追跡



 #6






「はぁ、はぁ、はぁ……」





 走り続ける。


 薄暗く迷路のような路地の中をひたすらに走る。オルクの街の裏路地は複雑に絡み合い、その内に多くのものを内包している。


 街に潜む犯罪の数々、街から溢れたならず者、そして体制への反逆者など。



 潜むには格好の場所であるこの裏路地があればこそ、商人の街であり人や物が多く集まるこの街は商会との癒着や打算、賄賂、反乱軍にとって格好の温床になる。



体制であるグメイラ帝国の顔色を伺いつつも、その陰で不満を持つ反乱軍の面々を擁護し両者から甘い汁を頂戴する商人、

その商人たちに利を提供しつつも帝国に対する機会を虎視眈々と狙う反乱軍、

それら含む民主を圧し絶対なる支配を行いつつ強者の慢心故か多少の不実を容認する帝国兵士。



歪な共生関係の縮図とも言えるオルクの街の裏路地は常に混沌と。循環の輪の中からはみ出た者を食い物に、街の秩序は廻り続ける。






 そして。秩序の循環の中からはみ出た女は追いつかれぬよう幾度も路を変えながら路地の中を走って行く。



 彼女はいざという時の為に今日の遁走の為にこの裏路地の地形を頭に叩き込んだ。人猫族のしなやかさと五感の鋭さを活用し、迷路染みた路を行く。幸い、追っ手の所は姿は見えない。


 この裏路地の地形を活かしたのが功を奏して上手く追っ手を撒くことが出来たのか、それともまだ彼女を探しこの裏路地を周っているのか。どちらにせよまだ油断は出来ない。







「はぁ、はぁ、……ふぅ」



 足を止めて息を整える。褐色の細い肩を上下し小さな口元からは吐息が漏れる。短い桃色の髪からは茶色の毛皮の両耳が覗く。顎を伝う汗をそのまま、ニコルは後背を見定めた。


この抜け道や隠れ場所の多い裏路地で一度撒いてしまえば後はどうにでもなる。まずは自分の息を整え、何処かへ身を隠してほとぼりが冷めるのを待つだけだ。そう、自分に言い聞かせ平静を保つ。彼女とてこの様な事態は一度目ではない。




 仲間の場所に逃げ込むのも手だが、移動中に見つかってしまう可能性もあり、最悪の場合、肝心な同志たちも巻き込んでしまう。


 迂闊にも憲兵を呼び込んだのは自分、ここで下手を打てば他所の同志たちとの足並みも揃わなくなる。彼女の属する組織は数ある反乱軍の組織の中でも勢力を伸ばしつつある。人員はオルクの街全体に及び、数の上では現行の憲兵の数を上回る。


彼女にとっては自分の事より、仲間の方が気を揉む材料である。自らの目的を果たす為でもあるが、ここで彼らが共倒れになれば散っていった仲間たちに申し訳が立たない。それこそが孤独に立たせられた彼女を奮起させていた。




「……まさか、尻尾を掴もうとして逆に自分の足を掴まれるとはね。


けど。あの子の仇を討つまでは……ーーッ!?」




 背後。突如と体を押さえ付けられ自由を奪われる。とっさの事で判断が遅れ物影へと引きずり込まれていく。





「……!、ん……!」




 太い二本の腕は彼女の華奢な体を完全に押さえ付け、もがこうとも女性の力だけではそう簡単に抜け出す事は出来ない。




 しかし、腰に忍ばせてある短剣の位置までは手は回っていない。したたかに、もがく振りをして腰の短剣を、



「待て、俺だ」


「……え?」



 男の声。見上げる先には居る筈のない緑髪の彼の貌がーーーー。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 足音が二つ、比較的軽めの鎧が走る振動に合わせ鉄の軋む音を立てている。足音は段々と近くなっていく。



「そこのお前、そこで何をしている」



 足音が止まる。兵士の声は裏路地を行く男の事を指していた。





「ん、俺か?」



 均整の取れた身体つきの男は振り返り兵士二人を見る。浅黒い肌の精悍な顔、緑髪よりも深い色の外套を纏った彼に対して。一方は恰幅のよい人獣族、もう一方は睨む様な顔付の人狼族の憲兵。





「我々はこの街の反乱分子を追っているのだ、……お前は、確か先ほどの」



 兵士二人は男の姿を確認すると俄かに警戒を強める。一人は眉間に皺を寄せ、一人は身構え腰の剣に手を掛ける。



 対して男の方は腰に手を当て、やれやれと言わんばかりに、



「何だ? 俺がこんな所へいるのはおかしいのか。俺はな、折角口説いた女があの、悪名高い反乱軍どもの一員だった事のショックを紛らわす為に一人ブラブラ歩いているんだが。


