Ⅹ-4
入院中毎日幸也は病室に通っていたが、その日──テスト前で部活が休みだった日曜日、いつもより早い時間に病室に顔を出した。
「母さん?」
ノックの音に返事がないので不審に思いながらドアを開けると、佳代は眠っているようだ。
昼下がり、窓からは暖かい木漏れ日。
「お昼寝中、か」
幸也はそうっと近寄り、佳代の寝顔を見下ろした。規則正しい寝息。起こさないよう静かに椅子を引き寄せてベッド際に座ると、ふと掛け布団から出ている手が目についた。
──眠っていたら。
頭に浮かんだ考えを振り払うように首を振るが、一度浮かんでしまった誘惑は消えてくれない。
幸也だって、本心をいえば、佳代に触れたい気持ちはあるのだ。中学生にもなってマザコンか、と自分で突っ込みたくなったりもするけれど。
そっと手を伸ばして、ちらりと佳代の顔に視線を走らせて確認する。
どきどきしながら、ゆっくりとその手を近づけて。
意外にも、その手はひんやりと冷たかった。
佳代が起きる気配は全くない。
幸也はちょっとだけ力を入れて、その手をきゅっと握った。冷たいはずなのに、なぜだか暖かいものが流れ込んでくるようで……。
幸也の顔に、しらず笑みが浮かぶ。
ぽかぽかと初夏の陽気の中。こころまでぽかぽかとあったかくて──幸也は佳代の手を握ったまま、ベッドにもたれ寝入ってしまった。
目を覚ました佳代は、手をつないだまま突っ伏して眠っている幸也を見て驚いた。
が、もっと驚いたのは、自分のこと。
──発作が起きてない! 治った? それとも、幸也が、眠っているから?
どちらかはわからないけれど。
今、幸也と手を繋いでいる。残念なことに幸也の顔は、腕の中に入ってしまっていて見えない。
それでもやっと触れることができた嬉しさが、佳代の胸に暖かく広がっていく。
佳代は幸也を起こさないようにそっと手を離すと、幸也の頭に手をやって優しく撫でた。ずっと、こうしてみたかったのだ。
優しく優しく撫でる。何度も、何度も。柔らかい髪。髪ごしに伝わるぬくもり。
「もう少し、眠っていてね」
小さく呟く。
幸也が眼を覚ましてしまったら、もしかするとこの優しい時間は終わってしまうかもしれないから。なんともないのかもしれないけれど。わからないから。今はまだ、眠っていてほしい。
そんな願いを込めながら、撫で続ける。
佳代が微笑を浮かべて頭を撫ぜているその手の下で、幸也はまどろみながら佳代の声を聞いた。頭を撫ぜる優しい手の動き。涙が出そうなほど優しい時間。
僕が眠っていると思ってるから?だから大丈夫なのかな?
夢うつつ、そんなことを考えて。
もう少し。もう少しこのままで。
眠っている幸也に触れて発作が起こらなかったことに、佳代は少し自信をつけた。幸也には、何度ももう大丈夫だから試してみたいと言っていたものの、本当のところ自信はなかったのだ。
もし発作が起こってしまったら。
自分がしんどいのは我慢できる。
でも。
この前発作を起こしたときの、幸也の顔が頭に浮かぶ。
心配しているのに、近寄れない。もどかし気に拳を握りしめて。
あんな思いはもうさせたくない。
それでも時々思い出したようにわがままを言うのは、幸也に触れたいこの気持ちをアピールするため。……実際に試してみる勇気は、ない。幸也をこれ以上傷つけたくないから。
「治ったかどうか、探知機か何かで調べられたらいいのに」
独りごちて小さく溜息を吐いたとき、ノックの音がして看護婦が入ってきた。佳代は少し残念に思いながらも手をひっこめた。
この日から、部活で疲れて帰った幸也が夕食後に、ときどきソファーでうたた寝するようになった。
お互いには内緒の、スキンシップの時間。
佳代は幸也に寝ているときに触れていることを内緒にして。
幸也は本当はいつも寝ていないことを内緒にして。
少しずつ少しずつ、二人の距離が縮まっていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます