Ⅱ-7
部屋の中を行きつ戻りつする幸也の脳裏に、ここ数日の出来事が次々と浮かび上がっては消えていく。
真由美は、あの日平気な顔でやってきて以来、やたらと僕と外へ出て行きたがった。それまでは家に来て話をして帰るだけだったのに、どうして……?
「ね、買い物に行こうよ」
やめてよ! 僕は外へは出たくないんだ。ここにいたいのに。真由美は僕の暖かい世界を揺り動かすだけではなく、壊そうとしている。僕をここから追い出そうとしている。嫌だ!! 僕はここにいたいんだ。このままでいたいのに……。
ふと、先日の自分の言葉を思い出し、口に出してみる。
「一人になりたいわけじゃない」
それなら何故、真由美が外へ出ようと誘うのを断る?
幸也は自問した。
答えはわかっている。外の方が、より一人であることを感じるからだ。一人しかいないこの場所では、一人きりを感じない。だけど外へ出れば、幸也を避けて通る人がいる。変な眼で見たり、苛めたりする人がいる。外の方が──周りにたくさん人がいる方が、より孤独が身に染みるのだ。だから僕は……。
「ねえ、どうして最近は出歩かないの? この前久しぶりに会ったとき、あんな時間に外にいたのは偶然なの? 学校には行ってるんでしょう?」
あれ?
真由美の言葉を思い出し初めて気づく。
そうだ。真由美に会う前は、よく出かけていた。ふらふらとあてもなく。学校にもちゃんと行っている──。えっと? それじゃあ、どういうことだ? 外の方が一人を感じるなんてのは、自分を納得させるための言い訳にすぎないのか? 一体どうして? 外へ出なくなったのは──真由美を待つため?
ああ、こんなにもぼくは真由美が来るのを楽しみにしていたのか。自分自身に対する言い訳を考えてまで家で待っているほどにも……。
一つの考えが沈んでいくとかわりにまた別の場面が浮かび上がってくる。
「ね、あんた本当にマミが強いと思ってるの?」
「……?」
「あの子はね、決して本当に強いわけじゃないんだよ。強くありたいと思っているだけ。祈るような気持ちで願っているだけなの。誰かのために強く……ってね。マミをこれ以上傷つけるようなことをしたら、あたしが許さないからね」
意思の強い瞳で真っ直ぐに幸也を見つめてはっきりと言い切った朱里。幸也は、彼女の強さもまた『誰かのため』──真由美のための強さなのだと思った。
続いて真由美の言葉が鮮やかによみがえる。傷ついた瞳で微笑みながら、まるで聞いていないふりをしている幸也に真剣に話し続ける様子までが目に浮かぶ。
「状況の変化を怖がっていたら、どこへも行けないよ。……いつまでも今のままじゃいられないんだよ。今、幸也がそうやって誰にも壊されたくないと思っている世界は、あんたの両親によって守られているから存在しているのであって、いつか、彼らがいなくなったらあんたはどうするの?」
守られている世界。そういう風に考えたことはなかったな。
「ほとんど家にいないおじさんとあの……おばさんに守られているとは感じにくいかもしれないけど。でも、衣食住に困ることなく生活できるのは、二人のおかげだよね?」
「嫌でもいずれは社会に出ていかなきゃならないんだよ。誰もがね。一人ではやっていけないよ」
「もっと違った目をもたなくっちゃ。守られた自由ではなく、自分の手で自由を掴みとらないと」
「できるはずだよ。あんたが今まで閉じていた目を開いて、扉を開けてそこを飛び出そうと思いさえすれば」
その時々は、聞くともなしに聞いていた言葉たちが、今しっかりとした重みをもって心の中に根を下ろした。
幸也は心の内にあった重く固い扉が急にふわりと軽くなった気がした。
ああ、そうか。僕がそう思いさえすれば、扉は軽くなるんだ。扉が重く頑丈でびくともしないように見えたのは、僕がそう思い込んでいたからなんだ。
幸也は、今まで彼を閉じ込めようとしていたものの正体が一瞬にしてわかったような気がした。まるでどんなに探しても見つからなかったジグソーパズルのワンピースが、やっと見つかってそれがピタリとはまるべきところに納まったような気分だった。
そしてそのピースは、幸也が気づかなかっただけで、ずっと自分の手の内にあったものなのだとしった。
それまで心の中空をばらばらに漂っていた言葉の断片が、ぴたりぴたりと台紙にはめこまれ像を結んでゆく。乱雑に種々な言葉を投げ込まれていたおもちゃ箱が、やっと整頓されたのだ。
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