 それもいけないのか」




 兵士は尚、警戒を緩めない。更に深く眉間にしわを寄せて兵士は言葉を返す。



「貴様はあの女の居場所は知らないのか? あの女を口説いたと言うのなら、何処にいるかぐらいは判るだろう。


 ……嘘は吐くなよ? 調べれば分かる事だからな」



 緑髪の男は腕を組み、両目を伏せた後、何やら思い返した様な言葉を返す。



「いや。あの女とは昨日道でばったり会ったばかりだし……いつも居る場所とか、住んでる家とかは、分からないな」





 兵士は納得しかねるように仏頂面を保っている。男の口調はさながら何かを思い出す様なたどたどしさが有り、嘘を吐いているような響きは無い。




 が、それも兵士二人にとっては信用ならないらしく、警戒を緩める事は無かった。



「ふん、まあいい。貴様、あの女が何処に行ったか分かるか」


「あの女かどうかは分からんが、さっきあっちの方面に走り去っていく奴が居たようだぜ?」






 兵士二人は顔を見合わせ、そちらの方が優先順位が高いと判断したのか。




「行くぞ」


 男を素通りして行き、やがて路地の奥へと消えて行った。










「…………。行ったぜ」



 男の声を受けて被っていたボロの布を捨てて木箱の中から出ていく。

少しの間だけとは言え狭い箱の中に身を隠していたせいか、身体を伸ばして身体の感触を確かめている。息を吐く彼女に通路の奥を見遣る男の声。



「しかし、あんたも大変だな。あんな連中に追われているとは」



 男の声は気軽で、まるで親しい友人に向けられた気安い響きだった。




「何で、貴方は……?」



 何故、私を匿ったのか。何故、私を助けたのか。彼には私を助ける理由も利益も無い筈だ。なのに何故この様な事をしたのか?

 特別に関係が有った訳でも無い、むしろ帝国の内偵とすら疑った、ただの行き摩りの私を何故、助ける様な真似を?


そんな疑問が彼女の脳裏に湧き上がる。打算や損得で言うのなら彼には一切の利は無い筈であり、追ってくる理由なぞ見当たらない。


疑問と困惑に耽る彼女を、気軽な返答が引っ叩いた。



「何でって、そりゃあ目の前で良い女が困っていれば助けるのが当たり前だろうが?」


「は、……?」



 男の答えはあっけらかんとした物だった。拍子抜けした答えに脱力して声が漏れる。毒気を抜かれた彼女の表情は少なくとも間の抜けたものであった。



「何だよ。納得して無い顔だな」





 馬鹿だ、ともあり得ない、とも彼女は思う。口説き文句としては二流を上回らないし、それが理由ならば二重の意味であり得ない。

新手の奸計か、何なのかは軍略家ならざる彼女には分かり得ないが。これだけは言えた。



「……あり得ない、わ。本当に、二重の意味で」



「悪いか? でもまぁ、嘘じゃねぇよ。それにこれも性分みたいなものでよ、知り合いが困っていたら損得勘定関係無く、手を貸してしまってな……。早い話、真性のお人好しってとこか」




 そんな人間がこの戦乱の世で生き長らえている事にまず驚く。彼女自身、友愛や献身を旨とする結構なお節介焼きではあるが、正直に言って。彼の様な突き抜けたお人好しは始めて遭遇する。

……何かの冗談か、おとぎ話か。そんな奇特な人間を見、束の間彼女の口からは知らず笑いが漏れていた。




「……ぷっ、ふふふ」


「な、笑うなよ」




 何がそんなに面白いのか、気付けば本当に暫くぶりに。彼女は笑った。何も面白い事など起こってはいない。しかし、笑わなければある意味正気を保つ事は難しく。

いつか以来の弾ける様な笑みを浮かべた。



「ふふふ、ぷっ、ふふ……」



 束の間、追っ手の事も忘れ笑い耽る。当人でさえ判らない笑いは、目の前の男を存分に当惑させた。






「おい、よしてくれよ。そんなに笑う事はないだろ?」




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 場所を変え、先ほどの兵士がうろついていた辺りから離れて外からの死角が多いこの辺りへと落ち着いた。


 天井は家々の屋根で覆われている。隙間からは外からの光が漏れていて、光は地面に舞う塵を照らし出す。



「さっきはありがとう。あなたのお陰で助かったわ」




 路地の壁に寄りかかり、そんな柄でもない礼を言われる。いや、しかし。正直言って悪い気はしないが。




「なに、お安いご用さ。別に大した事じゃねぇ」



 別にそう特別な事を仕出かした訳でもあるまい。ま、ちょっとばかり出過ぎた気もするがいいだろう。



「そんな、ごく当たり前の事でも……」


「何だよ。悪いのか、別に見返りは期待してないんだが」



 いや。全くしてないって言えば嘘になるが。下心はあるにはある。何処ぞのムッツリな誰かみたいに無関心という訳にも行くまい。これで、なかなか美人ではあるし。


 ……む、何やらお気に召さないのか?

