街の風景
#5
窓越しに差す光が部屋の中を満たす。まどろみからゆっくりと立ち上がり身体の機能を目覚めさせる。ベッドの身体を起こし布団から抜け出す。背伸びをし、眠りから覚めたばかりの意識に鞭を入れ足を下ろし靴を履く。
見ると相棒の姿はなく、隣のベッドは空になっていた。薄布団とシーツの皺が起きたままの状態。書き置きの一つも無いのが無愛想なあいつらしい。
まだ昨日の酒が残っているのか頭が少しモヤモヤする。あれ位の量で参るとはこの世界の酒もなかなか侮れないな。
「しかし、アルムの奴はどこにいったんだ? あいつが進んで外出するとは珍しい」
寡黙なる相棒アルムが自分から進んで何かをするという事自体珍しく、こんな時間から外出するとはそうそう無い。何か目的があれば別だが、何か厄介ごとに巻き込まれているのだろうか?
クローゼットから着替えを取り出して昨日の服から着替える。いつも似たような服しか着ない相棒と違い人並みに身なりに気を使う自分は日ごとに少しは違った服を着る。
布地の暑い深緑の上着にジーンズによく似た下穿き。一応、この中では見栄えのいい方のつもりだ。
さすがに各地を転々としている手前、何着も持ってる訳ではないがそれでも最低限の着替えくらいは荷物として持ち歩いている。お洒落には程遠いが。
部屋から出て宿の洗面所へ向かう。洗面所は宿の一階にあり二階の部屋から降りてくる必要がある。洗面所には水道なんてものは無く顔を洗う為の大きめの水桶が用意されており、杓子を使って壁に取り付けてある洗面台に水を満たし顔を洗う。洗面台は二つ、その間に水桶が置いてあるだけの簡素な造りだ。
洗面所の床は一部外され水桶を挟んだ洗面台の辺りが粘土状の土に覆われている。床は入り口付近だけに張ってあり昔から慣れ親しんだ洗面所の印象からは掛け離れてしまっていて当初はだいぶ困惑した。
洗面台はまず、水桶から洗面台に杓子を使って水を移し洗面台に水を満たす。洗面台には顔を洗う場所の周りに少し物を置けるスペースがありそれを使って歯を磨いたり髭を剃ったりと身なりを整える為に使う。
一通り終わったら洗面台の底の栓を外して水を捨てる。この時、地面の土が排水をしてくれるのであとはそのまま洗面所を出ればいい。
多くの場合、洗面所が一階にあるがその理由はこの方法が水道や下水道の無いこの世界において最も合理的だからだ。
大きな建物や高層の建物でもほとんど洗面所は一階にあり、その場合洗面所はかなり大きく作られている。特に朝方は多くの人で賑わうのだとか。
しかし今は他に洗面所を利用する者が居らず洗面所には俺一人。もう一人いた時点でこの安宿の洗面所では狭くて困る。洗面台は欠けていたり沁みみたいなものが見えたりボロボロでかつ洗面所にもかかわらず鏡が置いてないという不親切ぶり。洗面台の土は水が染み込みぐちゃぐちゃしている。
……こういう不衛生な環境はここ半年以上で慣れたつもりだがいざ直面すると落胆を禁じ得ない。
まったく、なんで俺はこんなとこで顔を洗わにゃいかんのだ……。
顔を洗い終えて部屋へと戻る。髭剃りどころか鏡も置いてない洗面所だが、唯一入り口に丸時計が掛けてある。
時計の針は二本、時間を示す数字が十二個……無論この世界での言語の数字だが。
自分のよく知る物とよく似たものをこの時計だけでなく所々で見かける。全く別の世界の筈なのによく似た所や共通点が多い。
不思議だ、おそらく偉い学者か何かが知ったら大騒ぎでもするのだろう。似て非なる二つの世界、当事者である自分にもよく知らないが何か秘密があるのだろう。ま、俺にはさっぱり分らんが。
時計に目を向けると針は頂上付近、自分の時間感覚で言えば十一時と十二時の間くらいを指していた。
……確か、昼頃に約束をしていたな。この世界での昼も大体そのくらいからだから、つまりあれか?
