酔いと看護
#3
……飲み過ぎた。あれからジョッキで更に2、3杯は飲んで帰ろうと思って席を立ったらうまく立てずに派手に転んで、追加の会計をしようと思ったら手元がぐらついて何度か財布を落としたっけ。
いやぁこの世界の酒は美味いんだがいかんせん酔いが回るのが早すぎる。
酔っ払ってフラフラになるほど呑んだ日はアルムの肩を借りるんだが、今日は先に宿に戻っちまってこうして一人で帰路に就くハメに。
酔いが回って上手く歩けない上にこの街の入り組んだ路地。大通りの辺りまではいいが裏通りの辺りまで来ると酔いと土地勘の無さも相まって迷路の中に迷い込んだ気になる。
……率直に言って今、そんな状態。ここはどこだ? 私は……分かるから良いけどよ。
「ん?
ここ、さっきも通ったような」
気が付くとさっきも見た光景が。街灯の無い月明かりが頼りの暗い裏路地、十数メートルから二十数メートルの家や建物が並ぶ石造りの道。この裏路地は大体が似たような造りで判別する個性は建物の間にある細路地と微妙に違ってくる建物の高さやそんなものだ。
土地勘の無い者が迷い込んだら最後、延々と似たような場所をさ迷い続ける事になる。
で、ここに哀れな迷子が一人。酔っぱらって千鳥足の上に道の勝手が分からず絶賛迷走中。……ああ、哀しくって吐き気がする。
「さっさと戻りたいんだがな……あァ、気持ち悪ぃ」
と、向こうから人影が歩いてくる。人気の無いこの裏路地は表に出ない犯罪やら噂に聞く反乱軍の連中が跋扈しているらしい。もしかすればそんな奴かもしれない。人影はこちらに向かって真っ直ぐに歩く。
歩いてくる人影を避けようと足を外へ出そうとする、だがどういうわけか足元は言う事を聞かずに結局バランスを崩しながら前進する結果に。
人影との距離が近付く。向こうは何か考え事をしているのか俯いたまま真っ直ぐこちらに気付かず前進してくる。
「と、と」
ついに人影と鉢合わせた。向うが右へ避けようとすれば足は同じ方向へ、こっちが左へ避けようとすれば向こうも同じ方向へ。
お互いどちらかにかわす事も出来ずに肩と肩がぶつかり合ってしまう。
「痛っ……」
向うが声を上げる。女の声だ。そう理解すると同時に出した方の足がすっぽ抜けた。ぶつかった反動と支えを失った体が石畳に迫る。
「ぐっ、……っ」
星、星が見えた。石畳の冷たく硬質な感触と支えを失った自由落下、痛覚の鋭い反応とその衝撃に一瞬星が見える。いや、比喩じゃなく本当に。視界が一瞬チカッてなったぞ。
痛い。顎が割れそうだ。もう救急車呼びたい。……あればだけどな。
「……大丈夫?いま鈍い音がしたけど」
頭上から女の声が聞こえる。本来馴染みのない別世界の言語だが、半年も使ってたんでもう耳にも馴染んでいる。どうやら俺の身を案じているようだ。
「いつつ……うぅ痛え……」
「大丈夫、立てる?」
女は自ら進んで肩を貸し倒れ込んだ俺の身体を支える。女の支えを頼りにどうにか身体を立ち上げる。女の支え方は妙に安定感があり頼もしかった。
「ああ、悪いな」
「どこか打ったんじゃないの、怪我は?」
女の声には患者の身を心から案じる看護婦の様なある種の安心感がある。こんな見ず知らずの他人を案じてくれるなんて、妙なくらい人が良過ぎるな。疑うわけじゃないが。
「顎が、顎が痛くてな」
「大変、血が出てるわ。待って直ぐに薬を塗るから」
女は腰に着けてあるポーチを探って薬を探す。小麦色の肌、猫のような茶色の毛並みのある耳、桃色の短い髪、女の横顔は小さく、その身体は華奢だった。
その割には自分より大きい俺を安定して支える。そして見ず知らずの俺を自分の事の様に看護する。変わった女だった。
