせる力があり、その力と長年の経験から下される的確な判断と言葉が彼の指揮系統を確かなものにしていた。
その人徳は彼の特有のものであり、“明けの明星”の北区指導者のチヒテルを差し置いて最も信頼を集めていた。
帝国兵がじりじりと距離を詰める。地下水路の入り口前の広間に集まった非戦闘員の仲間を背にして武器を構える。人数は二、三人減ってはいるものの、数ではこちらが勝っている。
左に展開するのは五名の帝国兵、いずれも全身に鎧と長槍、身体半分程の盾を装備している。盾は魔術に対する耐性があるのか、私程度の『強化』した短剣では傷も付けられない。
対してこちらは私含め戦闘員九名。北区の拠点からの移動の間で二名の犠牲と三名の負傷者を出すもののアイザックさんの奮戦もあり、この程度の犠牲でここまで来る事が出来た。
本来、戦闘員ではないがチヒテルも魔術で援護をするが、直接の戦闘は無理な為、頭数には数えない。
両者の距離は徐々に縮まっていく。緊張は最高潮にまで達して背後の非戦闘員の仲間にも緊張が走る。
「アイザック君、あと少しなのだから、早く倒してしまいたまえ」
不安な声色のチヒテルさんの声を受けて、警戒を緩めずアイザックさんが皮肉を込めて返した。
「お前さんは“修道院における高等な魔術師”なんだろう? だったら早いとこ上位魔術でも出して帝国兵どもを蹴散らしてくれや」
アイザックの皮肉に憤慨し、場の緊張感お構い無しに語気を荒げる。
「なっ! 馬鹿を言え、そんなにポンポン上位魔術を行使出来るわけ無いだろう!
私でさえまだ第二階位程度を辛うじて行使出来ると言うに……君は魔力を練る事がどれほど難しい事かを知っているのかね? 魔力は……」
そこに、右方向から帝国兵の別働隊が現れる。六名の帝国兵は左側の兵士達とこちらを半包囲する形で展開する。これで数の優位は失われた。帝国兵十一名に対してこちらは戦闘員九名。チヒテルさんを合わせても一名分の不利がある。
その上、背後の非戦闘員を護らなければならないという制約と、獲物も防具もまばらなこちらに対して帝国兵側は全身の鎧と長槍、魔術耐性のある大楯。装備の不利もあり、戦力的にも苦戦を強いられていた。
「くそ、まずいな」
アイザックが悪態を吐く。危機的な状況に歴戦の戦士である彼でさえ思わず悪態を吐いてしまったのだろう。緊張感だけでなく恐怖と死の気配が心を侵食していく。
新手の帝国兵に気を取られていたのか、僅かな隙を察知して右側の兵士達が私めがけて前進を始める。
「ーーーーっ!」
発見が遅れ、ニコルは束の間肝を潰す。されど消え入りそうな意識を集中し、“強化”の魔術を憑着したナイフの魔力回路に自分の魔力を通す。回路は光を帯びて刃は鋭さと強度を増していく。
急速に距離を詰める帝国兵。構える長槍を引き、心臓目掛けその長槍を突き立てた……!
ーー長槍は横跳びに宙を舞う。
兵士は視界から消え、ごろごろと建物の壁の方へと転がっていた。短剣で槍をいなす前に何かに帝国兵は突き飛ばされていた。事態が理解出来ず暫し思考が止まる。それは帝国兵達も同様で戦場には一瞬の沈黙が流れた。
「ニコル、無事か!」
声の主は地下水路の入り口前に居た。均整の取れた長身、全身に鎧を纏う背中に身長ほどの大斧を背負った緑髪の浅黒い肌の男性。まるで投球を終えた後のような体勢で彼女を見遣る彼はーー!
「フィリクス!」
彼の周りには『烈火の戦刃』こと赤髪の傭兵、アルムと、『明けの明星』一の情報通ベアトリス、そしてキースがいるのだった。
良かった、二人共無事だったのか。と内心ニコルは同志二人の無事と思わぬ援軍に安堵する。
「どうやら間に合ったみたいだな!」
彼の言葉を掻き消す形で右側の兵士達がフィリクス達に向い雄叫びを上げ槍を振るう。それに合わせて、突然の横槍に驚いていた左側の兵士達も突撃を再開した。
「アルム、いけるな?」
「ああ」
相棒の言葉を受けてアルムの剣は赤熱し炎を纏う。刃は焔を纏って赤髪の戦士は鋭く無慈悲な眼光を目前の敵に向ける。
……烈火の戦刃。その二つ名の如く戦士は一振りの炎を纏う剣となる。
緑髪の戦士は背負う大斧を両手に構え、平時の温和な表情から屈強なる戦士の貌に変わる。その眼は大型の猛獣のそれを思わせる。背丈ほどの大斧は魔力回路を通して輝き、その威力を増していく。
二人の戦士は互いに死角を補い合い、隙の無い布陣を敷いている。それはまるで何年も互いの背中を預け合う歴戦の勇士、正に双璧と言える光景だった。
戦闘は再開する。双方に会敵し、鉄と鉄の切り結ぶ快音と雄叫びが場を支配する。一進一退の攻防を繰り広げる中、二人の戦士はその武勇を発揮する。
双璧に長槍が挑みかかる。先に動いたのは赤髪の戦士。大楯を構え長槍を突き立てる敵兵の攻撃を反射的に躱し、激しく燃え盛る炎の剣を下段から振り上げ、大楯を溶断。思わず怯む敵兵を首から脇にかけて袈裟斬りに。
鎧ごと両断された兵士の身体が崩れ落ちる。傷は炎に焼かれ、血は瞬時に蒸発していた。
緑髪の戦士が雄叫びを上げて大斧を振り上げる。対する兵士は大楯を大振りに振り上げた大斧を防がんと構える。
