8. TO THE CIRCLE AGAIN

「今すぐ作業を止めてください。プロトコル80%解明しました。スミーアの空洞へは入れます。しかし、ここではありません。」アンジーが言った。

 ベンソン教授が聞き返した。「どういうことだ、アンジー。ベースコンピュータのことか?」アンジーは意味不明なことを話し出した。「いいえ、地球のベースとの通信はいたって正常です。チーフ達がサークルの傍にいた時に予備のポートに不明のプロトコルで入って来た信号がありました。それが、今解明されつつあります。スミーア内部へ皆さんが入れるプロシージャは手に入れることができました。もう一度サークルへ行きましょう。」


 全員、背筋が凍る思いで聞いていた。「今度こそアンジーが狂った?」


 一旦全員が船に戻った。食堂ではカーン博士以下全員が集まった。アンジーとベンソン教授が話しているのをみんなは聞いている。「アンジー、君の現状を教えてくれないか?エラーチェックは正常結果か?」「はい、不明プロトコルを検知した時から1秒間に10万回のセルフチェックを続けてきましたが、正常です。プロトコル自体は今も不明ですが、侵入者は極めて紳士的でした。今は私が相手に侵入中です。変更します。今、侵入ではなくなりました。これは、90%招待です。」

 ベンソン教授はアンジーの相手が何なのかを知りたかったが、アンジー自身、まだ実体が把握できていないようだ。ベンソンはアンジーに聞いた。「招待とはどういうことだ?」アンジーはコンピュータなりに興奮した様子で答えた。「空洞の管理者です。コンピュータです。いや、コンピュータではない可能性も30%ほど残っています。」


 結局アンジーはチーフが調べた結果でも正常だった。管理者はアンジーとだけ交信しているようだ。チーフが手動での接続を試みたが、予備のポートはなにかに完全に占有されている。アンジー内部の既知の場所にしか行けなかった。チーフの調査では、アンジーの言う相手の手掛かり気配、一切なにもつかめていない。


 コンピュータでない可能性が30%。この事が意味するのはどういうことなのか。ジョディは今すぐにでも空洞に入りたかった。アンジーは空洞への入り方がわかったと言っていた。ジョディはベンソン教授とカーン博士に進言した。「もう一度サークルへ行かせてください。」

 カーン博士は、地球外知的生命の存在が現実味を帯びてきた今、ジョディのその方面の見識を大いに使いたいと思った。しかし、空洞へ実際に入れるかどうかはわからないが、アンジーの情報を確かめる為にも行く必要はある。博士は、ベンソン教授にサークルへの調査隊をもう一度派遣するように要請した。出発は15時間後と決まった。


 ジョディは部屋へ戻ってもすぐには眠れず、アンジーが返事を返す限り、話しかけていた。「アンジー、あなた空洞への入り方がわかったって言ったわよねぇ。」アンジーは答えた。「いいえ、わかったのではなく、空洞へ入れるプロシージャを手に入れることができたのです。このプロシージャは私の中ではテストできませんでした。実行してみるしかありません。空洞へ入るのは99%可能です。理由は、不明プロトコルであるにも関わらず、通信が成立しているように、不明の言語でありながら、現在向うのデータが怒涛の如く読みとれています。それが、理由です。そして、もうひとつ言わせて下さい。相手は極めて紳士的です。ですが、友好か非友好かは不明です。」


 ジョディは、アンジーの言っていることが正しいかどうかはわからない。しかし、空洞へは入れそうに思っている。そして今、アンジーも同じ気持ちで紳士と会話していることに、ジョディは気付いていなかった。


 ジョディは目覚めた。昨夜、アンジーと話しながら眠ってしまっていた。

 船内は、朝モードだ。太陽の光が有るわけではないが、1日の始まりを思わす空気に満ち溢れている。さぁ、新しい一日が始まる。そんな予感をさせる一日が始まった。

 食堂にはほとんど全員が集まっていた。ジョディは朝食をコーヒーとクラブサンドウィッチで簡単に済ませた。


 メンバーは1回目のサークル調査の時と同じだ。エンジニアチーフのジェフ、タケル、ナブラ、アラン、ジョディ、ジースの6名。


 サークルの足場に到着した6人に、アンジーが言った。「まず目を閉じてください。これはおそらく、皆さんの三半規管と視界の情報の整合性が保てなくなるからだと思います。だとすれば危険ですので、目を閉じてください。」アンジーは正常である。ここ一連のアンジーの挙動に対しては、メンバー全員納得済みである。若干の諦めを含んでいる者もいる。