念のため、もう一度時計を見直す。やはり時計の針は頂上付近を指しており今が朝の時間ではなく昼の時間である事を告げていた。
「……まずい……!」
事態を覚り慌てて部屋へと戻る。
「アルムの奴め……起こしてくれてもよ!」
ここに居ない相棒に憤りを感じつつ急いで外出の支度をする。財布にスリ対策の紐をズボンに結わい付けて、護身用のナイフを忍ばせる。
手鏡で不始末な箇所が無いか確認しシェービングも無しに髭を剃る。部屋の鍵を閉め急いで宿を出、空軍のスクランブル発進並みの慌ただしさで宿を後にし中央広場へと駆け出す。
まだ昼になったばかりの筈だ、今から急げば間に合う!
中央広場へと向かう途中でまだ朝飯を食べていない事に気付いた。飯を食べている暇は残念ながら無い。観念して空腹のまま走り続ける。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オルクの街の中央広場は待ち合わせの場所によく使われている。
円環状の街の中心部に位置し東西南北に伸びる街道に続くこの広場の中央には大きな噴水が設けられていてこの噴水を目印に待ち合わせをしたり、商談の取り決めや出店の出店、恋人たちの逢い引きにも利用されていてこの中央広場は今日も多くの人で賑わっている。
そこかしこに観光客や恋人たちの姿や、食べ物やら日用品やら名産品なのか用途がよく分からないものが並ぶ出店等、多くの出店が出ている。
道行く人の姿はどれも特徴的で耳の長いのや頭二つ分背の低いのは序の口、猫みたいな顔をした奴とか頭から角の生えた奴や中には野獣と見紛うほどの毛むくじゃらな奴も居る。
この世界に来てからしばらく経つが未だにこの風景は慣れないと言うか、見る度むしろ自分の方がおかしいのではないか? という気分にさせられて困る。
言葉も普通に通じるし見ていて別におかしい所や変わった所、地域毎の文化や歴史等の差異はあれ、全く違和感を感じない程自分らに自然に馴染んでいる。
むしろ、そこに違和感を感じる程に。
中央広場に到着し、走りの勢いそのままに待ち合わせる彼女を探す。
茶色い猫の耳でピンク髮だったな……。待ち切れずに帰って無ければいいが。
青い髪に黒の猫耳……違う。
ブロンドに茶色の耳……違う。
茶色の髪に同じ茶色の毛並みの耳……
違うな。
ピンク髮で茶色の毛並みの耳、の男……って違うだろ。
広場には多くの人がいるわけで場所も分からない中、お目当の人物を探し当てるのはなかなか難しい。その上居るかどうかも分からない中で探すというのは不安を嫌ってほど感じさせる。
遅刻した罰か、特徴的である筈の彼女の姿をなかなか見つけられない。もう帰ったのではないか、怒って帰っちまったか、万が一にもすっぽかされたか……。そんな事を考えてしまう。
「なにしてるの?」
「うおっ」
突如、背後から肩を叩かれ声をかけてくる。反射的に体に緊張と衝撃が走った。……ビックリした。注意の外からの出来事にあまりにも無防備になっていたようで思わず声が出る。
「なんだ、あんたか」
振り返ると特徴的なピンク髮と茶色い猫耳がそこにあった。ハーフジャケットを羽織り、デニムのショートに幾つもポケットを膨らませたウェストポーチ。動きやすそうなサンダルという出で立ちの彼女は怪訝そうにこちらを見ている。
「なんだじゃないわ、私は噴水の近くに居たのに周りばかり見渡して見つけてくれないんだから」
「な、そっから見てたのか……?」
「ええ、あんな大慌てで来たら嫌でも目立つし。その上、挙動不審にされたらいくらこの人混みの中でも直ぐ分かるわ」
「面目ない。……悪い、遅れちまった。待たせちまったよな?」
「いいえ。私も今来た所だから大丈夫よ。気にしないで」
彼女は朗らかに微笑む。どこまで本当なのかは分からないが嘘でもそう言ってくれるのは遅刻した手前、有難い。つられてこちらも笑い返す。
不安が晴れてホッとする。良かった、初っ端から愛想を尽かされずに済んだみたいだな。
「じゃ立ち話も何だ、行こうぜ」
「ええ」
話もそこそこに歩き始める。人混みの中を上手くかわしながら進んで行く。やはり人の群れの中を人とぶつからないように進むのは何処の国でも同じらしく女連れという手前余計に難しい。
はぐれていないか後ろを振り返ると彼女はぴったりと付いて来ていた。表情に苦労の色は無く、どうも俺よりも慣れているようだ。僅かな気後れを感じつつ正面に視線を戻す。
