7. CIRCLE

 ジョディの想像どおりの結果が出た。彼女はその場にいるみんなに言った。

 「スミーアは特殊な場を持っているのじゃないかしら。1万キロほどの範囲内にだけ影響を及ぼす何かを。」ジースが上げ足を取るように質問した。「特殊な場って何よ。今、我々の置かれている状況は極めて特殊なのはわかるけど、それの原因が、その特殊な場で片づけちゃうわけ?」ジョディは眉間に皺が寄るのを抑えて平静に答えた。「ハッキリ言うわよ。私たちは36時間未来に来たのよ。いや、居るのよ。」その場は静まり返った。ジョディは王様に裸だよと言ってしまった。その瞬間、ここにいる全員が時間旅行者になった。言ったことに後悔はない。彼女は早くそこからスタートしたかったのだ。


 しかし、マット船長や地球との通信が成立している事の矛盾に気が付く事は出来ていない。

 いや、まだ、過去、現在、未来という時間の概念に捉われているのかもしれない。

 

 人類は20世紀にすでに素粒子の時間旅行は見てきた。そして22世紀の現在、太陽系内を秒速200kmで飛び回り、自らも時間旅行は経験しているが、それは翌朝目覚めても何の問題も無く1日が始まる、コンピュータがわかるだけの微小な時間旅行だ。

 しかし、スミーア上に佇むメッセンジャー号は違った。はっきりと36時間の未来へ旅行してしまったのだ。結果だけを見れば、である。


 36時間が失われたのではなく、未来へ。


 予定通り調査機器の設置は終わった。すべて正常にデータの収集が始まっている。何の問題も無い。今は。


 ジョディ達は船外へ出た。問題のサークルへ向かうためだ。メンバーはエンジニアチーフのジェフ、タケル、ナブラ、アラン、ジョディ、ジースの6名。

 着陸してからジョディは船外へ出るのは初めてである。子供のころ父親に連れて行ってもらった地球の海を航行する空母オバマの甲板を歩いた時のことを思い出していた。空母といっても昔のような飛行機の発着に使うものではない。広いのに甲板の端が見えている奇妙な感じ。今はその甲板が大きく湾曲している。

 ジースは岩石採取で何度も船外活動は行っている。チーフたちはスミーア上はもう彼らの庭のようなものだ。

 ただし、これから向かうサークルは全員初めての場所である。そして、何よりサークルの位置に問題があった。メッセンジャー号の着陸地点は太陽の反対側で、我々が太陽に落ちるのを完全静止中のスミーアが堰き止めている形だ。

 サークルはスミーアの太陽側と着陸地点の中間に位置している。すなわち、サークルへは崖を下っていくことになる。そこは軌道速度0なので、手を離せば太陽へ一直線に落ちて行く。メッセンジャー号にはポッドが3機あるが、軌道速度0地点で、月面程度とはいえ、太陽の引力に抗うパワーは持ち合わせていない。


 ジェフはジョディを気遣い、メッセンジャー号から800mほどのところで休憩した。今いる場所は太陽の反対側なのでライトが無ければ真っ暗だ。ジョディは近くの岩に腰をおろして空を眺めた。数えきれないほどの星だ。瞬くこともせず、星が降り注いでくるようだ。彼女は思った。今、この視界の中にどれほどの数の文明が存在するだろうかと。眩い星達の中でもひときわ明るく木星が輝いていた。ガリレオ衛星も2個ほど見えている。土星も見えている。

 彼女はふと思い出した。次の惑星直列は数年後じゃなかったかな。


 ジェフの「さぁ行こうか!」という声でみんな再び歩き始めた。やがて、メンバーはスミーアの端に辿りついた。チーフの指示で、エンジニアチームは手際よくサークルへの梯子をかけて行く。傍目にはジョディとジースは完全にお客さんになってしまっている。


 あまりここでは意味は無いのだが、一応、登山経験者のチーフのジェフとアランが先に降りて行く。サークルの位置に足場を作る材料を背負っている。結構な量だが、ここでは月面とほぼ同じ地球の6分の1程度の重さしかない。

 チーフからOKの声がした。ナブラとジースが降りて行く。続いてジョディ。殿はタケルが受け持った。

 ジョディは天体上の船外活動も宇宙空間での船外活動も経験はあるが、このようなシチュエーションは初めてだった。しかし、恐怖心は無かった。

 ジョディはスミーア側に向き、梯子に足を架けようと下を見た瞬間、強烈な太陽の光が一瞬見えたかと思うと瞬時にサンシェードがかかった。

 4億キロ近く離れているとはいえ、大気も無く、ほぼ暗視順応していた肉眼には強烈な光だ。


 足場に全員が立った。目の前に直径8フィートのサークルがある。ムーンベースでのミーティングで見たのと同じ色だ。しかし、近くで見るとセメント粉には見えない。ジョディは未使用のフライパンのようだと思った。色は濃いグレー。

 ジースはサークルに触れながら、何かブツブツ言っている。表現に戸惑っているようだ。ジョディがフライパン説を言うと、ブツブツが止んだ。

 ジョディは梯子を降りる時に思ったのだが、斜め下へ湾曲しながら刷毛で掃いたような跡が残っている。おそらくスミーアが絶対静止に遷移するときに、速度を失った砂が、太陽へ落下していった後なのだろう。


 チーフたちは計画どおり、資料採取のためサークルに穴を開けようとしていた。しかし、予想に反した形状と手触りのサークルを前に、待ったをかけていた。

 6人には、もはやサークルが自然物だとはとうてい考えられない。かと言って人工の物だとしたら、解釈に窮してしまう。タケルは宇宙人のドアだと言った。誰からも笑い声がしない。まさにそう見えてもおかしくないからだ。ドアノブの無いドア。それがここにいる全員の見立てかもしれない。


