第6話 読書ちゃんと勉強会

 新入生交流会の翌日。

 八月一日の端末には一件の連絡が入っていた。

 小鳥遊からで、今からそちらへ向かうから準備して待っていろという内容だった。


 いきなり連絡がきた事に浮かれつつ、八月一日は洋服等見た目を気にしていると連絡がきてから約二十分後、玄関のチャイムが家の中に響いた。


 扉を開けると立っていたのはワンピース姿の小鳥遊だった。家の中に入ると少し疲れたのか溜息を吐いている。



「おはようございます」

「おはよう、小鳥遊さん」

「連絡先を知らなかったので電子端末の方から連絡させてもらいました」

「電子端末便利だな…」

「端末内のメニューにある取り扱い説明のところに機能の一部として書いてありましたが」

「えっと、電子端末に連絡してくれたのは別に良いんだけど…朝早くからどうしたの?」

「八月一日さん…私との約束を忘れたんですか?」



 彼女との約束を必死に思い出すが、何も思い出せない。忘れた事を正直に謝り、教えてもらう事にした。


「ごめん…何も覚えてない」



 八月一日の申し訳なさそうな表情に、小鳥遊は眉一つ動かさず舌打ちをした。



「ちっ」

「舌打ち!?」

「昨日の今日で覚えていないとか、本当にお馬鹿さんですね。ベルフェゴールの言う通り、頭の中には豆腐でも入ってるんじゃないですか?」

「その発言は豆腐に失礼だし、せめて頭に入ってるのは味噌って言って下さい!」



 八月一日の下手くそなツッコミを無視して小鳥遊は言葉を続ける。



「ちなみに、八月一日さんが期待しているような事ではないと先に言っておきます」

「出る杭は打たれた…」



 昨日の今日という発言を聞いて一つの可能性を思い出してがっかりする彼に向かって、彼女はすうと息を吸うと口を開いた。



「言語界での勉強会です!」

「ですよねー!」



 玄関前の空間で膝から崩れ落ちる彼の傍に近づいてきたのは、先日彼と契約した白髪のポニーテールを三つ編みにした少女、シーディアだった。



〈です…よね? ごしゅじん? ですよね?〉

「シーディア…今の癒しはお前だけだ…!」



 八月一日は泣きながら立ち上がると傍に立っていたシーディアを抱きしめる。


 彼女も笑っていて嬉しそうだが、小鳥遊の足元には魔法陣が現れており、そこから冷気が溢れ出ている。彼女の口元は笑っているが目は笑っていない。



「八月一日さん…お勉強のお時間ですよ…?」

「ひいっ!」

「廿日さんとの勉強会は明日ですから今日はみっちり言語界で勉強しましょうね…?」

「あっ、俺の中の大切な何かが壊れ」

「移動します」

「アッー!」



 八月一日の悲鳴が響いたゴールデンウィーク二日目。

 魔法陣によって移動した八月一日は小鳥遊と共に訪れた言語界の一室で彼女の指導の下勉強会が行われている。


 一室といっても堂國高校にある図書棟に近く、二人の周りには本棚がずらりと並んでいる。

 部屋の真ん中に位置するたくさんの机と椅子の近くにはホワイトボードが置かれており、それを背にするように小鳥遊が、八月一日が向かい合うようにそれぞれ座った。


 小鳥遊は説明を始めながらホワイトボードに書き込んでいく。

 シーディアは興味が無いのか、本棚の間を歩き回って本の背表紙を見ては首を傾げ、また別の本棚へと移動している。



「まずこの世界について説明します。世界には現実世界と言語世界、そして夢世界が存在します。現実世界は八月一日さんや私、人間が暮らす世界。言語世界は、私の隣にいるベルフェゴールやそちらにいるシーディアが存在する世界。よく言語界と縮めてしまう事が多いです。夢世界は人間と擬人が共に出入りする事が可能ですが、自分の意思で行く事は出来ません。基本的にテスミスの加護を受けるか、夢属性の擬人との契約により、出入りする事が可能です」