女性の心情は複雑である、か。



「不満そうな顔だな」


「そんなんじゃないけど……。拍子抜け、と言うか。危険を押してまで助けたんだから見返りの一つでも要求してくるかと思ったのに。


……貴方、本当に傭兵? 欲の無い人は傭兵になんて向かないわよ」


「む」



それは、余計なお世話というか。別に好き好んで傭兵稼業なんてやってないし。本音を言やあ全うな職には就きたいし、キナ臭い事件や“魔獣”なんぞという度を超えた猛獣の相手なんて御免だ。

他に稼ぎもなし、仕方なくやってるだけなんだが。


それに何かと言えばあの唐変木、目を離した隙に何かしら事を仕出かすし、なんか仰々しい“烈火の戦刃”なんて二つ名も付いてるし、そのくせ美味しい所は全部持って行きやがるし。くそっ、コッチの苦労を少しは鑑みやがれっ。



「えと、フィリクス? いま凄く渋い顔してたけど」


「ああ……すまん。邪念が入った。あんたにゃ関係ないから気にしないでくれ」


「……そう?」



……こう、病人に向けられるみたいな目で見てくれるニコル。有り難いやら居た堪れないやら。と、それはともかく。





「で、そういや帝国の兵士に追われていたよな? あんた、反乱軍って言っていたがどうなんだ。言える範囲でいい、話してくれないか」



 彼女はふと、当惑した様に視線を背ける。向けられているものは敵意では無いにしろ、一度は疑念を持った相手だ。

 潔白かどうかは別として彼女にとっては俺は生き摺りの相手だ。体制に反抗する身分なら警戒は当然、助けたとはいえ素性の知れない相手に手の内を明かすのは危険を伴うだろう。



 だが、ようやくと思い出す半年前の惨劇、その渦中に居た断頭台に立つただひとりの友を想う必死の顔を。


 止める者の居ないその見世物を唯一止めようと現れた無力な誰か。それを心の何処かで引っ掛けていたのを忘れるべくもない。



 この世は搾取する側とされる側が居てはじめて成り立つ。奪うものがあって糧を得て、奪われる哀しみが誰かの幸せになる。生憎と俺と彼女はその両側に立っちまった訳だが、こうして改めて関わりん持つなんてどんな因果か。報復か。



 ……だからという訳ではないが、せめて俺の目の届く範囲はその理不尽を何とかしてやりたいとは思う。罪滅ぼしなんかじゃなく、そうしたいと思う俺の心が、だ。




「……そう。私は反乱軍、『明けの明星』の一員、ニコル。

 私は故郷であるアムリア王国を亡ぼされ、グメイラ帝国に殺された親友の仇を討つ為に戦っているの。


 この街で活動しているのは人を集める為。理不尽に国や村を焼き、圧政を仕掛けて、逆らう者だけじゃなく関係の無い人たちまで殺す、あのグメイラは倒さなくてはならないのよ。


 その為に私は……」



独自には感情がない交ぜになった哀しい響きがある。まだ若いだろうに、歌も恋も楽しみも皆棄てて。復讐を果たすまでに憎悪で体を突き動かしている。こんな、不毛な青春を誰が送らせたのか。



「そうか。やっぱり、あの時のか……」




無意識に背負った十字架、それが今になって重みを感じさせる。見当違いかも知れんが、俺は彼女に罪の意識を持っていたのかもしれない。



「辛かっただろうな……目の前で大切な人が死んでいく辛さは解るつもりだ。


 俺は、あの戦争の時はグメイラ側で戦っていたんだ。もしかしたら、直接的では無いにしろ俺にもその一因があるのかもしれないな……」




 せめて目を逸らさない様に。生きる為とはいえあの最低な戦争に加担した俺は、そんな分かりきったセリフを言う資格は無いのかもしれない。

だが、そうでもしなけりゃ俺はあの国を嬉々として焼いたあの連中と同じになっちまう。





「ありがとう、言葉だけでも、嬉しい」



 呆気に取られた。そんなセリフを言う彼女は微笑んですらいる。




「言葉だけって、訳じゃないんだが?」


「……ふぅ」


「何だよ」


「あなたって本当に……」




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