人混みを抜けると東側の大通りに出た。大通りは過密という程ではないが多くの人や店先が並んでいる。
車両五、六台は優に通れる程の道幅の大通りを挟んで色も鮮やかな店先が並んでいる。
道には店の商品を物色する人や、店員と何やら話し込んでいる人、先を急ぐ人、道にある屋台に立ち寄る人、路上パフォーマンスに喝采する人など様々でこのオルクの街の活気を如実に表していた。
「しかし、ここは何時も賑やかだよな。いつもこうなのか?」
「そうね……時期や日によって違ってくるとは思うけど、私の知る限りいつもこんな感じよ。今日は少し人が多い気がするけど」
「へぇ。じゃ何だここが商業の中心地か何かか?」
「別に中心地って訳じゃないと思うけど、他にもこの街みたいな場所があるけど近くにはここまで大きな所は無いから……ある意味で中心地とも言えなくも無いわ」
なるほど、この辺りで人と物が集まるのはここか。心のメモに書き留める。雑談を交えつつ情報収集を行う。この世界に来てからまだ半年くらいで分からない事や知りたい事が山の様にある。
が、下手に質問を重ねては不審がられてしまう。知的な好奇心にブレーキをかけつつ会話を重ねる。
ふと菓子を売っている店に目が向いた。ここは一つネタの提供といくか。
「なぁ、あんた。そこの菓子でも食わないか? 奢るぜ」
「あそこはカリが評判のお店だったわね。ご馳走になろうかしら」
「ああ、そこで待っててくれ」
彼女を店の前に待たせて店先へと走る。店先には三人の客が居た。なんか犬とも狼ともつくような外見の男女とそれよりも頭二つ分小さい女性客だ。
三人の客が見るのは透明なケースで覆われた三段の棚で、その上にはこんがりと焼き上げた菓子が並んでいた。
その焼き菓子は赤やら緑やらの果物のトッピングがなされたものや四角や星型、何かのマークを象ったような形の物やクリームがたっぷりと乗せられた物まである。店の奥からはクッキーを焼き上げたような香ばしい匂いがするあたり、カリという焼き菓子はこの世界でのクッキーのような物なのだろうな。
「いらっしゃいませ」
店員が挨拶をする。店員はまるでパティシエの様な白衣を着てその頭に頭頂部の潰れた白い帽子を被っている。耳の長い男の店員だ。
「その、カリってやつを二つ」
「はい。カリを二つでございますね。
カリの種類はミクダ、ソム、チェコ、クリム、アカマがございますが」
……新手の呪文?
魔術を使うときの詠唱も口からスラスラ出てくる割に訳わかんないと我ながら思うが、それと比べても……なぁ。
「えーと? その、普通の奴でいい」
「ミクダでございますね。二つで銅貨十枚です」
財布から銅貨を抜き出し店員に渡す。焼き上がるまで少しかかるらしいので言われた通りに待つ。先に待っていた犬のような狼のような男女の分が焼き上がり焼き菓子の入った紙袋が手渡された。
待つこと一、二分。奥から別の店員が焼き菓子の入った紙袋を持ってこちらに手渡した。紙袋は焼きたての菓子で暖まっている。走って彼女の所に戻った。
「買ってきたぜ」
「ありがとう」
紙袋から焼き菓子を取り出す。焼きたての香ばしい匂いが菓子から立ち込める。大きさは手の平ほどで一口では食べきれないくらいだ。
「参ったぜ。こっちは勝手が分からないってのに店員の奴が、ミクダとかソムとか……新手の呪文かと思ったぜ。
どうしてこう、菓子でも料理でもさ訳わかんない名前をつけるか……。
そんなのをどうして判を押したような定型文で押し付けてくるんだか」
「ふふ……」
「なんだよ」
「私も初めて行った時はそう思ったけどあなたのように面と向かって文句を言う人は初めて見たから……」
「当たり前だろ。店側に問題があれば客がそれを指摘して店側の向上に繋げる。客として当然の権利だろうが」
「あなたは立派な苦情屋になれそうね」
「そりゃ光栄なことで」
何でか楽しそうに笑っている彼女を尻目に焼き菓子をかじる。表面のカリッとした食感、中はフワッとしたほのかな甘み。シンプルが故に感じる素材の味と調理の出来。
……悔しいが味の面では文句は言えないようだ。
空きっ腹にようやく物が入り僅かながら腹を満たせた。とりあえずそれで満足するか。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「何だあれは」