「夢属性の擬人…ってか、擬人に属性とかあるのか?」



 八月一日の質問に小鳥遊は頷く。

 本棚の間を歩き回っていたシーディアは疲れたのか、八月一日の右隣の席に座ると机の上で上半身をだらしなくうつ伏せにした。



「擬人は所属する場所によって属性が割り当てられています。それが人間の持つ七つの大罪です。私と契約しているベルフェゴールが王として君臨する怠惰、他に傲慢、強欲、色欲、暴食、憤怒、嫉妬、そして無知と全部で八つの所属先があります」

「七つの大罪なのに八つね…。っていうか、あいつって王様なのか…痛い!」

〈あいつじゃねえっつてんだろうが! ああ!?〉



 いつの間にか左隣に座っていたベルフェゴールに八月一日は耳を抓られて半泣きになっている。



「それぞれ七つの大罪に割り当てられた属性は怠惰が水、傲慢が闇、強欲が樹、色欲が夢、暴食が雷、憤怒が光、嫉妬が炎。特殊な例として八月一日さんが契約した無知の無属性もあります」

「特殊な例って何処が特殊なんだ?」



 八月一日は頬杖をついて質問をする。

 小鳥遊はホワイトボードを裏面に変えると先程説明した属性についての話を分かりやすく書いていく。



「無属性というのは、文字通り、何も持たない事を意味します。相手として戦う場合に有利な属性も不利な属性もありません」

「七つの大罪が割り当てられてるって言ったけど、無属性を入れたら八つだよな…」

「だからこそ無属性は名前も何も持たない。人間が持つマイナスの感情…とでも覚えておいて下さい」

「マイナスの感情…?」



 彼女の説明がいまいち覚えられない八月一日は頭の中がパンクしそうである。

 しかし、ここで何か口にすれば現実世界の二の舞になるかもしれないので何も言わないでおく事にする。



「属性間による有利不利を説明します。先程言いましたが、無属性を除いて他の七つの属性には戦う際に有利不利があります。八属性を四つずつに分けて二つの輪があります」

「あー…面倒になってくるやつだな…」



 頭を掻く八月一日の言葉を聞く事なく淡々と説明を続ける。



「まず一つ目の輪について説明します。これは不可視の輪と言い、反対側の属性を弱点としています。よって光と闇は互いが弱点です。次に夢と無ですが、この二つは互いに有利不利なく影響を及ぼしません。この二つは両極端で夢属性は全ての属性が弱点でもありますが、他の属性に対しても弱点でダメージを与えやすく受けやすい。先程も言いましたが無属性はその逆でダメージを与えづらく受けにくいです」

「ここぞっていう時にはシーディアじゃ駄目なのか…」



 八月一日は隣の席に座るシーディアを見つめたが、彼女はうつ伏せのまま寝ているようでこちら側に可愛らしい寝顔を見せている。



「次にもう一つの輪についてです。これは知見の輪、または元素属性エレメンタルと言います。これは、時計回りの流れに従って属性が有利に働きます。水は炎に有利で樹に不利という感じです。この二つの輪を覚えておく事で戦いを有利に進ませる事ができます」



 小鳥遊の言葉に八月一日は再び先日の戦いを思い出してみる。

 あの時の彼女は最初は勢いが良かったものの、後半は押され気味だった。

 まだ彼女の説明が理解できていないようなので八月一日は質問をする事にした。



「小鳥遊さん、質問いいですか」

「どうぞ」

「二人が高校の校庭で戦ってた相手の属性は何に該当するのでしょうか?」

「…それが…分からないんです」

「分からない?」



 彼女は悔しげな表情でゆっくり頷く。

 八月一日の向かいの席に座ると俯いてワンピースのスカート部分を握りしめた。



「八月一日さんはまだ契約してなかったので、相手について無知だと思います。それなので見ただけでは属性の判別が難しいと思います。ですが、七つの大罪の擬人と契約して長い期間があれば相手を見ただけで判別ができます」

「見ただけで…」

「はい。ですがあの時、あの黒人形を見た時に感じた物がぐちゃぐちゃだったんです。全ての感情が混ざっている…例えば絵の具を全部パレットの上で混ぜたようなどす黒い感じとしか…」

〈八つの属性が混ざっているって感じだったな。悠理が分からなかったらテメエに分かる訳ねえだろうが豆腐野郎!〉

「俺は豆腐野郎じゃなくて八月一日昴だっつの!」

〈アタシの名前もあいつじゃなくてベルフェゴールだ!〉



 言い争いを始めた二人を見て溜息を吐いた小鳥遊はシーディアと同じように机の上に上半身をうつ伏せにした。



「喉が渇きました…」



 彼女の言葉にベルフェゴールは八月一日との言い争いを中断すると指を鳴らす。

 すると彼女の隣に青い粒子が集まっていき水が入ったコップが現れた。



〈水だな…ほらよ〉

「ベルフェゴール、ありがとうございます。このお水が何とも言えないんですよね…」



 コップの水を一気飲みすると和らいだ表情を浮かべる。すると八月一日の腹が音を立てた。



「…まだまだ勉強したとは言えないと思いますが」

「それでも腹は減るんだよ!」

「一度、現実世界に戻って昼食にしましょうか」

「さっき言語界に来たばっかりだし、また昼飯の時間には早いだろ」

「まだ説明を忘れていた事がありました。現実世界と言語界では流れる時間の早さが違います」

「流れる時間が違うって」

「あまり差がないからと安易に言語界に留まりすぎないようにして下さい。ここは、あくまでも言語の世界。擬人達の世界です。人間の私達は、本来軽い気持ちで来てよい場所ではありません」

「でも、小鳥遊さんは来てるんだろ?」

「…」



 彼の言葉に何も言い返せず、小鳥遊はそっぽを向くと靴の爪先で一回床を叩く。すると四人の足元に魔法陣が現れ、淡く光り始めた。



「えっ、小鳥遊さん!?」

「なんですか八月一日さん。現実世界に戻って昼食にするんですよね…?」

「はい!そうです!」



 光が辺りを包むと八月一日と小鳥遊は言語界へ行く前にいた場所、彼の家の玄関前に立っていた。


 二人はリビングへ入ると八月一日はキッチンへ小鳥遊はソファに座った。ベルフェゴールとシーディアも彼女と同じように空いてる場所に座る。

 彼は冷蔵庫の中を見ながら八月一日は三人に話しかける。



「何か食べたいものあるかー?」

〈アタシらのことは気にしなくていい。腹は減らないからな〉

「その割にはシーディアの目が輝いてる気がするけどな…」



 シーディアはソファに座ったまま、脚をばたばたと動かしている。ベルフェゴールは脚を組むと腕を組んで天井を仰ぎ見た。



〈へった!へった!〉

「野菜が食べたいです」

「具体的な料理名じゃないんですね…」

「勉強を教えて貰っている分際で何を言ってるんですか」

「小鳥遊さんもしっかり腹減ってるんだね」

「人間ですから当たり前です」

「…たまに性格真逆になるよね」

「何か言いましたか?」

「何でもございません! 今すぐ調理いたしますので暫しお待ち下さい!」



 八月一日が忙しなく調理を始めた頃に玄関のチャイムが鳴ったので、料理をしている八月一日に代わり、小鳥遊が対応をする事になった。


 彼女が恐る恐る扉を開けると向こう側に立っていたのは私服姿の廿日だった。薄い桃色のカーディガンに白のスカートと春らしい装いである。



「こんにちわ、八月一日く…あれ、小鳥遊さん?」

「…こんにちわ」

「どうして小鳥遊さんが八月一日くんの家にいるの?」

「えっと…その」

「…二人で何してるの?」



 廿日の言葉が全身に突き刺さる。

 勉強会は三人ですると約束しているので、ここは言葉を濁す事にした。



「委員会の…仕事です」

「…そうなんだ。八月一日くんは今、中に居るの?」

「ちょっと作業をしていて手が離せないんです。彼に何か用ですか?」



 小鳥遊の言葉に廿日の体から砂のような黒い粒子が現れる。心の中で身構えたが彼女は笑顔で話し始めた。



「勉強会しようって言ったけど、日時を決めてなかったからどうしようかと思って。いつ頃がいいかな?」

「私も八月一日さんも特に予定は無いのでいつでも大丈夫です」

「明日だと急だから…明後日の九時とかどうかな? 私の家って分かりにくい場所にあるから、公園で待ち合わせしよっか」

「分かりました。八月一日さんにも伝えておきます」

「じゃあ、また明後日ね」

「はい。わざわざありがとうございました」



 黒い粒子が体を纏ったまま手を振って去っていく廿日を見送りつつ、扉を閉めて溜息を吐く。



「あの黒い粒子は擬人の力…でも彼女の近くに姿も反応も感じなかった」



 色々気になる事があるが、一人で考えても埒があかない。

 そろそろ出来上がるであろう八月一日が作った昼食を食べながら話をしようと玄関の鍵を閉めた。




*******




 小鳥遊に見送られながら八月一日の家を出た彼女は暫く歩くと自宅近くの公園でブランコに座った。


 乗っても漕ぐことはなく、鎖を握りながら俯き、自分が穿いているスカートをただ見つめる。



「なんで…小鳥遊さんが八月一日くんと一緒にいるの…?」



 自分の思いを言葉にしただけで怒りと悲しみが混ざって何とも言えない気持ちになる。

 溢れた涙がスカートに落ちるといくつかの滲みを作っていく。



「八月一日くんが…小鳥遊さんと…」

〈どうして泣いているのですか〉



 突然の声に顔を上げると正面には桃色のマーメイドドレス姿の女性アスモデウスが立っていた。



〈何を泣く事があるのですか?〉

「だって私、もう小鳥遊さんに勝てません! 三人で勉強会をする前から二人で会うくらい仲がいいなんて…そんな事、考えてなくて…」

〈…〉

「私、もうどうしたらいいのか…!」

〈貴女はどうしたいのですか?〉

「え…?」

〈貴女は八月一日昴と何をしたいのですか?〉

「私が、八月一日くんとしたい事…」



 再び俯いて考える廿日にアスモデウスが歩み寄る。悩む彼女の耳元でアスモデウスは何かを語りかける。


 初夏の日差しが二人を照らすなか、生暖かい風が吹き抜けた。




*******




 堂國高校の最寄り駅から三駅。

 駅から出てビル群を歩いて行くと郡の中でも一、二を争う程大きなビルの入口に立つ。


 八月一日が小鳥遊と共に戦っていた日に重症を負いつつ、新入生交流会では同級生を尾行する事に費やした勅使河原は星に呼び出され、ゴールデンウィーク真っ只中に重い体を引きずってやって来た。



「怪我が治りきらないうちに全力疾走して朝から大変だと思ったら…はあ…星先輩に何を言われるんだろ」



 カフェスペースの近くにある来客用の受付に行くと、背負っているリュックから自分の名前と顔写真が書かれたカードを取り出し、受付嬢に告げる。



「勅使河原凛太郎、トレーニングルーム3番で待ち合わせなんですけど」

「はい、承っております。鷹野様と志貴嶋しきしま様がお待ちです」

「ありがとうございます」



 受付嬢から了承を得るとエレベーターに乗り、ボタンの列の下にあるカードリーダーに先程のカードを通す。

 エレベーターの上部にはアルファベットのオーの字が現れ、下へ降り始めた。



「志貴嶋さんとか会うの久しぶりじゃん…! 京都の土産とかくれるのかな!」



 短い音共に目的の階に到着したエレベーターの扉が開くと、鷹野が壁にもたれていた。

 勅使河原は会いたくなかった人物にあからさまに機嫌を悪くする。



「…鷹野さん。この前はありがとうございました」

「ははっ、そんな仏頂面で言われても全然嬉しくないよ」



 笑いながら歩き始める鷹野の後ろを歩いて行く。

 右に曲がって四部屋を通り過ぎ、左に曲がって暫く歩くと右手に現れた部屋に入る。プレートにはトレーニングルーム3と書かれている。


 部屋の中は機材のある正方形の部屋と扉を隔てた向こう側に、大きな正方形の白い空間が広がっていた。

 その中心部にオールバックの男性が立っている。扉を開けて勅使河原が入ると気づいたらしく、軽く手を上げた。



「よお。久しぶりだな」

「志貴嶋さん! お久しぶりです!」

「シッキ…志貴嶋くんってば老けた?」

「向こうで死ぬような思いしてたってのにむかつく野郎だな相変わらず。っていうかシッキーって言おうしただろ! 変な渾名つけんじゃねえよ」

「さて、二人に声を掛けたのは僕だ。集まってくれてありがとう」

「…? 俺は星先輩に呼び出されて来たんですけど、星先輩はまだですか?」

「ああ…星くんに勅使河原くんを呼び出して欲しいって頼んだのは僕だよ」

「…え? え~!?」

「だって、僕が連絡しても勅使河原くんは絶対に来てくれないでしょ?」

「確かに。絶対に行かないです」



 即答する勅使河原に志貴嶋は短く笑った。鷹野は眼鏡を押し上げると不敵に笑う。



「星くんが勅使河原くんにプレゼントだと言ってたんだ」

「星先輩が俺にプレゼント! 何ですか! 何処にあるんですか!」



 トレーニングルームから出ていこうとする勅使河原の前に玉藻がふわりと降り立つと行く手を阻む。



〈少年よ、志貴嶋が手伝ってくれるそうじゃ〉

「ん? …何をですか?」

「俺がここに居るって事をよぉく考えろ」



 白い壁でできたトレーニングルームを見回す。特に思い当たる事がないので勅使河原は素直に答える事にした。



「んー…? 久しぶりに飯が一緒に食えるとか!」

「馬鹿か! トレーニングルームの何処に飯の要素があんだよ! 狐がさっき、俺が手伝うって言っただろうが!」

「…分からないです」

「俺が一年間、京都に遠征してる間に凛太郎が弱くなったってさっき鷹野から聞いたんだよ!」



 勅使河原が鷹野を睨みつけたが、彼は知らん顔で傍にいる狐耳の少女玉藻の頭を撫でている。



「鷹野さん~!」

「ついでに星のやつからもな」

「先輩からも…!」

「鍛え直して…」



 勅使河原に両手のひらを向けると黒い粒子が集まり、二丁拳銃を形成する。持ち手を握るとそのまま発射した。



「ほしいってよぉ!」

「危なっ…!」

「おらおらぁ! 避けるので精一杯か!」



 勅使河原は弾丸の雨を左右に動いて避けつつ距離を縮める。

 志貴嶋の懐に入り込み、顎に一撃をくらわせようとしたが難なく躱すと、彼の足蹴りをくらい、吹き飛ばされて壁に激突した。



「いって~…!」

「どうしたぁ凛太郎! 腰につけてるのは飾りかよ! 早く鞘から刀を抜け! 俺には見えてるぞ! それとも何だ? この前の戦いを思い出してびびってんのか! あぁ!」

「くっそ…!」

「勅使河原流の生き残りが笑わせんなよ!」

「はあっ…はあっ…!」



 二人が戦っている側で攻撃を避けつつ、鷹野と玉藻はトレーニングルームに繋がる観戦室に移動していた。



〈始まったのう〉

「玉藻はどっちが勝つと思うかい?」

〈そうじゃのう…五分五分じゃ〉

「へぇ…根拠は?」

〈志貴嶋には少年と違って圧倒的な実力がある。自分の型を持っているし、この後に奴を呼ぶじゃろ。そうなったら少年に勝ち目は無くなる…ただし〉

「…ただし?」

〈少年が今のままの場合の話じゃがの〉



 楽しげに笑いながら目線をトレーニングルームに戻す。

 部屋の中ではやはり志貴嶋が優勢で勅使河原は攻撃を避けるので精一杯だ。


 彼の放った弾丸が足元の床に当たると魔法陣が現れ、中から一本の鎖が出ると勅使河原の左足に絡みつき自由を奪った。


 突然の事でその場に転ぶと勅使河原の腰に鞘に収められた刀が現れる。銃を一つ手放し鞘に付けられている紐をちぎると、刀を遠くへ投げた。


 手放した銃は煙のように溶け、床に当たった刀は無機質な音をトレーニングルームに響かせた。



「いちいち迷彩なんか掛けなくたって、その刀は一般人には見えねえだろうが」

「くそ…!」

「星の奴からも、こてんぱんに頼むって言われてる…いいか、凛太郎」

「っ!」

「今、この瞬間は遊びじゃねえ…俺は本気だぜ」



 勅使河原の額に当てられた銃口の冷たさが今の志貴嶋を表しているようで彼は唇を噛んだ。



「そんな顔で見たって強くなれねえぞ! 鞘から刀を抜けよ!」

「言われなくても…抜いてやる!」

「あの距離まで届いたらの話だけどなぁ!」



 先程よりも強めに額に押しつけられた銃口に勅使河原はにやりと食った口の端をあげる。


 引金を引こうとした瞬間、先程遠くに投げられた刀がかたかたと音を立てて震え出すと、志貴嶋の頭に向かって一直線上に飛んでくる。


 彼はこの動きを予想していたようで、頭を傾けて避けるとバックステップで勅使河原から距離を取った。

 刀は勅使河原のすぐ側で自分から地面に突き刺さった。



「刀が自分から来やがったか…」

「鞘から…抜かないと…!」

「抜くのを待ってやる程、俺はお人好しじゃねえぞ!」



 志貴嶋が再び勅使河原に向かって銃口を構えた所で彼の首筋に閉じられた扇子があてがわれる。

 首から何かが全身に巻きついており志貴嶋は身動きを封じられている。彼の後ろには黒い狐耳の女性が立っていた。



〈あんさん、やり過ぎと違う?〉

管斬くだぎり…!」

〈星ちゃんはこてんぱんにして、なんて一言も言ってへんやん。強いて言うなら…お灸をすえて、ぐらいやろ〉



 降参とは言わずに志貴嶋が溜息を吐くと管斬と呼ばれた女性も彼の考えを理解したようで、首筋から閉じられた扇子を離した。


 それを見越して観戦室から鷹野と玉藻がやって来る。玉藻は勅使河原に歩み寄ると手のひらを体に向けて治療を始めた。



〈これにて終いじゃな〉

「勅使河原くんは何かに気づけたかい?」

「刀が、何か言ってる気がする…」

「それに気づけただけ俺に感謝しろよ。行くぞ管斬」

〈はあ~い。またね、みんな〉



 トレーニングルームから出ていく二人を見送りつつ、怪我が増えた事に勅使河原は再び悔しさを感じていた。




*******




 廿日が帰った後の八月一日宅では四人による昼食会が始まろうとしていた。



「そう言えば…なんで八月一日さんの家の場所が分かったんでしょうか」



 小鳥遊が玄関の扉の鍵を閉めてリビングに戻ると、八月一日は調理を終えてテーブルの上に料理を並べていた。


 四人分のラーメンどんぶりには野菜の餡掛けが載せられている。

 どんぶりから察するに恐らくラーメンなのだろうが、小鳥遊はあえて八月一日に質問をする事にした。



「…これはなんですか」

「八宝菜ラーメンです! 小鳥遊さんの言った通り野菜を使ったのですが! どうでしょうか!」



 威勢のいい声にげんなりしつつ、言葉を返す。



「…野菜と言ったら生だと思いますが? この微妙な季節に餡掛けのラーメンってどういう事ですか…」

「小鳥遊さんの可愛いお顔が歪んでる! 歪んでるよ!」

〈案外美味いかもしれないぜ?〉



 ベルフェゴールの一言に彼女は鋭く睨みを効かせる。視線を合わせず口笛を吹く彼女を放置しておいて、とりあえず小鳥遊は目の前の八宝菜ラーメンといわれた代物を食べる事にした。


 箸を餡掛けの中に入れて麺を引きずりだす。息を吐いて少し冷ますと啜る。小鳥遊に習って他の三人も食べ始める。

 シーディアは初めて箸に触るのか、持ち方が汚いまま何とか麺を口に運んでいる。



「…」

「小鳥遊さん…味どう?美味しい?」

〈結構イケんじゃねえか!〉

〈おい…しい!〉



 八月一日の輝く視線に堪えきれず、出来るだけ聞こえないような小さい声で感想を呟く。



「美味しいのが腹立たしいです」

「えっ?」

「早く食べて下さい。少し話があります」

「熱いのに早く食えって…!」

「熱い料理を作ったのは八月一日さんです。数分前の自分を恨んで下さい」

「小鳥遊さん…!」



 八月一日は涼しい顔でいつの間にか完食している小鳥遊に内心喜びながらも、自分が作った八宝菜ラーメンを急いで完食する。


 その後、全員が食べ終わり、各々コップで食後の飲み物を飲みながら小鳥遊が口を開いた。



「八月一日さん、廿日さんと知り合ったのは最近ですよね」

「ああ、新入生交流会の時にも話したけど…購買にパンを買いに行った帰りに上級生に囲まれてる廿日を見つけてさ。仲が良いっていう訳でもなさそうだから、とりあえず先輩達にやめるように話をしたんだよ。そうしたらいきなり殴りかかられたから、お返しに殴ったらさっさと帰ってった」

「まだ入学してから間もない新入生なのに暴力沙汰ですか…」



 頭を押さえる彼女に八月一日は必死に弁明を始めた。



「いや、そんなに殴ってないし。女の子が嫌がってたら普通助けるでしょ」

「その時に彼女と連絡先は交換しましたか?」



 小鳥遊の質問に記憶の彼方を辿る。しっかりと覚えている訳では無いが少しずつその日の出来事を思い起こしていく。



「…いや、してない。だって今日小鳥遊さんから連絡がくるまで、電子端末でそういう事が出来るって知らなかったぐらいだし」

「八月一日さんの知らない間に廿日さんがこちらに連絡できる仕組みがある…?」



 彼女の言葉に八月一日はすぐに考えを否定する。



「廿日は別のクラスだし、顔を合わせたのは助けた時の一回目と新入生交流会で二回目だ。遊園地でジェットコースターの待ち合わせをしてた時もただ世間話をしただけで連絡先を交換してない」

「…変です」

「変?」



 考え込む小鳥遊の前にある空になったコップに八月一日が烏龍茶を淹れようとするが、手のひらで静止される。



「だって変ですよ。仮に、私と八月一日さんの知らない間に連絡先を知る事が出来たとして、電子端末から電話が出来たとしても八月一日さんの家の場所を知っているのはおかしい…」

「先生に聞いたんじゃないのか?」

「会いたいから住所を教えて下さいと言われて、はいそうですかと個人情報を教えないと思いますよ。自分のクラスの担任に別のクラスの生徒の情報を聞くのは変です」

「でも前田先生は教えないと思うんだよな…」

「それには私も同感です。そうなると星明純の手下が協力したか、擬人の力か…」



 黒人形から八月一日と自分を救った星を思い浮かべる。

 何を考えているか、敵か味方かも分からない。

 八月一日はあまり覚えていないようで、必死に記憶をたどっているようだ。



「星?」

〈あの黒女は違うと思うぜ〉



 小鳥遊の考えを否定すると脚を組み直し、ベルフェゴールは二人を見据える。



〈黒女の匂いみたいなもんは大体覚えてる。さっきソイツが来た時にはそんなもんは感じなかった。…そう言えば悠理、遊園地に行った時に技を放った時の事、八月一日に話してねえな〉

「…忘れてました」

「話がよく分からないけど? どういう事?」

「新入生交流会の日、乗り物に乗る時間が無くて昼食後に土産屋に行こうという話になったのを覚えてますか?」

「ああ、もう一個ぐらいアトラクションに乗りたかったよなー…」

「土産屋に向かっている最中で八月一日さんと廿日さんが隣同士で歩いていた時、怠惰の技を廿日さんに放ったんです」

「…え? 土産屋まで歩いてた時だよな?俺は何も感じなかったけど」

「遊園地という特殊な環境で廿日さんの力が強まったのかもしれませんが…彼女は私が放った技を吸収したように見えました」

「それじゃあ、廿日は擬人と契約してるって事か」

「まだ確定した訳ではありません。誰かが力を貸しているかもしれませんし…兎に角、彼女との勉強会の時には注意して下さい」

「注意って言ってもな…。下手な事したら向こうに俺達の事がばれるんじゃないか?」

「多分ですがこちらの事は廿日さんにはばれないと思います。それと、さっき廿日さんが明後日の九時に近くの公園で待ち合わせと言ってましたよ」

「さっき来たのって廿日だったのか…そっか。じゃあ小鳥遊さんと俺で一緒に公園に行った方が良くない?」

「止めておいた方がいいと思います。それこそ彼女を刺激しかねないです」

「…? なんで廿日を刺激する事になるんだよ」



 八月一日の言葉に小鳥遊とベルフェゴールが揃って溜息を吐く。



「鈍感さんですね」

〈テメエの事が好きだからに決まってんだろうが! 気づかねえのかよ!〉



 二人の言葉を聞いて間を置いてから八月一日は声をあげた。



「…えっ!?」

〈えっ!? じゃねえよ! 馬鹿だな! アイツの態度を見てたら分かるだろうが! …ったく〉



 宙に浮いたベルフェゴールは怒りながら青い粒子となって消えていく。その姿を確認すると小鳥遊も座ったまま伸びをした。



「初日から勉強し過ぎても嫌になるでしょうし、私は調べたい事があるので今日はこれで終わりにします。ではまた、廿日さんとの勉強会の日に会いましょう」



 小鳥遊は立ち上がるとすぐさま玄関に向かい、出ていった。八月一日は玄関から小鳥遊を見送ると、四人が食べた後のどんぶりを片付け始める。


 洗い終わったところで話し合いに参加せず、食べた後からずっと寝ているシーディアに隣の部屋から持ってきた毛布を掛ける。



「必要か分かんねえけど一応掛けておくか」



 玄関の施錠を確認して二階の自室へ戻ると午後の時間が空いたので何をしようか考える。

 勉強は明後日に三人でやるので今はやらない。

 小鳥遊の言ったように頭がパンクして、すっからかんになってしまう。


 ふと目線を移動すると、机の上に置きっぱなしにしてあるこの間買った少女漫画の新刊が目に入った。数冊を手に取るとベッドに寝転ぶ。



「…残りの新刊を読むか」



 ゴールデンウィーク二日目は、小鳥遊を尾行した時から読めていなかった少女漫画の新刊と共に幕を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕と君のレゾンデートル ヤミー @yamiiiiiii

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