 アンジーから目を開けるよう言われた。その瞬間、全員が身構えた。というより、足を踏ん張り、ジョディは思わずジェフの腕にしがみついた。全員、サークルの上に立っている。足場から90度垂直方向に移動した。足場が壁になった。と思った瞬間サークルが消えた。いや、消えたのではなく、サークルを通り抜けたのだ。上を見るとサークルが徐々に小さくなっていくのが見える。ジョディは尚もチーフにしがみつき、チーフはジョディを護るようにやさしく肩を抱きながら、これはエレベータかと思った。


 暗い。しかし、まったくの闇ではない。みんなの姿も顔も見える。薄暗いのでもない。暗いのだが、何かが見えにくいというのでもない。足元には床があるのだが、踏みしめている感覚がない。ジョディは、しばらくすると宇宙服を通して、風を切っているのを感じ始めた。他のみんなも風を感じているのだろう。タケルは手を広げて空気抵抗を確かめるような仕草をしている。


 時間にして2分ほどだが、この場の6人にはずっと降り続けるエレベータに乗っているような気分だった。足元、下の方に白い灯りが見えたかと思うと、まわりが明るくなった。非常に明るいが、まぶしくは無い。照明を探したが、それらしいものが見当たらない。アンジーが到着を告げた。そこは部屋になっていたが、見たことも無い空間である。ドアを通らずに突然部屋に入った感じだ。そして、アンジーが思わぬことを言った。「宇宙服を脱いでも大丈夫です。ここは1気圧。酸素濃度は30%で地球より若干高いです。残りのほとんどは地球と同じ窒素です。」

 みんなはアンジーに言われても宇宙服を脱ぐことを躊躇している。それはそうだろう、ここへ来るまでエアロックらしき所はどこも通っていないのだから。

 ジェフはみんなを一旦制して、自らも外気状態をチェックし、アンジーの言った通りの数値であることを確認すると、ヘルメットに手をかけた。残りのみんなは固唾をのんで見守っている。ジェフはヘルメットを脱ぐと、少し鼻をクンクンさせて大きく息を吸った。そして、頬笑み、みんなに向かって親指を立てた。みな一斉に宇宙服を脱ぎ出した。船内用のインカムを持ってきていないので、アンジーとの会話にも必要なので、ヘルメットのインカムを外して耳にかけた。ジョディはインカムがなかなか外せなくてナブラに取ってもらった。


 全員がとてつもない経験をして、虚脱状態から平静を取り戻し始めた時、ジェフはアンジーに聞いた。「アンジー、ここはどこなんだ?」アンジーの答えは至極当然の内容だった。「スミーア内部の空洞です。」それはそうだが、想像とあまりにもかけ離れていた為、ジェフは思わず聞いてしまったのだろう。

 ここは完全に何者かが作った場所である。人類以外の何者かが。今、6人が居る場所は、地球上のどの文化圏にも属さない雰囲気を醸し出している。強いて似ている空間を上げるとすれば、巨大なバスタブ。お湯を抜いたバスタブのようである。6人はそのバスタブの底に立っている。10mほど離れたところに、ベンチの様なものが2個見える。


 果たして、それはベンチと呼んで間違いではなさそうだった。いや、背中が垂直に近いソファと言った方が良いかもしれない。無駄に広い中にぽつんとあるのでベンチに見えたのかもしれない。6人は普通にベンチに座った。


 アンジーはこの状況に戸惑ってはいない。6人にとってその事が一番安心できる状況である。アンジーは全く平静に説明し出した。「私が招待されたのは、やはりコンピュータでした。スィニーと言う名前です。」タケルが驚いたように言った。「スィニー!?何だよそれ。全然、地球外って感じじゃないじゃないか。」不満そうなタケルにナブラが聞いた。「じゃぁ、どんな名前だったら満足?」タケルは「そうじゃなくて、アンジーがスィニーだって言うことは、文字が読めたってことだろう。」一同は異口同音に声を上げた。


「本当だ、アンジー、どうしてスィ・・・」ジョディが言い終わる前にアンジーが話し出した。「いいえ、現在スィニーとのやり取りは文字は使ってません。データがダイレクトに入ってきて、私のライブラリーに収まってます。データの言語は不明で、収まった時点ですべて読解できるのです。スィニーというのは私が読んだ時の名前で実際にはどうなのかは今は不明です。」

 ジョディはみんなを見まわしながらアンジーに聞いた。「アンジー、スィニーは地球外コンピュータなのね。それは確かよね?」アンジーはその先も見越して言った。「はい、地球外銀河系内コンピュータです。製造者は太陽系から5万光年離れたビーカという恒星系の第二惑星ニュルスの住人だった者です。」

「だった。って?」アランが聞いた。


 アンジーが言うには、そのビーカという恒星は、今から50万年前に白色矮星になったという。それも、惑星ニュルスの住人が招いた不慮の事故らしい。

 そこから奥へはデータが2種類に分かれていて、時系列的に新旧別れているらしい。

 今はスィニーからのデータを取り込むことだけで、アンジーの都合に合わせた整理が追い付いていないらしい。1秒間に100ヨタバイトほどのデータが、第一次サークル調査の時から入ってきているのだ。もちろん、それはアンジーが要求しているかららしいが。


 一同は、愕然としながらアンジーの説明を聞いていた。地球外知的生命との第三種接近遭遇を楽しみにしていたタケルとナブラもそれどころではなくなっていた。

 なにしろ、5万光年という空間の広がりで気が遠くなりそうな所へ、今度は50万年という時間の長さ。タケルは、ひそかに、ケンタウルス座のアルファ星あたりを推理していたことは心の奥深くに封印した。


 ジェフが聞いた。「5万光年というとどの星座方向になるのかな?」アンジーの答えは皆の想像を超えるものだった。「いて座の方向ですので、地球から見ることは難しいです。まっすぐバルジ(銀河の中心)方向に5万光年ですからバルジを挟んで向うになります。」


 現在は微かに惑星状星雲として視認できるらしいが、地球からは現在の光学機器をもってしても見ることは不可能だ。もちろん電波望遠鏡を使えばバルジの向うは確認できるが、それはあくまでも銀河のスパイラルアームの構造のみである。辛うじて、赤外線を使った宇宙望遠鏡で恒星を確認できる程度である。


 今度はナブラが不安そうに聞いた。「ニュルス人は今はどこにいるの?」アンジーはその問いには答えることが出来なかった。そして、こう言った。「ただ、彼らの残した物は、この銀河系の中に、スミーアのような形で、数多く存在しています。」


 アンジーが若干あわてたように言った。「見つかりました。現在のビーカの位置です。」と、同時に皆の前にホログラムが現れた。


 一同は唖然とした。このバスタブの底にはそのような装置らしきものが上にも下にも見当たらないのに、突然、目の前に映像が飛び出して来たのだ。果たして、これは我々の知っているホログラムなのだろうか。鮮明とかの表現を受け付けない。もはや実体である。映像ではなく、完全なるミニチュア銀河が目の前に存在している。

 地球人には、予想される天の川銀河の形状はあっても、実際の形はわからない。しかし、今、目の前にある銀河は、おそらく我々の天の川銀河の本当の姿なのだろう。

 中心のバルジは棒というより、アーモンドに近い。見る角度を変えると、あのアンドロメダ銀河と瓜二つだ。アンドロメダのM110に代わって、大小マゼランが二つくっついたような形だ。

 アンジーが補足した。「スィニーのデータの中ではアンドロメダ銀河と私達の天の川銀河のことを『双子銀河』と通称されています。」皆は至極当然のように納得した。


 ビーカの位置と太陽系の位置がわかる。まさにバルジを挟んだお向かいさんだ。それにしても素晴らしいホログラムだ。いや、もはやこれはホログラムではないのだろう。

 そして、ビーカが拡大された。惑星状星雲の形がうっすら残っている。薄いガスに包まれた中心にビーカが見える。実際に、そこに居て、眺めているような感覚だ。


 アンジーは皆の戸惑いを察したのか、この事を説明した。「これも仕組みは今のところ不明です。私はプロシージャを実行しているだけです。これが2億年間蓄積された科学技術の成せる技なのでしょう。」皆の戸惑いは一層ひどくなった。タケルとナブラが素っとん狂な声をあげた。「2億年!」


 ジョディは父が口癖のように言っていたことを思い出していた。

「芸術は500年経っても理解できるが、500年先の科学技術は魔法だ。」

 そして、今、その事が自分の口癖になるであろうことを確信した。ただし、規模は変わるが。

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