通りを歩いていると妙に人だかりが出来ている所がある。場所は水路を跨いだ橋の上で十人から二十人程の人が集まっている。何か事件でもあったのか、物騒な雰囲気だ。
近付いてみるとその原因がわかった。橋の下の水路に何処からか流れ着いたであろう焼死体がありそれを調べている二名の兵士と思しき男が居た。
現場は数名の兵士によって封鎖されておりそれによって物々しい雰囲気が漂っていたのだ。
「どうやら相当な威力の魔術で焼き殺されたらしい」「そんな奴がこの街に……」「やあね、物騒だわ」「反乱軍の仕業かも知れないぞ、奴らグメイラを目の敵にしてるから」
そんな野次馬たちの話が聞こえ被害者は強力な炎か何かの魔術で焼かれて水路に転落、焼死か溺死かは不明、そんな所か。
……そんな事が出来そうな、いや。
やりかねない人物なら一人、心当たりがある。俺の連れであるアルムだ。
半年程付き合って判ってる事だが奴は自分からは決して積極的に物事に関わらない反面、いざ外的要因……仕事や自身の生命の危機などの動機が加わるとそれこそ機械のように、淡々と手段を選ばず冷酷に殺しでも何でもする。その姿は見ていて時々寒気がする程だ。しかも判断のスピードが異様に速いときている。
相棒としては頼もしいが一人の人間としてはあまりに温かみに欠けている。しかし、自分の判断を他人に依存している節があったり、妙に常識的な部分で欠けている部分があったりして、俺からして見れば放っとけない奴でもある。
「まさか、な」
とは言え何の動機も無く殺しをする奴では無い。そうである事を祈りつつその場を後にする事にした。
「行こうぜ」
「…………」
彼女の表情は暗く、不安の色が伺えた。現場を見て何か思う所が有るのか、世の治安の悪さを嘆いているのか。
「どうした? 知り合いだったとか」
「いいえ、別にそうじゃないけど」
見物を切り上げて歩き始める。こんな所まで死体が上がってくるとはこの街も物騒なものか。自身の考えを無理にでも納得させ先を急ぐ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「注文は以上ですね。ではごゆっくり」
注文を聞き終えるとウェイトレスはカウンターの奥に下がっていった。
店は昼間の繁盛期ともあってそれなりに混んでいた。二人掛けの席が取れたのも店に入ってから十分程後の事だった。店は一流とも言えないもののそこそこのレストランで客の出入りも少なくは無く雰囲気も悪く無い。
主な客足は旅の一行や恋人連れや商人。相談や雑談、商談が行われているようで店は常に薄い騒めきに包まれていた。その中を何名かのウェイトレスが給使に注文に接客に動き回っている。
そんなウェイトレスの姿を横目で眺めていた。どのウェイトレスも何というかバラエティに富んでいると言うか、個性的と言うか。客たちの姿形もそうだが耳が長かったり、角が生えていたり、頭二つ分小さかったり。
ある意味、男の目線からすれば寄り取り見取りとでも言えばいいか、なんかこう、悪い気はしない。
「ウェイトレスがどうかした?」
正面からの声に意識を戻される。声の主は正面のテーブル越しに軽く手を組んで座っている。
……女性との相席の手前、他の女性に注意が向くのはマナー違反か。
「いや、ウェイトレス、と言うかここには色々居るんだなと」
「そうね。ここは色々な種族の人が集まるから、こういうのは当たり前よ。私の国では精霊族が多かったけど大体こんな感じだった」
……へぇ。色々居るとは思っていたがやはり人種にかなりの種類が有るようだな。納得ついでにもう一つ聞いてみる。
「なあ、前から誰かに聞きたかったんだが今更聞ける相手なんか居なくてよ、こういうのは俺の田舎じゃ余り馴染みが無くてな。
自分とこの人種以外は余り詳しく無いんだ。良ければ教えてくれないか」
「良いけど、この辺りの人種をよく知らないなんて、出身は何処かしら。
……もしかして、西の大陸の外?」
まずい。地雷を踏んづけてしまったかも知れないぞ。
下手に本当の事を話せば疑われるどころか騒ぎになりかねない。そうで無くても奇人、変人扱いは免れない。この世界の事がまだ判らない以上は別の世界から来たかも知れないなんて口が裂けても言えない。とは言え下手に切り返すのも後で問題になる。何か上手い方法は……。
「ごめんなさい。あまり話したく無い話題だった?」
「あ、いや、別にそうじゃないが。そう、俺の田舎はずっと遠くにあってな、そっから来たんだ」
「そんなに遠く?