大斧が振り下ろされた。大盾を押し潰す形で、鎧ごと砕き、断ち切る。地面にめり込む程の力で振り下ろされた大斧は有り余る威力で石畳ごと兵士の身体を粉砕する。噴水のように返り血を噴き出し斃れる帝国兵。血を浴びて緑髪の戦士の鎧は紅く染まる。
「……すごい」
二人の戦士の力は圧倒的だった。瞬く間に一人、また一人と帝国兵を斬り伏せていき、絶望的な状況を塗り替えていく。
自分の『強化』した短剣では傷も付けられない帝国兵の大楯を紙の様に両断していく彼らの魔力は、どれほどのものか想像がつかない。凄まじい力を振るい、絶望を払っていくその姿は御伽噺に語られる英雄たちの姿と重なった。
帝国兵が倒される中、押されていた仲間達も次第に帝国兵を押し返し戦局は有利になる。直前の怖れや不安は消え去り、士気は確実に高まっていた。
獲物を振りかざし反撃をする仲間達、アイザックの猛追に帝国兵は劣勢を強いられる。
長槍と大楯を潜り抜け、一撃、二撃。短剣が鋼鉄の鎧を切り裂いていく。持ち前の身体能力を生かし、懐に飛び込む。『強化』された短剣の剣裁を受け敵兵は数歩たじろぐ。
「引け、引けーっ!」
二人の戦士によって半数程に減らされた帝国兵は不利を察してか、分隊長格と思われる一人の兵士が撤退を命じる。
距離を取りつつ警戒する二名の殿、距離が開くと先に離れる仲間の後を追っていく。
逃げる敵兵を見、炎の剣は勢いを増し、赤髪の戦士は大振りに、
「よせ。もういい、アルム」
その一声に炎は勢いを無くし、消える。魔力回路からは光が消えて剣からは熱が失せていく。
「ふぅ。怪我人は無いか?」
フィリクスの声には平時の気さくな響きがあった。大斧を背中に戻してこちらへ歩み寄る。アルムも剣を収めて後に続く。
「お前さん達に助けられたな。
礼を言おう」
アイザックさんも剣を収めて二人を見る。
……彼が他人に礼を言うなんてめずらしい。普段の彼は気難しくあまり人に礼を言わない印象なんだが、もしかしたらお礼を言う所は初めて見たかも知れない。
「やあ。君たちが必ずや来てくれると信じていたよ! 流石は英雄だけあって本当に君たちは強い。感動したよ」
大袈裟なくらいに賞賛を贈るチヒテル。それをフィリクスは困り顔でどう返そうかと返答に窮している。
アルムは、そもそも見向きもしていない。
「感動と言われてもな。まぁでも、間に合って良かったぜ。キースとベアトリスの案内が無ければここまでたどり着けなかっただろう。礼なら二人に言ってくれ」
するとチヒテルさんは二人の方を見る。
「キース君、ベアトリス君。君たちの活躍で私達の命は救われた。代表して礼を言わせて貰うよ。
実は君らには日頃から目を掛けていてね、やはり私の目には間違いは無かったみたいだな。素晴らしい」
「あ、いや。……どうも」
チヒテルからの礼を受けて、照れて赤面するキース、対照的にベアトリスはいつもの冷静な対応をする。
「そんなものは良いから、早く地下水路に入りましょう。もうどこから帝国兵が襲って来てもおかしく無いんだから」
ベアトリスの冷淡な声。常に冷静沈着な彼女は迷いが無く、的確な判断を下す。彼女の冷静な言動は私達の間でも重宝されていて時に、はっとするような気付きを得ることもある。その例に漏れずチヒテルが感銘を受ける。
「おお、その通りだ。さて、……地下水路への入り口は開かれた。帝国兵の追撃を受ける前に身を隠し、街の外へと脱出しようではないか!」
チヒテルの指示に非戦闘員の仲間達は地下水路への入り口に移動を始める。皆の表情には安堵と不安が入り混じっている。戦闘員の仲間達も周りを警戒しつつ護衛する。皆が移動する中、それを見ていたフィリクスに話しかける。
「フィリクス」
「ニコルか」
彼はこちらに顔を向けて返答する。彼の着る鎧は返り血に濡れているものの、殺伐とした雰囲気は無い平時の気さくな声だった。側らには赤髪の戦士アルムがおり、表情の無い貌をただ人の流れに向けていた。
「ありがとう、助けて貰って。でも、こんなに危険な事に、命を落としかねない事に自分から……そこまでしなくたって」
「なに。日常だ日常。危険と隣り合わせの傭兵稼業をやってりゃ、その辺の意識は問題じゃない。
それに雇い主のピンチとなれば手早く片付けて、臨時報酬のひとつもあるだろう?」
彼の言葉は冗談めいて、全く命を懸けている印象は見られない。人の心配を豪快に笑い飛ばすような彼の言い回しに軽く目眩を覚える。
「臨時報酬って。この先どうなるかも分からないのに」
「払って貰わなきゃ困る。なんせ、今日までの給料もまだなんでな。その前に潰れて貰う訳にはいかん」
それは自分の仕事への義理なのか、自身の照れ隠しなのか。決して誇らず自分の行動を評価している。
それが彼の言による悪癖のお節介焼きなのかもしれないが。ただ、今の混沌とした状況でも彼の行動は信頼できる、そう思えた。
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