 チーフはカーン博士に穴あけ中止を報告した。その後、アンジーにこの状況で我々がなすべきことは何かを相談しようとする前に、アンジーが答えた。「それは不明金属の一部としか言えませんが、そちらからの採取映像にもう一箇所、不明金属の一部が写っています。」チーフが見せるように言うと、全員が同時にヘッドアップモニターを注視した。右下にアランのカメラNoが表示されている。足場の一部も見えている。

 アランが言った。「あっ!見た覚えはないが、これは足場を固定するために下側に回り込んだ時の映像だよ。」アンジーがその部分を拡大した。アーチ状のものが見える。みんなは一斉に足場の下を覗き込んだ。タケルは勢い余って落ちそうになってワイヤーにしがみついた。あやうくイカロスになるところだった。

 ジースが小さく叫んだ。「あそこだ!」皆はジースが指さす方向を見た。それは足場からさらに10フィートほど右下に降りたところにあった。直後、ジョディは左下に視線を持って行った。とっさの勘だ。有った。同じアーチ状の不明金属が有った。

 その後、メンバーの降りてきた梯子に隠れて半分砂を被った状態でもう一つ同じものが見つかった。直径8フィートのサークルを挟んで3か所の不明金属。3つ共サークル端から6.3フィート離れている。チーフが梯子を上ってアーチ状の不明金属を調べに行った。同時にアンジーが不明金属にわずかに含まれていた放射性同位体の量を測定していた。アンジーの答えが返って来た。「不明金属が太陽風に曝された時間はおよそ1億4655万9432年。」


 船内食堂に全員が居た。カーン博士からサークルおよび一連の問題の関連性の話があった。サークルは1億4500万年以上前から存在していた事実が分かった今、博士は遠回りすることをやめた。地球の混乱を気にすることなく報告の上、スミーアで残された時間、いや、場合によっては30日間分の予備の生命維持資源を使用することを考えているが、その上で何をなすべきかを皆に問いかけ、そして、実行に移すことにした。


 カーン博士は話し終えて、ベンソン教授に把握できている事実とそこから推測できる大まかな説明を促した。

 ベンソン教授はジョディに頷いてから話し始めた。「スミーアに到着してからスミーア自体の重力加速度を反太陽側に限り1平米ごとに調べた結果、内部に空洞が存在することを推測し、且つ空洞の形状も推測することが出来た。これがその構造です。」


 ホログラムに3千フィート離れた所からのスミーアが現れた。数秒後半透明になり、空洞が表示された。エンジニアチームはざわついた。メッセンジャー号が何隻か入りそうな巨大な円筒形。数学的な綺麗な円筒形になっている。そして、円筒形の中心よりややサークル寄りのところから1本の細いチューブのような形がスミーア表面に向かって伸びている。肝心のサークルからは何もつながりそうなものは無い。

 アンジーが説明した。「中心となる空洞は直径約60m長さ約160m。スミーア表面につながっているように見えるチューブは、長さ約470m、直径約20m」


 ベンソン教授は皆が映像全体を確認し終えたころで再び話し出した。


「このチューブは丁度、メッセンジャー号の下あたりに来ている。1平米ごとに調べたのだが船の下だけは船内からの調査だ。よって、下を実地検分するためこの後、メッセンジャー号は100mほどサークル寄りに移動する。」再び場はざわめいた。それには構わず教授は話をつづけた。「そして、そこに何があるかは分からないが、いずれにしてもサークルの強度というか現在、船にあるあらゆる機材を使ってもキズを付けることすらできない物質、あっ!失礼アンジー。不明金属であることは十二分に予想される。」

 ベンソン教授は以前、アンジーの予想をあまり高く評価しなかったいきさつからアンジーに少し気を使った。そして、船の移動方法についてマイクに説明を促した。


 パイロットのマイクが立った。「移動というより、形としてはジャンプすることになります。みんなも見てわかっていると思いますが、サークル方向20mほどのところに直径5mの岩があります。それを越えるために、一旦スミーアから30フィートほど離れ、その後、水平に100mサークルに寄って、再度軟着陸。アンジー、これでいいかい?」

 アンジーはOKを出した。


 再びベンソン教授が話し出した。「1週間前の着陸の時と今回の二度の化学燃料の噴射で空洞チューブの端が露出してくれればよいのだが、ダメだった場合は我々の手で掘り起こすしかない。」


 その場合の実行グループのメンバー決めが行われた。すべてエンジニアたちだ。おそらくセバスチャン以外全員、ギャラリーになるだろう。


 全員がブリッジに集まった。アンジーから座席の無いものはハンガーに捕まるよう指示があった。ジョディはローラが座っているコパイ席の後ろのハンガーを掴んでいる。アンジーは全員の固定を確認すると噴射の秒読みも無く船体を浮かした。ジョディは二度目なのに化学燃料の噴射の下品さに驚いた。考えてみれば、一週間前の軟着陸の時はこんな余裕はなかったからだろう。船体におおよそ宇宙船内とは思えない振動が続いている。丁度、今は趣味人しか使わない、地球の大気を利用して浮上する飛行機に似ている。ジョディは学生時代、飛行機に一度乗せてもらったことはあるが、それを趣味にしている人間の気持ちが未だにわかりかねている。


 横に移動を始めると、真っ暗な中にマイクがサーチライトを照射した。みんなは一斉にメッセンジャー号のあった場所を凝視した。しかし、何も見えないまま100mの遊覧飛行は終わった。


 全員が何かがあるであろう位置に集まっていた。セバスチャンまでもが居た。チーフたちはアンジーの指示通りにラインを引こうとしていた。

 そして、異変はその時起こった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る