西の大陸の外よりも?」
「そう。ずっと、遠くだ」
……嘘は言って無いよな、嘘は。
「ふぅん、そう」
納得してくれたのか? 気付かれないようホッと胸を撫で下ろした。彼女の方もこれ以上追求する気は無いようだ。とりあえず危機は去った、はず。
「余計な事を聞いてしまったわね。この辺りの人種についてだったかしら」
「ああ。後学の為だ、教えてくれないか」
「ええ。この辺りの人種だけど大きく分けて六つあるわ。」
彼女は耳の長いウェイトレスを指した。
「まずは精霊族、耳が長いのが特徴で魔術の扱いに長けた人が多いわ」
次に頭二つ分背の低いウェイトレスを指した。
「次に土人族、他の人種よりも背が低くて手先が器用なのが特徴ね。精霊族とはなぜかあまり仲が良い無いけど全部が全部そうって訳でも無いみたい」
次は頭に角の生えたウェイトレスを指す。
「あの角が生えているのが角人族、他の人種よりも寿命が長くて稀に凄い才能を持った人が居たりするわ。だけど出生率が低くて他の人種よりも人口が少ないの」
続けて猫の耳やら犬っぽかったり野獣みたいな外見の旅の一行を指した。
「猫の特徴と身軽な身体を持ち、先祖に猫の血を引いていると言われる人猫族、
独自の群れを形成し、先祖に狼の血を引くと言われる人狼族、
大柄な体を持ち、強い力と爪や毛皮を持つ人獣族。彼らは祖先の血が濃い程その特徴が際立つと言われているわ」
「すると、あんたは人猫族って奴か?」
「そうね。私は祖先の血が薄いみたいで身体の毛とかも薄いけど。私は無いけど尻尾がある人も見た事があるわ」
「本当か、へぇ……」
毛皮が生えた猫の耳はそういう事だったか。魔術といい人種といい、本当に何でも有りだなこの世界は。
「参考になったかしら」
「ああ。そりゃもう」
全貌を掴むのに半年かかった情報だ。さすがにこれが全部って訳でも無いだろうが、この情報は大変に有意義だ。今後、人物を見る際に参考にさせて貰う。
「お待たせしました。
料理でございます」
ウェイトレスが料理を運んで来た。
白い皿の上に盛られた料理は目にも鮮やかで食欲を唆る。こちらは肉料理、彼女の方は魚料理だ。肉の塊を薄く一枚一枚切った上品な盛り付けに色とりどりの野菜の切り身に白いドレッシングが薄くかかっている。
料理と共に金属のナイフとフォークが運ばれて来た。この世界でもナイフとフォークで食べるのかと驚きながらも久方ぶりの馴染みの食器に安堵を感じる。ここのところずっとスプーンみたいな物で食べていたから馴染みのあるナイフとフォークが使えると思うと変な言い方だが感動する。
料理をテーブルの上に乗せ終えるとウェイトレスは伝票を置いて一礼し席から離れていった。
「それじゃあ、頂きましょうか」
「ああ」
馴染みの食器を使って馴染みの無い料理を食べる。
何とも奇妙なものではあるが腹が減っている今、そんな事は問題じゃない。はたしてこのレストランの味はいかほどのものか。料理を今か今かと待ちわびる胃袋の為に料理に口を着けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「あ〜。美味かったな」
会計を済ませ店を出る。実際にこの店に来るのは初めてだったが料理も美味く、満足出来た。店選びは間違いじゃなかったようだな。
「そうね。でも、悪いわね。ほんとに奢って貰って」
「ん、なに。気にするな。こういうのは男の見栄ってもんさ。
大人しく張らせてくれ」
どうやら彼女の方も料理に満足出来たようだ。会計の時に自分の分の勘定を払おうとする彼女を制して二人分の会計分を払ったのだ。
……正直な所、俺の今の持ち合わせからすると結構な出費で、二人分の勘定を引き受けたのは多少、後悔しているのは秘密だ。
「わかった。その内、お返しをしなくてはね」
彼女は食事を奢ってくれた相手を気遣ってくれているのか、微笑を浮かべそれとなく感謝の意を伝えてる。言葉はどこまで本気か判らないがこちらとしては嬉しくない訳では無い。
「ああ。期待しないで待ってるぜ」
歩幅を合わせ歩き始める。腹も満たせて満足し、それなりに気分が良い。
目的自体は達成した訳だし、これからどうするか……真っ直ぐ帰るってのも味気無いし。とりあえずは雑談でもするか。
「なぁ、聞いてもいいか? あんた、何で俺の誘いに乗ってくれたんだ。別に断ったって良かったろうに」
全く本気の誘いって訳でも無かったが別にその気も無かった訳ではない。良い女が居たら口説く、これが狩人としての男の本能ではなかろうか?
