Ⅰ-3

 幸也は、不思議な能力ちからを持っている。触らずに物を動かせる力。一般に念力サイコキネシスと言われているものだ。

 この能力のせいで、たった三つのときに母親から離れて暮らすことになったのだ。


 母親の佳代は生後半年もしない頃から、我が子の不思議な能力に半ば気づいていたらしい。赤ん坊が泣いているときには、風もないのに窓ガラスが震えたり、部屋の中の物がカタカタと音をたてたりしたから。怒って激しく泣くときには、箪笥の上の物がことりと落ちたりもした。


 けれど深く考えるのは気味が悪くまた恐ろしくて、無意識の領域にその不安を押しやって、何事もないように日々を過ごしていた。


 単身赴任の夫は半年に一度帰ってくればいい方だ。久しぶりに帰ってきたときにはゆっくりくつろいでもらいたい。それに実際なんといっていいのかもわからなかった。なんだかわからないけど気持ち悪いだなんて。そうして父親には何も相談できないまま日は過ぎてゆき……。


 少しずつ少しずつ心の奥深く封じ込めていた恐怖は、おりのように佳代の中に蓄積されてゆき、とうとう幸也の三歳の誕生日に爆発してしまった。すでにもうかなり前からノイローゼ気味だった彼女は、何度となくやよいのところに相談に通っていた。爆発するかしないかのぎりぎりの線の上に長くたっていたのだ。


 その日、真由美は幼稚園から帰ってきていつものように弥生に絵本を読んでもらっていた。唸るような蝉の鳴き声にじっとしていても汗が吹き出してくる晴れた日で、空には雲一つなく庭の植木は濃い影をくっきりと地面に落としていた。


「おばあちゃん! 助けて!! 私、もう嫌!!」


 バタンッと大きな音をたててドアを開け、転がりこむなり佳代がヒステリックに叫んだ。髪を振り乱したその様子に、幼かった真由美は

ただならぬものを感じてとても怖かったが、弥生は慌てずにゆっくりと尋ねた。


「一体どうしたんだい?」

「怖いの、おばあちゃん。怖い……」


 そう言ったきり身体を震わせて弥生にしがみついた。真由美は弥生のスカートの裾を握りしめて、後ろから怖々と佳代を見上げていた。


「家で何かあったのね?」


 子供をあやすような柔らかい口調で問いかけた弥生が、ふと気づいたようにつけたした。


「幸ちゃんは?」


 弥生の言葉にはっとしたように顔をあげ、佳代が金切り声をあげた。


「あんな子、私の子じゃないわ! あんな……化け物!」


 佳代は常々幸也のことを気味が悪いと言って恐れていた。おそらくその幸也が何かをしたのだろう。

 弥生は佳代にそこで待つように言い、彼女の家へ駆けつけた。幼い真由美もその後について走る。


 家の中へ入るとすぐに異変は感じとられた。空気がびりびりと震えている。奥の部屋から大きな物音が聞こえ、二人は音のする部屋のドアを開けてみて呆気にとられた。


 その部屋の内だけが、地震でも起こっているかのようにがたがたと揺れていたのだ。さらにその上、そこら中の物が上下左右に飛び交っている。


 しかし呆然としたのも束の間で、次の瞬間には真由美は部屋の中へ飛び込んでいた。この部屋の異常に慄くよりも、幼心に“幸也がけがをしてしまう”という思いが勝っていたのである。

 幸也を抱きかかえた真由美を、一歩遅れて入ってきたやよいが幸也ごと抱きしめた。


 揺れは数分でおさまった。幸也が人肌のぬくもりに安心したためだったのだろうか。


 そのまま眠ってしまった幸也を弥生が抱いて家へ戻ると、それを見た佳代は恐怖に顔を引き攣らせて失神してしまった。


 この事件があって幸也は真由美の家で預かることになった。佳代が幸也に一切近寄ろうとしなかったから。


 半年ほどたって佳代が落ち着いた頃から、弥生は月に一度は幸也を自宅へ帰らせたが、佳代は半年前の恐怖を忘れておらず、幸也の方も敏感に母のよそよそしさを感じ取り、互いに打ち解けなかった。


 そんな生活が幸也九才の時まで続き、弥生の死をきっかけに少年は好むと好まざるとにかかわらず、自宅に戻されることになったのだ。

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