「なに、少し痛いが唾でも付けときゃ治る。こんなもんは怪我の内にも……うっ……ぷ」
胃の中の安全装置が外れ胃の中が逆流する。胃酸が胸と喉を伝い一気に酸っぱい濁流となって口先へとなだれ込む。
一度は抵抗するも敵わず一時せき止めるだけで直ぐに胃酸の進撃が始まる。
「ゔええぇぇぇぇっっっ……」
「きゃっーー!?」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……安静にしてて。まだ残っているなら全部吐いた方がいいから」
女に背中をさすられ看病される。道端にある二、三段の石段に座り込み動けない。その隣で女は甲斐甲斐しく世話を焼く。
峠はさっきので越えたが正直まだ気持ち悪い……ああ、情けなくって涙が出て……うっ。
「大丈夫よ、無理に我慢しないで」
「あ、いや……大丈夫だ。出るもんは全部出た。しかし、気分が悪くてな」
「それならこれを飲んで。イグの根を乾燥させた粉末よ。飲み過ぎと胃痛に効果があるから」
女は腰のポーチから小さな白い紙の包みを出して、俺の口へ中の粉末を流し入れる。
……ぐっ、不味い。味よりもとにかく不味い。苦いとかそういうもんじゃ無い、粉の一粒一粒がとにかく不味い! こんな物は直ぐに吐き出してしまいたいが今の状態じゃ吐き出す事も飲み込む事も出来ん。
「水よ、飲んで」
ポーチから自分の水筒を出して手早く栓を開け水を口に入れてくる。過不足なく粉を胃に流しこむには丁度いい水量が喉を満たす。それを頼りに口の中の劇物を胃の中へ流しこむ。
水が無くなるとまた過不足ない量の水が継ぎ足される。口中を流し終えると水筒は口元から離れていく。
「……ふう、死ぬかと思った。いや、助けられたのか? この場合は。助かったぜ?」
「どういたしまして。あとこの薬は遅効性だから少し休んだ方が良いわよ」
「ああ。サンキュー」
「サンキュー……?」
薬を飲ませれたせいか少し胃がスースーする。さっきと比べて少し気分も晴れてくる。……今度からは胃薬の一つでも用意しておくべきか。
「しかしなぁ、こういうのは魔術でやるもんだと思ってたんだがな。金はかかるけど」
「全部が全部魔術で対処できる訳じゃないわ。回復系の魔術だって傷口を閉じて傷の治りを早くするとか、神経毒の症状だけを止めるとか呪いの力を抑える位なものよ。
余程凄い人の魔術なら別だけど直ぐには怪我は治らないし、毒も抜くか解毒しないとまた症状がぶり返すわよ。
だから私みたいな医術の心得のある人が必要なのよ」
「詳しいんだな」
「常識よ。これくらい」
女は尚、甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。顎の傷から流れた血を濡れた布で拭いて、消毒液と思しき液体でポーチから取り出し別の清潔な布を浸し顎の傷を綺麗にする。
更には軟膏を傷口に塗り予備の軟膏を渡すという徹底ぶり。俺もお人好しの方だが見ず知らずの赤の他人にここまでするか? ほとんどプロの仕事というか何て言うか。
「はい、予備の軟膏。無くなったら薬屋を探せばあるから」
「ああ、サンキュ。……しかし、良いのか? 見ず知らずの俺をここまで診てくれるのはいいが、さすがに徹底し過ぎって言うか。
人に恩を着せて何かさせるにしても、これじゃ出費の方が多くなるぜ?」
「ふふ……。もしそうなら私は立派な慈善家になれそうね」
女は自分の行為を皮肉げに、しかしそれを卑屈に思わせない微笑を浮かべている。つられて頬が緩む。それとなし、女も石段に座り込み話し始める。
「はは。確かに。……そういやまだ名乗ってすらなかったな。俺はフィリクス。流れの傭兵をしてる」