「そうね、別に今日は特に予定は無かったし、誘い自体も少し嬉しかったからかもしれないけど。本音を言えば」
彼女は不意に歩みを止めて予想外の台詞を言い放つ。
「あなた、私が反乱軍の一員と知って近づいたんでしょ? 妙に私に探りを入れて来たり、私に接触して何か情報を得ようとしてるんでしょう?」
「ーーな、」
余りの予想外の台詞に足は止まり体は硬直する。荒事を連想させない柔和な口調は一転、冷たく研ぎ澄まされた刃のように身体に突き刺さる。
事態を把握する為、恐る恐る振り向くと彼女の表情は穏やかさは変わらず両の瞳だけが鋭く向けられている。
「あなた、何者? 精霊族でも土人族でも無さそうだし、かと言ってこっちの世情に詳しくも無いみたいだし。
まさか、帝国のスパイ? いえそれとも帝国とも違う何処かの?」
「待て、誤解だ。俺は帝国に付いて戦った事はあるが別に帝国とは関係無い。別に俺はそういうつもりじゃ……」
駄目だ。
俺の言い分を信用してない顔だ。かと言って本当の事を言い出しても信じて……いや、余計に話がややこしくなるか。
「嘘ね。もしそうじゃ無かったらどうして私なんかに近づいて来たの?
あの時、何故か知らないけど私を止めたのも、昨晩、偶然を装って近づいて来たのも、顔馴染みを利用するのかは知らないけど私に何か目的があったからじゃ無いの?」
ーーあの時?
確か、どの辺りだったか似た顔を見たような……。茶色の毛皮の猫の耳、桃色の髪、褐色の肌……。
ある光景が頭を巡る。
断頭台の広場、一人の少女が処刑されようとする時。必死にすがろうとした、女の貌ーー。
「あんた、もしかしてあの時の、」
「おい、そこの女」
背後から突然に威圧的な声が掛けられた。
振り向くと二人の兵士がそこに立っていた。街中という事もあり簡略化された胸を覆う軽装の鎧と手甲、腰には剣が下がっている。鎧や剣の鞘にあしらわれたグメイラの紋様が彼らをグメイラの兵士と認識させる。
一人は毛深くて体格もよく、もう一人は狼のような鋭い眼と毛皮のある耳を持っていた。
「お前は帝国兵士襲撃事件の容疑と反乱軍の一員の疑いが掛かっている。我々と共に来てもらおう」
兵士は一方的に要求を突き付けた。拒否権も無い理不尽な命令だ。手を差し出すものの全く友愛の念なんてものは感じられない。
「……っ!」
女は素早く身を翻すと近くの建物と建物の間の裏路地へと駆けていった。
「待て!」
「逃すな!」
兵士も後に続く。間も無く、女と兵士の姿は裏路地の奥へと消えて行った。一人取り残されてしまいどうする事も出来ずにいた。
「どうなってるんだよ……!?」
戸惑い、衝撃、余りの急展開に付いて行けず呆然と立ち尽くしてしまう。
もし彼女が反乱軍の一員としても、俺はロクに世間も判らない流れの傭兵。一体、この状況で俺に何が出来るのか、俺は何がしたいのか?
混乱する頭で、思案を練る。さて、何を為すべきか、それとも。
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