「私はニコル。生まれはアムリアだけど少し前から転々としていて、今はこの街にいるわ」
「へぇ。アムリアか。俺はその辺り詳しく無いからな。よかったら少し教えてくれるか?」
「ええ。アムリアはその大部分が荒野でね、オアシスの近くに大体街があって移動する時はルアスって言う動物に乗ったり車を引かせたりしているの。
アムリアにはせり立った台地が多くてね。昔の人はそこに通路やトンネル、
家代わりに洞穴をよく作っていてね、今でもその名残が残っていて観光するならそこがオススメね」
そうして、景気よく話は弾む。女の観光案内を聞いて驚いたり、感心したりして一度は訪れた見知らぬ国の事を知りつつ、この世界の情報を探る。
「はは、まさか偶然会った奴とここまで話が合うとはな。普段、無愛想な奴とばかり話してるもんだから得した気分だぜ」
途中から楽しくなってしまい、つい。よせばいいものを。
「そういや半年前に戦争があったがあんたは大丈夫だったか? 家族とか」
途端。女の顔色は淀み、暗くなる。
ほら見ろ。その手の話題は被害者の側から見ればトラウマの引き金にしかならないだろうに。
「…………うん。友達を亡くしてね」
女は絞り出すように言葉を発した。ここからの言葉は懺悔にも似た悲痛な叫びだった。
「……私が悪かったの。あの時、私がしっかりしていれば。私が、あの時間違えていなければ。私が、守るって……、守るって言ったのに……」
言葉は悲痛そのものだ。何があったかは俺には判らない。だが、他人の心の疵、それはおいそれと触れて良いものでも癒せるものでもない。その位、解らない程鈍くはないつもりだ。
「無理に話さなくったっていい。
……悪い。俺が悪かった。余計な事を聞いちまったな」
しばしの沈黙。音も無いこの重い空気が痛い。
「……ごめんなさい。取り乱してしまったわね」
女はしばらくして平静を取り戻しこちらに向き直した。その顔は、儚げに微笑っていた。
「謝るのはこっちだ。無神経な事を聞いて悪かった。すまん」
「いいわよ。怒ってる訳じゃないから」
気まずいのと、この空気で切り出せる話題がないのとでまたも沈黙してしまう。くそ、アルムの奴じゃあるまいに。
ふと、女が腰を上げる。
「そろそろ行くわ。もう遅い時間だしね」
「もう行くのか。あ、そういやまだ看病の礼もまだだったな。おまけに初対面で盛大に吐いちまったり、他人の過去を詮索するような真似をしてすまなかった。
……何かお返しをしたいが、そうだな。明日にでも何処か奢ろうか。それで少しは帳尻が合うだろう」
「それって、私を誘ってるの?」
「おうさ。いい女にはそれなりの礼儀作法ってもんがある。俺も男だ、見栄くらい張らせてくれや」
「……………」
一瞬、考えるような間が入る。こっちを見てどっか不思議そうに見た様な。直ぐに微笑って返したんで気のせいだろう。
「ふふ……。それは光栄ね。いいわよ。明日の昼に街の中央広場で待ってるわ」
「わかった。楽しみにしてるぜ」
手を振り女と別れる。明日の約束を取り付け多少の失態はあったものの結果は上々だ。
女と別れて宿へと向かう。薬が聞いてきたのか胃の調子が良く気分がいい。胃の中の清涼感とまた別種のものが胸から込み上げる。
それはたぶん今日会った変に世話焼きな女が残したものか。
「ニコル……か」
ま、それはともかく宿に戻ったら無愛想な相棒にでも彼女の事でも話すとするか。
……その前に、上手く宿にたどり着ければいいが。
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